朝一で会議。なんとも殺気立った会議である。最近自分がマイルドになったせいか回りが怒りっぽく感じられる。なんていうのも自分勝手な発言で自分だって怒りっぽい時はありそういう時は人にひどく不快感を味合わせているのであろう。まあお互い様ということか。午後から修士や卒論のゼミ。思いの外時間がかかり4時からやる予定のコンペの打ち合わせが結局7時から。そして終わってみると11時。それにしても難しいねえ。まだヴォリューム配置である。
自民大敗。これほど大差がつくとは思っていなかった。しかし現首相の無能ぶりを見れば当然の結果と言える。しかし躍進した民主にどれだけの実力があるのかもまた未知数である。
キャンパス見学会という行事が大学にはある。少子化の昨今、どこの大学でも高校生に大学を宣伝するこうしたチャンスは重要なもである。午前と午後あわせて工学部全体で600人余りの高校生、父母、教師が来られたようである。建築学科にはおよそ80名ほどの志望者が説明を聞きに来た。午前午後と私と梅干野先生の二人で説明会を行なう。今日は長野もうだるような暑さで2回同じことをやるとちょっとグロッキーであった。しかし一雨降って夜になると昼間の暑さが嘘のように涼しくなる。工学部長が全体説明で「東京は人間の住むところではないですよ。学生時代は環境のよいところで勉学に励むのが良い」と言っていたが、当たらずとも遠からずである。
夜、『美のチチェローネ』の続きを読んでいると、こんな文書に出会った「全般的に言って、絵画は、ヴェネツィア派は例外として、ほぼ1530年代からすでに明らかに退化し始めていた」。ジョフリースコットが『ヒューマニズムの建築』の生物学的誤謬の中で指摘していたルネサンス美術に対する進化論的解釈である。美術様式は誕生・成熟・衰退という成長過程をとるという一般的に美術史の中で繰り返される指摘は進化論の影響を強く受けた過ちであるというのがスコットの指摘である。果たしてそれが本当に誤謬かどうか自分の目で確かめたいところである。
7月28日
夏に翻訳中の本の写真をとりにイタリアに行く。そのついでに昔、怠惰と無知で行かなかった美術館に行こうと美術館の予約をネットでしてみることにする。そもそも美術館へ入場するのに予約が要るというのが驚きである。momaだってmetだってそんな必要は無いと思うのだが。ヴァチカンやウフィッツィは格が違うのだろうか?それにしても高い。場所によってだが高いところは4000円近い。これはたまたま予約したサイトの手数料が入っているのだろうし、ユーロ高ということもあるのだろうが、、、、、昼頃娘の夏休みの宿題につきあって国立新美術館に行く。見終わって私はぐったり疲れ一人帰宅。積読本の中からブルクハルトの『美のチチェローネ』の抜粋翻訳(高木昌史訳 青土社 2005)を取り出し読み始める。この本、全訳は電話帳のように分厚い。イタリア視察の参考書としてはこの程度で十分だが建築編は殆ど訳出されていないのが残念。夕刻のアサマで長野に向かう。
朝一でリーテム工場に東大の受講生を連れて見学に行く。工場長の菊池さんがリサイクル業務について説明。僕も少し建築の説明。工場のdvdを見てから建物見学。巨大ユンボでぐしゃぐしゃになった自販機の山が破砕機の投入口に放り込まれる風景に学生達はまるで映画でも見ているような興奮を覚えているようだった。僕も久しぶりのこの光景に圧倒された。建築より遥かにすごい。2時からのリーテムでの打ち合わせまで少し間が空くのでヘンリケを連れて東京フォーラムを見る。都会の閑静な並木道に感動している様子。リーテムの打ち合あわせを中座し、荒川の現場に。今日は暑いし湿度が高く頭がくらくらするのだが建て方が終わった現場の1階は風通しもよく心地よい。このままここに寝ていたい気分だったが、仕方なく事務所に戻る。
やっと最後の東大の講義を終わらせて(と言っても明日は最後の見学会が残っているが)大急ぎで歯医者。事務所に信大の松田、平岩が待っている。コンペの打ち合わせである。いやはや難しい課題である。ちょっと前に(今でもやっているが)手伝った50万㎡のコンプレックスに比べれば手も足も出ないという感じではないが、それにしても4000席のアリーナと大小のホールと市役所と大屋根広場なんてそれぞれコンペになってもおかしくない物量である。それをまとめてコンプレックスにしろというのは、よほどの経験者でなければ相当時間がかかると思われる。アリーナの経験がないだけに試行錯誤である。
結局半日まるまる費やす。彼らは9時10分の最終バスに乗らなければならず、8時頃とりあえず終わりにしていっしょにラーメンを食べ別れる。疲れた。
まだ梅雨明け宣言されていないが今日は暑い。1ヶ月ぶりくらいに昼どき事務所にいられそうなのでヘンリケを初めてランチに誘い、とんかつを食べに行く。日本版ウィンナーシュニッツエルだと言おうと思ってその単語を忘れてしまった。
食事をしながら話はドイツの教育に及ぶ。語学の話、科目の話、などなど。高校になると英語とドイツ語の授業時間数は同じくらいになる。週4時間英語。日本より少ないかもしれない。でも当然彼らの方が上達は早い。彼女はしかし英語よりフランス語の方が得意だとか、、、哲学の授業で何がテキスト?と聞くと例えばカフカ。ギリシャの古典も読むとのこと。そうかさしずめ日本で論語を読むようなものか。日本でもプラトンの国家くらい読めばいいのだが、、アーヘン工科大学はどんな大学かと聞くと自慢げにドイツの建築を勉強できる場所としては3本の指にはいると言っていた。
日本の女性だと食べ残しそうな量でもぺろりと食べてしまった。食べる量は体の大きさに比例する。
午前中ゼミ。設計が4年3名、修士1名。論文は4年2名、修士1名。設計のレジメと論文のレジメでは当然チェックポイントは違う。論文のレベルは世の常識があるとして、設計に付随する論文のレベルは世の常識はあまり無いので何をポイントにおくかはなかなか難しい。もちろん論考としての論理性が基本であるとしても、設計に繋がるいかなる結論を導くかは必ずしも演繹的な作業だけでは十分ではない。逆に言えば、あるところでぎりぎりの論理の飛躍が無いことには設計へ架橋することはできない、、、、、などというレベルを悩む段階ではないかもしれないが。
午後コンペのスケッチ。今までの研究室コンペは「やってみろ」方式だったが、それだけでは無理であることが分かってきた。いや学生はやるのだが時間がかかる。さあはじめるぞと言うあたりで締め切りなのである。そこで今年は「やってみせる」方式に切り替えた。スタディの仕方、スケッチの書き方、模型の作り方、一から教えることにした。こっちがその気なんだからしっかり応えて欲しいところだ。最終一本前に乗りたく研究室を出る。駅で思い出した。明日締め切りコンペのプレゼンチェックをするのを。だいたいのところは一昨日見たので分かっている。しかしA1、1枚だからこの1.5日でどうにでもなる。頑張れ。車中『大学と言う病』の続きを読む。ふーなかなか長編で読み終わらず。東京。
朝一の会議後、正体不明の病気を解明するべく日赤に。しかし分からず。午後前期の最終講義。15回みんな良く聞いた。毎回のレポートの授業なので、最終レポートは軽くした。その後コンペ打ち合わせ。今のところ大きく3つの配置案あり。それぞれに2案ずつ計六人で6案作ることにする。夕食後昨日問い合わせのあったブラジルからの研究生の希望者に返事のメールを打つ。彼女は日本のシンルグファミリー住宅を美学的見地からリサーチしたいとの研究計画書を送ってきた。僕の名は美学研究者の天内氏から聞き更にホームページを見たとのこと。その結果自分のリサーチと最もよく合致すると言う。しかし天内氏に問い合わせると彼女は東大、早稲田とアプライしているようで既に東大の某先生からokが出ているとのこと。それが僕のところにも昨日アプライしてきたというのはどういうことか?よく分からないがまあ研究テーマは面白そうだし僕の指導可能範囲なので来たければどうぞと返信する。長野は午前中霧雨だったが午後スカッと晴れ上がった。これで梅雨明けなのだろうか?もしそうならここ数日で急激に気温は上がるだろう。これが耐え難いのだが。
7月22日
『教養主義の没落』、『丸山眞男の時代』を書いた竹内洋の『大学と言う病』が最近文庫本になり長野に向かう車中読んでみた。竹内氏は京大の教育学部の教師だが上記三冊はいずれも東大が舞台である。教育を社会学的に分析する氏特有の分析観においては日本の教育問題は結局最高学府を舞台にせざるを得ないということなのだろう。
この『大学という病』は東大経済学部(東大というより東京帝大という方が正しいが)の思想的な亀裂に焦点をあてたものでありその主人公は大森義太郎という助教授である。亀裂とはいわずと知れたマルクス派対非マルクス派のそれであり、大森は前者に属する。府立四中、1高、東大というエリートコースを歩み、大正13年弱冠25歳で助教授に就任。マルクス主義がまだ主流ではない時代に外国人教師エミール・レーデラーの影響を強く受けマルクス主義の闘士となる。そして三・一五事件に関連し、文部省による大学の左傾教員廃絶指示により、自ら辞職した。
大森は実に痛快な教師だったようだ、助教授就任直後からその筆力が買われ多くの文章を様々な媒体に書き残しているが、学内の新聞に連載で先輩教授である土方成美(非マルクス派)をこけおろした。土方のとりたての博士論文が本となった『財政学の基礎概念』について「『財政学の基礎概念』は噂によると五千部売れたそうだ。わかる奴は広い世界に幾人と無さそうな――もしかすると土方教授一人かもしれない」と揶揄したのである。
両派の対立の構図は延々と続いたようである(読了していないので後のことは分からないが)そこには大内兵衛、向坂逸郎と言った親父の恩師である元祖日本のマルクス主義者たちの名前も登場している。なんとなく聞いて知っていた当時の大学環境がリアルに再現されてくる。
今週末は久しぶりに休日。朝食後、ギャラ間に。10時から開くと思ったら11時からだった。隣のサントリー美術館に足を伸ばす。広重の浮世絵に発見をして薩摩切子に感動した。ギャラ間の展覧会はやや小ぶり。シザが「グローバリゼーションは世界を画一化させるのでは?」という質問に、そんなわけはないという答えをしていた。ポルトガルという風土と国民性がこんな答えを可能にするのか?
イデーカフェで昼食をとり青山ブックセンターに立ち寄る。帰宅後早速買ってきた本をめくる。今井和也『カタチの歴史』新曜社2003は今日買ったの本の中ではひときはユニークである。著者は美学を学びレナウンに勤め役員まで勤め退社。その後建築史を独学で学び、ファッションの造形と建築の造形の時代ごとの類似性を検証したのがこの本である。例えば第一章のエジプトは建築もファッションも三角形、ギリシアは矩形、ローマは半円形という具合である。現代の建築とファッションの相似性はよく言われることだが、古代からの形状を跡付けたものはあまり無いようである。しかもファッションの側からかかれたものは少ない。内容の真偽は正直よく分からないがそんな相関関係があっても良さそうには思う。