逐語訳
昨日の続きを帰りのバスで読んでいた。何故旧制高校が逐語訳を生む文化的基盤を作ったかという話。答えはその受験戦争にあるというものだった???本当かい?と思わないでもない。しかし確かに我々の受験の時でも、その採点の客観性を高めるために、やはり意訳には限度あったことを思い出す。旧制高校の語学力とは確かに高い。旧制高校出の親父に聞くとあれは語学学校だと言う。そして彼の語学力は兄に言わせれば私より高いという。えーーー?。親父は別に語学を生活の糧にしているのでもなけれ日常生活で使っているわけでもない。80近くまで、多分大学を出てから外国語を使う必要にせまられたことは無いと思われる。その人間をして留学して翻訳書まで出している人間より語学力があると第三者に言わせしめるというのはどういうことかと驚かざるを得ない。辞書を食っていたのかもしれない?ことほど作用に旧制高校の語学教育はすさまじいものだったのだろうと想像する。そしてその世界のエリート意識が翻訳書が一部の人間にしか理解されぬことを不思議と思わぬ土壌を生み、エリートの厳密性が逐語訳を生む土壌となったということは親父を見ているとなるほどと理解しうるものである。
また雪?
久しぶりでバス。やや天気が悪く、乗車時に上越道は雪のため遅れるかもしれないというアナウンスがある。まずかったかな?とやや不安。しかし横川を過ぎてもみぞれであり、雪で走行困難と言う状態からはほど遠い。車中、鈴木直『輸入学問の功罪』を読む。明治維新からのドイツ哲学の輸入が国家的な方向性を持ち旧制高校に受け継がれていく。その中で翻訳なるものが何故読みやすさより、逐語訳を目指してしまったのかについて書かれている。その何故の核心に届く前に、長野に着いてしまった。1時のキャンパス計画の打合せには間に合った。3時間ほど春原さん、山田君と打合せ。その後センター試験の監督指導を受け。夜4年生の論文梗概、作品チェック。
もう直ぐ12時である。
連窓の家#1
夕刻、連窓の家#1で新年会が開かれた。クライアントは中高時代の同窓生であり現在は某外資系メーカーに勤めいている。3家族ほど集まる。連窓の家#1は僕が日建をやめて最初に設計した住宅であり、格別の思いいれのある建物である。竣工7年たって、植栽がとても大きくなり豊かな庭に変貌していた。シャラの木はクライアントの要望だったがそれ以来僕のお気に入りとなった。外壁の打ち放しの上にスポンジたたき塗装もこのとき発明したもの。その塗装の上にアクリルシリコンのクリアーは7年たってもびくともしていない。L字型の既製品キッチンに建築工事で継ぎ足したコの字型キッチンはゆったりとして使いやすい。
気負いもあるが思いいれも大きいだけにそれぞれの部位に思い出が多い。そして「とっても気に入っている」と言われるとほっとすると同時にやはり建築家冥利に尽きる。
四谷散歩
朝から論文書類作成。昼は散歩がてら、かみさんと駅前の四川料理を食べに行くことにする。そこの坦々麺が美味しいらしい。麻辣房 (マーラーファン)という名で四谷の駅から麹町側に100メートル程度行ったところの左側東急ビル B1Fにある。餃子も美味しい。
昼食後「paul」でバゲットを2つ買う。新宿通りから少し横にそれ、「わかば」で鯛焼きを2つ買い食べながら歩く。食べ終わる頃に津の守坂の交差点。スタバで一杯カプチーノを飲み。僕は事務所にちょっと顔を出す。ナカジが出ている。午後大学ラグビー決勝を少しテレビ観戦。早稲田vs関東学院である。3連勝をかけた早稲田だがラインアウトが全く取れない。これでは無理だろうとおもっ見ていたがやはり負けた。残念。夕方からゴンブリッチの『装飾芸術論』読み始めた。
リード
ハーバート・リードの『インダストリアル・デザイン』を通勤電車の行き帰りで読んだ。昭和32年に初版翻訳(みすず書房)されたこの本をネットの中古で購入した。もとはと言えば海野弘の『装飾空間論』に紹介されていたものである。この中でリードは装飾を空白への恐れという人間の本能に位置づけている。もちろんその由来はヴォリンガーである。そしてこの空白恐怖以上に装飾の起源への思考を進めず、モダンデザイン(装飾否定)称揚へ理論展開している。1953年という時代を考えればいたし方無いのかもしれない。
装飾否定時代?の現代においてネットの中古には装飾の面白い本がいろいろ転がっている。昭和29年繊維意匠創作協会編出版の『世界模様図鑑』という本では古代からの世界各地の模様の相関図が載っている。これはなかなか傑作である。これに拠れば、世界の模様は全て相関線で繋がっているのだが、唯一繋がっていない地域がある。本当か嘘か分からないが、それは南米(インカとマヤ)である。