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Dec 2007

ちょっと疲れた

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by 卓 坂牛

朝早くからゼミをした。今年最後のゼミ。この後冬休みをはさみ20日近くゼミは無い。もう、後のことは学生自身の問題。pass or no passはなんだかコインを投げるようなもの。僕の指導力も問われるけれど手取り足取り歩けるようになるまで付き添うことを研究室の通例とはしたくないし、現実的にできない。午後は製図。この大学に来て少し製図が面白いと思えるような学生が現れてきた。これは嬉しいことだ。到達点のクライテリアが上がってきたこともあるし、やはりここまで身につけて来た質の様なものもあるのかもしれない。
夜のアサマで東京へ。車中、大森荘蔵、坂本龍一『音を視る、時を聴く』ちくま学芸文庫2007(1982)を読む。東京に降り立つと5度の温度差が体に優しく感じられる。事務所に戻ろうかと考えたが、電話をして明日の打ち合わせ時刻を決めて家に直帰。ちょっと疲れた。ふー。

会議3連発

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by 卓 坂牛

松本の朝は寒い。ホテルから出るとスキー場のようである。キャンパス計画の最後の詰め。これから大学の上層部に承認を得るのだが、このスケジュール調整がとんでもなく大変である。時あたかも大学が一年の内で最も忙しい時期。一人の理事は1月に空いている日が2日かしかない。しかし民間会社だと秘書なるものがいてそうした調整をしてくれるのだが、大学にはそういう仕組みがない。午後某委員会。「じゃー後は坂牛先生の絵を待ってます」と軽いのりでお願いされてしまった。みなさん設計はカレーライスを作るようなものだと思っていらっしゃる。やれやれ。その後も某委員会。朝から会議三連発。日建にいてもこんなものだろうなあと思って自分を納得させる。
ソニーのIさんからメール。ソニーの本社ビルがコールハースの言う典型的なXL建築の不気味さをかもし出していると指摘したことに対して、「6,000人が就労していながら、窓が開かず、半数以上はビルから一歩も外に出ることなく一日過ごすというのは、どうみても異常で、少なくとも私には耐えられません・・・・・」という返事が返ってきた。こう言う意見もやはりあるのだろうなあ、あのプランなら。と妙に納得。

巨大キューブ

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by 卓 坂牛

ソニーのIさんと打ち合わせ。初めて品川の本社ビルに入った。今年大江さんの設計で完成したこの建物は外壁ブレース構造の巨大なキューブに見える。Iさんは一辺100メートルのキューブだと言っていたが、さすがに一層10000㎡は無いだろうと新建築を見ると、100m×50mくらいである。それにしたって日建の常識からすると考えられないようなプランである。僕等は執務室は窓から15メートル離れてはいけないと教わったものだが、もうそんなの関係無いというプランニングである。中に入れば確かにこれだっていいのではという環境ではある。しかしIさんは窓の無い打ち合わせ室は絶対使わないと言っていた。やはり人は自然光を求めるのか?コールハースの言うとおり、巨大なビルの外皮はもはや内部を示す何物も無い。ダブルスキンの透明性はまさにIMACである。透明な殻の中にあるブラックボック化したCPUのようなもの。透明なブラックボックスである。最先端テクノロジー企業の皮肉なメタファーであろうか?

リーテム

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by 卓 坂牛

朝一のアサマで事務所へ。年末の事務所の収納大改革のために、多量に購入したエレクタが所狭しと並ぶ。一部梱包が解かれ組み立てられていた。溜まっている連絡事項を電話で片付ける。付属の後輩でもあるソニーのIさんからメール。僕等の設計したリーテム東京工場の取材依頼。話が複雑なので電話する。彼はソニーでいろいろな企画をしている関係で海外アーティストとのつながりがある。その一人、フランスの映像作家セドリック・デュプレが日本のミュージックシーンをからめた都市の心象風景を映像化したいという。テーマはリサイクルミュージック。彼は日本財団の支援を得て来日中。単に映像化するだけでなく、日本のトップミュージシャンのライブを交えて撮りたいようだ。午後リーテムに行くので打診すると返事。山本さんが打ち合わせに持っていく茶室モデル3案を見せに来る。モデルの一部をカットし庭に苔を植えるよう指示。リーテムでナカジと合流。リーテムにはセットエンブの入江君、井上君もいた。これは都合がいい。映像取材の件を彼等にも伝える。入江君が興奮して話に割り込む。この作家は知っている。ミュージシャンの候補があり是非提案したいと言う。それならソニーのIさんのところに行くように指示。話が面白くなってきた。中国も日本もリサイクルをアートする。
アートの話は早々に切り上げ、昼食をとりながら、工場の打ち合わせ。27日からナカジと渡中することを伝える。上海のケーキ屋さんは明日から工事でナカジが渡中。そして茶室。緑ランダム色で帯状の壁を作る狙いだが、黄色い壁がいいと譲らない。とりあえず聞いておく。その後100年たつ水戸にある実家の改築計画の現調スケジュールを決める。1月8日に行くことにする。一つのクライアント相手に4つのプロジェクトの打ち合わせをしたのは初めてである。

世界の2極

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by 卓 坂牛

casabella japan の760号が大学に届いていた。美術館特集である。ズントーによるケルンの新しい美術館。青木さんの青森。コープヒンメルブラウのアクロン美術館。などが載っている。圧倒的に目を惹くのはズントーのものである。その解説はこう書いている。「新聞報道では、先ごろオープンしたピーター・ズントー(1943-)の設計によるケルン大司教区美術館は、すでに『反ーグッゲンハイム』との評価を得ている。全てのスローガンがそうであるように、余りに短絡的な見方ではあるが、この定義にはいくばくかの真理が含まれている」。更にこの文章は、ゲーリーのそれが鳥のような形態でホワイエを作り、展示空間を後景化させたのに対し、ズントーのそれはミニマルな形態で展示空間に再度展示物のアウラを呼び戻したと続く。更に加えて、ヒンメルブラウのアクロンはゲーリーのステレオタイプがいまだ健在であることを示していると主張する。
今日のゼミで現代の世界標準はミニマリズムとデコンであると発表した学生がいた。世界標準とまでは行かなくともこれらが世界建築の2極と言って差し支えないだろう。そしてこれら二つのイズムが今月号のカサベラで美術館の二つのタイプを体現していることがゼミの発表とだぶる。ゲーリー(ヒンメルブラウ)もいいけど、ズントーも痺れる。世界2極になるのは無理からぬことである。

ミラン強し

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by 卓 坂牛

サントリー美術館に鳥獣戯画を見に行った。最終日なので入館待ち行列である。携帯メールを見ながら並んでいると、「サカウシさん」と声をかけられた。振り向くと構造の佐藤淳さん。家族連れである。彼とは仕事以外でもオープンハウスでよく会うが、何時でも家族連れである。ベビーカーがいつもある。本当に偉いなあと思う。展覧会は混んでおり、いつものように駆け抜けた。大江戸線で人に会うべく移動。帰宅後、年賀状の宛名印刷。120枚入り4パック。結果的には500枚くらい。年に一度のご挨拶。コンピューターのアドレス帳に出てくる順に印刷。時折まったく思い出せない名前が登場する。一度だけ会って名刺をいただいた人なのだろう。覚えていない人に年賀状を出すべきか??夕方娘がブロックフレーテの学校対抗コンクールのようなものから帰ってきた、残念ながら次の大会へは選出されなかったようである。夜は皆でトヨタカップをテレビで見た。ボカの個人技は高いのだがミランの守備が一枚上。そして決定的な場面を決めるカカの力は群を抜いていた。

weak tie

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by 卓 坂牛

年賀状を刷り、アルバムを作る。そして本棚の整理。探す本が見つからない。恐らく無い本は大学にあると思うのだが、、、夕方マンションの管理組合の総会に出る。職業柄、理事をお願いされてしまうのだが、どうにもこうにもこの往復生活だと時間がとれないので今のところ辞退している。しかしこうした総会くらいはミニマムな義務として出席しないわけにはいかない。そう言えば、先日読んだ竹井降人の『集合住宅と日本人』平凡社2007は毎日新聞の書評に取り上げられ北田暁大が評価していた。竹井が言うように、現代のコミュニティはウィークタイ(weak tie)で結ばれる。そしてその結びつきはこうした管理組合などへの最低限の「参加」によって作られるという。同感である。参加者の少ない総会であるが、こんな時にしか離れた住戸の住民とは会えないし、共同で住む場所を議論するのはこんな機会しかないのだから。

保育室で忘年会

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by 卓 坂牛

デザイン論と製図、夕刻の委員会に出て研究室に戻り雑用。15分後の新幹線に間に合うか?滑り込みで19時5分のアサマ。魯山人の本を読む。駅を走る抜けた疲れで思わず居眠り。東京駅のモロゾフで大型プリンを4つ買い、三田線で白山へ。駅近くのスーパーで苺とペリエを買う。何のことはない自分で食べたい物だけ買っている。保坂クリニックへ向かう。クリニックの保育室を借りての忘年会。中学高校の有志15名近くが集まっている。まさか50近くの親父やおばさんが保育室で忘年会とは思わなかった。しかし保育室もいろいろ聞くと財政はとんとん。殆どボランティアである。偉いものだ。今日は忘年会たけなわ。タクシーのあるうちに帰らねば。12時前においとまする。

魯山人

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by 卓 坂牛

魯山人を支援する魯山人會の発起人に名を連ねていた山田了作の息子、山田和が『知られざる魯山人』という本を書いている。それによると、山田了作は魯山人と交友が深く、彼の家は魯山人の食器、書画で溢れていたそうだ。そんな彼が魯山人の器を欲する知り合いを前に、一つの名器を差し出し「この器はすばらしいが一つかけているものがある。何か?」と問うたそうだ。答えられない知り合いに、彼は「その器にのっかるべき料理だ」と言ったという。器は見るものではなく、使うものというのが魯山人の信念だった。
もともと僕は陶芸に興味を惹かれその勉強をしてみたかったが、違う道に進んでからは興味の中心にはなくなってしまった。しかし私の配偶者のおかげで結婚後少し見る目がついた。彼女は小学校の低学年のときから魯山人のようになりたかった人で嫁入り道具の代わりに、盛岡の古道具屋で買いあさった骨董品を食器として持ってきた。そして毎日のようにそれを使い、旅行に行けば骨董品屋は旅行ルートに常にある。骨董というものは数百年の使用に耐えているだけあって落としてもそう簡単には壊れないものである。盛岡から郵送したものの中には割れたものも多々あったようだが、壊れず着いて使われたもので20年間で割れた物は数えるほどである。
魯山人の言うように使うと器はいい物である。食材が引き立つ。なんて当たり前の言い方だが、そう思うことはある。建築もそうだと皆言うが、人を引き立たせるために建築を作っている魯山人のような建築家なんてそういるわけでもない。それは無理からぬことである。魯山人は料理人でもあったのだから。人を引き立たせる建築は魯山人以上の離れ業をやってのけなければ達成できないはずである。

アンビルトプロジェクト

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by 卓 坂牛

年末恒例の今年の作品アルバムを作り始めた。と言っても今年できた建物は一つだけ。あー寂しい。本当はできるはずだったプロジェクトMもアルバムに入れることにした。模型写真をフォトショップで加工しながら、ああ、確認申請まで取れていたのに、、、と残念な気持ちが蘇る。写真を改めて見ると、本当にいい設計だったなあと自画自賛である。できていたらなあ、、、そういう仕事は今までにもう一つあった。台場のIデパートの仕事。コンペだっただけにかなり進歩的な商業施設の計画だった。今はデックス東京ビーチになってしまったヤツである。デックスだってできたときはまあまあ斬新な建築だったけれど、元の設計は前代未聞だったのだ。しかしこうしてできなかった建築アイデアを温存してどこかで使うというのはどんな建築家もやっていることなのだろう。気をとり直してプロジェクトとして大事にとっておこう。