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May 2008

八潮ワークショップ

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by 卓 坂牛

今日は八潮市でワークショップというのに朝から雨。信大の学生は無事到着するだろうか?この間は水戸に、今日は八潮に。このところ長野県外での学生との活動が続く。事故を起こさないか心配である。しかし人の心配などしている場合ではないかもしれない。こちらもギブスをはめた足をビニール袋で巻いてタクシーに乗る。予定の筑波イクスプレスに乗れず、駅にぎりぎりに到着である。八潮市では高齢者用の公民館を用意してくれておりそこに5大学40人くらいが集合。市で用意した自転車に雨合羽を羽織学生達は調査に散った。5大学の教員達は次回の市民とのワークショップとプレゼンの会場の視察。それが終り自転車に乗り雨の中、中川沿いを散策。3時に公民館に集合して各大学パワポを使いとりまとめ。学生と1時間つきあったら本でも読もうと思っていたがそうも行かなった。5時頃市長が来てお話。6時から懇親会。各大学の自己紹介などしているうちに市長の美声が響き、喉自慢大会に変貌。9時頃教員はお暇。学生たちは夜を徹してパワポ作りか懇親か?

昔話

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by 卓 坂牛

午前中早稲田の講義。今日はグローバリズムvsローカリズムhttp://ofda.jp/w_lecture/2008/requirement/08/01j.phpである。講義後学生の質問を受ける。シュルツによればコルビジュエの建築もゲニウスロキを取り入れたものになっているというが、そうなのか?という問いである。建築をしらぬ文学部の2年生の問いにしてはとても高度であり、こう言う質問をしてくることがとても嬉しかった。うちの大学でこういう質問が出るだろうか?とても不安になる。講義後早稲田で落ち着いたうなぎやを発見。うな重を食う。食後タクシーで病院に行ったら、午前の診察は終っていた。午後は2時半からとのこと、諦めて事務所に戻る。雑務をこなし、あるプロジェクトのブレストをして、夕刻k-projectoのクライアント来社。夜は昔の会社の後輩先輩と会食。その先輩には7月頃信大で講演会をしてもらう予定。地方都市の今後について語って欲しい旨お伝えする。明日は八潮市でワークショップなので早々に帰宅。

木曜日

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by 卓 坂牛

朝から雨。雨が降るといいことはない。午前中にk-projectの概算見積りが届けられた。いまだかつてこれだけ予算に近い見積書は見たことがない。1割増というところである。とはいっても未だ基本設計概算。その後金箱さんが佐久間さんと来所、構造のつめを行なう。コストダウンのためにいくつか変更をお願いする。構造的にはだいたいまとまった。午後昔のクライアントの家にアフターケアに行く。名建築はアフターケアーも大変であるがが仕方ない。ここでくじけると建築が出来なくなってしまう。たっぷり半日かかる。事務所に戻りいろいろ打合せ。コピー機を新しくするかどうか議論。それ以前に改善すべきことがいろいろあることに気付く。もう少し俟つことにする。その後僕の出版を祝いたいという友人と会食。彼は某銀行の部長になり部下が180人もいるとのこと。他友人2名。みないろいろ忙しそうな役職である。僕等も歳をとった。親父にはなりたくないのだが、そういう歳かも。あーいやだ。

再生

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by 卓 坂牛

研究室に届けてもらっていた鈴木博之『現代建築保存論』王国者2001を飛ばし読む。保存の基準とは何か?水戸のプロジェクトで考えいている最も重要な部分である。ここでもauhenticityがキー概念としてでてくる。その日本語訳として、「由緒正さ」という鈴木先生の訳語が紹介される。確かにこの言葉はなかなかよいように思われる。続いて磯崎新編著の『建物が残った』岩波書店1998を読む。午後の製図のエスキス終え、帰りの電車の中でも読み続ける。本書の中の磯崎さんの文章は大分の古い図書館,
新しい図書館そして古い図書館のリノベーションの受託から設計過程まで刻銘に記録されている。磯崎さんの文章は本当に読ませる。建築家の中で最も文章の上手い人ではなかろうか。ストーリーが面白すぎて本当だろうかと思うことさえある。夜事務所にもどりメールで貰っている打合せ記録の確認。拙著をスタッフに謹呈。是非じっくり読んでみて欲しい。金箱さんから電話で中国プロジェクトの構造の監理について。法規が違うので、設計院の設計変更について厳密なアドバイスはできないとのこと。もっともである。10時頃帰宅。

統治

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by 卓 坂牛

午前中卒業ゼミ。m2と4年の発表。このm2が4年の頃は何を言っているのか全く分からなかった。まるで異星人と話をしているようだったが2年たったらやっと同じ地球の人間であるようでほっとしている。とは言うものの同じ地球人として同じ言葉を話しているとなると、それだけに逆に言っていることが分からないと腹立たしい。ゆえになるべく言葉を使わず発表してくれる方がこちらは苛立たない。美しい絵と模型だけ見ていられるのならそれに越したことはない。しかしそれだとこちらもリアクションの言葉のきっかけがないし、結局それで彼等が何かを獲得できるかどうかは賭けである。難しいところである。何をさせることが彼等にとって最も伸びていくことなのかそれは相手の成果とそのプロセスを確認しながら一人一人対応せざるを得ない。
夕刻森政稔『変貌する民主主義』ちくま新書2008を読み始める。この手の本の最近の傾向は現代の主流である新自由主義を中心に話しが進む。しかしこの本はもちろんそうした側面をもちながらもより民主主義における個人の自由の問題がフィーチャーされている。僕にとっても今の自身の興味から言えば、経済的側面より、むしろ政治的な国家統治の方法と効果が気になる。その理由はそうした方法と効果が研究室、事務所、家庭という僕の当面の相手を適切に管理する方法を示唆するからである。例えば今風に言えば最小国家という概念があり、僕は比較的その考え方を指示している。そこでそれに則るならば、つまり僕自身が最小となり管理対象の自由を最大限とするならば彼等は最大の成果をあげかつ最大の幸福を得られるということになる。しかし現代政治の事例はそうした最小国家の欠点も教えてくれる。その欠点からみれば、成員の最大自由が彼等を非生産的にし、かつ不幸にする可能性も常にあるわけである。自由の目盛りをどこにセットすることがベストなのか悩ましい。言い換えればどの程度自由にしどの程度規制(指示)をしていくことがいいのかよく分からない。しかし今のところ、一律に自分のルールを決めることはナンセンスだと言うのが僕の態度である。国家としては数億人相手にケースバイケースと言ってられない。しかし高々3人の家族と、10人弱の事務所と20人程度の研究室ならケースバイケースで人の顔を見ながらやるのがいいのではなかろうか?と今は考えている。しかしこの人数がある閾値を越えるとこれは制度化していくしかないのかもしれない。それは最小の私なのか最大の私なのかは分からないのだが。

グローバルローカリティ

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by 卓 坂牛

アサマの中でバウマン『コミュニティ』の続きを読む。本書は90年代に本格化するグローバリズムによってもたらされるコミュニティの変容を記している。権利上誰でもがこのグローバルという波に乗ることが可能ではあっても、事実上乗ることができるのは一部の人間であることがこの20年間くらいに明らかになった。そしてこの波に乗れた社会の勝者はコスモポリタンとなり世界を闊歩する。そして彼等にとってはある特定の場所に特定のつながりを持つことが出来ない。あるいは特定のつながりを持つことは精神的にも物理的にも面倒なこととなるのである(彼等の持つ性質をバウマンはextraterritorialityという治外法権を意味する言葉で表現している)。つまりグローバリズムという世界を流動化させる社会、経済、政治的な潮流はこうしてコミュニティをも溶解させているというわけである。もちろん、このことが直接グローバリズムの否定にはつながらない。しかし少なくともコミュニティを崩壊させることによって素晴らしい社会が開けているわけではないのだから、この部分はグローバリズムの弊害といわざるを得ない。そして本書の訳者奥井智之氏もあとがきに記しているように、グローバル化と言えば、馬鹿の一つ覚えのように登場する大学のグローバル化という標語が頭に浮かぶ。大学のグローバル化は常に国が提示するお題目である。それは総論としては賛成である。しかし、本書が明示するとおり、ヨーロッパ人でさえ乗り切れないグローバル化に日本人がそう簡単に乗れるものではない。そもそも日本の大学で外国語をまともに扱える学生(教員も含めて)などそうたくさんはいない。それが日本という国なのである。そういう初等教育をしてきたのである。そういう国において、大学にはいっていきなりグローバルだとかかけ声をかけていることが大きな矛盾である。その上大学の個別性も考えず、猫も杓子もグローバルというのはいただけない。ローカルズが集まる地方大学でグローバルって何だ??と逡巡してしまう。
そこで僕は一年前にある研究費を取得するために「グローバル・ローカリティ」という標語を考えてみた。つまり世界の田舎よ手を結ぼうぜという考え方である。つまりコスモポリタンを育てるのではなく国際的視野を持つローカルズを育てようという考え方である。
自分も根無し草のような生活をしながらこう言うことを言うのも矛盾しているかもしれないし、苦し紛れかもしれない。しかしバウマンの言うように世界がコスモポリタンで埋め尽くされる先に豊かさが生まれるとはとても思えないのである。

60年代の東京

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by 卓 坂牛

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写真池田信『1960年代の東京』p112、毎日新聞社2008
毎日新聞社が出している『1960年代の東京』2008を眺めながら、その古びた東京に驚く。しかしこの驚きは、こうした風景がまるっきり過去のものではなく、確実に見たことがあるという確信があるからこそ生まれるものなのだと思うに至った。上の写真は渋谷駅である。1961年撮影だから、僕が2歳の時である。渋谷に最初に行ったのは多分東急文化会館にプラネタリウムを見に行った時で小学校の1年頃だった。そのとき渋谷がこういう風景だったかどうかそれは分からないが、そうかけ離れてはいなかっただろう。この写真集の解説を書いている松山巌がこう言う「不思議だ。六〇年代の東京が、これほど静かで落ち着きがあり、奥行きや深さをもっていたとは、、、、、。」この言葉はまったく同感である。写真を見ながらどれも既視感があるのだが、自分の記憶と少し違う。それは静けさなのである。自分の記憶は騒がしい、写真の風景は妙に静けさが漂っている。それは記憶と写真の違いなのか、記憶自体が変容してしまっているのか、それはよく分からないのだが。

ブックデザイン

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by 卓 坂牛

5月24日
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午前中午後からの勉強会の本を読む。なんとなくいつも一夜漬けである。もう少し時間を費やせばもう少し早く進むのだろうが、怠惰なものである。勉強会に出かけようとする時にナカニシヤ出版から拙著の試刷りが届く。開けて初めてその表紙デザインを見る。なかなかよいではないか。満足である。その本を持って事務所に行く。今日はA0勉強会。辺見が事務所の前で待っていた。A0メンバーに本を宣伝。ところでこのブログをご覧の皆さん。この本は私の最初の建築論。内容は僕の博論であり、その博論の骨子は東大、信大で講義してきた内容である。そろそろ店頭に出回るかもしれない。大学では生協に並べてもらう予定。いきつけの本屋あるいはアマゾンでお買い上げあるいは注文いただければこの上なく幸福である。
事務所には、今日は珍しくスタッフは誰も来ていない。そのおかげでとても静かである。5時前に勉強会は修了。後一回くらいで本論は終わりそうである。残りは結論やらエピローグやら。勉強会修了後事務所の会計士が来所。決算書の打合せ。会計士という人たちは1円のつじつまを合わせることが仕事である。「そんなの誤差」こちらは言いたくなる。しかしそれは1ミリの誤差を許容しない建築家と同じだと諭される。夜、家族で近所に最近できた天ぷら屋「えび田」に行く。えび田というだけあってたくさんの海老を水槽に飼っており海老の天ぷらは小さいが美味しかった。帰宅して娘の物理の試験勉強につきあう。仕事と仕事率。久しぶりに中学の物理を思い出すと楽しいものである。

本完成

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by 卓 坂牛

午前中早稲田。今日は学生の発表。前回は「おお!流石早稲田なかなかやるな!!」と思ったが、今日はなんとも凡庸な発表が多い。とはいえ2年生にしてはいい線か?今日は発表者以外が審査員となって8人の発表者の中で一番良いものを選ぶよう指示。その結果をホームページに書き込むこととなったhttp://ofda.jp/w_lecture/2008/requirement/bbs/2008/05/post_5.html。授業後事務所で湾岸プロジェクトを考える。70メートルの高さ規制のあるところではいくつかある高層塔ももはやタワーという概念でくくれるものではないことに気付く。どう頑張ったって縦横比は1:2。考え方を変えたほうよいようである。夕刻K-proのクライアント来所。平面断面は概ね固まり、外装はシルバーを提案、了承。
某企業インテリア工事の見積りが一社来たがどうも200万オーバー、減額案を作ったが、70万オーバーくらいまが限度のようである。
やっと『建築の規則』ナカニシヤ出版2008が刷り上ったとのメールが来た。奥付の校正を2ヶ月くらい前にもらった時に出版年が5月25日になっていたが嘘ではなかった。楽しみである。

生き返る

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by 卓 坂牛

午前中にk-proの図面進捗を見る。矩形が長短二面できてきた。高さ方向の寸法の押さえがはっきりとする。階段がやはりぎりぎりの設計である。午後一で昔のクライアントに会いにいく。彼が持つ2000坪の土地の有効利用で話しが長くなる。夕刻病院に行きギブスを取り外し超音波をとる。切れた筋肉がつきはじめているが今後2週間はギブスをつけていないといけないとのこと。古いギブスは汚くなったので廃棄。新しいギブスを作り、のこぎりで二つに割り前半分は廃棄して後ろ半分だけつけて包帯で巻いた。これだと入浴の時は取り外しが可能である。夜はひたすらコンヴァージョンのことを考える。集中できる時間があるとアイデアはいろいろ出てくるものだ。11頃帰宅して1週間ぶりに左足も入浴。生き返る。