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Dec 2009

大晦日

On
by 卓 坂牛

今日も本棚整理。処分すべき本、大学に送るべき本、探していた本、今やっていることに使えそうな本などなど発見。ヴァールブルグは頻繁に本棚整理をやっていたそうだが、これは確かにとても生産的な作業である。一段落してから、12月頃読んでいた本で「建築の条件」に使えそうな本4冊分くらい、スキャンしてノートをとる。やっと12月までの作業のけりをつけられたような気分。続いて条件第一講義である男性性vs女性性の関連項目として先日買ってきたロバート・オールドリッチ(Aldrich, R)田中英史+田口孝夫訳『同性愛の歴史』東洋書林2009を読む(眺める)とても図版がきれいで図版だけ見ていても楽しい。ギリシア、ローマ、中世、近代、中近東、北アフリカ、アジアと語られる。洋の東西を問わず、歴史の今昔を問わず存在する同性愛とその罪悪視は考えてみればとても謎である。先ず言えるのは同性愛が生物学的な生殖活動ではなくとも(ないからこそ)無くならない(存続する)この事実。一方でそれが生殖活動ではないゆえに単なる快楽行為ということで罪悪視するその見方がまた2000年間無くならないこの事実。2000年間同じことが世界中で繰り返されているのである。まあそれはいいとしてこの同性愛を行う固有の空間が生まれなかったのかを探していたのだが、どうもこれぞという発見が無い。残念。
大晦日。今年は静かに家で過ごす。ワインを一杯飲んで寝よう。

古本

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by 卓 坂牛

南洋堂からの電話に起こされる。昨日送った本が8000円だそうだ。えっ結構高く買い取ってもらえるものだ。ルイス・カーンの作品集(似たような作品集が3つもあったので)と磯崎新の『建築の解体』(本棚を整理していたら2冊あることに気付いた)が入っていたからか?それにしてもいい値段。やはり専門書は専門のところへ売るのがこつか?昨日の日本酒のせいで頭がくらくらする。そこで御正月の食材を買いに近くのスーパーにかみさんとでかける。人が多い。しかもこの辺りは老人が凄く多い。その昔上北沢に住んでいたころはスーパーにも子供がたくさんいたものだが、ここ四ッ谷には全くいない。その代りその分だけ老人がいる。そして結構男性の老人が一人で買い物に来ているのが目につく。『おとこおひとり様』(上野千鶴子の新刊)は確実に増えているのかもしれない。帰宅したら頭のぐらぐらがとれた。読書をしたり掃除をしたり。

飲み納め

On
by 卓 坂牛

年賀状を郵便局に持って行く、切手を張る元気がないので、味気ないが料金別納にする。近くの郵便局に電話をすると別納スタンプ機械が壊れており、はんこう貸すので自分で押してくださいと言われた。四谷駅前も同じ。400通も手で押すのは勘弁。曙橋は動きますよというのでそこへ持って行った。ところが、、、「これは年賀ですか?」と聞かれ「はい」と答えると「では年賀のスタンプを押してください」と言われた。「えっ年賀じゃなくてもいいのですが、、、」と言いかけたらすでに局員の方が押し始めている「半分ずつ押しましょう」と明るく言われた。
午後部屋の中の本の整理。建築系の不要本は段ボールに入れて南洋堂に送った。それ以外の本は家族に欲しいものをとらせ残りを事務所で欲しい人にあげる。やっと1メートルくらいの空いたスペースができた。
夕方今年最後の恒例忘年会。東工大のO、T、筑波のK女史、伊東事務所のH、竹中のH、建築家Y,夫妻、K女史。飲み納め。

ポスト消費社会

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by 卓 坂牛

午前中自転車で六本木へ。ジョギングしようと思ったが昨日の歩き疲れで足が痛い。新国立美術館を覗こうとしたら、1月5日まで休館だそうで、森美術館まで行く。「医学と芸術展」http://www.ofda.jp/column/を見て帰りに四谷丸正でパンを買って帰る。ブランチをとってから年賀状に署名していく。一言書きいれようと思ったが、余りの量にうんざりして大部分は署名のみ。 夕方『ポスト消費社会のゆくえ』を読み続ける。辻井の実感では60年代に始まる大衆消費社会が終るのは80年代半ばだそうだ。その頃電通の』藤岡和賀夫が『さよなら大衆』を著し、大衆から分衆の時代を宣言する。しかし上野によればそれは単に階層消費の兆候と読めたと言う。まあ僕の感じでは会社勤めが始まった80年代の半ばにまだ階層消費は感じられなかったし、一方で分衆化がそんなに顕著だとも思わなかった。80年代は概ねバブルの風にのって十分皆大衆的だった(もちろん分衆化や階層化が潜在的に胎動していたのだろうが)。しかしここで参ったと思ったのは90年代確実に始まる階層消費に対して西武は既に80年に無印を作る一方でグローバルブランド(エルメス等)のライセンス契約をとっている。つまり階層消費の両側をしっかりおさえポスト大衆化時代を迎え討つ準備をしていたのである。商売人にはなれないなあとつくづく思う。建築なる商品(?)をこの時代にはめ込んでみると大衆消費社会の建築と言うのは結局プレファブメーカーだtったのだろうか?建築家と言う職能はなかなか大衆と相いれない。やはり基本はオートクチュールである。プレタポルテあるいはそのシステムを建築家は考案出来なかった。しかしそれでも数少ない関心を持った建築家の中に、伊東豊雄や坂本一成がいた。もちろん彼らが本当の意味で大衆消費的建築を作ったわけではなかったし、彼らの大衆消費を意識した方法がその後の建築の方向性を変えたわけでもない。あれはあの時代の処し方だったのではなかろうか?そしてその後分衆あるいは階層化の時代に入ることでまた建築が本来の一品生産的な特性を保持しながら安定した(ように見えてしまう)。建築は結局この時代の社会の流れから何も影響されなかったのだろうか?何事もなかったかのような21世紀?
もう少し冷静に考えてみたいところである。

いろいろ我慢

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by 卓 坂牛

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街角の生け花。ほっとする。
冬にしては暖かい京都である。朝一で楽美術館に行ったら休みだった。仕方なくタクシーをつかまえ富小路の町屋を改造したカフェでお茶して京都近代美術館に行く。ボルゲーゼ 美術館(ベルニーニがたくさんあるので有名な)の展覧会を覗く。本物のを知っているともの足りない。作者不詳作品ばかり並んでいた。建物は久しぶりに見たがぐっと魅力が半減している。それはこちらの見る目が変わったからなのだが。京近美を通り抜け南禅寺の山門の手前の金地院を訪ねる。一昨年京都造形芸大の植南先生に勧められて一度来た。小堀遠州の八窓の茶席を是非かみさんに見せたく訪れた。八窓席は遠州好みの綺麗寂といわれるもの。「綺麗寂ってなんだ?」と問うと「明るいこと」と妻の返事。「明るくって寂ってなんだ?」もちろん明るいといっても他の茶室に比べての話。窓も実際八つついているわけではない。それにしても茶室デザインのいい加減さってなんなんだろう。デザインを律するものがない。前回来た時あまり意識しなかったが、この八窓席の手前に長谷川等伯のあの有名な猿候掟月図がある。これは本来国宝級の作品。等伯の松林図屏風は国博のガラスケースの中にあることを考えると未だ寺の襖として使われ、手を伸ばせば触れるようなところにあるのは奇跡に近い。それを言えば、まあ八窓の茶室だってそうなのだが。靴を脱いで寺の中を歩き回ったら体が芯から冷えた。そばを食って体を温めるが効かない。清水の坂を登った少し温まる。茶わん坂とそこから分岐した小道沿いのギャラリーを眺める。陶器に漆をかけた盆、すごく欲しかったが重いので我慢。柔らかい瓜のような形をしたカップ5点。実に欲しかったが嵩張るので断念。小さな佃煮のような蟹の焼き物を手に入れた。玄関に置こう。夕方ののぞみで東京へ。車中、辻井喬(堤清二)、上野千鶴子『ポスト消費社会のゆくえ』2008を読む。広尾に住む妻の知るロシア人が、近所の堤家の邸宅がある日突然跡形もなく解体されマンションになったのを見て、日本人はいいものを簡単に壊すと嘆いていた。この本によると、彼は自宅を売り、100億強をセゾンが傾いたときにつぎ込んだようだ。
9時に東京に戻った。有名人が外国に行き24時間程度の滞在で濃密な(超駆け足な)旅行を楽しむと言うテレビ番組がある。それを真似たつもりはないが、今回の我々も思い立って東京を出て京都に着いたのが昨日の夕方6時。そして今日、京都を出たのが夕方6時。ぴったり24時間。濃密な旅立った。

京都

On
by 卓 坂牛

朝のアサマで東京へ。今年の長野の仕事はすべて終り。帰宅してかみさんと話していたら二人とも今日明日の予定が無い。こんなことは一年中探しても滅多にない。その上、娘はクラブの合宿でいない。どこか行くか?と話し冬の京都行こうということになる。この季節、京都で特別のものが見られるわけでもないがワープすることにした。ブライトンの部屋が空いていた。京都ブライトンは日建の設計。その昔出来た時に見学しに来たことがある。
新幹線の車中堤清二の『消費社会批判』を読み終える。消費社会の商品の特徴が三つ書かれている。リゾーム、ガジェット、ファッション化。商品のグレードは生産者が決めるものではなく消費者が決める。それゆえにそのグレードのヒエラルキーは極めて曖昧になる。それをリゾーム化と呼ぶ。そして、それゆえに役に立たないようなおもちゃのようなもの(ガジェット)が商品としての価値を生む。更に商品はファッションアイテム同様流行のサイクルが短くなる。これは多分そのまま建築にも当てはまるだろう。消費社会の建築の像が少しずつ鮮明になってきた。
ブライトンにチェックインしてから御所の近くのイタリア料理屋に行く。行く前に予約して行ったのだが、行ったら客が誰もいない。やはり冬の京都に人はいない。しかし実に美味である。この美味しさでこの値段?東京の半分である。ホテルに戻りバーへ。東京のブライトンは僕のボスだったYさんの設計。ラフロイグを一杯飲みながら故Yさんのことを思い出す。いろいろと教えてもらった人である。今年も一年大学も事務所も仕事は終り。自分で自分にご苦労さん。

夜景

On
by 卓 坂牛

研究生と2時間ほどコンペの打ち合わせ。2コマ目はデザイン論。午後製図。夕方obが研究室にやってきて数名で食事。駅前の背の高いビルの上にあるお店。以前何回か来たことがあったが窓際に座ったのは初めて。長野の夜景が一望できる。以前長野に現場があった時は宿にしていたホテルが高層で長野と言えば夜景の印象だったのだが信大に来てから高いところに登らなくなり夜景の印象がすっかり消えていた。10年ぶりに夜景の記憶が蘇った。

イブの都心

On
by 卓 坂牛

研究室の院生二人が留学を申請していたブエノスアイレス大学から留学許可の正式書類がメールで大学に届き転送されてきた。普通、留学の申請など個人が行い個人に送られてくるようなものなのだが、アルゼンチンのシステムはそうではない。授業料が限りなく0に近いためラテンアメリカやヨーロッパからの申請が多く学力もなく流れこむのを防止するための策なのかもしれない。学生がしかるべき教育機関に所属していることを担保するためにその所属教育機関に書類を送るわけである。あやふやなスペイン語の知識で読んでみたが大したことは書かれていない。あっさりしたものである。事務所でポートフォリオの最後のチェック。後は印刷。と言っても年末のお休みに入るので出来るのは年明けになりそうである。昨日読み始めた『住まいと家族をめぐる物語』を読み終える。文化人類学者の見る建築は文化的視点が強く常に主張を裏付ける当時の映画が示されていて興味深い。著者の主張は一言でいえば日本の住宅は男的「いろり端のある家」からやはりまだ男的「茶の間のある家」そして女的「リビングルームのある家」となり性別の無い「ワンルーム」となったというものである。僕の体験では生まれ育った団地が「茶の間のある家」で、これは親父支配であった。小学生で引っ越した一軒屋は「茶の間」と「リビング」の過渡期のような家で、これもやはり親父支配だったと思う。そして結婚して住んだ家は「ワンルーム」夫婦二人しかおらずなんとなくユニセックスな家だった。その後子供が出来て引越しを繰り返し現在の家はリビングのある普通のマンションで女が一人多いせいか女的な家かもしれない。こう書いてしまうと建築の属性ではなく、住んでいる家族の属性になってしまう。双方が融合する地点での属性が問題なのだが??
夜のアサマで長野に向かう。クリスマスイブの都心は何となく人が少なく感じる。でも皆足早にどこかに向かっているようにも見える。車中堤清二『消費社会批判』岩波書店1996を読む。彼がこの本を生むまでの間にいくつかの大学に呼ばれて講義を重ねたそうだが、そのひとつに信州大学も入っているのには驚いた。なかなかの人を呼んでいるわけだ。日本の消費社会の誕生の流れが家電に始まり、自動車に移行し情報産業へ転換するその流れが見えてきた。こんなことは経済学の基礎なのだろうが、しかしその中で住宅が立ち遅れていることが指摘されている。消費社会が建築に与えた影響を調査中なのだが、やはり建築は消費社会の脇役にもなれていないようである。いいことなのかもしれないが。

色鉛筆

On
by 卓 坂牛

気になっていた『マスメディアとしての近代建築』(ビアトリス・コロミーナ著、松畑強訳鹿島出版会1996)をチェックした。やはりこの本の最後の2章の初出がSexuality and Spaceである。つまり92年に刊行されたSexuality and Space で書かれた論考が96年のコロミーナの単著(『マスメディアとしての近代建築』)に再録されたというわけだ。
この季節、お歳暮やら、クリスマスやら、なにかと郵便物が届く。両親からも何やら届く。孫可愛さだろうがありがたい。では何かお返しと思いかみさんと伊勢丹へ向かうが、歩行者天国で手前で降ろされた。ちょうど世界堂の前である。それならちょうどいい、色鉛筆とスケッチブックに決め、カステルの一番柔らかい色鉛筆50色セットとスケッチブック二つを購入。何か絵を描くのを強制しているようだがまあいいや。食事をしてから昔住んでいた方南町に行き散歩してから四谷へ戻る。年賀状のあて名刷りを行う。400枚終了。出さない人から来ないことを願う。夜、西川祐子『住まいをめぐる物語』集英社新書2004を読む。著者の専門はジェンダー論。ジェンダーから建築を語るという僕のテーマにかなり被っている。そして僕の授業のストーリ「日本の近代住宅は男性性から女性性を持つようになりそして中性化する」が、どうもその通り書かれているようである。これはビックリ。わが意を得たりでもあるがまるで同じとはちょっと参った。西川さんの方が早いし。

忘年会

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by 卓 坂牛

朝一でマンションコンペの打ち合わせ。その後5キャンパスのテレビ会議。終って東京へ。今日の長野は快晴。山は真っ白。まるでスキー場にいるような気分。午後東京へ。丸善で本を宅配。いつもは見ない西洋史のコーナーに行く。食事、愛、同性愛の通史など興味深い本に遭遇。悪書に手を出すなと決めているのだが、ついつい食指が動く。一度帰宅して事務所へ。今晩は事務所の忘年会。先ずはフランスパンをつまみにアルゼンチンワインを飲みながらアルゼンチンの報告会。続いて先日事務所を退所したKさんが行って来たプラハとウィーンのスライド会。事務所OBOGもやって来た。9時から場所を荒木町「よつやこくてぃる」に移動して飲み会。今晩の荒木町すごい人出である。今日が忘年会最後の盛り上がりだろうか?