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Jul 2008

重厚

On
by 卓 坂牛

図説前の第二回めの査図。出来てない図は追加変更で出すし、それらはとりあえずスケッチで勘弁してもらうのだが、それにしてもまだ間違いも多々ある。明日の11時までに(青焼き屋が取りに来るまでに)直しきるかな?
夕刻中国出張中のナカジからメール。やっと工程表がでてきた。6月の初頭上海近郊は大雨で着工が遅れたのだが、やっと杭打ちが始まったようである。とりあえず着工できたのでほっとする。
九州プロジェクトのスケッチを開始。いかに「重厚」を建築化できるのだろうか?ここが当面のポイント。現代の軽い建築をアイロニカルに批判するにはいいテーマなのだが、やり慣れないことなので前へ進めない。ふと磯崎が唯一日本建築で心を動かされた建物が東大寺の南大門であったことを思い出す。そしてあの豪快な形状が空中都市に繋がったことがヒントかもしれない。細さを消す。太さを面にする。少しスケッチは進みそうである。

広さ、長さ、高さ

On
by 卓 坂牛

朝から来週末のワークショップで発表するための打合せ、うっ、なんだこれ?2週間でこれ?何してたの?なんて問い詰めたところで何かが進むわけでもない。仕方なく一緒に考える。もう小学生の先生みたい。最初の直感は面白いのに、そこから展開する力が無いのか、単に時間をかけてないのか?ワークショップに魅力がないのか遠くて面倒臭いのか?信大に来た当初はこんなの見たら烈火のごとく怒っていたのだが、最近だんだん慣れてきてしまった。教師失格?
午後のアサマに乗る。社内で読みかけの『磯崎新の都庁』を読み続ける。磯崎さんは僕等から見れば能力はもちろん天下一品としても仕事に恵まれたラッキーな人だと思っていたが、この自伝のような本を読むと、それなりに苦労されているのを知る。変な話だが、スーパースターの苦労話は自らを勇気付ける。事務所に戻り様々報告を聞く。k-projectの確認の疑義が役所から届いていたが、瑣末なものでほっとする。坂本昭さんから本の御礼で感想のお手紙と大阪の菓子が届いていた。スタッフと食す。美味である。こんな丁寧な対応をしてくれるなんて本当にありがたいいことである。夕食を食べてから、来月頭に行なう女子高校生を対象としたワークショップのパワポを作る。善光寺宿坊に一泊させて、一日目は東山魁夷館を見せて二日目は善光寺を見せる。宿坊でレクチャーするのだが、一枚目は「建築は何で出来ているの?」と言うタイトルにする。大学時代の教科書だった学会の「構造用教材」を探したら奇跡的に雑誌の間から出てきた。組積造と木造から何故鉄骨やrcが発展したのか、その理由を探していたら日建の小堀さん編著の本『広さ、長さ、高さの構造デザイン』建築技術2008が目に留まる。これだな。広さ、長さ、高さ、この人間の欲望と要望が鉄とrc発展の原動力。そういうストーリーは高校生には分かりやすかろう。ちょっとお借りします。

合理性

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by 卓 坂牛

修論ゼミを終えてあわてて昼食。休む暇なく午後の製図。製図の授業は5回休むと不受講というルールがあるのだが、逆に5回休んでもよいものと捉える学生もいる。確かに製図は成果物勝負なのだが、3年生でエスキス受けずにいいものが作れるなんてケースは先ずあり得ない。今週の長野は蒸し暑い。夕食後しばしスケッチ。『ファッションと身体』第五章ファッションとジェンダーを読む。ヴィクトリア朝時代、ファッションでは男女を問わず、不要に体を抑圧するもの(コルセット、堅いカラー、きついベストにジャケット)は「非合理的」として批判されたと言う。建築ではゴシックが評価されていた。それはゴシックの構造合理性によるとも言われている。19cも理性の時代(the age of reason 18c)だったということか?

恥かしい

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by 卓 坂牛

朝一で会議。午後講義。そしてゼミ。ゼミの最後に即日設計。2時間で住宅。これまで住宅の図面を暗記させてきて、少しはその効果を期待したが、甘かった。まだまだ寸法がめちゃくちゃ。特に駐車場と階段は殆ど全滅である。先ず車の寸法があまりにいい加減。3メートル×2メートルなんて平気で書いている。3メートルの車って何?その上超絶技巧をこらして壁とのクリアランス10センチで車庫入れしてもドアが開かない。つまり人は出られない。階段はのきなみ2メートルしかない。全長2メートルの階段って梯子じゃないんだから登れないだろうそんなもの。まあ他にも赤ちゃん用の6人がけテーブルとか、奥行き1メートルの流しとか、はば50センチのトイレとか、まああげだすと笑っちゃうもの連発である。一晩酒無しで楽しめそうである。車のサイズを知らない建築家の学生ってドレミファを歌えない声楽科の学生のようなものだと思うのだが。ちょっと恥かしくないか?
飯を食って事務所からのメールをチェック。新しい仕事のスケジュールを見ながら、まあこれでやるしかない、と腹をくくる。案が出てくるだろうか?一抹の不安。いつもは、どこかで何かが出てくだろうと高をくくっているのだが今回に限ってそういう確証の無い楽観主義に立てないでいる。まあそんなペシミスティックになっても仕方のないことだが。

常識

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by 卓 坂牛

7月6日
朝日が山裾から昇るのを見たく5時半に起きる。その日の出の場所を確認したかったが雲が邪魔して見えなかった。朝食前にもう一度敷地周辺を見て回る。隣地の保養所や電信柱が視界をさえぎる。なかなか方向性の見つけにくい場所であることを再認識。朝食後空港まで車で送っていただく。昼ごろ帰宅。昨日、今日のおもてなしの御礼をしたためる。その昔、林昌二さんにとある件で礼状を書いておいてくよう言われたことがある。投函前にその文面を真っ赤にされた。礼状の書き方を教わった。「人に何かを頼まれたら断ってはいけない。人に何かをしていただいたら御礼せよ」と当たり前のことを再三言われた記憶がある。若い頃はなんと小うるさい舅のような人だと思っていたが、そういうことはやはり必要なのである。彼は建築もうるさかったが、それ以外も(いやむしろそれ以外の方が)小うるさかった。でもそれらは単なる常識ばかり、その常識から逸脱すると怒られたものである。九州からの機内で読み終えた『裁判の秘密』の中で裁判官とはオタクばかり、裁判とは常識で人を裁くことであるはずなのにその裁く側に常識人が少ない。法の番人としてのプライドばかり高いと書いてあった。建築家という人種も下手をするとそういうプライドがこびりつきやすい。「先生」と呼ばれることの多い職業はそうした陥穽が待ち受けている。その意味でも林さんの教えは有難い。
夕刻少し早めに家を出て長野に向かう。社中平松剛『磯崎新の都庁』文芸春秋2008を読む。著者は木村俊彦事務所出身の構造設計者であるが、ノンフィクションライター顔負けの筆力である。

胃が痛い

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by 卓 坂牛

7月5日
9時40分発JAL大分空港行きに乗る。11時10分くらい着陸態勢にはいり降下。厚い雲の中に突入。後少しで着陸という瞬間にエンジンがフルスロットルで機体は急上昇を始める。再び機体は雲の上。しばらく水平飛行を続けたところでアナウンス。「大分空港は急激な天候悪化のため滑走路が確認できず着陸を断念。福岡空港に着陸します」とのこと。大分空港で初めてのクライアントと会うはずだったのに。しかし実は福岡から高速バスんで大分まで100分。最終目的地を考えるとこれでも良かったのかもしれない。高速バスを降りたところに迎えの車がきており、クライアントの保持する会員制のホテルに。ここはレセプション棟にレストランラウンジ等があり、宿泊室は離れになっている。この会員制ホテルの周りに分譲別荘の敷地が数十あり、その中には大手企業の保養所もある。その別荘地の中に、別荘のモデルハウス機能をそなえたゲストハウスを作ろうというものである。
敷地を見ながらいろいろ話を聞いていると、こうしたゲストハウスが必要とするホスピタリティについて遥かに僕より経験が豊富であることが分かる。かつてこうした埋めきれない経験の落差を感ずることが数回あった。先ずは日建入ってまだ若かりし頃のことである。日建のクライアントである企業は担当者が営繕20年というような人ばかりだった。全然経験が違うのであり、こっちの言っていることなどまるで厚みがない。自分の主張などまるで役立たずだった気がする。次はこちらも少し建築的経験が増し、建築の話なら負けないと思えるようになった頃に出あったスポーツウエアメーカーの社長。ここの社長は自らの指導で志賀高原にホテルを作った。このホテルは文化人の溜まり場となっている。僕は先ずこのホテルに泊まらせられた。そしてその後の設計現場においては材料、空間に関してそのオーセンティシティを徹底的に説かれた。今回のクライアントも同じ。京都俵屋に20年間通うというこの方はこの会員制ホテルの拘りを切々とを語ってくれた。このホテルはスーパーゼネコンの設計施工なのだが設計者はさぞ大変だっただろうと想像する。しかし次は自分の番である。
ゲストハウスに寄せるクライアントの要望は「重厚で、斬新で、周囲のスーパーゼネコン設計の建物に負けない」ことである。こんな仕事ができて嬉しいような胃が痛いようなである。

真夏日

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by 卓 坂牛

午前中早稲田での講義。今日は学生の発表である。独り10分の発表だけど面白いなあ。理系の学生だとこんな風にはいなかないような気がする。もちろん僕のテーマが建築の社会構築性だから自ずと話は理系的にはならない。だから文系の学生の方がはるかに自分の専門分野にひきつけて理解しそれを昇華して発表できるわけだ。更に言えば彼等の引っ張ってくる参考文献が楽しい。僕の知らないようなものもいろいろ登場する。こちらも勉強させていただいている。更に、彼等が2年生だということを考えるとそのプレゼンはなかなか堂に入っている。誉めすぎかもしれないが、安い講師料を補うだけの教える手ごたえを感じる。
午後事務所に戻るとすぐにクライアント来所。額に汗をにじませながらフーフー言って入ってきた。今日は32度。いきなり真夏日である。今日に限ってスタッフもパートナーも11人全員いる。クーラー全開でもまだ暑い。クライアントが買ってきてくれた高級アイスクリームを皆で食す。ありがたいお土産である。

申請

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by 卓 坂牛

朝から図面の赤入れ。電気図のスイッチングに赤を入れる。終わって申請図のチェックリストなるものにチェックを入れる。このチェックリストは目黒区では提出を義務付けているようなのだが、43ページもある。こんなの見るのは建築家人生で初めてだ。一体これは法改正に伴うものなのか?目黒区の伝統なのか?基準法の殆ど全ての項目が書かれているのだから分厚いわけである。まあいい加減な申請書が多いからちゃんとやれよということなのだろうが、面倒臭い。しかしそのおかげで、久しぶりに基準法をよく読んだ。読んだのはいいが時間は過ぎる。結局提出は明日に持ち越し。
夕刻クライアント候補から電話をいただく。九州のある場所にゲストハウスを作りたいとのこと。土日で行くことにするのだが、飛行機の予約というのは最近したことが無い。ネットでこわごわしてみたが、これで切符を本当に貰えるのだろうか?
帰宅後娘の英文解釈に付き合う。理数科目は忘れているので難しく感じるが、英語はその点楽である。中学の英語ってこんなもんだったっけ?
ベッドに入り山口宏『裁判の秘密』宝島社2008を読む。いやー目から鱗、裁判官とか弁護士とかってこういう人たちなのか!!とうなる。まあ僕等にはこう言う正義の味方にはある種の幻想を抱いているのだが、それを思い切り裏切ってくれる。きっと医者の秘密とか建築家の秘密とか誰かが書くと業界外の人たちは皆驚くのかもしれない。

構造

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by 卓 坂牛

大学院の講義。今日のテーマはストラクチャー。『言葉と建築』に登場する言葉は基本的にモダニズムに多用された言葉である。つまり空間とか機能とか。例えば、「空間」は一見昔から建築の重要な概念と思われがちだが、実は重要になるのはゼンパー以降。建築にとって壁と壁の間はどうでもよかったのである。重要なのは壁についている装飾であり、ステンドグラスだった。機能がモダニズム以降の概念であるのは言うまでも無い。しかし、構造と言うのはちょっと違うのではないか??建築である以上構造無しには作れないものではないか!それがモダニズムまで存在しなかった言葉というのはどういうことだ??ちょっと不思議である。最初にこの本を訳す時にそう感じた。しかし読んでみればなるほど、それまで建物の重力は経験と勘で地球に伝えられていたに過ぎない。構造を構造として自覚的に認識したのが近代であり、それを促したのが生物学だったという訳である。
夕刻大学を後にしようと思ったのだが景観賞の予備審査書類を送っていないのに気付く。あわててFAX。アサマ車中に方々からメール。携帯の返信は慣れない。東京駅でちょっと丸善に。その昔絶版で、四ツ谷図書館でコピーしたロックの『人間知性論』が復刻されていた。岩波文庫でももこういうことがあるのか。しかしこの本全四巻。なかなか重い。でもこう言うときに買っておかないと無くなるものである。その他メディア、写真、中国でのエコタウン計画に備え、ssd(sustainable site design)の本など購入宅配。

快晴

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by 卓 坂牛

7時半のアサマに乗り研究室には9時ちょっと過ぎに着く。長野は快晴気持ちがいい。今日はゼミ。欠席一名。4人発表。12時半に終了。学生にお弁当を買ってきてもらい研究室で食べながらメールへの返信。1時から3年の製図。少しづつ前進しているのかな?面白いものは面白いしよく考えられている。しかしその量は少ない。製図の後学科長と一級建築士の受験資格問題を話す。やらなければならないことが多々あるものである。夕食後製図室に顔を出し4年生の製図を見る。昨日まで2分の1とか5分の1のスケッチをしこたま描いていたせいか学生の図面が図面に見えない。不動産屋のチラシか?200分の1の内容を50分の1で描くのはもうやめにしないと。4年生なんだから。
部屋に戻り『ファッションと身体』を読み続ける。やっと4章。ファッションとアイデンティティ。この話しになるといつも登場するのがジンメルの模倣と差異化の理論。しかしこれは現在でも通用する。普遍的である。昨日の睡眠不足のせいか10時半だがちょっとくらくら。