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by 卓 坂牛
朝の新幹線で越後湯沢へ。車中千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』中公新書2005を読む。なるほどアマテラスのご神体が鏡なのは図像としての太陽と読み取れるようになったからだとか。鏡ってなんでそんなにたくさんあったのか少し分かってきた。越後湯沢で乗り換えて高岡へ。車中神代雄一郎『間(ま)日本建築の意匠』SD選書1999を読む。日本建築における間と西欧の空間との差が語られる。日本のそれには単に物理的な空隙だけでなく時間概念が内包されているというのが神代さんの指摘。伊勢もその一つ。昼前に高岡到着。富山大学の横山君が駅に迎えに来てくれている。そこで柳沢潤さんと合流して大学へ。2年3年の合同講評会のゲストで呼んでいただいた。三つの課題の優秀作15点くらいを講評する。課題毎の合間に柳沢さんと僕のショートレクチャーを行い、終わったら8時。それから懇親会。この学科は一学年20人と少なく8割女子。男子は圧倒されているようだ。9時くらいから地元の建築家、横山さん、富山大の貴志先生らと食事。貴志先生は住吉の長屋を作る前の安藤忠雄事務所にいらっしゃった建築家である。また地元の建築家のKさんは京大加藤研出身。安藤論になったり、坂本論になったり、ヴァレリーの話になったり。実に楽しい。
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by 卓 坂牛
朝一の特急あずさで塩山へ。台風の影響で東京は大雨。スタッフのT君もナカジもズブ濡れで新宿到着。指定席は満席。自由は半分くらい。夏休みは結構こういう現象が起こる。塩山は曇り。徐々に晴れてきた。台風も内陸にはあまり影響しない。因みに長野に台風は来ない。加えて、構造計算上の耐風圧も東京より低い。打ち合わせは10時から午後4時まで。昼は近くの素敵なレストランへ連れて行っていただいた。ブドウ畑しかないと思っていたが、塩山にもこんなところがあるんだとびっくりした。午後はさらにだいぶ突っ込んだ議論。設計料の話も含め、だいぶきちんとした話ができた。とは言うものの8月末までに形にするにはかなり大変である。夕方のかいじで新宿に戻る。事務所でアフタミーティング。
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明後日の富山大と、来月のブエノスアイレスでのレクチャーの内容を考える。なんとか両方をダブらせようと構想を練るのだが、どうもうまくいかない。手持ちの素材をうまく加工できないかと事務所に行ってイラストレーターのデーターをpdfに変換する。もともとのデーターがー滅茶苦茶重いのでpdfにしても変わらず重い。これをパワポに貼ろうとするのだが、一枚貼るのに10分。重いのだと途中で固まる。空いているcpu4台開いて一度に行う。のだが最後にパワポに貼るところでひっかかる。どいつもこいつも止まるのだよ。ふー困ったね。今までこのイラレデーターは印刷専用にしていたため解像度上げてハンドリングは考えていなかった。こりゃ少しデーター量落とさないと使えんわ。富山大は古いセットでやるしかない。アルゼンチンは少し日本建築史もかませよう。伊勢あたりから話すほうが面白い。伊勢と近代に直接的な因果関係などあるはずもないが、それでも磯さんが言うようにタウトがパルテノンと賞賛した建物の影響を近代人は無意識に受けていたはずである。
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by 卓 坂牛
珍しく娘より遅く目が覚めた?よく寝た。新聞を読むと、今年の東北地方は梅雨が明けない可能性が高いと書いてある。昨日いらっしゃった甲府のクライアントから桃をいただいたのだが、今年は暖かい日が少ないので甘くないとおしゃっていた。最近は聞かなくなったが、冷害はこういう年におこるのだろうか?
午後ジョルジュ・アガンベン岡田温司、多賀健太郎訳『開かれ-人間と動物』平凡社2004(2002)を読んだ。「開かれ」という題名の意図は開かれた学とういようなこと。「生」きること、は政治、哲学、医学、生物学、法学の交叉領域あるいは領域を超える領域において考察されなければならないという意図を示している。そして生にかかわるさまざまな領域の論考が一章一つずつ解説され全部で20示される。その真ん中の10章ではユクスキュルの『生物から見た世界』が取り上げられている。一昨年の卒業式で学長が例に挙げたので読んでみた。一言で言えば生き物には生き物の数だけ空間と時間があるという話だが、それって生物実存主義だなあと思った記憶がある。するとアガンベンもこう言う「それゆえ『存在と時間』の確信をなすテーゼ・・・を上記のような(ユクスキュルの提示した考え方)問題領域全体に対するひとつの回答として読み解く可能性をおそらく排除できないだろう」。ふむふむ。
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早朝大学の車で助教のHさんと小諸に向かう。7月までやってきた某建物の基本構想案の理事会説明。2時間くらい10名程度の皆様に説明。1時間で終わらせようと思っていたが、熱心な質問が相次ぎ結局終わると昼だった。ついでに、市長やら市議やら近隣やらへの説明をお願いされる。うーん契約内容にはそうしたアフターフォローはないしなあ。「それはクライアントのお仕事ですよ」とお伝えしたが、そこを何とかとお願い倒された。これだけの仕事を民間の会社がやったら今の受託研究費の5倍は請求するだろうなあとふと思う。大学はお得。という意味では仕事は作ろうと思へば結構あるのかもしれない。
上田まで送ってもらい釜飯を買ってアサマに駆け込む。車中メールをチェック。天津にいる日建名古屋のWさんからアルバイトの受け入れのメールをいただく。遠隔操作で名古屋の担当の方に受け入れ体制をとるように指示してくれている。彼の対応の早さ(設計も早く上手だったが)には本当に頭が下がる。イアホンでスペイン語を聞いているうちに深い眠りに落ちる。気がついたら大宮。寝不足だ。ぎりぎり事務所に戻り甲府のクライアントとの打ち合わせ。綱渡り状態。図面が1/200となったせいかなりじっくり見てくれた。細かな要望が口をつく。そう簡単に「これでいいと」いわないところはじれったいが信頼できる。多くの建物を作ってきた人は皆対応が慎重だし一本の線からかなり多くのことを読み取り、その可能性と危険性を同時に考える。長野県信の担当のNさんもそういう人だった。こういう人は現場になっても滅多なことは言わない。図面の段階で実物が見えているから。とは言うもののスケジュールを守る気があるかどうかを問う。9月末に基本設計を終わらせるなら明日にでも構造と設備を入れたいし。伸ばすならお尻も伸びる。「それでよろしいですか?」と問う。1週間待って欲しいというお答え。
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by 卓 坂牛
朝、ロイアルホストでモーニングを食べながらイアホンでスペイン語を聞く。付け焼刃でこんなことしているが結構楽しい。9時に市役所に行きマイクロバスに乗って長野景観賞候補作品の現地審査を行う。今日の長野は今年一番の暑さと思われる。じりじりと照りつける太陽のもと、12の建物を3時ころまで見続けたのだが、見るべきものが殆どない。あああああ時間の無駄である。庁舎に戻り議論と投票で3作品を選ぶ。選ぶには選んだが、どうも気が抜ける。大学に戻り航空券の手配やら、海外出張書記入やら、休暇届やら、雑用をこなし、7時から八潮プロジェクトの打ち合わせを9時まで行う、それから前期の成績入力。量が多く神経を使う。そして大学院の課題への評と採点。僕の研究室の学生の点がいいのは当然だが、一番目を惹いたのは心理学系研究室の学生作品。まあいかにも心理学系的だが、実は建築の領域への心理学の進入は当たり前のようで実はそれほど行われていない。それらを終えてまた成績入力。事務所から図面が送られてきているのだが、見る時間がない。もう1時だし、明日も早いから今日は帰ろう。
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by 卓 坂牛
午前中の大学院入試は結局終わると1時45分。サンドイッチを食べて2時から10月卒業の卒論審査。3時から会議。4時から会議。5時ころ終わって昼に買ったドーナッツの残りを食べながら大学院の講義のレポートを見る。レポートといっても設計つきレポート。『言葉と建築』の概念を自分なりに拡張し、それを1000字のレポートにまとめ、それをコンセプトとして住宅を設計せよというもの。模型とA3のプレゼンシートを廊下に貼ってもらう。それらをじっくり見始めようとしたが7時から八潮の打ち合わせ。TXの周りをどう使うか。面白いテーマではある。9時ころ終わり、皆で食事。昨日、甥っ子が貸してくれた漫画古事記を読んでいたら日本では三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)を始めとして八は聖数として繰り返し用いられた。八は縁起がいい数である。八潮プロジェクトでは八にこだわり数字遊びをするのも面白いかもしれない。
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by 卓 坂牛
朝、緑の窓口で来週行く富山への切符を買う。本当は飛行機で行く予定にしていたのだが、気づいたら売り切れていた。この夏はあっち行ったりこっち行ったりである。新宿からあずさに乗って松本に向かう。やることがいろいろあり、3時間半を有効に使おうと思いグリーンに乗ったのだが、大家族連れが横で大騒ぎしておる。おばさん声が大きいし子供の躾がなってないよ。電車は運動場じゃないのだから。
松本でキャンパス計画の会議を終えて長野へ。車中『昭和史戦後編』を読んでいたら、あの建築ノートを出している誠文堂新光社が『日米會話手帳』という本を出版して戦後の大貧困時代にたった3ヶ月で400万部も売ったと書いてあった。日本人の変わり身の早さも驚きだが、それを出している出版社の名前にも驚いた。
大学に戻り明日の試験の準備やら、メールの返信やら、一日分たまると読むのも返すのも結構手間。
カサベラの最新号が届いていた。ヴェネツィア特集である。写真をサーッと眺めるだけで一昨年の感動が蘇る。安藤忠雄のコンヴァージョンが載っている。それはヴェネツィアヴァナキュラーを美術館へ蘇らせたもの。クライアントは、クリスティーズ他のオーナーであるフランソワ・ピノー。そしてその改築用の建物を貸与したのはヴェネツィア市長である哲学者のマッシモ・カッチャーリ(2007年から市長になっていたとは知らなかった。これはイタリアという国の文化の奥深さによるものなのか、カッチャーリという男の政治力によるものなのかはよく分からない)。既存建物の物質的な重みに圧倒されながら写真を見ていたが、文を読んでこの関係者の陣容にも度肝を抜かれる。グローバルな場所にはグローバルな人々が集まるということか?それにしてもこのあまりに正攻法的な建築にはうんざりである。物対物、構成対構成のこのつくり方はあまりに写真的である。所詮ピノーは情報を使ってものの価値を高めることしか考えていないのでは?それならそんな男に建物を貸したカッチャーリは何してんだということになるが、、、、、
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by 卓 坂牛
午前中事務所で打ち合わせ、午後クライアントの所へ、中国工場の外装の部分張替えについて打ち合わせ。外国の仕事はいろいろと大変である。事務所に戻り雑務。
夜ニュースを見ていると、原爆投下の日に警戒警報が鳴らなかった謎が語られていた。もし警戒警報によって市民が防空壕の中にはいっていたならば死者は激減したと言う。しかし、同じもしが許されるなら、政府がさっさとポツダム宣言を受け入れていたならばどうなっていたのだろうか?、、、、ポツダム宣言を日本が受け取ったのは7月27日しかし7月24日にはポツダムにいたトルーマンは原爆投下許可をおろしていたらしい、、、やはりそれは避けられなかったのか?
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by 卓 坂牛
午前中に森美術館で開かれているアイウエィウエィの展覧会を見に行く。(展覧会の感想はコラムをご覧くださいhttp://ofda.jp/column/ )雨がひどい。ついに8月に入っても梅雨が明けない。美術館脇の展望台から見える都心の空は煙っている。展覧会場に入ると突如茶葉を固めてできた1立方メートルのキューブが置いてある。コルクのように見えるが鼻を近づけるとお茶の香り。隣には紫檀でできた同様の1メートルのキューブ。彼は現代的コンセプチャルな文脈にのるというよりもむしろしっかりとモノを作る人である。ミュージアムショップでカタログとともに牧陽一『中国現代アート』講談社選書メチエ2007を買ってカフェで読む。毛沢東時代の文化統制下でのアートの様子を読んでいると、先日提出された中国人留学生(博士課程)のレポートに書かれていた毛沢東時代の建築統制を思い出す。文革からの解放がアートではこうして実を結ぼうとしているのだが建築は未だもう少し時間がかかりそうな気がする。帰宅後一人ランチを作る。キッチンからは隣のバス会社の駐車場が見えるのだが雨が止んでいるように見える。食べながら半藤一利『昭和史戦後編』平凡社2009を読む。後編は終戦の1945年8月14日(日本では8月15日だが)から始まる。ふと父親に思いが馳せる。大正15年生まれの父はこの年はたちだった。前編の内容を生きそして成人した歳に敗戦。前編を読み終わり、ああこんな軍国化の時代を生きてきたんだと改めて考えてしまった。ではその軍国化の総決算である終戦の日をどういう気持ちで迎えたのだろうか?終戦を決定づけた御前会議では天皇は自分の身を犠牲にしても終戦(ポツダム宣言の受け入れ)を決定した。だから国民は天皇への忠心を高めたと書かれている。果たして父もそういう気持ちだったのだろうか?いつか聞いてみたいものである。