Archive

Dec 2006

大晦日の会食

On
by 卓 坂牛

一年に一度親と兄貴家族に大晦日と元旦に会うことになっている。シンガポールとオーストラリアと日本にばらばらにすんでいる兄貴たち家族もそうしょっちゅう一同に会することは無い。いつも決まって青山の焼き鳥やで大晦日の夕食をとる。美味しかった。両親は快調のようだ。元気そうで安心した。ひざを怪我した兄貴も元気そうである。オーストラリアの大学に入った甥っ子は英語が上手になったようである。早稲田学院の本庄に入った甥っ子の弟の方は通学時間が長く大好きなサッカーはやめてしまったようだ。高校時代は今思えばやっておけば良かったと思うことは沢山ある。
飲んで食って解散。明日また河豚やで会うことを楽しみに帰宅。

忘年会

On
by 卓 坂牛

12月30日
今年最初で最後の忘年会。日工大の武田先輩。伊東事務所の東さん。竹中の萩原さん。東工大の奥山、塚本、貝島。塩尻の勝者柳沢潤。奥さんの志真さん。ofdaから木島さんと僕。渋谷で飲んで食って。2次会はアトリエワン。
今年は坂本先生自身ドイツのコンペで勝利。塚本もパリのコンペに入選。大良も沖縄で勝ち。そして柳も勝った。めでたしめでたし。しかし案の定、塩尻で最後、僕が柳に投票しなかったことを散々言われる。30分おきにその話が登場する。奥山とは卒論、修士論文の梗概の話。「つらくても書き換えたら学生のためではない」と諭される。しかしそんなレベルではないことを話す。しかし笑った笑った。一年分笑った。すっきりした。朝4時アトリエワンから木島さんとぶらぶら歩いて帰る。みな良いお年を。

装飾

On
by 卓 坂牛

午前中とある打合せ。午後帰り道、神保町で山の本と装飾の本を探す。ネットで見て欲しかった海野弘の『装飾空間論』やコルの『今日の装飾芸術』『近代の装飾事典』等等、10冊ほど購入。ルカーチの『美学』に装飾論があると井上君から聞いていたので探したが、第二巻はあるのだが第一巻は見つけられなかった。帰宅後早速読み始める。ここでも確認されるのは、装飾と言うのは具象ではないということ。古代に遡れば、旧石器は動物の文様だが、新石器は土器が発明され、幾何学模様となる。この幾何学の抽象性をヴォリンガーの理屈だけではなく解明したいところである。
建築で考えれば、結局エレヴェーションを黒くしたい欲望(白地恐怖症)イコール装飾と定義してもよいのかもしれない。別にそのパターンに意味があろうがなかろうが関係ないと考えれば、つまりディテールも装飾だし、もっと言えば材料に模様があったってそれを使う意思は装飾と考えてもよいのかもしれない。

写美

On
by 卓 坂牛

12月28日
朝食をとらず、かみさんと恵比寿に行く。カフェでサンドイッチをほおばる。エッと思うくらい高いが、ちょっと日本の味じゃなく美味しい。いい気分で写真美術館へ。今2階で細江英公展が開かれている。http://www.syabi.com/details/hosoe.htmlしかもタイトルは「球体写真二元論」である。細江は同タイトルの著作があり、数年前それを読んでから私は細江のファンとなった。写真美術館は入場料が安い。二人で千円。
写美から事務所に。図面の打ち出しをして背張りして問題点の洗い出し。結局終わったのは10時半くらい。事務所に届いていた下仁田葱をひとかたまりもらって帰る。帰宅後食事。葱をいためて貰い食べた。うっ苦い。下仁田特有の味のようである。

長い打合せ

On
by 卓 坂牛

12月27日
久しぶりに8時間もの設計の打合せをした。12時から24時まで。疲弊する。ベッドにもぐりこんだのはすでに1時を回っていたが、妙に頭が冴えてしまって眠れない。こういうことも珍しい。頭の中には図面が走馬灯のように流れている。8時間も同じプロジェクトのことを考えていると自然とそうなるということか。

大雨

On
by 卓 坂牛

一体何事であろう?例年なら雪であろう今頃大雨が降り出しついでに雷も鳴り響く。既に深夜1時を回っている。これからマンションに戻るのはなんとも億劫である。この時間までゼミ。ちょっと疲れた。少し明日が見えてきたもの、まだまだ頑張れよというもの、正月返上であと少し(とは言いがたいが)走りぬくしかない。
朝、椹木野衣『美術に何がおこったか』国書刊行会2006を読み始めた。村上隆やヤノビケンジと椹木の出会いやら、彼らと企画した昔の展覧会に見られる彼らの作品やら、びっくりしたり、納得したり、とにかく面白い。新聞の連載批評も歯に衣着せぬ物言いは痛快である。
明日は7時半の新幹線に乗らないといけない。東京での3つの打合せが待っている。早く寝よう。

朽ちた命

On
by 卓 坂牛

最近新幹線に乗らなければいけない状況が続く。車中の読書は東海村jcoでおきたあの恐るべき臨界事故による被爆者大内さんの闘病83日間の記録。既に7年も経っているというのが信じられない。このドキュメントはNHKで放映されたものである。僕はたまたまその番組を見ていたのだが、また読みたくなってしまった。先日同じNHKの取材班が書いた「論文捏造」がとても面白かったせいもある。しかし何故か社会問題にはいつもあまり腹がたたない僕なのだが、この事件だけはどうしても許せない気がしていたというのが強い理由である。
被爆細胞は染色体が完全にbreakしていて細胞分裂をしない。この恐ろしい事実が何を意味するか。想像通りのことが肉体に発生する。皮膚が朽ちる、内臓が溶ける。この本のタイトルは『朽ちていった命』であるがまさにそのむごたらしさである。人間にこのようなことが起こるということはあってはならないことである。大内さんの妻と子の気持ちを思うといてもたってもいられない。車中叫びたくなるような心境であった。テレビよりはるかに訴えるものがあった。
原子力発電は最早国家事業なのであり、そうした国の根幹を支える事業における、人間の尊厳を損なうような可能性は資本の競争に晒してはいけないのではないだろうか?国家が責任を持って管理すことが必要なのではないだろうか?この件に関して裁判はjcoしか裁ききれないでいるが、国の体制を見直すきっかけになるべきことである。

近代美術館

On
by 卓 坂牛

朝一で事務所でスタッフとt邸の打合せ。3案に絞られてきている。クライアントの意見を聞きたいところだが、なかなか連絡がとれない。やっと話せたが、ちょっと眠そうである。そう言う時の判断は鈍るのでよく考えるよう伝えて、3案の主旨のみ説明する。来週水曜日に打合せを行うのでそれまでに仕上げてのイメージをそろえ、模型を作るように指示。
午後家族と近代美術観の「揺らぐ近代」というけったいなポスターで最近有名な展覧会に足を運ぶ。ミュージアムレストランでランチを先ずとる。ここのレストランは皇居が一望にできる。それで気づいたが皇居の周囲には落葉樹がない。やはり木が裸になって中が見通せると警護上まずいのであろう。食後展覧会を見て(その内容はコラムに記したのでご覧ください)http://http://ofda.jp/column/その後ちょっと離れた工芸館に足を運ぶ。ここでは蒔絵の人間国宝松田権六の展覧会が開かれている。蒔絵もさることながら、化粧箱の形がなんともぬめっとしていて現代的である。この間の西沢平良氏のコンペ優勝案のようである。

阪根さんの新作

On
by 卓 坂牛

朝は少しゆっくりした。昼から事務所で打合せ。夕刻とある建物を訪ねる。阪根さんの設計した鉄骨造の建物である。彼はその昔大磯の方で彫刻家のアトリエを一本の木から作り上げた人である。その建物はsdレビューに入選し、新建築の表紙になったものである。彼は作るプロセスを大事にする人なのである。アトリエの時は一本の木から全ての部材を切り出すというコンセプトがあった。今回は下町の狭小地に鉄骨造で床も壁も天井もとにかく厚さ35ミリのpcで作るという驚異的なものである。35ミリのpcに先ず驚く。アスロックよりも薄いではないか。更にそれ以外の材料を使わないということに驚く。床も天井も壁も全部これなのである。しかも厚みが変わらないで全部同じ厚みなのである。
いやはやこの徹底ぶりはすごいものである。彼の建物にはいつも何か熱いものを感じる。すごい。

ディテール

On
by 卓 坂牛

久しぶりに新幹線に乗った。一眠りすると東京である。大学で製図やって東京戻り仕事ができると言うのが久しぶりに感動的。東京は暖かい。と言うよりかは最近の長野は驚異的に寒い。しかし未だ雪が降らないのだから暖冬らしいが。帰りがけに建築知識を買い久しぶりにディテールを見たりする。新鮮だが、目新しいディテールはなかなか発見できない。雑誌ディテールは独立してから余り読まなくなってしまった。というのもアレにはアトリエ事務所向けのディテールが少ないから。もう少し安いディーテールを捜そうとすると、建築知識など他の本の変わった特集を追うことになる。