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by 卓 坂牛
朝事務所に行くと青弓社からジャンリュックナンシーの『遠くの都市』小倉正史訳(http://www.seikyusha.co.jp/kinkan/index.html)が届いていた。この本に私は若林幹夫さんとともに解題を書いている。思えば昨年の春頃この原稿を書いていた。読み返してみるとソージャの第三空間にかなり言及し、‘both and‘の思想を軸に語っている。丁度平行して博士論文を書いていたのだが、ソージャやソージャーに影響を与えたフーコーの筆致が博論の調子に影響を与えていることを改めて感じた。
午前中近美に行き皇居を見ながらコーヒー飲んでいたら晴れてきた。今日見た作品を反芻した。どういうわけか今日は雨も手伝って気分がすぐれなかった。いくつかの作品を見ていたらますます元気がそがれていく。事務所のある人がオープンハウスに行って元気の出る家と元気がそがれる家があると言っていたがそれと同じである。元気を与えてくれる作品がないものかとうろうろしたが今日は駄目である。と思って帰りがけにミュージアムショップに寄ったら、中川幸夫が大原美術館有隣荘で行った展覧会の小さなカタログがおいてあった。思わず息を呑む美しさでこの小さなカタログを買って帰ってきた。かみさんに聞いたらこの展覧会はテレビでも放映されたそうだが、これには少し元気をいただいた。
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by 卓 坂牛
昨日の帰り塩谷とジョンケージの「音痴」話で盛り上がった。彼女いわくミュージシャンというものは自らの作り出す、あるいは引く音を評価する。そして普通はそれが「良い悪い」というような単純な二項対立の評価基準だけではなく、10個くらいのクライテリアを持ってそれを判断できるものだが、ケージにはそれが無いということだった。あっ、それって昨日僕が町に対して言いたかったことと同じである。意味の濃淡、表裏、特別普通というような複数のクライテリアに微妙な差を感じ取る臭覚が必要だというのが僕の言いたかったことである。そうしたセンスの欠如をデリカシーが無いというのだろう。そしてデリカシーの無いケージは音を操るのではなく概念を操って音楽を作った。
そしてモダニズム音楽がそうなら、モダニズムアートのたとえば平面抽象のケネス・ノーランドなどもデリカシーが無い部類かもしれない。それを超えるコンセプトで作ってしまう。
文学ならどうなのだろうか?言葉の綾を読み分ける能力は僕にはあまり無いけれど最近の若い女流小説家の文章は水のようにさらりとしている。まあケージのようではない。綿谷りさの『蹴りたい背中』の後の第一作『夢を与える』を読む。その昔『インストール』を呼んだ時彼女はまだ高校生だったがその後、早稲田にはいり、もう卒業の年のようである。
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by 卓 坂牛
3月6日
こういう日に限ってアクシデントが起こる。朝事務所に来て打ち合わせをし、ちょっと電話と思ったら携帯が無い。自宅においてきたかと家に電話したが家にも無いという。自宅から家の間の3分くらいのところをうろうろ探しまわるが無い。家に戻り自分の目で探し回るがやはり無い。これはちょっとまずいことになった。電話より転送されるメールが見られなくなるのがさまざま仕事に支障をきたす。
今日は夕刻より横浜北仲のシンポジウムがある。http://www.yokohama.urbanlab.jp/admc/03/少しトーク内容など考えようと思っていたところなのに、、、、、さてどうしよう。出てくるのを待ってうじうじ気を揉んでいるのは精神衛生上悪い。まあ3年使ったし壊れたと思おう。意を決し、近所のSoftBankに行く。Sumusungのぺらぺらの機種を買いその足で横浜に。本日午後にいろいろ準備しようと思っていたのがここで時間を取られ行き先もおぼつかないまま電車に飛び乗る。
シンポジウムは楽しかった。本当のルーレットを会場でまわしてもらいその番号の絵をプロジェクターで映しその絵を持ってきた人が話す。回りからもちゃちゃを入れる。さらに絵の変わる間も誰かが話すという妙な取り決めを小沢剛さん、塩谷さん、僕で行った。金曜日の夕刻ということもあり、来場者は40人くらいだった?場所は北仲WHITEという古いオフィスでありとても気持ちのよい場所である。少し寒いのが難点。天井がなく床も硬いので音が反響するなど性能的には厳しいものもあるが建築がよかった。これも壊されるそうだ。惜しいところである。
小沢さんのスライドでは都市的ななすび画廊ようなものから美術館的なものまでが写され、塩谷さんのものはニューヨークの古い橋の建築への転用や新しいアーティストの街チェルシーなど、そして僕はラオスからインドから、荒木町から、映し出された。僕としては都市の意味の濃淡、裏表、特別普通などと言う局面をお見せしたかったがそれはルーレットトークこちらの意図どおりいかないところがよいわけである。みんな持ってきたスライドの半分くらいしか見せられないで終わった。まあそれでもなんかこの異様な脈絡のなさが気持ちよいという変な感じであった。レクチャーとか、シンポジウムとかいう知の伝達形式を脱構築しようというのがルーレットトークの高邁な思想である。(なんて偉そうな意図は事後的に気付いたことで小沢さんが「ルーレットやろうよ」といったのに「そうだね」と軽くのっただけだというのが実体である)。
広範は佐々木龍郎さんも登場し、彼の横浜での長い仕事をからめアーティストの住む町に話が展開した。会場から木島、城戸崎さんの発言などもありそこそこ盛り上がる。街へのかかわりにおいて重要なのは「愛」という塩谷氏のくさいせりふが結構不思議とまとめの言葉となって終了。
皆様お疲れ様でした。プロデュースしてくれた入江君、来てくれたうちの学生、他の大学の学生さん、OFDAの皆さんありがとう。
面白かった??
去年の2月から朝日新聞で42回に亘り連載された「分裂にっぽん」という記事がある。僕は3ヶ月ごとに新聞を変えているので2月の最初の2回くらいは読めたが、その後が読めなかった(最初の記事についてはhttp://ofda.jp/sakaushi/diary/2006/02/に記した)。その後の連載が読みたくこの記事を担当した友人に43回分のコピーを郵送してもらった。読みながら痛切だったのは教育にかかわる部分である。9月17日の「公教育『底上げ』思想薄れたー学校格差進む固定化ー」という表題の記事である。経済財政諮問会議の中で財界人らによって提案された人気の高い小・中学校に資金がより多く流れるように促す制度の話から始まる。98年のゆとり教育から一転して競争的な仕組みが小泉政権時代に確立された。そして平等から格差是認。個性重視は競争偏重へ変化したと語られている。
さてこれが痛切なのはまさに現在の大学がそうなっているからである。小中学校だけではない。昨日の帰り各大学の教師と話をするとその格差には空いた口が塞がらない。人気があるかどうか、努力しているかどうかではなく、スタート時点で差がつけられていたようである。走るのが速い子のスタート地点を後ろにしてくれとは言わないが、速い子のスタート地点をもっと前ににされたら差は広がる一方である。それは格差是認ではなく格差増強である。
午後タワープロジェクト室の打ち合わせに顔を出す。これだけ大きい仕事だととにかくプロマネの力が仕事の質を決定する。しかるに建築家はマネージメント能力の訓練をどこにおいても受けていない。僕は大学では建築家力と呼んで学生達にこの力をつけるように指導している。建築家にはデザイン力としての建築力プラスこの力が必要なのである。そんなことは他の分野では当たり前なのに建築ではそのことは教えない。それがおかしい。アンディウォーホールは「芸術家のなり方」を大学で教えたそうだ。プラグマティズムの国らしい。それを全肯定するつもりはないけれど、それを全否定することはおかしい。大学は大学時代に優等生ならそれでいい場所ではなく、一生涯の生き方を教えなければならないはずである。
夕刻ギャラ間のアトリエワン展のオープニングに行く。千葉さんの時にはいけなかった。1月2月はもう大学の先生は身動きできない。久しぶりのパーティーである。展覧会も見た。伊東さんがオープニングスピーチでアトリエワンは若手のリーディングランナーかもしれないが現状への怒りがないことを暗に批判したのが親父っぽかった。一方妹島さんはこれが本当に生き生きしているの?と率直な感想を漏らしていて共感した。美術評論家の小倉さんとナンシーの話。本は4月には出るそうだ。こうなったら少し遅らせて新年度のほうが売れるということらしい。塚本にお祝いを言ったら、今進行中のプロジェクトは僕の三窓の隣地とのこと。「牛さん軽井沢で白い家は駄目だよ。あそこは茶色でしょう」と言われた。「軽井沢は冬は雪で白いんだよ」と応戦。坂本先生に博士論文が無事終わったご報告。ミュンヘンは遅遅として進まずではなく遅遅として進んでいるそうである。デヴェが手ごわいとのことだ。柳沢は塩尻で戦っているとのこと。がんばれ。直後に鈴木明さんとお話。塩尻のワークショップに絡んでいるとのこと。僕も手伝えというから、僕はコーディネーターとして最後までやるように市から言われていると答える。塩尻で最後に残った福屋さんとご挨拶。とても印象的な案であったと伝えた。とてもいい勉強になりましたとのこと。きっといい建築家になるだろう。岩岡さんをはじめ東工大連中と雑談。奥山、若松、岩岡、足立、などなど。堀池さんが「長野にいるの」と言うから言ったりきたりですお答え。今村さんが「こんにちわ」と言って通り過ぎていく。南後さんはよくお会いする。出版関係もたくさん。新建築、10+1、エクスノレッジ、その他いろいろな方と挨拶。南さん、山本さん、理顕さん、その他ご挨拶できない人が大勢。すいませんでした。久しぶりのパーティーで友達の顔を思い出した。
4年生(次期m1)の卒業論文の学会梗概のチェック。締め切りが来週だから春休みだが仕方ない。お互い可哀想である。昼食後、常田の繊維学部にキャンパス計画のためのフィールド調査に行く。2度目であり全体の骨格がもっと見えてきた。このキャンパスは明治43年に開校した上田蚕糸専門学校が母体である。その意味では信大で一番旧く、歴史の香り漂う建物が多くある。そうした歴史の主張がここでのメインコンセプトであるがそれに加え、今回の新たな発見は中心軸のメインブルバールとそれを取り巻くサブの裏ストリートの2重構造である。そしてメインブルバールは車進入禁止となっておりサブの裏ストリートは車通行可であり駐車場が多く配されていた。やはり何度か来ると違うものが見えてくる。
夕刻大学に戻り、t先生の会議が終わるのを待って打ち合わせ、終わったら10時。その後「近代建築」に載せる学生の講評原稿を書く。力が拮抗している中で一人を選ぶのは苦しいものである。雑誌に載せるのは一人なのだから仕方ない。総合力の差で選ばせてもらった。他の学生も気にせず次の作品に取り組んでほしい。
3月5日
朝一で会議、午後までなだれ込み、午後会議、会議の連続に閉口。会議の合間に昼食を買いに生協へ。鷲田小彌太の『大学時代に学ぶべきこと学ばなくてよいこと』という文庫本が並んでいたので立ち読み。こんな文章がある「大学という『社会』は、考えてみれば、日本の社会の中でもっとも『公正』さが行き渡っている場所ではないでしょうか」。これは学生にとってそうであると同時に教職員にとってもそうである。情報の開示および運営の点でそれは顕著。民間企業ならさまざまな情報はその内容に適した部署に流れそこで決済される。しかし大学というところはそうではないようだ。普く情報を浸透させる。そして運営面も皆参画。これはいいこともあれば悪いこともある。会議漬けはそのデメリット。
今日は甥っ子の7回忌であった。甥は高校時代、メラノーマという脳の悪性腫瘍に襲われた。あの時あの病気がどういうものかよくわからずネットで調べ、きわめて珍しいものであることを知った。知ったときはすでに遅かった。お寺での読経や焼香を済ませ都ホテルで参会者とともに昼食をとる。小学校1年になったばかりの元気な姪っ子がいる。小学校1年にしてキモイとかエロイという言葉が普通に口から出てくる。それはませているというより微笑ましい。そのうえ「エロイはエロスだし、キモイはキモスとも言うよ!」と解説してくれた。これには周囲一同「へー」とともに大笑いである。
徹子の部屋は7200回やって(平成16年1月現在)徹子さんは収録を1回も休んだことがない。その間風邪を引いたことがなく、さらに言えば、父親の葬式の日にも収録したそうだ。母親が仕事に送り出したとのこと。この健康管理もすごいが好奇心の持続力もすごいものである。月曜と火曜で6本とって一週間分にひとつおつりを作る。打ち合わせは毎週金曜日10時間くらい6人分の情報をスタッフから聞くそうである。田原総一郎は徹底して自分の惚れ込んだ人だけにインタビューする。カビラは聞いて素直に感動する。などなど永江朗(ガエハウスの住人)の『話を聞く技術』を昨日の帰りのバスで読んでいた。彼にはインタビュー術という本もあるが人から物を聞きだす術というのはそう簡単なものではないはずでそれ相応の奥義があるだろう。
朝の会議終了後、雑用をこなし大学を後にする。ゼミ旅行の予定だったがちょっと行けなくなってしまった。僕の予定に合わせて日程を組んでくれたのに恐縮である。
新宿で紀伊国屋に立ち寄り帰宅。AMAZONから洋書が2冊届いていた。1冊はダニエル・ビュランが2001年にKUNSTHAUS BRENGENZ(ズントーの設計で有名なスイスの美術館)で行った展覧会カタログ。ズントーのあのガラス天井の空間にグリッド状に鏡と原色のオブジェのインスタレーションは揺らぐカルテジアングリッドである。もう一冊はERWIN HAUERという建築スクリーンを作る彫刻家の作品集である。青木淳も顔負けのスクリーン彫刻は見事である。