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Jan 2008

朝の須坂

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by 卓 坂牛

朝、須坂市で会議。長野から電車で30分。朝の須坂駅には人もまばら。駅にあるミスタードーナッツでコーヒーを飲み会議が行なわれる郡役所(緑色板張りの擬洋風建築である)までぶらぶら歩く。長野よりも一層寒いのだが、古い町並みの中を歩くのは気持ちがいい。3年前から工学部は須坂市と協定を結び、須坂の蔵を教材にさせてもらっている。僕も2年の最初の製図課題の敷地を須坂の一角とし、優秀作を一般展示している。敷地を読み蔵の町から何かをもらう設計をと思っているのだが、2年生の課題でそうした高度な思考を求めるのはまだ無理である。
今日は卒論、修士論文の提出日。卒論は12時まで。皆無事に提出できたようだが、提出は学科の印鑑を貰う儀式である。内容はこれから精査される。修士論文は3時までに提出せよと言っていたのに出されたのは夜。時間を守らないのなら設計などやめた方がいい。計画性が無い人間が計画するということは自己矛盾だ。
夕刻茶室の見積りが届く。思った以上に高い。インテリアといえども馬鹿にならない。まだ一社なので本腰がはいらないのだが、、、、、やめる物、減らすべき業種を考える。ふー。
夜引き続きコラージュ論を読む。初期綜合的コラージュの重要なコンセプトの中に「技術の否定」と「技術的な個性の否定」があることを知る。この後者がその後のオートマチズムに繋がる。非作家性と一時期騒がれた概念も繰り返し出てくることなのだと改めて思う。そしてこの概念も例えばファッションではグローバリズム・コングロマリット(非作家的)後のチャラヤンのように芸術家的デザイナーを半ば必然的に招来するのである。波は繰り返し打ち寄せるものである。

コラージュ

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by 卓 坂牛

1月31日
朝方事務所の雑用を片付けスタッフと話でもしようかと思うが、誰もいない。フレックスタイムというのもあまり事務所にいられない僕には不便なシステム?と思う一方、昨日聞いた日建のように寝るか働くか二者択一の過酷な状況もまた自分の事務所のクリエィティブな環境の中には持ち込みたくは無い。先日スペインの出版社から電話があったらしい。某住宅に興味があるようで情報が欲しいとのこと。なんでも1プロジェクトに20ページくらい費やしてくれそうで、サンプルを見るとかなりよくできたレイアウト。そこで説明の英文を作成。久しぶりに英作文である。その後スケッチ。最終一つ前のアサマに乗り長野へ。車中河本真理さんの『切断の時代20世紀におけるコラージュの美学と歴史』ブリュッケ2007を読む。註もいれると600ページを超す大著。彼女の博士論文だそうだ。なんでコラージュなんかに興味が?それはコラージュが作品の断片化、あるいは部分の反乱を企図するものである一方で、コラージュを制作した芸術家たちは「脆く危ういとはいえ、そこに新たな統一性がもたらせる可能性を、まさに逡巡しながらみいだしたのではなかろうか」という彼女の仮説に興味が湧いたからである。コラージュ概念はコリン・ローの『コラージュシティ』を挙げるまでもなく、建築と言う行為に内在している。つまりタブローとそれに貼り付けられたオブジェの関係は街とそこに差し込まれた建築の関係によく似ている。そしてオブジェが部分の反乱であるように差し込まれた新しい建築は往々にして街への反乱であるかもしれない。しかし建築家は決して反乱を意図しているものではない。河本さんが言うように、逡巡しながら新たな統一性を模索しているのである。こんな建築家の模索がコラージュを作る芸術家の中に見出せるのであればとても興味深いというわけである。

ヨーガンレール

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by 卓 坂牛

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朝方一週間分たまった事務所の雑用を片付ける。今日来たdetail japanの最新号を眺める。今村君のアタッシュケースのような住宅が掲載されていた。伊藤君や木島さんと雑誌の詳細図を眺める。なかなかいろいろな工夫があるようだ。細い敷地にそれこそ棚に収まる鞄の如く綺麗にはまっている。見せてくれると言ってたのに見せてくれないのだろうか??午後中国の矩計図の進展をチェックして茶室のカラースキームを眺める。その時乾さんのヨーガンレールのショップ塗装が話題にでる。夜日建名古屋の後輩と東京駅で会うのでついでに見に行く。なるほど綺麗な塗装だが店としてはちょっと暗い。店にはいると素敵だが、道から見ているとややアピールが弱いかもしれない。しかし色使いの斬新さはさすが乾さんである。名古屋の彼は4月から名古屋大学の博士課程に行くと言うことだ。一度働いてから、大学に戻って勉強すると言う人がこれからますます増えるだろう。アメリカではそういう人専用のpost professinonalというコースがあり、僕もその修士課程にいった。日本にはやっとそういうコースが最近いろいろ登場してきているのである。僕の大学にもそういう社会人専用コースがあり、ぜひそういうところで生涯学習して欲しいものである。

On
by 卓 坂牛

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午前、午後と会議。その間を縫って梗概の最後のチェックをした。今回の論文や設計では複雑なものが二つあって、その梗概は何度読んでもすーっとは読めない。それは内容の複雑さなどからある程度は仕方ないとは思っているのだがもう少し読む人のことを思う気持ちが欲しい。たいした時間をかけたわけではないのだが頭が疲れ、帰りの新幹線は読書は放棄。週刊誌を買ってで読んでいたら、隣の席に座っていらっしゃるのが、大学の親しい先輩教授である。「集中しておられたのでお声をかけませんでした、、、」とおっしゃる。「いえいえただの週刊誌でして、、、」と私。「自分で書いたほうが早いのですが」と言いながら修士論文に赤を入れていらっしゃった。ああ頭が下がる。
帰宅後、でもやっぱり頭が痛い。先日買ったFRAMEの1996年の創刊号から2006年の50号までの重要ページを連ねた本The Back Issue the essential guide to FRAME`s 50 isssuesをずーっと眺めていた。その中に図書館のインテリア特集というのがあった。そこに見つけた一枚の写真。本棚の本が全部逆さまに置かれている。もちろんわざとなんだろうが、普段見慣れない逆側をこうしてみるとなかなか美しいではないか。物を逆さまに使うというのは結構新鮮だなあと思わせる一枚である。家具を逆さまに置くとか、カーペットを裏返しに敷くとか、タイルを裏返しにはるとか、タイルの蟻足なんて結構綺麗かもしれない。その場合釉薬を使わないタイルで無いともったいないが。

日曜日

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by 卓 坂牛

1月27日
早朝230ページ分の原稿校正を終えた。終えたといっても実は編集者の要求にすべて応えられてはいない。登場人物の生没年を明記せよという指示があるのだが、どうしても調べのつかない人たちがいる。まだ生きている評論家や歴史家の生まれた年というのは個人が発表を控えている場合は調べがつかない。外人ならなおさらである。本書の性格上そこまでは要らないのではないかという判断を下し、速達で出版社へ送付。肩の荷が一つ降りたので目黒の庭園美術館に「建築の記憶展」を見に行く。この美術館は駅から少し遠く不便だが、門から玄関までの木立が素晴らしい。展覧会は19世紀末から現在までの建築写真400点をクロノロジカルに並べて見せるものである。既に見たことのある名作も多々あるのだが、こうして全部が一列に並べられていることに意味がある。ばらばらに見ているときは気がつかないことが、一気に見ることで見えてくる。(コラム参照http://ofda.jp/column/)。
帰宅途中に先日お会いしたクライアント候補kさんの家のアイデアがふと浮かんだ。kさんはアパートが付帯する長屋を作るか自邸だけを作るか迷っていたのだが、僕は少しリッチな貸室を一室だけ付けることを勧めた。その理由は一室なら、空き室がでるリスクが少ないのと、初期投資が少なくてすむこと。一方黒字に転ずるのが8年後くらいで定年の頃にはお小遣い程度の収入が定期的に入ること。それに一室なら、敷地をかなりゆったり使えて肝心の自邸のクォリティが高まること。そんなアイデアがふと頭の中で少し形になったので帰宅後スケッチを描く。まるで即日設計試験のようである。サインペンと色鉛筆で1/1ooのプランを描きスキャンしてpdfでメール。夕食をとって最終のアサマに乗る。

精神

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by 卓 坂牛

今年最初のA0の勉強会。今日読んだ、ロマン主義の誤謬は分かりやすいところではあるが、1時から6時まで英文とにらめっこして疲労がたまる。夕食をとって風呂に入り、植田実の『都市住宅クロニクルⅡ』みすず書房2007をめくる。目に付いた記事だけ飛ばし読み。篠原一男のハウスインヨコハマに対する賛美が書かれている。徹底した生活空間の排除とその抽象性への驚嘆が綴られている。そうした空間性は篠原が数学者であったことと無縁ではないように思う。彼は心から数学の中に美しさを見ていた。つまり世界を理性の精神でつかまえようとしていた。デカルトのように。食べものとか、着るものとか、下手をすると住む所それ自体、その物体自体に彼は全く興味がなかったのかもしれない。彼の作りたかったのはその精神性だけだったのかもしれない。今となってはそう思えるのである。

楽しみ

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by 卓 坂牛

今朝はまた一段と寒い、8時に研究室に行き雑用を片付け、原稿校正のためにツォーニスの英文論考を読む。読みきらずデザイン論の講義。リーテム東京工場の話をして、最終レポートの書き方を教えデザイン論最終講義終了。昼食を軽くすませ、2年生の製図の講評会ゲストの日建の中村晃子さんと阪根事務所の阪根宏彦さんを正門で待つ。
二人には先ずレクチャーをしていただく。中村さんは現在手がけている日本橋ビルの設計のプロセスを語っていただいた。建築家にレクチャーを頼むと、優秀作をずらずら並べて終りというのが多いので、こうした基本計画から竣工までのプロセスを講義してもらうと大変勉強になる。阪根さんは香山アトリエを出て独立してから木材の勉強で現在は東大農学部の木質材料学科博士課程に在籍しながら自らのアトリエを主宰している。そこで木質系の建築の話をしてもらった。sdレビューに入選し、新建築の表紙を飾った二ノ宮のアトリエから現在設計中のプロポで選ばれた東大ファカルティセンター、香山先生と共同設計の和歌山の神殿など木構造が実に美しい。以前もこのブログで書いたが、彼は本当に才能ある建築家である。
講評会はなかなか面白かった。突出した作品がいくつか見られた。審査員3人で佳作4点、審査員賞3点、そして総合1、2、3位の3点。計10点を選出した。それくらい、捨てがたい作品が多かったということである。阪根さんも言っていたが、数人のやる気のある学生がいる年代というのはその周りに輪ができて全体を押し上げるという傾向が見られるものである。今年の2年生にはそういう兆候がある。これが3年になって下降せずに伸びていくことを願う。二人のゲストも言っていたが、この2年くらいで人生が決まる。
振り返って総合1位になった作品を見ると、3人異口同音に一番いいという評価であった。その理由を考えてみると、どうもデザインをデヴェロップする能力にあると思われる。いい着想というのは2年生くらいだとビギナーズラックのような形で現れることがよくある。ちょっと見た雑誌の作品がたまたま課題の条件に上手くはまるというようなことがある。しかし2年生くらいだとそれを自分なりに消化しながらレベルアップできないものである。なぜかと言うと、改善すべき場所を見つける力がないからである。下手に触るとデザインは悪くなる。しかるに、この作品は実務で言えば基本設計レベルのデヴェロップができているということなのである。今後どう育っていくか楽しみである。
学生との学食での懇親会に顔を出し、駅前に行き、うちの部屋の院生とゲスト二人と食事。最終で東京へ。

思考実験

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by 卓 坂牛

7時半のアサマは途中大宮と上田しか止まらない。あっという間に白銀の長野である。午前中就職リクルーターの方にお会いし、昼から会議。今日は睡眠不足で頭が痛い。会議後重い頭でツォーニス&ル・フェーブルの英文を読む。原稿校正でどうしてももう一回読まざるを得ない。彼の英語は比較的読みやすいのだが知らぬ単語が結構ある。夕食後、明日の講評会で発表してもらう学生作品の選択。60個の中から約半分を選ぶ。明日は坂根さんと中村さんの二人が来てくれることになっている。楽しみである。その後また頭痛がひどく英語は少しおいておき鞄に入れておいた竹内薫の『もしもあなたが猫だったら』中公新書2007を読む。竹内さんは科学ジャーナリストだが、科学史が専門分野だけあって哲学も詳しい。プラトンの国家を原文(ギリシア語)で一年かけて読んだそうだ。そしてカナダに留学したときは哲学科に入学。ところが先生が英文の『国家』を一週間で読んで来いと言ったそうで喧嘩して科学に移ったとか。
と言うわけでこの本にはプラトンのことが少し書かれている。竹内さんによれば哲学とは壮大な思考実験。そして『国家』の国家観は共産主義。マルクスによく似ている。プラトンの思考実験は共産主義国家として現実のものとなりそれは前世紀後半に瓦解した。しかし、それでも人のことをまるで考えない日本の政治家よりプラトンの方が魅力的だと竹内さんは言う。

東京も雪

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by 卓 坂牛

長野から戻ったら東京が雪。雪に追っかけられている。朝方書斎の本を検索して残った校正部分に回答を書き込む。多くが引用部分の誤り等のチェック、修正。11時ごろ事務所に行き、溜まる雑務を片付ける。1時から中国見積図第一陣のチェック。竹内君の書いた図面を見てほっとする。図面は言語のようなものである。中国製の図面は中国語と同じくらい理解不能である。そこへ行くと日本の図面は日本語同様理解しやすい。日本製図面を見てやっと空間が明快になる。この調子で矩計図と平詳が終われば、気持ちは晴れるであろう。中国工場の後は茶室。見積り図をチェック。一通り図面が揃い、こちらもほっとする。壁面を塗り分ける微妙な色のサンプルができ上がってきた。こりゃ難しい。今回は4色使う色の差を極小にしようとしている。しかしあまりに微妙だときっと分からないだろうし、あまり差をつけると派手になりすぎる。知覚可能な色の差の閾値はどのあたりだろうか?多分それは内部の照度にもかかわるだろうし、隣接する色の量にも拠るのだろう。
午後某設計事務所の役員から電話を頂く。新卒採用の打診。優秀な事務所なのですぐに院生に電話し希望を聞く。行きたい人間は数名いるようだ。「いい学生はいるかい」と聞かれて「もちろん」と答えるのだが、果たして即日設計などでその期待にどこまで応えられるだろうかと一瞬不安が過ぎる。「坂牛のところには人材が豊富だ」と言われるようにみんながんばれ。

愚痴

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by 卓 坂牛

午前中の講義を終えて、午後今年度最後のm1ゼミ。全員の発表を聞くと、後一がんばりして欲しい。と思うだけである。どれ一つとして完成しているものは無い。今年の後期m1ゼミは社会学的テーマをそれぞれに与えてパワポで発表させている。一人三回発表して完成させるというものである。例えば建築の永遠性と消費性というようなタイトルである。皆いろいろ考えているし、m1の頃はこんなことだったのかなあと自分を振り返るとあまり四の五の言えないのだけれど、もう少し人にわかるように話なさいとプレゼントは言えない。この季節になると卒業生、修了生相手にまるで異国の人と話をしているかのごとく意味不明の言葉に悩まされるのであるが、m1も差は無い。来年が思いやられる。もう少しこちらから相手のやることを限定するのが教育なのか?自由を尊重するのは結局彼等のためにならないのか?自分でもよく分からなくなる季節である。ぎりぎり最終に乗って自宅に戻る。東京は暖かい。