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Sep 2006

某プロポ

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by 卓 坂牛

朝一で某市の某建物の指名プロポーザルの審査に行く。今日は提出された5社の作品を審査員の方々に解説をする日。審査員の中で建築家は私だけなので、提出物の内容が理解できない方、分かっていても質問したい方にお答えするのが私の役目である。ヒアリングは日曜日。
A3のプロポーザルシートだが内容は充実している。モダンから歴史主義までまあ様々である。これを作るのにどのくらいの費用がかかるのでしょうかと質問されたので、まあ安く見積もって100万と答えたら皆さん驚いていた。しかし、人件費などでそのくらいかかってもおかしくない。主催者には提出された建築家の方々に充分の感謝をしていただきたいと思う。
今回の審査は私はアドバイザーなので余り主観的な価値判断を押し付けるつもりはないが、出された絵には適性な客観的判断と主観的感想は申し上げるつもりである。

イコノロジーとは言わないが

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by 卓 坂牛

パノフスキーによれば盛期スコラ学は信仰とうい聖域と合理的知識の領域との間に一線を引いた。しかしその聖域の内容は明瞭に識別できることを主張した。その知の体系が建築においても現われているというのがパノフスキーの主張である。堂内のヴォリュームと外部の空間の間には一線が引けるのだが、堂内は構造体を通して外部に明瞭に見て取れるのだという。パノフスキーはその時代のエピステーメーと建築を重ねてみたり、 『<象徴形式>としての遠近法』では透視図法がその時代のエピステーメーを作り上げていると分析した。
パノフスキーはいわずと知れた『イコノロジー研究』の著者である。上記ゴシック建築とスコラ学の関係はイコノロジーと呼ぶような図像と意味の緊密な関連があるとは思えない。もっと推理と直感に富んだスリリングなものである。誰かはそのやり方を強引だと言ってやや否定的に見ているが、私はむしろそこが面白と思っている。
建築は確実に時代性の産物である。そしてそれだから建築は面白いし鑑賞の価値がある。イコノロジーとは言わずとも、イコノロジー的な見方をせずして何をみるのか??と自らの論文をチェックしながら、牽強付会な自分を垣間見ると、嫌になったり諦観したりである。

暗い話ばかり

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by 卓 坂牛

昼事務所で仕事。心に鞭打ちながら。本当は娘のフルートの発表会に行きたかったが、それもできず、愚行処理は延々続く。夕方ヨコミゾ氏のお祝い会に行く。1時間で帰ろうと思ったが、知り合いが多く、少し長居。伊東事務所obの中村さんと長話。クレーム問題について。彼も結構問題が多いそうだ、雨漏りはしないが、トラブルは結構あるとのこと。あんな誠実な人でもおこるのかとびっくりした。そういうクライアントとはなんとなく疎遠になると言っていた。そりゃそうだろうなあ。ヨコミゾ氏の学会賞も、裁判ぎりぎりのところでならなかったそうである。みんなぎりぎりのところで仕事してるんだなあ。と改めて思う。金箱さんにはこれからますます設計者の工事監理責任は問われるよと忠告された。それに対して金箱事務所では現場での監理については全て紙に残すようにすると言っていた。僕等はそんなことはもう昔からやっている。日建仕込みだからそのあたりは抜かりがない。そういう意味では僕等の事務所の監理体制はその辺の事務所の比ではないという自負がある。この書類の量は半端じゃない。ISOなんてすぐ取れるような気がするが。それでも失敗する施工者はどう扱ったらいいのだろうか?行きたい2次会は辞して事務所に戻る。施工者からのファックスをチェック。さあうまく行くのだろうか。中途半端なパーティー食だったので、帰宅して食事。

シンクロ2位

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by 卓 坂牛

昨晩3時頃寝たのだがいつものリズムで7時に目が覚めてしまう。そのまま起きた。メールを見ると、研究室からpdfが届いている。コンペの進捗である。模型が小さい。いい写真を作って欲しい。
午後論文読んでたら、さすがに眠くなってきた。夕方少し眠る。今日は家族で夕食。シンクロで日本は2位になれたようだ。1位はロシア、3位はスペイン。ロシアは圧倒的に強い。違うスポーツを見ているような感じすらした。

打ち合わせ10時間

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by 卓 坂牛

9月16日
施工者を前10時間喫茶店で打ち合わせをした。2時から12時まで。そこで追い出されて駅のマックで終電まで。ノートが半分終るほど両者で絵を描いてはあーだこーだ言う。悲しいかな、打ち合わせの内容は補修工事の納まりと工事計画。さらには職人が工程でどう重なるかとか、半分設計者のやることで半分施工者のやることを一緒に考えていたと言うところだろうか。できない施工計画を提出されて、できなくて迷惑するのはクライアントである。
ニューヨークの友人よりメールがくる。ニューヨークでの大野一雄写真展企画のお願いと横浜でのあるシンポジウムへの同席の依頼をしていたのだが、前者はどうもすんなりとは進まないような感じ。直接話しをしたいとのこと。後者はokだが一体建築家とダンスの専門家が何を話すのだという素朴な疑問がかえってきた。確かに会って話しをする時はお互いの専門分野にお互い素人として乗り込める。また共通の話題としてアート議論ができるのだが、人前で何かするのは話しが全然違う。うーんどうしよう。

台風が来る

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by 卓 坂牛

コンペの審査をすると、コンペで何が重要かがよくわかる。なんとかそれを今回のコンペで実現したいと思う。学生もその気になってくれると嬉しい。真剣にやったコンペは過去の自分を振り返っても何か今でも自分の肥やしになっている。
午後会議、新しい工学部長になってから最初かな?いろいろと報告を聞く、去年省エネ運動をしたおかげで工学部で1000万燃料費を下げることができたのこと。これは結構驚きだった。会議が終り東京へ移動、事務所で少し打ち合わせ。10時頃帰宅。相変わらず余り食欲はない。台風13号が接近すると言う恐ろしいニュースが流れているせいだろうか?

ひどい

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by 卓 坂牛

なぜか分からないが今年は本当に呪われている。ひどい施工者の愚行で困っている。弱り果てた。クライアントとともに設計者に対しても施工者は賠償責任があると思う。昼の仕事も集中が続かないのはこのせいである。ひどいものだ。本当にひどい。

審査

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by 卓 坂牛

9月13日
塩尻でのコンペ審査。9時から8時まで延々。やっと5つになった。様々な議論の末である。多くの見事な作品に敬意を表する。缶詰審査から出てくると携帯に山のようなメールと電話。電車の中で受け答え、0時を回っても問題紛糾である。

塩尻

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by 卓 坂牛

9月13日
朝研究室で様々事務処理して昼塩尻に、塩尻市民交流施設のコンペ審査を山本理顕さん、高橋晶子さんと行うのだが、それに先立って山本さんの講演会がある。演題は「建築は誰の為にあるのか」というものであった。聴衆の半分は市民、半分はコンペ出品者であろう。
山本さんの原研究室時代の集落のスライドが新鮮だった。建築は地域に根ざし、市民のためにあり行政のものではない。という厳しい指摘を役所の人の前でにこやかに、ずばっと言うところが素晴らしい。その後選定委員会を開き今後の進め方の下打ち合わせをして、191の作品を1時間ほど見て、今日は終わり。明日が本番である。
案を見た後、建築家の審査員は異口同音に「出す方に回りたかった」と漏らしていた。全く同感。年初に市役所の方から依頼された時に僕は出したいのでとお断りしてきたのだが粘り強い説得に引き受けてしまったが、本当に残念である。

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by 卓 坂牛

朝、新建築でjt11月号用の対談のつもりで10時に行ったら対談相手の天内君が来ない。連絡がうまくいってなくて彼はofdaに行ってしまっていた。というわけで2時間とっていた時間が1時間しかなくて、完全に消化不良。なんか気分が悪い。
午後事務所で新しい仕事になるかもしれないプロジェクトの打ち合わせを軽く済ませ自宅に戻り、荷物を持って長野へ、軽井沢は大雨。(自分の建物があるところの天気が悪いと気分が悪い)。長野は曇り。駅から研究室に直行。4年生もオープンデスクから少し戻ってきていて院生のコンペの手伝いをしている。頑張れ。こちらは明日からのコンペ審査のために再度要項をチェック。頭の中におぼろげにある僕なりのクライテリアを再確認。でもそんなのを吹き飛ばす名案を見るのが明日は楽しみ。
長野はすっかり秋。