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by 卓 坂牛
3月30日
年度末で事務所の書類を整理。午後出版原稿の索引作り。この間ざっと書き出したら300項目くらいあった。再度見直す。350項目くらいになる。人名が150くらいある。人名を拾い上げていくと、生没年と綴りが抜けているものが20くらい新たに見つかる。今更挿入するとレイアウトやり直しだろうが仕方ない。夕刻来週の学科創設記念パーティーでのプレゼンパワポを作る。jもう少し私自身の作品を入れたらという諸先生方のアドバイスを取り入れる。k氏からメール。先日の要望とは異なる方向へ展開しそうである。分からないものである。夕食後、早稲田講義のホームページ用のデーターをまとめる。読み返すと稚拙なところもあるのだが、もう時間切れ。部分的に修正をし、ホームページを作るsetenvにメールする。夜『明るい部屋の謎』の続きを読む。アヴェドンの焼付のための指示書が掲載されている。一度焼いた人物の顔の上に細かな明暗(と思われる)の指示が書き込まれている。こうなると写真はもはや絵画に近い。
仕事が片付けば今日は上野にでも行って国博で薬師寺の仏像でも見ようと思っていたのだがとても終わらなかった。そうしたら偶然「情熱大陸」でこの国博の展覧会のディスプレー、照明などのデザインを行った木下史青という人が紹介されていた。国立の美術館、博物館では初の専属の展示デザイナーだそうである。去年か一昨年の伊藤若冲の展覧会で脚光を浴びたという。時間で変化する光を屏風にあてていた。僕も鮮明に覚えている。展示デザインの役割はとても大きい。これからもっとこういう人は増えるでのではなかろうか。
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by 卓 坂牛
午後A0勉強会。あまり予習をする時間が無かったのだが、なんとか予習範囲で今日は終わった。相変わらずなかなかてこずる文章である。留学帰りのm君と読み込むのだが困難な箇所はそう簡単には進めない。夕刻桑沢デザインから電話、4月に始まる篠原一男展での対談を依頼される。日程があえば参加する旨伝える。今日は5時終えて、ofdaのパートナーである伊藤君の最新作である松原の住宅を見に行く。A0の参加者を誘ったら結婚式にいくA君以外は参加。
予算との格闘でかなり設計変更の末の完成。めでたい。外壁はinaxの塗装ケイカル版を馬に貼っている。なかなか個性的で一瞬金属板張りかと思わせる。エントランスからスキップフロアで水周りを入れると6枚くらいのレベルの異なる床が階段で繋がる。スキップにしているおかげか天井高が十分にとれていて広がりを感じる。また素材や色が伊藤君らしく、キッチュぎりぎりの選択になっている。鉄の階段や手すりは今時なかなかのいい仕事である。
帰りは明大前から。笹塚で都営新宿に乗り換えようと思っていたら、気がついたら新宿。昔の通勤路だったのにもう慣れぬ路線となってしまった。
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by 卓 坂牛
朝一で茶室の現場。30分くらい現場でうろうろしていると、いろいろと気になるところが頭を過ぎる。しかし、こうするべきだと言う確たる何かに結びつくわけでもない。ただもやもやしているだけ。現場に来るとよく起こることである。昼に来るk-projectのクライアント打合せ資料が気になり、そそくさと事務所に戻る。クライアント夫妻が12時に来て、数案ある模型と図面を見せる。相手は建築のプロであり理解は早い。奥様はなかなかユニークな方で、思った意見をずばりおしゃる。歯に衣着せぬ言い方は小気味よい。2時間ほどで帰られた。その後チームメンバーで案の議論。まだチームは4人体制である。方向性が見えたら、スタッフを絞るのだが、未だなかなかいい線に到達しない。夕食を食べてから、一人でスケッチ。なんとなく、コストに見合った面積の中に、コンセプトがはっきり見える絵がおぼろげに現れてきた。夕食に食べた一心ラーメンの#3激辛のせいでせきが止まらなくなった。そこへ新年度に向けて大学からの書類作成のメールがいろいろと届く。もう頭が働かない。明日やることにする。
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by 卓 坂牛
3月27日
午前中はたっぷり会議。来週の学科創設式典と外部評価に対する準備会議。午後は長野市の景観審議会に出席。この会議で初めて宮本忠長さんにお会いした。会議後、あまり皆様とお話するまもなくタクシーで長野駅。夕刻のアサマで東京。車中セルジュ・ティスロンの『明るい部屋の謎』人文書院2001を読む。題名で分かるとおりこれはバルトの『明るい部屋』へのアイロニーである。著者は精神医学者であり映像を単純に記号的に言葉に還元するのではなく、①感覚-感情-運動②映像③言葉という3つの領域で並行的に象徴化のプロセスが進むと主張する。このイントロはとても魅力的に響く。じっくり最後まで読みたくなる本である。東京駅から事務所に直行。今まさに、皆、歓送会のために事務所から出ようとしているところ。荒木町じゃあ老舗のフレンチビストロへ。最初はシャンパン。そして赤、白、ロゼ。オードルブもメインも美味しい。歓迎する新人は、ofdaでは初めての大学でたての新人。一人は京都工芸繊維大学の岸研究室から、一人は東工大の奥山研から。彼等の加入で事務所の平均年齢は一気に若くなった。2次会は荒木町のディープな大福という名のバーへ。初めて行ったが割烹着をきたお上さんの店で細いが天井の高いしゃれた店。気持ちがよい。伊藤君は明日役所検査。僕は明日朝一の現場定例と昼からクライアントとの打合せ。新人とはゆっくり話したいが、また今度。今日はここでお開き。
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by 卓 坂牛
出版原稿の第3稿が届く。いよいよ校正箇所は減ってきたものの、編集部での微に入り細にわたる校正が続く。細かい赤字でレイアウトやキャプションの字の大きさ等細かな指示が入っている。そして、 鉛筆書きで私の拙文への修正の提案が書き込まれている。頭が下がる。そして同じ校正紙がもうワンセット。索引用。400項目程度の索引を作らねばならない。これには参った。ちょっと大変な作業である。しかしありがたいことでもある。
山積みの事務所の打合せ。中国の進捗を聞く。再度の補完的な土質試験を行なわざるを得ないようである。日本なら必要も無いことなのに。建物位置とボーリング位置の微妙なずれを役所は問題にしている。そんなことを問題にするなら、問題にすることはもっといろいろあろうにと思うのだが。茶室は最終の色決め。もはや迷うことは無い。床のモルタルには多少の墨をいれることにする。kプロジェクトは模型が4つ並ぶ。やはり要求内容に対しての予算に余裕が無い。どうしてもプランが窮屈になる。金曜日の打合せに向けての修正内容を決める。帰宅。夕食。最終で長野へ。
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by 卓 坂牛
3月25日
ソウルの国立古宮博物館を訪れる。日本語の音声ガイドがありなかなか楽しめる。宮廷音楽の部屋があり演奏がプロジェクターで再現されているが、日本の雅楽と同じ響きである。雅楽における高麗楽というのがこのあたりのものを指すのだろうか?しかし展示品は全て李朝時代のもので高麗時代のものは一切ないことになっている。2時間くらいゆったり見入ってしまった。天気は曇りで肌寒いが地下鉄で隣の安國駅でおりギャラリー街を歩く。
午後の飛行機で成田に戻る。帰りは西風に乗って飛行時間は1時間40分。長野新幹線と同じだが、ホテルを出たのは2時半で家に着いたのは11時である。いやはや国際線というのは本当に時間がかかる。
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by 卓 坂牛
ビジネスセンターから事務所にファックス。昨日もらった図面とにらめっこして少し新たな案を作るべく指示を出す。ホテルの外に出てスタバで朝食。そのまま焼け落ちた南大門まで歩く。仮囲いされている。そばには有名な市場がある。外部の市場と建物内のそれといろいろである。ワンフロア40店舗くらい全部似たような洋品店という場所もある。
南大門から地下鉄で10分くらい北に行くと、宋廟という李氏朝鮮時代の王の廟がある。世界遺産である。その隣に同じ李氏朝鮮の3代王の王宮昌慶宮がある。これも世界遺産。どちらもそれなりのものだが、背後にソウルの超高層が屏風のように建ち並んでいる上に、都会喧騒が伝わり、興ざめである。やはり重要建物の背後を守る東京都の景観条例のようなものは必要か?そこから西に10分くらい地下鉄にのると大学町がある。この一年キャンパス計画をしてきたので、キャンパスを見るのは興味深い。名門女子大である梨花女子大、韓国の慶応といわれる延世大、韓国の芸大、弘益大。どれも韓国の起伏のある地形の中に立ち並ぶキャンパスである。サンフランシスコ近郊のバークレーを彷彿とさせる。梨花女子大の学食で昼食。キムチシーフードラーメンは150円と安い。韓国の物価はタクシー、地下鉄などを除けば、殆ど日本と同じだが、学食は安い。夜は都心の丘に立つソウルタワーに上る。ケーブルカーで丘の上まで上りそこから展望台へ。ケーブルカー往復700円。タワー展望台700円である。眺めは改めて町の起伏を感じさせるものである。夜景の美しさが加わりサンフランシスコを髣髴とさせるものである。
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by 卓 坂牛
昨日は謝恩会の後、研究室でまとまって2次会。恒例なのだが学生から先生はプレゼントをうける。恒例といってもどの研究室もそうなのかは定かではない。初年度は冷蔵庫、去年は空気清浄機、今年は最新のスキャナーを頂いた。スキャナーは自費で買おうと思っていたところだったから、本当に嬉しい。私からは卒業生、修了生へ一人づつお手紙を書いた。一昨日夜、プリントしたものである。4年生、m1はそのまま3次会だそうで僕は先に失礼。今朝は8時のアサマで東京、ちょっと丸善により、成田イクスプレスで成田、1時55分の大韓航空でソウル。初めての朝鮮半島である。ソウルは日本の真冬。最高気温は10度以下、最低気温は0度近い。天気は雨。金浦ではなく仁川国際空港というソウルから少し遠い遠宗島にある飛行場に着く。ソウル市内まではバスで1時間半。あまり予習もせずに、春休みの数日どこかに行こうと思い、やってきた。先日韓国雑誌bobにofda特集をしてもらった時にインタビューをされ、韓国建築をどう思うかと聞かれた。その時皆で顔を見合わせた。誰もこの国に来たことはないし、知識もない。それはまずいよな。日本から飛行機で2時間なのだから、隣国の建築もちょっとは知っておこうとやってきた。この丘の連なりは東京というよりは横浜。比較的高い高層マンションと低層の長屋のような建物が作る風景は上海のようでもある。
ホテルに着き昨日送ってもらったkプロジェクトのpdf図面と模型写真2案をダウンロードしてビジネスセンターでプリントアウト。なるほど。なかなか面白い。さて飯を食ってから考えよう。雨の中タクシーで宮廷料理とやらを食べに出かける。延々と出てくる料理の山。これは決してうまいものではない。しかし健康的である。食後メールを見たら3案目が到着。プリントアウトしよう。
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by 卓 坂牛
大学の近くに長野県民文化会館という建物がある。レンガタイル張りで屋根が背景の山を模してなだらかな斜面になっている。ファサードは三つの階段コアを構造にしガラスカーテンウォールで大スパン構造であるかのように見せた建物。日建の設計である。若き日の坂田さんの代表作だろう。その建物で卒業式が行なわれた。去年僕も学位記を頂くべく出席したのだが、あれからもう1年たったわけである。早いものである。午後は卒業証書、修士の修了証書の授与式を行なう。
夕刻謝恩会までの時間。珍しくぶらぶらする。昨日読み始めた『現代民主主義の病理』を読んでいてヨーロッパとアメリカを人くくりに「欧米」などと呼ぶことのナイーブさを知らされる。といってもその差はもちろん日本国外にいる時は身にしみるのだが、日本にいてボーっとしているとつい対日本文化圏として十派一からげに欧米などと片付けてしまうこともあるものだ。
また例えばインターナショナルという概念はヨーロッパではそもそもヨーロッパ列強が非ヨーロッパ世界に進出し、第3国を統治し管理する概念だった。それがアメリカ的な文化相対主義、世界的なデモクラシーの思想が出てくる時「世界的」という意味合いに変換されたのである。言葉の意味も欧発米での変遷ということも多々ある。うーん、そう要は、自分の専門分野の話の時は欧と米の差は明晰に分類されるのだが、そうじゃないところに話が移るとその差が急にぼけてくることを改めて気がつかされたということか。気をつけないと。
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by 卓 坂牛
午前中会議、午後は教員の皆様にキャンパスマスタープラン工学部編を説明。農学部、繊維学部、松本と説明してきたが、最も出席者が多くて、最も質問が少なかった。同じ工学部の人間が作っているから信用されているのか?あまり興味がないのか?これでとにかく全ての説明を終えた。長い作業だった。これからまだ延々と続くアクションプランがあると思うと少々困惑である。
会議終了後、工務店としばらく電話。その後クライアントと電話、起こりかけそうな問題を消火。ほっと一息。その後4月頭の新学科発足にかかわる外部評価での意匠設計系の説明パワポをつくる。最近暇さえあれば何がしかのパワポ作りをしているような気がする。プレゼンが仕事といえども少々食傷気味である。少しk-projectoのことを考える。うまくいくだろうか?昨日の路線は?夕食後読書。建築美学は満腹の頭に少し負荷が大きい。佐伯啓思『現代民主主義の病理』日本放送出版教会1997を読む。民主主義の病理=民主主義建築の病理かもしれないと思いつつ。