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Jan 2009

出来事

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by 卓 坂牛

朝一でk-project施主定例。色やら位置やら、クライアントの意向も気になる部分を説明して了解していただいた。今日は2階のトップライト下のFRPハニカムパネルの床が搬入設置された。光は無事このFRPを透過して1階の床まで届く。期待通りのいい光である。午後の打ち合わせで神田へ行く途中、品川で下車して原美術館に寄る。ジム・ランビーの縞縞を見る。http://ofda.jp/column/手作り的でクールに見えて泥臭い。ミュージアムショップに寄るとその昔見た、オラファーのカタログが売られていた。展覧会中はまだできてなかったそうだ。分厚く重いが充実しているので買ってきた。午後中国プロジェクトの現場報告。久しぶりに社長と会う。サステイナブルシティの仕事の可能性をいくつか聞かされるがまだどうなることやら。夜のアサマで長野に。車中、岡真理『記憶/物語』岩波書店2000を読む。この本を読むきっかけは誰かの本に引用されていた以下の文章が気になったから。
「<出来事>が言葉で再現されるなら必ずや再現された『現実』の外部に<出来事>の余剰があること。<出来事>とはつねにそのようなある過剰さをはらみもっており、その過剰さこそが<出来事>を<出来事>たらしめている」
この本を読んでみると、再現不可能な過剰を、しかし、われわれは再現して分有しなければいけないというのが著者の言わんとするところ。表現者とは常に表現すべきことの過剰性と戦うのであろう。しかし過剰性が再現不可能性を内在させているのであればこの矛盾と僕らはどう向き合えば良いのだろうか???続きは明日。

場所

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by 卓 坂牛

事務所でコンペの打ち合わせ。空いた時間に丸田一『「場所」論』NTT出版2008を読む。副題である「ウェッブのリアリズム、地域のロマンチシズム」というのがなかなか興味深い。参照している書物が既読のものが多く読みやすいかと思いきや、なかなか面倒くさい本である。副題が示す通り、没場所性の現代社会において、ウェッブ空間の中に生まれた記憶の故郷がむしろ場所性を持ってリアリティを持っているというのが著者の主張。しかし現実の場所が現実性を失い、非現実の場所が現実性を持つという著者の示すねじれ現象は理解はできるが、それほど確かなものとは思わない。地域のロマンチシズムは夢物語というわけでもなく、そこにはリアルで生き生きとした生活もあるものだ。でも我々がそうした二重の世界の中に棲息ているのは紛れもない事実であり、それを無視してローカリズムを能天気に表現するわけにもいかない。しかし、でも、僕らの職能は現実の中に再度場所性のリアリティを求めているのである。そしてその志向はどちらか一方しか受け入れないというものではなく、その二重性を許容しながらそのリアリティを模索するのである。もちろんその場所性は相互に影響されながら変容していくのであろうが。

建築論いろいろ

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by 卓 坂牛

大学で打ち合わせ、会議。センター入試の時は教員も携帯電話を試験室に持ち込むなと言われどこかに置きっぱなしにして見つからない。忘れっぽくなった。夕方のアサマで東京へ。車中ライザー+ウメモト著、隈研吾監訳、橋本憲一郎訳『アトラス新しい建築の見取り図』を読む。邦題は新しい建築だが、原題はAtlas of Novel Techtonicsである。Tectonicsだけあって内容はモノに即した構築原理である。フランプトンのそれを彷彿とさせる。隈研吾の解説によれば86年にチュミがコロンビアにやってきてペーパーレスアーキテクチャと称してコンピューターの中で完結する建築を模索した時にその周辺にいた人間が感じ取った新たな建築潮流の理論的結実だそうだ。モダニズムもポストモダニズムも単一のパラメーターの上に乗っており、結局は排除の思想。一方このアトラスは一つと言わず様々なパラメーターを認めようとするところが新しいということのようである。多くのパラメーターの大分類項目は幾何学とモノと操作である。難解な言葉の羅列で正直言うと。あまり細かい主張はつかめないのだが文章に付随するドローイングや写真が示唆に富んでいる。邦訳は最近出たが原著も2006年。しかしその思想的端緒は隈さんの証言では80年代。20年前である。僕が建築雑誌に記したとおり、80年代はポストモダン旋風であったが、その陰で複雑系やデコンの理論構築がなされていたのである。
東京駅丸善でラスキンの『近代絵画論』を買って帰宅。少しcontemplationと現代建築の言葉を考えたい。帰宅すると頼んでおいたヴィドラーの新刊Histories of Immediate Present が届いていた。カウフマン、ロー、バンハム、タフーリの論を分析したものである。そのポイントは、彼らのモダニズム史がモダニズムそのものを明らかにしようとしたのではなく、彼らの時代のデザイン(理論と実践)に向けて作られたプログラムであることを明らかにしようとしている点である。カウフマンはネオクラシカル・モダニズム。ローはマンネリスト・モダニズム。バンハムはフューチャーリスト・モダニズム。タフーりはルネッサンス・モダニズム。という具合である。こういうモダニズム史観を分析する本が早く欲しいと思っていたところである。遅きに失した感はあるが、とにかくやっと出た。それほどの大著ではないし、翻訳するには手頃でかつ意味がありそうな本かもしれない。

チェ・ゲバラ

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by 卓 坂牛

やっとセンター入試終了。これと言ったトラブルもなくほっとする。夕方から雨が降り出した。この時期長野で雨と言うのも季節はずれ。終わって近くのスーパーで夕食を買って歩きながら頬張る。家路を急ぐ受験生たちはほっとした表情である。数十年前に東京商船大学で共通一次を受けて友達と遊びに行ったのを思い出す。研究室で雑務。原稿を書こうかと思ったが、丸ニ日の試験監督の疲労。雨だが自転車でシネコンへ。レートショーで「チェ・ゲバラ28歳の革命」を見る。アルゼンチンで生まれたゲバラはブエノスアイレス大学で医学を学ぶも、南米を放浪し、メキシコでカストロに会い革命のためにキューバーに行く。マルクスもレーニンもカストロも裕福だったようだがゲバラも例外ではない。更にマルクスは哲学博士、レーニンは大学主席、カストロは弁護士、ゲバラは医者。革命家になれる人間とは経済的にも知性的にも、もはや自らに不足するものがないということが必要条件なのかもしれない。だからこそ他人の幸福に手が回る。
それにしても革命に参加するのが28歳、そしてハバナを制圧したのは31歳1959年。僕の生まれた年である。彼は自ら先頭を進み、負傷兵を助け、学を授けながら戦った。その語り口は(映画では)決して激しくはないが自信に満ちている。それは自らのコミットメントの深さに起因している。とても手が届かぬカリスマだが見習うこと多し。

考える時間

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by 卓 坂牛

考えてみれば、アクション映画の多くはカント的崇高の原理を多いに使って人をあっと言わせている。例えば最新007のオープニングの映像は海面すれすれのカメラで大海原のさざ波の無限の波頭を鮮明に映し出しその向こうに山の(島の)巨大な偉容を見せる。その山の岩肌だったか木々だったか忘れたがこの肌理の細かさも鮮明に映し出されている。その圧倒的な量感はまさに数学的崇高である。そしてすぐさま始まるカーチェイスは見る者に手汗握る恐怖感を抱かせる力学的崇高である。ところでこうした崇高のカント的解釈は『崇高の美学』桑島秀樹によれば、必ずしもそうした対象の力よって生ずるものではないと言う。それは発端は対象にあれども最終的にはそうした無限性を超えられないと判断する受容側の理性の内にあると説明される。しかるにジンメルはそうした理性側に根拠を求めず、あくまで対象の側に何かを見つけ出そうとする観察眼にかけていると桑島は説明する。どうもこのあたりから桑島の言わんとするところが僕には正確には分からないのだが、僕に引き寄せて勝手に解釈するなら、理性の限界でわっと驚いて手を抜くと人間の脳みそはそこで考えることをやめてしまう。そして適度な驚きに満足する。(アクション映画の爽快感はここからくる)。しかしもう少しその先をじっと観察してそれを言葉にしていく努力をするなら何かまた別の感興を発見できるかもしれない。もっと泥臭い、言葉にならないかもしれないような何かである。そこをもう少し考えていくと感性の発見へ一歩近づくのではないかと桑島はジンメルに掉さし言っているように思える。そしてその思いはとても納得がいくし僕もずっと考えていることを少し発展させてくれるように思う。では何をすれば良いのだろうか?先ずは辞書的な概念で語ることをやめるということがそのスタート地点ではなかろうか?そしてそれは比喩かもしれないし、感嘆詞かもしれないし、別のジャンルからの引用かもしれないし、ラブレターかもしれないし、味かもしれないし、手触りかもしれないし、、、、よくわからないけれどもう一度観察して努力する態度がトニモカクニモ必要である。それには多少時間がかかる。よく考える時間がいる。007的な受容側の心を巧に操作するようなプログラムに乗らされるとその場所には行けない。考える時間を生み出すプログラムが必要でありその果てに観察と言葉が生まれる。

ジンメルの山岳美学

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by 卓 坂牛

ニュージーランドに数か月滞在していた友人が帰国し午前中長電話。彼が昨今の世界情勢を見ながら「世界の進歩は止まってしまったのだろうか?」と言うので思わずフランシスフクヤマの『歴史の終わり』を思い出してしまった。対立する思想の弁証法的な展開によって進歩してきた世界は冷戦終結によってその2極構造を失い、もはや進歩の歴史が終わったという話。これからの世界は明確な目標のない時代であり個々の倫理と誠実な気概のみに誘導されるのだと思う。
夕刻のアサマで長野へ。車中桑島秀樹『崇高の美学』講談社選書メチエ2008を読む。ジンメルのアルプスをめぐる山岳美学はとても興味深い。先ずは山を「形式」と「量」、ある時は「テクスチャー」も加えて観察をする。僕の部屋では数年前から「質料」、「形式」に着目した山と建築の観察を試みており、それは独自の見方だろうなんて高をくくっていたがやはりヨーロッパにはこんな論考があるわけだ。さらに、ジンメルによれば「アルプス」は「量」の再現不可能性によって芸術対象にはならないという。そしてそれゆえにそれを崇高と呼びうるのだと。そして先日の山岳シンポジウムで紹介されていたセガンティーニ(Giovanni Segantini 1858-1899)のようなアルプス山岳画家は技術によってアルプスが本来持っている表象不可能性を回避していると言うのである。http://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ec/Giovanni_Segantini_004.jpg&imgrefurl=http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Giovanni_Segantini_004.jpg%3Fuselang%3Dja&h=1042&w=2048&sz=206&tbnid=QmdQOM9E7h4yBM::&tbnh=76&tbnw=150&prev=/images%3Fq%3DGiovanni%2BSegantini&hl=ja&usg=__RBeMcNQNufZHivXlMTLSJas6Ofs=&sa=X&oi=image_result&resnum=1&ct=image&cd=1。志賀重昂『日本風景論』における日本山岳の崇高性の困難を濱下は指摘したが、アルプスの崇高論を前にするとそれは確かに大人と子供の感がある。

建築論

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by 卓 坂牛

朝一で現場。内装家具の工事がどんどん進む。家具がはいると空間のスケール感がぐっと変わる。来週からは塗装の下地に入る。四谷までもどり昼をとって南洋堂に。昨今の建築論について原稿を頼まれたのだが、一体日本に建築論があるのだろうか?目についたのは建築論と言うよりは藤本、石上、乾さんたちのコンテンポラリーアーキテクツコンセプトシリーズ。乾さんのは既に読んでおり大いに刺激的だったので残りの2冊を書架から取る。加えて、ライザー+ウメモトの『新しい建築の見取り図』他10冊ほど購入。打ち合わせに行く電車の中でぺらぺら、帰って事務所で続きを読んでみた。面白い。その面白さは原稿の一部に組み込みたい。彼らの建築は建築外の何かを参照しようとなどとせず、徹底して建築のど真ん中から考えているところが特徴だ。そこがとっても清々しい。素直にこちらの府に落ちる。夜コンペの打ち合わせ。なかなか簡単には進まない。

武見太郎

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by 卓 坂牛

研究室でコンペの打ち合わせ。そし4年、m2の梗概を集め読もうと思ったが、会議、会議。その間に一つだけ読む。夕刻は今週末のセンター試験監督者説明会。受験者数は変わらず、教員は毎年減るから今年は教員総出である。夕方終わってアサマに乗る。車中水野肇『誰も描かなかった日本医師会』ちくま文庫2008を読む。日本医師会には27年会長を務めた武見太朗という人物がいる。僕が生まれる2年前、昭和32年から僕が大学3年になった昭和57年まで会長を務めた。けんか武見といわれ常に厚生省と大喧嘩をしながら医師の立場を守った人間である。業界の利益や働きやすさを求めて国とけんかをした。当時はよく分からんオヤジと思ったものだが、この本を読むと彼のおかげで医師はだいぶ救われたのではないかと思った(もちろん27年も殆ど専任でこうした会長職を務めれば裏で何が起こっているのか定かではないが)。因みに武見の義理の叔父さんは吉田茂だとか、若いころから政治家とはなじみがあったようだ。加えて役人負けない勉強を怠ら無かった。だから役人と渡り合えたのだろう。建築界にも武見がいれば、、、とつくづく思う。数年ごとに名誉職のように入れ替わる学会会長や家協会会長なんて不要である。武見は医療業界の利益のために厚生省にさまざまな要求をねじこんだという。国交省の役人に一歩も引かぬ知識と知恵を蓄える努力を怠らず、政治的腕力をもち、そして四半世紀戦い続けられる男は現れないものか?彼はほとんど専任で会長をやっていたように見えるが、生涯銀座にクリニックを持っていたそうだ。保健医療はやらず、「好きなだけ置いてけ」というクリニックだったとか。それも戦う武見の頑固なポリシーなのだろう。
帰宅すると谷川渥先生より『シュールレアリスムのアメリカ』みすず書房2009が届いていた。ありがとうございます。久々の書き下ろし。10年越しのテーマの渾身の一冊である。ちょっと襟をただして時間のある時に一気に読みたい。

the sublime

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by 卓 坂牛

リノヴェーション特集のTOTO通信が届きぺらぺらめくってみるとなかなか痛快な建物が載っていた。ぼろぼろになったコンクリートの豚小屋を改装して住宅にしている。その方法がいかしている。朽ちた屋根を取り外し、コンクリートの殻にはまる木の家を工場で作ってきてそれをクレーンで釣って中にはめ込み、薄い屋根をかけるというもの。朽ちたコンクリートの外皮と中の新しい木造の小屋の間の隙間数㎝が旧と新の明確な対比を生む。さらに旧と新の異なる機能が生み出す(たとえば豚に必要な窓の位置と人間に必要なそれは異なる)使い勝手のひずみが新たな発見を生む。これは始めたばかりの大多喜町コンペのヒントになりそうな。事務所で打ち合わせを終えて壊れたプリンターを修理に新宿ヨドバシへ。修理のついでに冷蔵庫のような長野の家用パネルヒーターも買う。
9時半のアサマに乗り車中読みかけの濱下昌宏『主体の学としての美学』の続きを読む。今日は志賀重昂『日本風景論』。本書の中で志賀は「跌宕」という言葉を使ってthe sublimeに相当する概念を示そうとする。現在の言葉なら崇高であろう。著者濱下はここで日本に本当に崇高なる風景があったかを検証するために中国人留学生の『日本論』を引用する。そして中国人の目から見ると日本趣味は崇高、偉大、幽雅、精緻という観点からすると前二者に対し後二者が豊かであるとしていることに注目。そして志賀が日本風景に崇高を見ようとするその姿をナショナリズムの発揚と捉えるのである。なるほど確かに、世界的に見て日本の風景に崇高を見ようとするのには無理があるという著者の見解には賛成である。日本には山がないとこの間来たスイスの建築家は言っていたが、水平に伸びる日本の山はヨーロッパアルプスと比べてその垂直性にかなわず、水平性においては大陸的なオーストラリアやアメリカの岩山にかなうはずもない。別に大きさを競うわけではないが、崇高はある意味で相対的な概念であろうから、一度それ以上大きな(水平的にも垂直的にも)ものを見た目にはもはやそうした表象は生み出さないものである。

成人の日

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by 卓 坂牛

朝から学内で使うパワポを作っていた。20分話すから20sheets。午前中に終わるかと思ったが2時ころまでかかった。その後、今日はどこにも行かず家にいた。家族は皆どこかに出かけたおかげで僕はのんびり静かな一日である。犬飼隆『漢字を飼い慣らす』人文書館2008を読んだ。年初から古典づいている。特に松岡正剛の「仮名の発明は日本の最大の発明」という言葉の影響が大きい。この本も日本人が日本の字を持たず、漢字を使って日本の発音を表記してきた歴史を綴っている。改めて複数の字体と、多様な発音(音読み訓読み)を駆使してきた日本語に恐れ入る。そしてわれわれはその昔から外来語(漢字)を変化させて自国のものとしてきた国民であることを再認識。カタカナ語が氾濫する現在の日本語は伝統なのかもしれないと妙に納得してしまう。夕食後、濱下昌宏『主体としての美学―近代日本美学史研究-』晃洋書房2007を読む。「美学」という翻訳語を作ったのは「哲学」という翻訳語を作った西周。因みに慶応や芸大で美学の講義をしていた森鴎外の訳語は「審美学」だったとか。
夕刻、高校サッカー決勝戦最後の10分をテレビで見た。鹿児島の高校にジャパン級のストライカーがいたが広島の高校が初優勝した。1点リード後、相手陣奥でのボールキープが巧である。高校生は上手くなった。
そう言えば今日は成人の日。夜、「爆問学問」に糸井重里や立花隆が登場し、自分たちが大人になったと感じたのは40過ぎだったと言っていた。さてそう言われると自分はと考えてしまう。うーんそんなことは考えたことも無かった。もちろん成人式など出る気もなかった。これは難問だ。就職して最初の給料をもらった時か?結婚した時か?子供が生まれた時か?事務所を作って給料を払った時か?と考えてみたが、どこかの時点で自分が大きく変わったという意識がまるでない。いいことか悪いことか分からないけれど、その意味ではまだ子供。モラトリアムと言って学生を責めることも当分できないかも?