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May 2009

電話、電話

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by 卓 坂牛

電話、メール、会議、電話、メール、講義、電話、メール、打ち合わせ、今日はかける電話もかかってくる電話も多い。合間を縫って五十嵐太郎、菅野裕子『建築と音楽』NTT出版2008を飛ばし読み。建築の比例と言えば、ヴィトルヴィウスしか知らない私には音楽的比例との相同性は刺激的である。しかも中世もルネサンスもそして近代もである。夜は建築学科2年以上が全部集まった飲み会。

良いこと悪いこと

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by 卓 坂牛

最近すっかり休みの日のジョギングが習慣化した。去年も季節のいい今頃同じように「休みジョギング」を始めて体力が付いた気になった。そして調子にのって学生とサッカーやってぷっつりとふくらはぎの筋断絶をおこした。今年はサッカーはやるまい。
朝飯食べてメールチェック。最近とんでもない量の外国からのスパムメールが飛んでくる。なのだが、そうした中に時たま、外国雑誌の取材や、友人からのメールも紛れている。邪険に捨てることができない。今日はアルゼンチンのブエノスアイレス建築美術館http://cfm.socearq.org/seccion.cfm/s.6.htmのキュレーターからのメールあり。今年の9月10月に日本建築をテーマにした展覧会をするとのこと。内容はミノル・ヤマサキが半分そして残り半分が日本建築の近作だそうでそこへ出品してほしいとのこと。なんと嬉しい話ではないか。しかし9月開催にしちゃのんびりしている。まあデーター送るだけだからこんなものか?
昼頃中国のナカジと電話で会話。現場で結構悩ましい問題発生。1時間以上電話会議。うー胃が痛いわい。いいことがあると必ず悪いこともおこる。最近はどちらかというと悪いことの方が勝っているような気がす。午後事務所で打ち合わせ、スケッチ。夜長野へ、車中読みかけの倉橋透、小林正宏『サブプライム問題の正しい考え方』中公新書2008を読む。先日nhkのドラマ「ハゲタカ」を見てその後、nhk特集で投資銀行の大物数名のインタビューを聞き、もう少し正確にこの問題を知りたくなった。返済能力があやふやなサブプライム層に高金利であるいは当初固定低金利で後に変動金利へ転換するローンを大した説明もなく貸し出したそのやり方は日本で言えばサラ金ではないかと思ってしまう。そう言う理解をしてはいけないとこの本で警告を鳴らしているのだが。僕のローンもそう言えば当初10年固定、そしてその後変動である。末恐ろしい。

誕生日&母の日

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by 卓 坂牛

朝方軽くジョギング。今日は天気がいい。上智大学の周りには人だかり。礼拝の人たちだろうか?ニューオオタニの前を通りファサードが全面ガラスにリニューアルされているのに気付く。これは日建の設計だったか?朝食を食べてからスケッチしたり調べ物したり。午後八潮ヘ行く。アメリカ帰りの槻橋氏、小川、曽我部、寺内氏との座談会。雑誌用なので写真を撮られながら2時間近くしゃべる。町づくりの話になって、『言葉と建築』CONTEXTの章を思い出す。その中でもT.S.エリオットの「歴史のセンスとは過去の過去性だけではなく、過去の現在性をも知覚することである」という言葉を披露。会場の都合で座談会は5時に終え、駅前のカフェで特集全体のテーマについて議論。1時間話したが決まらず各自の宿題となる。
腹も減り軽く一杯誘われたが、今日は娘の誕生日。誘いを断り帰路につく。四谷駅で誕生日ケーキを買おうと思ったら、ラウンドケーキはすべて母の日用になっている。正確に言うとその母の日ケーキはラウンドではなくハート型であるが。そしてその上にメッセージ。ピンクハートチョコに白字で「お母さんいつもありがとう」と書いてある。このケーキを誕生日用に変更できるか聞く。ピンクハートの代わりにHAPPY BIRTHDAYプレートを載せられますと言う。「それでお願い」と言って直ぐに、いつも「かみさん」を「お母さん」と呼んでいるので、この際ピンクハートも載せたままでいいだろうと心変わり。ピンクハートとHAPPY BIRTHDAYプレートの両方が載ったよくばりケーキが出来上がる。
夕食後にこのケーキを食す。3等分して食べるのは面白くない。3方からフォークで好きなところを好きなだけ食べようと言うことにする。なかなかワイルドな食べ方である。ハートケーキは3方から突き崩され激しく変形した末に跡形もなくなった。

早稲田

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by 卓 坂牛

午前中早稲田の演習。朝少し早めに行って、ミルクコーナーでカプチーノとクロアッサンを買い頬張る。金曜日の10時10分くらいは文学部キャンパスにあまり人はいない。早稲田の非常勤の控室はとても広い。非常勤の先生が多くいるからなのだろう(だいたい僕みたいのまでいるのだから推して知るべし)。同じ教室の1コマめの先生が鍵を返却してくれるまでこの部屋で待つことになる。文化構想学部のシラバスを初めて眺めた。まあ工学部じゃや考えられない分厚さ。ペラペラめくるとその講義タイトルの豊富さに目が回る。そして講師の量も凄い。おや、永江朗なんて人も先生じゃやないか?何やってるの?出版文化論、ジャーナリズム論などである。誰かが早稲田のオープンスクールや東大の教養は良くできたカルチャーセンターだと言っていたが、確かに各界の有名人を多量に呼んできてレクチャーさせるという意味ではよく似ている。カルチャースクールと違うのは報酬が低いことくらいである。それでも人が集まるのは大学の名前がなせる業である。
午後事務所で打ち合わせ、スケッチ、打ち合わせ、夕刻事務所を出て横浜へ。信大准教授の北村明子先生が自ら出演され、振り付けされたダンスが組み込まれたオペラを見に海の前の県民ホールへ。一柳慧:作曲、辻井隆:台本「愛の白夜」なるオペラである。なかなかべたなタイトルでかつ内容もクリシェオンパレードなのだが結局感動した。これはしてやられたという感じであるhttp://ofda.jp/column/。7時半開演なので終わったら10時近い事務所に戻ったらまだたくさん人がいた。半袖姿が多い。熱気ムンムン。

登録更新

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by 卓 坂牛

事務所登録の更新通知が先月来た。会社の登記簿だの納税証明書だのが必要で、税務署やら法務局やらスタッフに駆けずり回ってもらってやっと今日終わった。5年に一度今回が2回目だから事務所を作ってから満10年ということになる。石の上にも10年というのが僕の教訓なので、そろそろ事務所も新機軸が必要かもしれない。
夕刻学会の委員会に出席、木質バイオマスは聞いていて勉強にはなるものの、意匠設計者はあまり議論に噛めないテーマである。というのもバイオマスの実態把握がまだまだなのが現状で有効利用の方針などという段階ではないからである。先ずは実態基礎データーの作成というのが2年間のまとめとなりそうである。新橋駅で立ち食いうどん。事務所に戻りスケッチ。少し可能性が見えたか??

川越散歩

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by 卓 坂牛

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質素なゴールデンウィークだった。事務所と家の往復。最終日くらいは家族とどこかに行こうとあけておいたら雨が降った。仕方ないので映画でもと思ったが、一日時間がとれるのだからやはりもう少し遠くへ行こうと思い、協議の結果川越へ。副都心線ができたおかげで一つのりかえれば行ける。電車に揺られ小一時間。雨なのに凄い人だった。来るのは初めてだが写真は結構見たことがある。その昔景観法ができた時雑誌の原稿を書くために集めた資料に景観コントロールがうまくできた町として川越はよく登場していた。川越市役所では、景観に携わる担当者は部署変えをさせずに景観を見る目をもったプロに育て上げると記してあったように記憶する。そのせいかどうかわからないが、歴史的保存に加え、こんな新しい建物も許容している。

競争、評価

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by 卓 坂牛

ジョギングから戻り、朝食をとりながらNHKの連続ドラマ「ハゲタカ」を見た。外資系の投資会社対日本企業の戦いである。攻撃のターゲットとなっている日本企業の体質を聞くとその昔アメリカで受けた、とある講義を思い出す。それはアメリカの企業を説明する授業で比較対象として日本の企業体質が説明された。「終身雇用」、「年功序列」、「家族主義」が珍しい生き物でも見るかのように語られた。日本人学生は説明を求められたりもした。そのころ僕は日本体質が旧態依然なものと映り、好みではなかったのだがアメリカの友人の何割かはこの日本の習慣を絶賛していた。
その後会社に入り組合活動を通して能力給の積極的な導入や分社化などを提案した。幹部の中には働かない人は減らすべきだという意見さえあった。まるで組合と経営陣が逆転していた。
バブル時代、一時日本体質は追い風だったが、バブル崩壊を契機に政治的な後押しもありそれは嫌悪されアメリカ基準が浸透し始めた。自己責任、能力尊重の時代である。われわれが考えたことがどんどん現実化し始めた。しかし、それはある限度を超えて進み、かつ企業のみならず教育現場にも浸透した。
それは学校同士あるいは教員同士の競争というかたちをとる。そんな競争は教員評価制度を生み、能力、業績給与につながる。民間企業なら十年以上前から始まったことだが、教育現場では最近の話。われわれの大学では一昨年から始まった。そんな実態が刈谷剛彦 他により『教員評価』岩波ブックレット2009という冊子にまとめられている。
評価には評価の基準が必要である。しかしいったいそういう基準は普遍的に存在するのだろうか?そしてそうした基準の遂行は外から見ていて認識可能なものだろうか?アンケート調査によると、大方の教員の答えは普遍的な価値が存在するがそれは外から認識できるものではないというものだった。こうした評価観のずれが存在すると評価はなかなかうまくいかない。このアンケートは小中高の教員になされたものである。これに対して大学での評価は、(少なくとも我々の大学では)「教員に求められる普遍的価値」は掲げられていない。極めて定量的に業績を申告するものである。その意味では客観的で文句の出しようがない。しかし逆に言えば、ひどい論文でも、良い論文でも一個は一個というドライな評価を生み出すことになる。
評価制度はある程度必要なものだろうとは思うものの、これでいいと思うものに出会ったことはない。

武家屋敷

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by 卓 坂牛

都内の大きな公園、大学、ホテルなどは武家屋敷の跡地に作られた。東大は加賀藩前田家、日比谷公園は佐賀藩鍋島家である。四谷近辺も武家屋敷だらけである。このあたりは敷地に歴史表示が丁寧に出ている。ジョギングしながらそれらを見ると江戸がしのばれる。四谷駅のそばにある赤坂離宮は紀伊藩徳川家。四谷駅を越えたところにある上智大学は尾張藩徳川家。四谷駅を越えていつもは上智を過ぎたあたりを左折して一番町の方に行くのだが、今日は右折して赤坂方面へ下る。赤坂プリンスホテルとホテルニュー大谷の間を走る。赤プリは紀伊徳川家。ニュー大谷は彦根藩井伊家の跡地である。徳川御三家の二つがこのあたりにあったわけだ(因みにもう一つの水戸藩は小石川後楽園一帯である)。このあたりの住所は紀尾井町、その名前の由来は紀伊藩、尾張藩、井伊家から一文字ずつ取ってできている。午後事務所でスケッチ。夜読書。

憲法記念日

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by 卓 坂牛

s.j.グールド鈴木善次、森脇靖子『人間の測りまちがい(下)』河出文庫2008を読む。知能指数の話が延々と続く。一日家にいて娘と勉強したり、会計処理しているかみさんの質問に答えたり、気ままに過ごす。夜皆で近所の中華料理を食べに出たら四谷に引っ越してきた大学の先輩のYさんにお会いした。方南町に住んでいたころは高円寺のあたりに住まわれていた。僕が四谷に引っ越したら後を追うようにこちらに移動してきた。またゆっくりお会いすることを約束して別れる。
今日は憲法記念日だがテレビをつけるとバラエティ番組に元航空幕僚長の田母神氏が登場していた。新聞を開くとやはり田母神ブームについての記事が目にとまった。主張を曲げない頑固な側面と、なかなかのユーモアが多方面で受けているらしい。一方で彼の主張は明らかに史実の認識に誤りがあるとの指摘も多い。既に一般市民となった人が何を主張しようと勝手だが、マスコミが安易にブームを巻き起こすのはうなずけない。

design

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by 卓 坂牛

朝軽くジョギング。四谷から一番町、女子学院の脇を通り外堀に出て市谷から四谷へ戻る。今日はかなり飛ばした。息が上がり帰宅してシャワーを浴びてもはあはあ言う。事務所に行き模型を作る。
先日大学院の講義でdesignの両義性について話をした。この言葉は概念とできたものの双方を指し、その両義性が古来モノづくりのプロセスで議論されてきた。たとえばモノを作る時に本能的に手が勝手に動きながら絵が、模型が、彫刻ができてきて事後的にそれが概念化(建築なら図面化)されるのか、図面やコンセプトや構想が先ず明快にあってそれが絵や模型や彫刻へと出来上がっていくのか?そんな議論をした。http://ofda.jp/lab/lecture/word2009/bbs/2009/04/post_2.html
模型を作りながらこの議論を思い起こし、今自分の行っていることは手が勝手に動いているのか?それとも明確な構想のもとに行われているのか自問した。答えは以下のようなものとなる。模型を作り始める時にはおぼろげにイメージする形が頭の一部にある。もちろんその全貌は見えない。そして作り始める。1000㎡程度の平均1.5層くらいの建物を1/200で作る。先ず屋根を切り出しカッターでラインを入れて折り曲げる。折り紙細工のようである。そうするとそこで朧げだった屋根の形がより明確に自分の前に現れる。そしてその下に壁を切り出しては接着していく。屋根ができた時点で壁のついた全貌は想像できるのだがそれも朧げである。そして壁が全部ついた時点でそれをじーっと見つめる。
さてそこにあるものは自分が最初におぼろげに構想したものだろうか?もちろん違う。それは作りながら自分の当初のイメージがどんどん変化しているからである。その変化は頭が司令しておこなっていることなのかというと実はそうでもなくほとんど反射的に手とカッターがその状況にあったことをしているのである。そして出来たものを見ながら今度はそれを図面化、あるいは言葉にしてみる。自分のしようとしたことを言語化する。もちろん言葉は当初からなんとなくある。しかしできたものを見てその言葉がそのままでいるはずはなく形に合わして変化するのである。設計をする人ならこんなことは当たり前のことだと思うが、そうした話が前回の授業ではできなかった。
夜、事務所の人を誘って友人のブルースを聞きに神田のライブハウスに行った。行ってみると多くの知り合いに会う。ライブは大いに盛り上がる。飲んで歌って騒いだら気分すっきり。終わって、来ていた友人も誘ってもう一軒。彼はT大を出て一流銀行に勤めているのでゆっくりこの金融情勢について聞きたかった。「仕事どう?昨今厳しい?」と聞くと「6月で退職、転職、職探し中だよ」と想定外の回答。なんと言うことだ。日建の設計による彼の会社のビルも去年外資系に売られたとか。辞めるのは積極的なものではなく、彼のやっていた仕事がクローズされるからだそうだ。彼の実力を持ってすれば次の仕事くらいいくらでも見つかるだろうが、それにしても厳しい世の中になったものである。