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Dec 2006

ミケランジェロ

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by 卓 坂牛

朝一のバスで長野へ。アレッサンドロ・ノーヴァの『建築家ミケランジェロ』を読む。この年になって改めてルネッサンス建築をじっと見ると、やっとマニエリスムと呼ばれる修辞的な建築操作が少し理解できてくる。そしてブルネルスキを読んだ時も痛感したのだが、彼等は無尽蔵の金と権力に後押しされて好きなことができた建築家でもなんでもなかったということである。
例えば彼の初期の作品となるはずであったサンロレンツォ聖堂のファサードの設計においてはある時期工事費が25000から35000ドゥカーティに増加することをミケランジェロは報告する。そしてそれ以外の理由も併さり、教皇レオ十世は工事を中止した。ミケランジェロは3年間を棒に振ったことで精神的な大打撃を受けるのである。最近私にも似たようなことがおきた。3年とは言わずとも、少々時間を無駄にし、それなりに精神的には打撃を受けた。しかしこんな俗な私の出来事に近いことがミケランジェロにも起こっていたことを知ると、不思議なようでもあるし、この天才にしてそうなら自分も頑張らねばという気にもなる。

多忙な日曜日

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by 卓 坂牛

論文発表会の練習をしてみた。30分で話すのは至難の技である。その時間で話すと内容が異様に薄っぺらくなってしまう。
午後事務所。昨日のcad図では要求がさっぱりクリアできていない。自分で書かないと駄目なのだなあやっぱり。つまりどうも細かいニュアンスが伝わらないのである。書いてpdfにしてメールする。帰宅後食事。食事後明日の授業の予習をしながら「秩序」についてcolumnに書く。装飾の起源とヴォリンガーの言葉とモダニズムとの関係が気になる。井上君に聞いたルカーチの美学を読んでみたいのだが、古本ネットでも見つからない。

人文主義

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by 卓 坂牛

12月10日
昼から事務所で打ち合わせ。今日は雨。夕方からA0の勉強会+忘年会。忙しくて用意の暇も無く、かみさんに食事を運んで貰う。辺見のスライドショーが流れたから各自「人文主義」について15分お話してくださいというのが宿題。
そもそも古典教養への取り組みだったこの言葉humanusがオーギュスト・コントやヘーゲルあたりから人類尊重の意味も持ち、フロムらの社会主義ヒューマニズムまで視野に入っている。昨日の入江君による説明だと、岩波の哲学辞典や社会学事典では「人間主義」という訳語は見あたらないとのことだったが、僕の書架にある『哲学思想翻訳語事典』(論創社)ではむしろ「人文主義」という見出しはなく「人間主義・ヒューマニズム」がhumanism(英).Humanismus(独).humanisme(仏)の訳語として載っている。そしてこの訳語には「人文主義、人格主義、人類主義、人道主義など多様に表され」と記されている。

ブルネルスキ

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by 卓 坂牛

製図の第二課題の敷地は僕が設計した長野県信用組合の前面。確か去年もこの時期この自分で設計した建物の前に来てこの建物を見た。既に10年近い年月が経過しているのだが、風化していない。改めて日建のスペック、日建の納まりの安心感というものに感心する。
学生に一通りの説明をして直ぐそばに最近やはり日建の高村さんの設計で竣工した再開発ビルtoigoに行きtaや助手とコーヒーを一杯。金曜の夕方だが人が少ないのが気になる。その後次のバスまで時間があるので駅前の平安堂でバスで読む本を物色。来る時岡崎乾二郎の『経験の条件』のブルネルスキを再読し興味が沸きアントニオ・マネッティの『ブルネッレスキ伝』を購入。3時間半揺られながら読み終わる。面白いねえ。この時代の建築家なんて芸術家だと思っていたが、金の話やら、施工の話やら、まるで僕等が抱えている諸問題を彼らも抱えていたのである。ブルネルスキがだよ。その上、大した仕事じゃないとスケッチだけで模型は作らないなんて結構いい加減なものである。それに比べれば現代の建築家のほうが大変だし努力している。ルネッサンスの時代なんてたいした創作ではなかったのではないか?マニエリスムでローマの規範を適当に比例をもとに入れ替えていた、修辞に過ぎなかったのではないか?規範も、目標も無い僕等の時代のほうがはるかに創作に苦しんでいるような気がしながら新宿に着いた。
車中小西から飯食おうとのメールが入っていた。小1時間ほど、小西、可児と食事。皆いろいろと苦労しているようである。40代後半とはそういう時期である。

金沢

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by 卓 坂牛

12月7日
学会の役員会があり金沢まで行く。直江津まで各駅停車にゆられ1時間40分。そこで乗り換え。20分間って特急はくたかに乗り換え2時間。いや遠い。はくたかの車窓からは北陸の寒そうな海が見える。金沢に来るのは大学院の1年の時に学会で発表した時以来である。せっかく来るのだから少し早くきて21世紀美術館にでも行こうかと思ったが、今日はお休みだとか。駅前に巨大なトラス屋根がかかっている。このトラスはなんとアルミ製。一緒に行った中込先生が教えてくれた。アルミで耐火被覆しないというのもすごい。火事は起こらないという前提なのだそうだ。会議終了しまた4時間電車に揺られ長野に戻る。車中いろいろと仕事もできるがそれでも往復8時間。沖縄往復してもそんなにかからないのに。

アルベルティ

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by 卓 坂牛

午前中、研究室でt氏と電話で話す。殆ど毎日である。まあそうでもしないとこの突貫スケジュールにのらないので仕方ない。しかし木造で貸室の有効比あげようとすると結構面倒なはめに陥る。構造のことを考え始めるとがんじがらめである。rcの方がいい空間になりそうなのだが。
午後講義。natureについて。長野に来るバスで岡崎乾二郎の『経験の条件』のブルネレスキの所を読み返していた。一般にプラトンの自然観(自然の中に比例と幾何学の美を見る)を受け継いだのはアルベルティと言われるが、実はブルネルスキにも違う角度から比例を捉える視線があったことをフィレンツェのドーモの話をもとに展開する。natureの項にはやはりブルネルスキは登場しない。アルベルティのみが人文主意の正統派のように記されている。

復習

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by 卓 坂牛

夕刻リーテムの中国プロジェクトの復習会。委託するCMをほぼ確定したが仕事を進めるにあたり通訳が必要。しかしその通訳の採用についてなかなか話しが進まない。じれったいがどうしようもない。リーテム側も慎重である。それにしても早くプロジェクトを動かしたいところである。5時からの打ち合わせが6時半頃終わり、7時半のバスで長野に行こうと思ったが、携帯に重要なメールが二つほど飛び込んできたので、今晩行くのは諦め事務所に戻る。打ち合わせしているうちに10時になった。11時頃帰宅夕食。明日の授業の予習はバスの中で行おう。

久々のリーマン

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by 卓 坂牛

朝から混乱の会議。掛けた梯子をはずされ窮地に立ったのであったが、情のある先生の救済で何とか困窮の場を凌いだ。やれやれ、日建をやめて既に8年。こうした組織社会の荒波から遠のいてのんびり生きていたのだが。再び昨年から給与所得者を始めてしまった故にこうした荒波の中で格闘せねばならぬはめに陥った。大学も面倒な場所だ。まあそうは言っても民間会社に比べればかわいいものかもしれないが。
午後のゼミ。おいおいまだそんな状態か?と問いたくなるような部分も散見されるが後はとにかく走るしかない。頑張れ。頑張れ。7時のバスに飛び乗り東京へ。事務所による。伊藤君と渡辺さんがまだ仕事していた。ちょっと雑用を片付けようかとも思ったが、郵便物を持って帰宅。

引越し

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by 卓 坂牛

朝早くから研究室の片岡君、松田君、望月君が引越しの手伝いに来てくれた。午前中にベッド以外ほとんど運んでもらい、パティオ大門で昼食。僕は初めてここに来た。昨年末頃オープンした善光寺近くの中庭型の商業施設である。スケールや雰囲気はとてもよい。東京にもこの手の中庭型商業施設はうんざりするほどあるが、いい加減なそうした施設より、よく出来ている。
午後ベッドを運び修了。御苦労様でした。新居でガス開栓したがファンヒーターがつかない。コンロも無いし、風呂は電気なので、ではガスはいりませんと開けずに帰ってもらった。この冬エアコンだけで厳しいか???風邪がまだ完治していないので、一眠りしてから研究室へ。Rachel Whitereadのカタログを読んでいた。面白かったのでコラムに書いた。その後いろいろスケッチ。

風邪

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by 卓 坂牛

昨日から風邪っぽく、保健室で薬をもらい飲んでいる。悪化させないように気をつけながら午前中は引越しに備え、マンションの掃除。明日は現状確認に旧い不動産やがくる。こう言う経験はないので、一体何をみるのだろうか気になる。別に破損したものはないしたいして汚れているようなところもないと自分では思うのだが。掃除をしたついでに、バスローブから、バスタオルから、シーツからフトンカバーにいたるまで洗濯。天気がよいのでついその気になった。終ったら昼。
大学に行く。昨晩は若松と夕食をとりタクシーで彼を駅に送ったので自転車は大学。とぼとぼと歩いて来た。土曜日に長野にいるのは実に久しぶり。いつもにも増して通りに人がいない。不気味なくらい静かな町。昨日の講評会の講評を書いてメールする。t邸のスケッチ。お腹が空いてきたがまだ頭が朦朧としている。今日は帰ろう。