On December 31, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		今日も本棚整理。処分すべき本、大学に送るべき本、探していた本、今やっていることに使えそうな本などなど発見。ヴァールブルグは頻繁に本棚整理をやっていたそうだが、これは確かにとても生産的な作業である。一段落してから、12月頃読んでいた本で「建築の条件」に使えそうな本4冊分くらい、スキャンしてノートをとる。やっと12月までの作業のけりをつけられたような気分。続いて条件第一講義である男性性vs女性性の関連項目として先日買ってきたロバート・オールドリッチ(Aldrich, R)田中英史+田口孝夫訳『同性愛の歴史』東洋書林2009を読む(眺める)とても図版がきれいで図版だけ見ていても楽しい。ギリシア、ローマ、中世、近代、中近東、北アフリカ、アジアと語られる。洋の東西を問わず、歴史の今昔を問わず存在する同性愛とその罪悪視は考えてみればとても謎である。先ず言えるのは同性愛が生物学的な生殖活動ではなくとも(ないからこそ)無くならない(存続する)この事実。一方でそれが生殖活動ではないゆえに単なる快楽行為ということで罪悪視するその見方がまた2000年間無くならないこの事実。2000年間同じことが世界中で繰り返されているのである。まあそれはいいとしてこの同性愛を行う固有の空間が生まれなかったのかを探していたのだが、どうもこれぞという発見が無い。残念。
	 
 
		
				
			
			
				On December 30, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		南洋堂からの電話に起こされる。昨日送った本が8000円だそうだ。えっ結構高く買い取ってもらえるものだ。ルイス・カーンの作品集(似たような作品集が3つもあったので)と磯崎新の『建築の解体』(本棚を整理していたら2冊あることに気付いた)が入っていたからか?それにしてもいい値段。やはり専門書は専門のところへ売るのがこつか?昨日の日本酒のせいで頭がくらくらする。そこで御正月の食材を買いに近くのスーパーにかみさんとでかける。人が多い。しかもこの辺りは老人が凄く多い。その昔上北沢に住んでいたころはスーパーにも子供がたくさんいたものだが、ここ四ッ谷には全くいない。その代りその分だけ老人がいる。そして結構男性の老人が一人で買い物に来ているのが目につく。『おとこおひとり様』(上野千鶴子の新刊)は確実に増えているのかもしれない。帰宅したら頭のぐらぐらがとれた。読書をしたり掃除をしたり。
	 
 
		
				
			
			
				On December 30, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		年賀状を郵便局に持って行く、切手を張る元気がないので、味気ないが料金別納にする。近くの郵便局に電話をすると別納スタンプ機械が壊れており、はんこう貸すので自分で押してくださいと言われた。四谷駅前も同じ。400通も手で押すのは勘弁。曙橋は動きますよというのでそこへ持って行った。ところが、、、「これは年賀ですか?」と聞かれ「はい」と答えると「では年賀のスタンプを押してください」と言われた。「えっ年賀じゃなくてもいいのですが、、、」と言いかけたらすでに局員の方が押し始めている「半分ずつ押しましょう」と明るく言われた。
	 
 
		
				
			
			
				On December 28, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		午前中自転車で六本木へ。ジョギングしようと思ったが昨日の歩き疲れで足が痛い。新国立美術館を覗こうとしたら、1月5日まで休館だそうで、森美術館まで行く。「医学と芸術展」http://www.ofda.jp/column/ を見て帰りに四谷丸正でパンを買って帰る。ブランチをとってから年賀状に署名していく。一言書きいれようと思ったが、余りの量にうんざりして大部分は署名のみ。 夕方『ポスト消費社会のゆくえ』を読み続ける。辻井の実感では60年代に始まる大衆消費社会が終るのは80年代半ばだそうだ。その頃電通の』藤岡和賀夫が『さよなら大衆』を著し、大衆から分衆の時代を宣言する。しかし上野によればそれは単に階層消費の兆候と読めたと言う。まあ僕の感じでは会社勤めが始まった80年代の半ばにまだ階層消費は感じられなかったし、一方で分衆化がそんなに顕著だとも思わなかった。80年代は概ねバブルの風にのって十分皆大衆的だった(もちろん分衆化や階層化が潜在的に胎動していたのだろうが)。しかしここで参ったと思ったのは90年代確実に始まる階層消費に対して西武は既に80年に無印を作る一方でグローバルブランド(エルメス等)のライセンス契約をとっている。つまり階層消費の両側をしっかりおさえポスト大衆化時代を迎え討つ準備をしていたのである。商売人にはなれないなあとつくづく思う。建築なる商品(?)をこの時代にはめ込んでみると大衆消費社会の建築と言うのは結局プレファブメーカーだtったのだろうか?建築家と言う職能はなかなか大衆と相いれない。やはり基本はオートクチュールである。プレタポルテあるいはそのシステムを建築家は考案出来なかった。しかしそれでも数少ない関心を持った建築家の中に、伊東豊雄や坂本一成がいた。もちろん彼らが本当の意味で大衆消費的建築を作ったわけではなかったし、彼らの大衆消費を意識した方法がその後の建築の方向性を変えたわけでもない。あれはあの時代の処し方だったのではなかろうか?そしてその後分衆あるいは階層化の時代に入ることでまた建築が本来の一品生産的な特性を保持しながら安定した(ように見えてしまう)。建築は結局この時代の社会の流れから何も影響されなかったのだろうか?何事もなかったかのような21世紀?
	 
 
		
				
			
			
				On December 27, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		
	 
 
		
				
			
			
				On December 26, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		朝のアサマで東京へ。今年の長野の仕事はすべて終り。帰宅してかみさんと話していたら二人とも今日明日の予定が無い。こんなことは一年中探しても滅多にない。その上、娘はクラブの合宿でいない。どこか行くか?と話し冬の京都行こうということになる。この季節、京都で特別のものが見られるわけでもないがワープすることにした。ブライトンの部屋が空いていた。京都ブライトンは日建の設計。その昔出来た時に見学しに来たことがある。
	 
 
		
				
			
			
				On December 26, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		研究生と2時間ほどコンペの打ち合わせ。2コマ目はデザイン論。午後製図。夕方obが研究室にやってきて数名で食事。駅前の背の高いビルの上にあるお店。以前何回か来たことがあったが窓際に座ったのは初めて。長野の夜景が一望できる。以前長野に現場があった時は宿にしていたホテルが高層で長野と言えば夜景の印象だったのだが信大に来てから高いところに登らなくなり夜景の印象がすっかり消えていた。10年ぶりに夜景の記憶が蘇った。
	 
 
		
				
			
			
				On December 24, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		研究室の院生二人が留学を申請していたブエノスアイレス大学から留学許可の正式書類がメールで大学に届き転送されてきた。普通、留学の申請など個人が行い個人に送られてくるようなものなのだが、アルゼンチンのシステムはそうではない。授業料が限りなく0に近いためラテンアメリカやヨーロッパからの申請が多く学力もなく流れこむのを防止するための策なのかもしれない。学生がしかるべき教育機関に所属していることを担保するためにその所属教育機関に書類を送るわけである。あやふやなスペイン語の知識で読んでみたが大したことは書かれていない。あっさりしたものである。事務所でポートフォリオの最後のチェック。後は印刷。と言っても年末のお休みに入るので出来るのは年明けになりそうである。昨日読み始めた『住まいと家族をめぐる物語』を読み終える。文化人類学者の見る建築は文化的視点が強く常に主張を裏付ける当時の映画が示されていて興味深い。著者の主張は一言でいえば日本の住宅は男的「いろり端のある家」からやはりまだ男的「茶の間のある家」そして女的「リビングルームのある家」となり性別の無い「ワンルーム」となったというものである。僕の体験では生まれ育った団地が「茶の間のある家」で、これは親父支配であった。小学生で引っ越した一軒屋は「茶の間」と「リビング」の過渡期のような家で、これもやはり親父支配だったと思う。そして結婚して住んだ家は「ワンルーム」夫婦二人しかおらずなんとなくユニセックスな家だった。その後子供が出来て引越しを繰り返し現在の家はリビングのある普通のマンションで女が一人多いせいか女的な家かもしれない。こう書いてしまうと建築の属性ではなく、住んでいる家族の属性になってしまう。双方が融合する地点での属性が問題なのだが??
	 
 
		
				
			
			
				On December 23, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		気になっていた『マスメディアとしての近代建築』(ビアトリス・コロミーナ著、松畑強訳鹿島出版会1996)をチェックした。やはりこの本の最後の2章の初出がSexuality and Spaceである。つまり92年に刊行されたSexuality and Space で書かれた論考が96年のコロミーナの単著(『マスメディアとしての近代建築』)に再録されたというわけだ。
	 
 
		
				
			
			
				On December 23, 2009 
				by 卓 坂牛  
			 
		 
		朝一でマンションコンペの打ち合わせ。その後5キャンパスのテレビ会議。終って東京へ。今日の長野は快晴。山は真っ白。まるでスキー場にいるような気分。午後東京へ。丸善で本を宅配。いつもは見ない西洋史のコーナーに行く。食事、愛、同性愛の通史など興味深い本に遭遇。悪書に手を出すなと決めているのだが、ついつい食指が動く。一度帰宅して事務所へ。今晩は事務所の忘年会。先ずはフランスパンをつまみにアルゼンチンワインを飲みながらアルゼンチンの報告会。続いて先日事務所を退所したKさんが行って来たプラハとウィーンのスライド会。事務所OBOGもやって来た。9時から場所を荒木町「よつやこくてぃる」に移動して飲み会。今晩の荒木町すごい人出である。今日が忘年会最後の盛り上がりだろうか?