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Mar 2008

建築美学

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by 卓 坂牛

長雨である。風も強い。午前中は講義のパワポ作り。事務所においてあるロースの作品集が必要だが、雨が強いので後回し。作るそばから少しづつ、内容の深みが見えてくる。午後事務所でkプロジェクトのスタディ。4人がかりで一つの住宅をスタディすると言うのも実に贅沢であるが、時間がないので集中してやらないと可能性が見えてこない。3時頃から始めて8時まで。とりあえず3案くらいの可能性に絞る。まだあるのだろうが。
帰宅、夕食、最終一本前のアサマに駆け込む。車中、上松先生の退官記念『建築美学』中央公論美術出版2008を読む。なるほど、これは前著『建築空間論』にかなり近いストーリーである。信念というものか?ただ建築美学の西欧及び日本における系譜やら、美学と建築のかかわりなどが講義形式で分かりやすく書かれている。数十年前の早稲田講師時代の講義を録音されていたらしく、それを起したものだそうである。建築美学の入門書としては類を見ないのではなかろうか。

アルツハイマー

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by 卓 坂牛

長野の行き帰りでアルツハイマーの本を読んでいた。これはれっきとした病気だとよく言われる。でもどういう病気か気にしたこともない。もちろん、そうなったらどうしようと思ったわけでもない。たまたま一昨日なんとなく丸善で手にとっただけである。原因は3つあるそうだ。一つは脳みそ内の細胞中で21番目の染色体にあるアミロイドというたんぱく質が溜まってシミができる。二つ目はやはり脳みそにある細胞中で17番目の染色体にあるタウというたんぱく質が溜まって神経線維が変化をおこす。三つ目は脳みその萎縮だそうだ。その対策としてこれらのたんぱく質を除去するワクチンが開発されているらしい。どうもそれはピーマンの葉っぱにあるということでねずみへの実験が行なわれたとか。
へー。すごい。こんなことまで分かっているのか。親の友人がアルツハイマーだと言う話を小さいころ聞いた。その頃はなんだか訳の分からない難病のように言われていたものである。科学者とはたいしたものである。特に人間のミクロな場を研究をする人たちには恐れ入る。

エスキス

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by 卓 坂牛

レニ・バッソの北村さん、というか信州大学の北村さんから公演来場の御礼メールを頂く。いつかお会いして直にいろいろとお話を聞いてみたいものである。しかし案の定シラバスを見ると北村先生の講義やら演習は見事に水曜日の午後に固められている。そうだろうなあ。水曜日は僕も午後製図である。接点がないなこれじゃ。hプロジェクト(新しい家)のエスキスして模型を作る。久しぶりに自分で模型を作るこの快感。夕方から4人がかりで配置のスタディ。ヴォリュームを手当たり次第切り出しておいてみる。途中おにぎり食べながら10時まで。可能性のある配置を考えていくと「大小の窓」のようになってきた。それもそのはず敷地条件が似ている。敷地面積が60坪、角地、一種住専、南北軸に縦長。コストや工期から考えて木造二階建てしかないのが形状にかなりの制限を与えているがそれは仕方ない。クライアントの要望で構造は金箱さんということだが、今日は電話をしてもつかまらなかった。明日またしてみよう。

事務所の今後

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by 卓 坂牛

午前中の会議が長引いた。午後はその会議で出た作業の資料作り。スチュワートさんからまたダンボール6箱の本が送られてきた。学生に開けてもらって書架へ並べる。ポストモダニズムの建築言語の原書があった。なかなかの貴重本だが手伝ってくれた学生が欲しがっていたのでプレゼントした。夕方のアサマで東京。丸善により20冊くらい手当たり次第面白そうな本を買って宅配。谷川先生の新しい本が金色の袋に入って売っていた。思わず微笑む。上松先生の『建築美学』なる本が中央公論美術出版から出ていた。先日鼎談した時に今退官までに本をまとめているといっていたがこのことだったのか。スラヴォイ・ジジェクの『ラカンはこう読め』。北田さんが朝日の書評にとりあげていた。とはいってもラカンはもう分からんとほっといたが、めくってみるとなかなか読めそうなので購入。事務所に戻り、パートナーと今後増える人員の席やらコンピューターやら決める。総務、経理、その他いろいろやってくれる人がいるといいなと思うが、こうやってパートナーで話て決めるのがアトリエのいいところか?どうも事務所は風邪のうつし合いで今日はふたりダウンしている。我が家も娘が一昨日ひどい熱だった。また流行っているのだろうか。

作法

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by 卓 坂牛

3月16日
午前中あちらこちらにメールを打ってから、新しい住宅の総事業費の予算の枠組みを作り契約書の案を作成し、スタッフにメール。この事業費の枠組み作りを間違えると後々自分の首を絞めることになる。最初にクライアントとしっかり予算の全体像を認識しておくことがプロジェクトの進行にとても大きな影響を持つ。
午後は講義のホームページ作りのために写真を選び、イントロの文章を8講義分一気に書く。飯もそこそこに書きまくったらさすがにへとへと。そのまま長野に行こうかと思ったが一風呂浴びてからでかけることにする。ゆっくり風呂で新聞を読む。車中身体論叢書の第二巻『コミュニケーションとしての身体』を読む。挨拶行動の分析を読んでいると昨日のダンスにおけるコンタクトインプロビゼーションが蘇る。また音声コミュニケーション論では、音声-応答と同時発声という二つのコミュニケーション形式が何故起こるかについて分析している。それによれば、その理由は文化の中にこうした二つの形式が身構えというカタチで埋め込まれているからだと説く。身構えとはつまり社会における所作の作法ということなのだろう。日本文化はこうした作法をストイックに洗練させてきたところがある。しかしそうした洗練は何時の時代でもそうだろうが重視している人もいれば疎んじている人もいる。僕はどちらかと言うと自分の身に降りかかれば後者であるが日本文化という広い意味で見ればどこかで継承されるべきだと思っている。まあこう言う考えは所作に限らず伝統といわれるもの全般に対してそうなのだが。

レニ・バッソ

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by 卓 坂牛

午前中に講義のパワポ作り。ジェンダーの話をもう少し深める。夕方新宿のパーク・タワーホールにレニ・バッソの舞台を見に行く。このダンスカンパニーの主宰者である北村明子さんは最近知ったのだが、信州大学の常勤講師。一体こんな世界中で舞台やっている人がどうして大学の常勤の先生やれるのだろうか?同じ大学なのだから聞いてみたいものである。その上、最近高校の同窓会名簿が送られてきたので見ていたら、そこに載っていた。本当にびっくりである。身近にこんな方がいるとは!!!公演後新しい住宅のクライアントの家を訪問。設計期間は3ヶ月ということでちょっと眩暈である。そんな経験は今までにはない。でもやってみるか。暇で悩むより、忙しくて悩む方がまだましだ。

久しぶりの雨

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by 卓 坂牛

朝現場、午後読まなければならないコピーに目を通して、夕刻人に会う。久しぶりの雨。しかもかなり強い。疲れがたまっているのか?早々に帰宅。ジョウ・シュン+フランチェスカ・タロッコ 松田和也訳『カラオケ化する世界』青土社2007を読んだ。グローバリズムは必ずしもアメリカナイゼーションではないという著者の意図はよく分かる。土井たか子は初期カラオケの名人だったとか。へー。一冊本を読んで調子をつけて大学の仕事をしようと思ったが、余り頭が冴えない。積んどいた本の中から松原弘典『中国で作る-松原弘典の建築』toto出版2007を読む。今中国で起こっている多くの戸惑いがこの本を読むとなるほどそういうことかと少し理解できる。中国で7年仕事をしている人でも日本のようにはとてもいかないしそれだからこそ面白いと考えているようである。

テスト

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by 卓 坂牛

3月13日
一週間分たまった打合せ。中国の報告、茶室の進捗、水戸のリノベーションのブレスト。夕刻早めに帰宅。夜、娘が期末テストを持ってきて見せてくれた。夜中に教えた理科1の電気は公式を間違って使って減点されていた。英語もどうしてこんな凡ミスをするの?というのが多い。分かっちゃいるけれど間違いましたというものばかりである。でもテストの間違いとはそんなものだったなあとわが身を思いおこす。全体としては2学期と似たようなもの。「少しでもいいから前より上がらないと」と苦言を呈すると、あるレベルを維持するというのはそれなりの努力をしているからこそ可能であり、それを評価せよと主張する。なるほどね。それも一理ある。どのレベルをキープするかという問題はあるのだが。

犀北館

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by 卓 坂牛

3月12日
昼は入試。夜は送別会。久しぶりに犀北館に来た。長野では由緒あるホテルである。現場があったときは日建割引があったのでよく泊まった。しかし今思うとなんだか不便なところに建っているホテルだ。駅から遠いし、ちょっと裏通りの寂しいところである。でもその分静かで落ち着いた風情なのかもしれない。

アートと建築

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by 卓 坂牛

カーサ・ブルータスの最新号が届いた。アートと建築特集である。アートが建築のようなものを作るようになったと長谷川祐子さんが言っている。というようなことは2005年のsdの特集内容でもあるので別に目新しいことでもなく21世紀に入り顕著である。オラファーのone-way colour tunnel 2007などクラブのエントランスのようだし、ダニエル・ビュレンのThe coloured screen 2006-2007はその字の如く簡易間仕切りスクリーンとして売れそうである。 ホルヘ・パルドの House Installation view 2007もタイトルの通りインテリアデザインと呼ばれるものとどこが違うのかまるで間違い探しである。関係性の美学においては社会に開かれたアートが尊ばれ、そうなるといきおい、都市や建築と関係することが自然なのだそうだ。アートと建築のボーダレス化は私的には凄く面白いし、興味深いのだが、一歩引いてみた時にはこういう時代もいつか終わるだろうと冷めた視線で見ざるを得ない。それは何かというのが早稲田の講義の最終回。アート的なるものvs?なのである。そんなものがそう簡単に語れるのなら苦労しない。そういうものがあるのだろうなと語ることくらいで講義は終わるのだろうか?