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by 卓 坂牛
9月10日
九州プロジェクトの構造打ち合わせで金箱さんと担当の田村さんが来所。この建物は住宅のようなものなのだが空間が大きい。階高もスパンも大きい。大空間の建物ならそれなりの部材のディメンジョンを受け入れられるのだが、住宅だと思うと少しずつ大きい。梁せいも一番大きいものは900である。柱も6寸なんて寸法が少なからず出てくるのである。はじめての寸法がばかりである。心配なのは、お金と施工。こんなことも一度やってしまえばそれまでなのだろうが。まああわてず騒がず。
オープンデスクの竹森君は明日までだが明日は会えないので夕食を一緒に食べに行く。四谷三丁目名物激辛ラーメンへ。辛いのは平気というので、激辛3番を勧める(激辛は5番まであるので3番は真ん中である)。しかし登場したのは血のように赤いスープ。一口飲んで咳きこむ竹森君であった。事務所に戻り明日持っていく模型の撮影などなど。本当は持っていきたい模型が山のようにあるのだが、流石に飛行機でいく限り持っていくものには限度がある。その昔シンガポールのコンペで隔週、シンガポールに巨大模型を運んだことを思い出す。あの頃はいろいろと航空会社に無理行って模型をギャレーに置いてもらったりしたのだが。普通のチケットではそれも限度があるだろう。家に帰って模型を鞄につめかえたり。いろいろ大変。
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by 卓 坂牛
世の中で起こっている様々な事象には常に原因がある。つまり身の回りのあるいは自分自身の行動から精神状態にいたるまでそれらは因果関係の連鎖の上にある(場合が多い)。とするならば、そこには私の意志が介在する余地があるのだろうか?つまり私の自由というものが存在するのだろうか?まだ読み始めたばかりの『自由の条件』(大澤真幸)はこういう問題提起で始まる。クライアントの家への生き帰りこの話を読みながら、妙に納得する。建築家の仕事はかなりの部分が自由な創作だと社会的には思われているかもしれない。しかし大澤の言うように、それが大きな因果関係の連鎖の中にあることは明らかである。私とは何なのか?
午後九州プロジェクトの設備の打ち合わせで九電工が来社。図面作成スケジュールを打ち合わせる。夕刻k-projectの打ち合わせで宗田工務店の宗田所長、大工さん、材木屋さん、プレカット屋さん、金箱事務所の松原さん来所。最近の仕事は中国工場も含めて、まともな施工図が上がってこない。とにかくどこもかしこも目を覆いたくなるような体たらくである。それに比べて、宗田さんは徹底して自分で施工図を書いてくれるし、段取りよくこうした打ち合わせが実りある。ありがたいことである。クライアントの理解と施工者の技術があるレベルに達したとき、初めて設計者には自由が生まれる。
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by 卓 坂牛
浅草観光文化センターの改築がコンペになった。六角さんが審査委員長である。浅草の雷門のはす向かいにある建物なのだがまったく記憶にない。少なくとも年に数回は訪れる場所なのだが、、、それだけ現在の建物は特徴がないということだろう。もともと銀行の建物を区が買い取ったらしく銀行と言われればさもありなんという外装である。建物をチェックしに浅草に行く。平日の午後の浅草は閑散としていると思いきや、仲見世は結構な人である。歩いているのは中国人観光客が多い。もちろんそれ以外の国の観光客もかなりいる。仲見世と垂直に走るアーケードを突っ切り縦横無尽に歩いてい見る。断片的な浅草のイメージが少しづつつながった。浅草寺に出たところでおみくじ。「凶」である。コンペをやめろという天の思し召しか?
それにしても雷門あたりから見える、アサヒビールのオフィスとビアホールはかなりシュールだ。台東区と墨田区が河をはさんで対決しているような、、、アサヒビールの本社ビルがビールの液体と泡を模したデザインだと聞いたら観光中の西洋人は驚くだろうなあ?そんなジョークで伝統的な街並みを破壊していいのか?でもこれが日本なのだろうとわけのわからぬ自虐的な諦観に吸い込まれていく。夕刻人に会いその後帰宅。大澤真幸『自由の条件』講談社2008を読み始める。こういう厚い本は最近苦手である。厚い本を持続的に読む元気がないというわけではなく、厚い本を持ち歩く体力がないのである。
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by 卓 坂牛
義母の13回忌があり白金の覚林寺に行く。かみさんの兄弟、子供と会う。いつも暑い季節である。今日も暑い。毎回少しづつお坊さんの読経が上手になるように感ずる。焼香の時の木魚と鐘の響きが心地よい。墓を洗い卒塔婆を建て焼香し寺を出て裏の都ホテルで食事。別に大したものを頼んでないのにゆっくり出てくる。酒も飲まずに2時間もかけてリラックスした食事である。ホテルの車で目黒に出る。新宿を回り買い物をしてから帰宅。
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by 卓 坂牛
午後一で九州プロジェクトのクライアントと打ち合わせ、赤坂の事務所に向かう。お盆明けに打ち合わせする予定だったが忙しい人で今日まで延びていた。打ち合わせ開口一番「今日はどのくらい時間が取れますか?」と聞くと「1時間」という。それでは終わらないと思いつつ山積みされた議題を次から次に話す。話すそばからクライアントの社長は横道にそれていく。それをもとに戻し内容の確認をする。たびたび秘書がやってきては社長は席を離れる。その間、社長の部下に説明をするが、結局社長がもどると再度同じ説明となる。1時から始まり、当初予定では2時までだったが、こちらの内容が多いということにも気を使ってくれたのか3時まで打ち合わせをして終了。来週は九州まで追っかけて打ち合わせ。日程を決めてお暇。
この仕事は打ち合わせごとに精力を搾り取られるような感じである。ああ疲れた。夕刻事務所にいたスタッフを誘って夕食を食べに行く。四谷駅と事務所の間くらいに「若葉」という有名な鯛焼き屋さんがあるのだが、その前にタイ料理屋があるという。今まで若葉の鯛焼きは数回買ったことがあるがこのタイ料理屋には気がつかなかった。ちょっと甘めだがタイ人ばかりでやっているようでなかなかいける。
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by 卓 坂牛
午前中k-projectの地鎮祭。ここ数年地鎮祭をするクライアントがいなかったので(中国ではそれらしきことをやったようだが僕は出席しなかった)久しぶりである。今日の神主さんは低音でヴォリュームも低め。暑い日にはこのくらいがちょうどよい。
既存家屋と緑で敷地の全貌が見えなかったのだが、解体してみると改めて都心の一等地にしては広い場所だということがよくわかる。角地であることに加え、区の緑化条例でコンクリートブロック塀を撤去するよう指導されているので更に視認性の高い場所となるだろう。ということは建物もよく見える。緊張するな。
午後は事務所で粛々と仕事。明日のプレゼンに向けて照明計画をまとめる。スキャナーをコピー室から拝借し、昨日描いたパース、色塗りした平面、カタログをスキャン。イラレでA3、2枚のシートにまとめる。
夜模型の進捗その他打ち合わせ資料の内容を見る。自分の思い入れなのか、作りこみなのか、ディテールの問題なのか分からないがちょっと前まで希薄感が否めなかったのだが少しずつ詰まってきたように感ずる。
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by 卓 坂牛
9月4日
朝「ヤマ」(住宅)を訪れる。しばらく話をして11時ころ事務所にもどる。午後は九州プロジェクトの照明計画を練る。照明計画を練る時はいつもいったいこの建物のコンセプトが照明で表せるのだろうか?と考える。今回は何か?ひとつは原初性。たてものがとてもプリミティブだからそれを照明も表したい。もうひとつはテラスが大きい計画なので内部と外部の連続性を照明が補強するような計画にしたいという2点である。天井の高い場所が多いの難しい場所も増える。久し振りに各社のカタログを見たのだが、まあ器具がデザインを鼓舞するようなところまではいかない。
夜10時ころ竹中でバイトをしている研究室の工藤さんが遊びにきた。遅めの夕食を一緒にする。竹中は明日で終わりだとか。
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by 卓 坂牛
突如戻った夏。炎天下リーテムに打ち合わせに行く。中国工場の仕上げ材料を決めるため社長との打ち合わせ。中国から持ち帰った素材と模型写真を前に議論。外装材のほとんどは決まった。ほっとする。内装材も概略見えてきた。あと数回は建材市場に通わねばならないだろうが、方向性は出ただろう。打ち合わせが終わると4時。今日は朝から何も食べないままに夕方になってしまった。さすがに5時ころこらえきれずに食事をとる。その後九州プロジェクトのデザインの甘いところを詰めていく。1/30の模型を見ながら、家具、素材、構成を詰める。まだまだ時間がかかりそうである。見ていくとおかしな所がいっぱいある。帰宅後福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書2007を読む。竹内薫が現代人の必読書と帯に書いていたので思わず買った本である。
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by 卓 坂牛
9月2日
午前中は長野で会議。厄介な議題で座長の私としてはほとほと困り果てる。午後は大学の車で松本へ。ここでも会議。こちらは二人で座長なので気が楽だが、こちらは相手が多く各学部長である。それはそれで緊張する。終わって松本駅まで大学の車で送っていただく。松本の本部キャンパスから駅までは結構遠い。バスで15分はかかるだろうか。なんとか5時前のアズサに乗ることができた。車内では『影の歴史』を読み続ける。話はジョット、マザッチョ、フィリッポ・リッピ、デユーラー、ダ・ヴィンチらの影の描き方と続く。去年見てきた絵である。マザッチョのフレスコ画では、サンタ・マリア・デル・カルミネの窓の位置を考えて、その方向から入る光に合わせてフレスコ画上の影が描かれているという。フレスコ画ならではのテクニックである。夜事務所にもどる。僕の研究室の竹森君がオープンデスクで模型作製中であった。明日の中国打ち合わせ、週末の地鎮祭、施主打ち合わせの準備等について、各スタッフと打ち合わせ。
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by 卓 坂牛
事務所にいるときは比較的静かに作業をする習慣がある。打ち合わせの時以外は誰も話さず騒がずである。一番うるさいのはたまにやってくるメーカーの営業か、洋書屋のおじさん。夜の誘いに立ち寄る悪友も黙々と仕事をする雰囲気に驚いて帰る。用事で立ち寄るかみさんもまじめな空気に長居は禁物と、さっさと退散する。というわけで僕も必要最小限のことだけを口にする。一方大学に来るとなぜか事務所の数倍話すことが多い。それは事務所での欲求不満が爆発するからではない。大学ではとにかく人と会って何かをすることを集約しているからである。何かを考える場はここにはない。何かを聞いて発言したり、未決事項を決めたり、お願いをしたり、お願いされたり。会議、試験、面接、打ち合わせ、電話連絡、ゼミ、ワークショップ、などなどなどなど。事務所と大学ではジキルとハイドの差である!!事務所は思考の場。大学は生産の場になっている。普通は逆なのだが。