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by 卓 坂牛
午前中にシカゴ建築賞に添付する説明英文を書く。こういうものは自分のやったことを反省するいいチャンス。面倒だがやらざるを得ない。午後SETENV入江君が来所。彼は先日聞きに行った大友良英、ジムオルーク、ライブの企画制作者であると同時に僕の音楽の先生でもある。ジムオルークのCDをいろいろ持参し解説してくれた。加えて来年の活動の方向や未来の希望を話して聞かせてくれた。観客数を減らし、小人数にお茶を出すような(茶席のような)コンサートが出来ないだろうか?と言う。面白いではないか。茶席と同様なスピリットの行きかうサウンドのようである。多少高くてもあなたのためのオートクチュールサウンドでもてなしますという主人と客人の新たな関係というのは面白いのではなかろうか?またそういうサウンドの発信の場所はもはやライブハウスではないというのが彼の考え。ではそうした発信は今後どこになるのだろうか?一体東京に新たな音、アートの発信場所があるのだろうか?という議論になった。マンハッタンが既に新たなアート発信の場では無いのと同様に、真に新しいものはもはや東京の中からは出てこないのかもしれない。そうなると次はどこだろうか?「Y市なんてどう?」と尋ねると「かなりありですね」と食い付きがいい。確かに東京のちょっと外で、しがらみが無く、家賃が安く、白紙の場所がこれからの発信場所としてはかなりいい条件ではなかろうか?理由はないのだが。
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午前中美術手帳の12月号を眺める。コムデギャルソン特集。川久保の強調する創作における「自由」という言葉が一昨日丸善で見た写真集「ATLIER」を思い出させた。この写真集は会田 誠(美術家)舟越 桂(彫刻家)大野 一雄(舞踊家)草間 彌生(美術家)荒川 修作(美術家)川俣 正(美術家)村上 隆(美術家)宮島 達男(美術家)飴屋 法水(美術家)立花 ハジメ(映像作家/デザイナー)山口 晃(美術家)他のアトリエあるいは仕事場そして炊事場などを撮影したもの。丸善でそれを見ながら(買わなかったのだが)ああいいなあと感じた。それは、創造の場から伝わるエネルギーのようなものへの憧憬ではなく、そこに広がる自由な空気だった。寝ようと思ったら寝られるし、本を読もうと思ったら読めるし、腹が減ったら飯を食えるしという、そういう雰囲気が伝わるものだった。実際がどうなのかはどうでもよい、作られた風景であってもまあそれは関係ない。僕が勝手に想像したそういう場所が欲しいなあと思っただけである。と思った次の日に川久保の「自由」という言葉を目にしたわけだ。ああ彼女にして未だ(やはり?)創造の場に必要なものは「自由」なんだということが身に染みた。そうなんだなあやっぱり。午後A0勉強会。相棒のI君が風邪なので僕は一人で粛々と進める。事務所は何となく寒くて少し風邪っぽくなってきた。終ってチームメンバーと雑談。A君はとある書評集の原稿を一緒に書いている。彼の担当の本はとても厚いと嘆いていたので読まずに書けばと先日読んだピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』を教えてあげた。そうしたらH君はこの著者に会ったことがあるとのこと。世の中狭い。
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『分類思考の世界』の著者三中信宏は生物、環境工学専攻の教授である。理系的に思われるこの本にはしかし、哲学的思考が散見される。面白いもので著者自身もともとは哲学など愚にもつかない瑣末なもので極力排するべきものだったと思っていたそうだ。しかしある時その必要性に邂逅したという。確かに分類と言う行為はひどく哲学的に思える。建築において類型化は日常茶飯事だが、何を根拠にどうしてこれとそれの差をあるとかないとか言えるのか?そして言わなければならないのか?この疑問に答えるのはやはり哲学だと僕も思う。
菊池成孔『服は何故音楽を必要とするのか』INFASパブリケーションズ2008を読む。読むと言うより読みながら出てくる、デザイナーやミュージシャンをYOU TUBEで聞いたり眺めたりする。ファッション関係者以外でファッションショーが好きだと言う人に始めて出会った。やはりいるものだ。かく言う僕も好きである。チャンスがあれば万難を排し見に行く。しかしこの手のショーはその性格上当然なのだが、公にチケットが売られていることは少なくて、招待者で埋め尽くされる。と言うわけで好きではあるが、数えるほどしか見に行ったことはない。著者同様、テレビで見るのが関の山である。それで、なんで好きになったかと言うとそれは洋服が好きだからではない。これはまた偶然だが、著者が好きになった理由に近い。ファッションショーは聴覚、視覚に訴える良質の混合芸術であると感じたからである。もちろんコンサートも聴覚、視覚と言いたいところだが、視覚的にはファッションショーには勝てないように思う。
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朝一の1時間設計は清家清の「私の家」がテーマ。この建物の輪郭を使って学生たちそれぞれの私の家を設計せよという課題を出してみた。考えてみれば「私の家」というタイトルはなかなか意味深である。家は私のものに決まっているからである。再度その私性を強調する心はなんぞや?私の問題が皆の問題へ反転するはずであるという清家清の強い自信なのだろうか?
午後は製図。次の課題であるオフィスの説明と敷地見学。自分の設計したオフィス(長野県信用組合)の前に敷地を設定している。自作の本物を見せられるのは何かと都合がいい。夕刻のアサマで東京へ。車中三中信宏『分類思考の世界』講談社現代新書2009を読み始めた。話は学会が行われたメキシコの町オアハカから始まる。この町は実は僕も行ったことがあって懐かしくなった。チャールズ・ムーアとリカルド・リゴレッタ、uclaスタジオの学生10名と一緒に行った。遺跡もあるしスペイン征服後の古い建物も多くある。実に美しい街だった。陽が強くヨーロッパからの留学生の中には白い肌を真っ赤にして日射病にかかるものもいた。遺跡を巡っては4時ころから連日町のプラザの木陰でマルガリータをジュースのように飲んだ。巨漢のチャールズとリカルドはまったく酔わない。夕日に照らされた建物の壁面が赤く色づき酔いが手伝い幻想的な世界が浮かび上がった。しかししらふでもこの町の色は僕の心に強く焼き付いている。長い年月の間に幾層にも塗り重ねられた様々な熱帯の原色が剥がれおち。様々な色の層が顔を出しているのである。この美しい町が町全体で世界遺産になっているとこの本に書いてあった。全く知らなかったが嬉しいことである。
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午前中事務所で原稿を一本書いた。ストーリー構成だけ組んで少し放っておいたのだが、すらすらと言葉やトピックが生まれた。先日読んだ脳の本によれば、寝る前に何かを考えて次の日の朝それを再考するといいアイデアに結び付くという実験結果が出ていたがこれは正しいような気がする。午後上海工場写真の修正が上がりチェック。プロに撮ってもらった写真ではないので空の色やら点景を修正した。もともと粒子の粗い写真だがむしろそれがブレボケ写真の風合いで結構魅力的になった。シガゴの国際建築賞への出品招待が来ていたので出すかどうか迷っていたが、この写真なら出しても良い気になった。
夕方学会で木質バイオマスの委員会。前回はブエノスアイレスにいて出席できなかった。ここにいらっしゃる方たちは環境系や木の専門家たち。僕のような人はひたすらお話を聞く側だが結構勉強になる。日本はこれだけ森林があってまったく使われていないということが数字上でよくわかる。東京駅で食事をして終電で長野へ。終電はいつも満席。今日は初めて立って来た。
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午前中二つの打ち合わせ。図書館をどうするか問題と駅の周りをどうするか問題。このお金が無いご時世にどちらも厳しい話ではある。学生と昼食をとり午後一のアサマで東京へ。『読んでいない本について堂々と語る方法』を読み終える。痛快な本であった。その中に面白いゲームの話が記されていた。そのゲームの名前は「屈辱」。数名が集まり順番に自分が読んだことのない本の書名を宣言し、自分以外でそれを読んだことのある人間の数だけ得点できるというゲームである。このゲームに勝つためには人が読んだことのありそうで自分が読んだことのない本を探さなければならない。例えば建築デザインをやっている人なら、バンハムや、ギーディオンのようなモダニズムの古典を「読んでいません」と屈辱的に宣言するようなものである。このゲームが面白いのは本を読むことが至上の価値であるような空間においてのみである。そこで今度学生の間でやらせてみようかとも思うのだが、誰も屈辱を感じなかったらどうしようかという不安もある。こんな面白可笑しい話ばかり延々と続く本書はとんでもなくいい加減な本だと思われそうだが、そうでもない。こうしたとんでも話は終章へ向けた一つのレトリックに過ぎない。結論は批評とはいかなるものかというところにある。批評とは対象について書かれる説明文ではなく、それを契機とした創作であるべきと著者は言う。そう言われるとまったくそうだと言わざるを得ないし、世の中の名批評とはそういうものであろうとも思う。そして認識を新たにするとそれら名批評の作者は批評対象を真剣に読んでいるのかどうか怪しい気持ちにもなってくる。東京に戻りクライアントのオフィスへ。竣工後の問題解決。いい加減ぼやきたくなるがまあ仕方ない。建築家とは因果な仕事である。
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朝一で修士の論文中間発表。論文組は粛々と進めている。なんとなく最低限の結果はだせそうなので一安心ではあるが、論文なんていうものはデーターの処理の仕方次第。集まったデーターをどういう風に切るかで面白くもなればくだらなくもなる。これからが勝負である。一方設計組は結構悪戦苦闘である。論文の部分での論理性をたたかれる一方設計の部分での感性を問われる。午後市役所に行き、とある審議会。歴史的重要建造物の改修について意見するために現地調査。新たな改修でひどく雨どいが見えてくるのでその部分について一言意見する。戻ってきてから大学院の異分野連携レクチャー。本日は山梨県立大学の加賀美先生を迎えて子供の社会的養護についての話を聞く。先生は僕のクライアントでもあるのだが、そうした付き合いから日本の子供行政のひどさを知り、ぜひこの話は僕の学生にもして欲しくてお呼びした。2時間半という超特大レクチャーであったにもかかわらず、皆熱心に聞いていた。やはり引きこもり、凶悪犯罪、ニート、ネットカフェ難民など、現代的問題の諸相の根っこにある子供の養育あるいは子供虐待の現場をあずかる氏の言葉には皆好奇心以上の自らの本能を揺るがす何かがあるのだろうと感じた。終って駅前で食事をして散会。もともと早稲田の演劇学科を終っただけあって語り口が半端じゃない。食事会の席でも皆吸い寄せられるように聞いていた。
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朝から手をつけていなかった原稿書き。1000字程度の原稿3つだから精神的には大したことはないのだが、原稿書くプロでもないのでささーっと一日で終わるなんてことはない。先ずは何を書くか考えているうちに昼となる。それから関係する本を本棚に探す。これがスムーズにいかない。何といっても研究室と書斎で本が散らばっているからこちらにあるつもりが無かったり、あちらにあると思っているとこちらにあったりする。そして本棚をさまよい歩くのはネットサーフィンのようなもので、つい原稿に関係ない、気になる本を抜いて目を通したくなる。はっと気が付き自分が何の本を探していたのかという肝心なことをすっかり忘れ、またノートを見ながら、「ああ、あれあれ」と再度本を探す。だいたい資料も集まり目を通すとおやつの時間である。コーヒーを飲み終り再開。具体的な文章の構成と細かな順番を考える。まあ1000字程度だからなんとなく必然的に起承転結の構成になる。読者の興味をぐぐっと引くにはやはり転のところにどういうトピックを突っ込めるかにかかっているのだが、ここはとりあえず書く。後は締め切りまでにいいアイデアがあれば入れ替える。とりあえず一本書き、関連図書などの注をつけ終える。二本目の構想を練り必要本などをピックアップしたところで6時半。今日はもう終り。
昨日「いい夫婦の日」の結婚記念日に一日ベターとワークショップにコンサートで何もできなかったので、今日は美味いものを食べようと東京駅で家族と待ち合わせ。そのまま長野に行くのであまり選択の余地なく駅上の大丸に入っているサヴァティーニへ。サヴァティーニも庶民的になったものだと思ったら、味も庶民的。帰りがけに青山のサヴァティーニはまだあるのですかと聞くと、あちらはローマのサヴァティーニでこちらはフィレンツェのサヴァティーニだと言われた。なんだか騙されたような気分だがまあ値段相応の味。そのまま最終のアサマで長野へ。
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by 卓 坂牛
ピエール・バイヤール大浦康介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』筑摩書房(2007)2008という本がある。目から鱗の面白さである。大学で文学を教えているという著者が「・・・本を読むことがあまり好きではないし読書に没頭する時間もない・・・」と語り始め、先ず本を読むとはどういうことかと問う。そして『特性のない男』という小説に登場する図書館司書の話を紹介する。この司書は本好きを自称するものの本を一冊も読まないという。その理由は司書という仕事を全うするために個別の本に没頭することを禁じ、本のエッセンスの観念を把握し、その相互の関係性のみを頭の中に構築するためだという。次に著者はヴァレリーがベルグソンの死に際して行った講演録を紹介する。それを読むとヴァレリーは明らかにベルグソンを読んでいないことが分かると著者は言う。本は読む必要もない場合もあれば、流し読みで事足りることも多々あるという。もっと言えば本など読んだ傍から忘れるものであり、よしんば覚えていたとしてもそれはほんのわずかであり、かつそうして覚えていることも思い出したときの自己の投影としてその都度再構築されていくものに過ぎないという。確かに日常のたわいもない読書などそんなものだろうし、もっと厳密な学問的なものであろうとも、古典と言われる書物に数え切れないほどの解釈本があるということがそもそも読書などと言うもののいい加減さを表している。さらにその何百通りもの解釈が存在することの原因を著者は読書する人の中に<内なる書物>が既に存在しているという言い方をする。うちなる書物とはすなわち、読む人の読書記憶であったり、知的生い立ちであったりである。東横線車中でこの本を読み馬車道で降りてSETENVhttp://www.setenv.net/index.php主催のライブに行った。出演はジムオルーク、大友良英、刀根康尚の予定だったが利根さんは急遽体調不良で来日できなくなった。しかしニューヨーク演奏された録音が届きそれに大友とジムが絡むという珍しいセッションも行われた。利根のマシンガンのような音に大友のターンテーブルとジムの音が乗っかる。正直言うと僕は今まで利根さんの炸裂する音を頭で聞いていた。ジムも前回のようなメロディーのあるものはしっくりくるのだが、ノイズ系の音程もリズムもないものは感覚的には受け入れにくかったのだが、何故か今日のセッションはスーッとはいるのである。これは『音楽の聴き方』にも書いてあったように、耳の中に何かの音楽を聴く聴き方の型が出来たからなのだろうと思われる。先ほどの本の言い方になぞらえるなら僕の<内なる音楽>の中にノイズ系の音の層が生まれているということである。セッションを終えて東横線で都心に戻りながら今日午後行われた八潮での市民フォーラムを思い返した。5大学が行ったモデル住宅の発表会後のシンポジウムで自ら言った発言を思い出した。「5大学のモデルは様々ありばらばらのように見えますが、外部との関係性を作り上げるという共通した特徴をもっているのです。まちづくりとは町を発見することなのです」。というようなことを言ったのだが、シンポジウム後、とある人に「あの一言でモデルが理解できました」と言われた。なるほどこれは僕が建築の見方を教えてあげられたからなのかなと理解した。すなわちこの方にはそれまでまだ建築はただとりとめのない建物に過ぎなかったのだろうが、僕の言葉によって、<うちなる建築>を内部に芽生えさせたということなのである。本には「読み型」、音楽には「聴き型」、建築には「見型」があるということである。
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by 卓 坂牛
早朝のアサマで東京駅経由八潮。10時半には八潮駅に着く。今日の八潮は快晴。気持ちがいい。午後は住宅スクールの最終発表。スクール受講生を前に最後のプレゼン。各校なかなかの力作である。ただ、いまだに学生のプレゼンに元気がない。徹夜続きだからだろうか?5時ころ終了して教員連中は浅草で食事。槻橋さんの神戸大の就任お祝いと(未だ明日があるが)とりあえず今年の活動の反省会。場所は「えびす丸」という名のすっぽんが食べられるところ。始めての経験だったが鶏肉のような、しかしだしに甘みが感じられる珍味であった。「来年はぜひとも夢をかたちにしたい」と語りつつ、で、その具体策は?というあたりで皆力尽き帰宅。