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Jan 2010

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by 卓 坂牛

昨晩長野に着いて駅で飯を食いながらコンピューターを開くと学生のメール発見「打ち合わせ8時からですよね?」。今既に9時。手帳では明日に打ち合わせとなっている。明日にしようとメールすると、明日はバイトで、、、今日やりませんか?うー帰って寝ようと思っていたが大学へ。そのせいか今日はちょっと眠い。午前中の会議を終えて4年生の最後の梗概チェック。直しても、直しても分からない文章が出てくる。それが、言葉で説明させると分かる。作文技術の問題のようだ。僕は国語の先生ではないので、それは各自やってくれ。
夕食をとって2年生の課題の採点。明日の講評会での発表者を絞る。明日はゲストが二人来るので発表者の人数をいつもより減らすことにする。25名。ちょうど半分である。自分の研究室のホームページで4年前の2年生の同じ課題の優秀作を見てみた。それに比べると遥かに上達している。少しずつだがレベルが上がっているということだろう。
採点を終えて研究室に戻り『日本美術の歴史』を読み続ける。飛鳥、白鳳、天平と来てやっと平安時代である。縄文弥生を抜けるとそこは仏像の世界。これは美術史というよりは仏教史である。仏像も徹底してフォルマリズム分析やる人はいないのだろうか?顔、ヘアスタイル、プロポーション、ファッションと分けて徹底した類型化とその逸脱表現などを分析すると面白いと思うのだが。何が何時できたかというようなことははっきり言って面白くない(もちろん意味が無いということではなく、意匠屋の自分にとって興味無いという意味だが)。

縄文・弥生

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by 卓 坂牛

朝方の脳みその調子がいい内に昨日届いた、梅原猛編『日本とは何なのか』NHKブックス1990の梅原の序文を読む。梅原は平安の王朝文化の基底に弥生を指摘し、その後起こる武家文化を縄文人の遺民による土着日本の噴出と言う。その後千野香織編の『日本?女?美?』に掲載された池田忍の「ジェンダーで読み解く美と権力」を読む。池田は日本文化の中でも王朝文化を持って女性性とする既成の考えを批判的に論じる。源氏物語絵巻から紫式部絵巻日記への男性像の描き方の変化(大きくなり、男らしくなる)に注目し、それは唐と武家への対抗意識であると指摘。またそもそも岡倉天心は王朝文化を女性的であると否定的に扱っていたのが、フェノロサはその逆を輸出し、いつしか逆オリエンタリズム的に日本=女性が定着したと主張。こうして見ると、やはり、ある文化を女性性、男性性で形容することに本質的意味を感じない。それはただ安易で分かりやすい形容でしかないのではなかろうか?ただ、梅原が言うように、縄文的なるものと弥生的なるものが弁証法的に日本文化を形成してきたことは納得のいく話しだ。午後事務所へ。やっと年末作っていたportfolioが印刷されて届いた。スタッフのN君、T君の力作である。住宅のスケッチを続ける。夕方それをもとにT君と打ち合わせ。案を3案に絞り、模型の作成を指示して長野へ向かう。車中、辻 惟雄『日本美術の歴史』東京大学出版会2005を読む。この本これだけカラー図版が多くて2800円とはビックリ。よく売れているということだろう。さすが辻 惟雄である。

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by 卓 坂牛

最近脳みそのバイオリズムのようなものを感ずる。つまり一日の内で最も注意力が増して、冷静で、記憶を呼び戻す力が冴えわたり、そしてそうやって頭の中に並べられた様々なことが直感的に結びついていくそういう時間帯があるということが意識されるのである。でそれは何時かと言うと朝起きて30分後くらいから1時間くらいと寝る前1時間くらい。何のことはない昼間は全く使い物にならないということではないか?そう。一体それはどうしてかと考えると、暇なようでいて、常に何かに追い立てられているような強迫観念に襲われているからだと思う。まあそれほど大袈裟なことでもないのだが、でも多かれ少なかれ常にあれはどうなっただろうか?とかこれは終わっているだろうか?とか心配になる。もちろん働いている人は誰だってそんなことはあるのだろうから、自分だけが悲劇の中にいる訳でもないのだろうが。
それにしても、、、、今日は脳波が調子いい時に所用で文京区のある地区を行ったり来たりしていた。終わって事務所に戻れたのは既に午後4時。そしてスケッチしたりメールしたりしているともう7時。それから打ち合わせすると10時。ここまで来ると力仕事は出来るのだが脳波既に静止しているので考えることはやっても無駄である。脳波が一番いい状態にある時に考えないと、その日は一日棒に振ることになる。という気がする。

運動

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by 卓 坂牛

センター試験にかけてずーっと長野にいたから、家事がたまった(と言っても洗濯物がたまっているわけではないが)。その書類を整理したり、郵便に目を通していたら昼になってしまった。午後事務所で打ち合わせ、住宅の敷地が決まったので、先ずは可能性を求めて動き始める。事務所にいても大学の用事が結構多くて参ってしまう。夕方春休みに来るインターンシップの学生の親が訪れた。フランスの大学のインターンシップは卒業のための必須科目なので僕の受け入れサインが必要。終ったら修了の証明書も必要だと言う。今まで来た学生の大学は書式が無かったのだが、このフランスの大学は書式がありそこにサインと事務所の印を押した。夜、運動をしに事務所を出る。運動が死ぬほど嫌いなかみさんがついに観念してジムに行き始めた。先日自転車でこけて体がついに思い通り動かなくなったことにショックを受けたようだ。四谷の駅の横、土木学会の隣のこのジムのヴィジター券があるので僕も行ってみることにした。僕も一昨年サッカーをやって筋肉を断絶してから運動は一切やっていなかったのだが、50になってそろそろまずいのではと思い、少し体を動かそうと思い始めた。夜のエアロビクスをやったら息が切れた。隣では僕よりははるかに年配の女性が平気な顔してやっているのには参った。

センター試験2日目

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by 卓 坂牛

長い長い(と感じた)センター試験もやっと終わった。今回は試験室の主任監督員で、試験説明をし、部屋の答案回収の責任者をした。時間を間違えず、説明を正確に行うのは少し緊張する。加えて計10回、試験前後に同じ説明を繰り返すのは自分を機械のように思いこまないと務まらない。とにかく今日の午後あたりから頭がぼーっとなってきた。風邪が原因なのかやっていることの単調さが原因なのか分からなかった。
試験が終わり研究室に戻りメールをチェックしてから自転車で長野駅へ。駅で夕食をとり店を出ると電光掲示板の気温が-1度だった。多分昼間も氷点下だったと思う。この数日本当に寒かった。7時のアサマで東京へ。車中ゴンブリッチの『美術の歩み』の必要個所を飛ばし読む。途中で居眠りをして気が付いたら大宮だった。久しぶりに自宅に戻り。日本酒を一杯。

センタ―試験1日目

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by 卓 坂牛

朝起きたら雪。いや参った。センター試験の日に雪が降るといいことがない。案の定、JRで事故があり試験時間が30分繰り下がった。昼からは明るい日差しがさしこんで雪も解け始めほっとする。自分の体もなんとか風邪にならずぎりぎりの線で持ちこたえている。最後はリスニング。ここで何か起こると時間を延長して追試をやらなければならないのだが何事もなく無事終了。
飯食って研究室に戻って、英語の筆記をやってみた。けっこう簡単と思ったが、ネットの答えと合わせてみるとなんと発音とイディオムを間違えた、、、、あれあれ。
夕食をとって一日たまったメールに返信。来週の講評会のゲストで来校する松田達君から信大でラジオの収録をどうですかとの依頼。いいねえ、でも何やるか?
春休みにフランスから来るインターンシップの学生からメール。彼女は日本人なのだがフランス語とポルトガル語がネィティブ、僕とは英語で話し、日本語は日常会話程度のようだ。パリ第五大学で哲学と文学で修士まで終えて、現在建築を学んで3年目。ヨーロッパやアメリカではこういう厚みのあるインテリが建築やっている。日本も負けないようにしないと。a.s.a.p.でいらっしゃいとメールしていたのだが2月3日に来られるとの返事。何してもらおうかな?
試験監督は結構へろへろに疲れる。研究室で読みかけの本を読んでいたのだが気力が続かない。帰ろうと思ったら信大OBのM君から電話。「セシルバルモントの講演会面白かったです」と飲み屋から。そうそう買ったチケットが行けないと分かりM君にあげたのだった。羨ましい。「懐かしい人に代わります」と言われて若松が出てきた。「展覧会どうだった?」と聞くと「模型が結構面白いですよ」とのこと。来週見に行こう。

女?日本?美?

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by 卓 坂牛

やはり風邪っぽさが抜けない。マスクしながら研究室でコンペのプランを整理してみる。いろいろな可能性を発見するのだが、スタディの仕方がどうも違うと感ずる。プランを整理する前にやることがありそうだ。ヨーロッパのコンヴァージョン事例集を眺める。手法を整理すると、挿入するか、被せるか、分割するか、後はその組み合わせである。それはまあ手法であって、一番大事なのはその結果生まれた状況である。その状況は写真じゃ分からない。距離感が伝わらない。この距離感を操作したいのだが。そのためにはどこからやるべきなのだろうか?
午後は明日の試験の説明書や、緊急事態のQ&Aに目を通す。やりたくないが、仕方ない。このQ&Aが山のようにあって閉口する。夕方やっと終えると風邪の頭がぼーっとなってうたた寝。
気を取り直して、原稿のために、こちらに置いてある本をまとめてチェック。石本泰博の『桂離宮』の磯崎論文に目を通す。磯崎論文が読みたいのではなく、磯崎が紹介する丹下の引用が読みたかった、丹下は桂を縄文と弥生の結合と位置付けている。今とりよせている本で、梅原猛もそう主張しているようだ、かたや谷川徹三の本ではもっと2元的な筋のようである、、、本棚を眺めていると面白い本を発見。男女性をやり始めた時に購入してほっぽらかしていたもの。熊倉敬聡、千野香織編『女?日本?美?』慶応義塾大学出版会1999。その本の熊倉の序文を読んで冷や汗。曰く「『日本美術のジェンダー』は往々にして『男性性/女性性』の二項対立的表象で言説化されやすい」、曰く「―上野千鶴子も言うように―暗黙の裡に『西洋』=『父』=普通 / 『日本』=『母』=特殊というオリエンタリズム的表象を繰り返している、、、、、」何が冷や汗かと言えば、男性、女性の2言論、西洋男、日本女の2言論に陥りそうな昨今の自分の思考に冷や汗なのである。もちろんその中間のグレーゾーンが常に僕の思考では重要な部分なのだが、正直言うと事例探索でも言説探索でも、そんな美味い例は見つからなくて、ついつい分かりやすい方へ傾斜してしまっている。時にこういう頭を冷やす言葉に出会わないと危険である。一昨日のかみさんの指摘はまさにこうした単純な二元論に対する痛烈な批判だったわけである。とは言え、建築を語るときにどこまで既成権力を相対化せねばならないかは難しいところだが。

これが建築なんてありはしない

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by 卓 坂牛

どうも昨日のアサマの隣人から強力なウィルスを譲り受けたようで、喉が痛い。あれほど酷い風邪の末期症状で新幹線に乗り込むなど言語道断。もしあれが飛行機で数時間隣にいられたら明らかにこちらも死んでいる。一種のテロリズムである。ハサミやカッターとりしまるのに加えてウィルスチェックもして欲しい。電車も同じ。自動改札機でウィルス保持者をはねたらどうだろうか?。保健室に行って風邪薬をもらい服用。毎度頂く白い顆粒。
マスクをしながらM2梗概の最終チェック。もう終わりとしたかったのだが、、、、案の定まだ終わっていないものがちらほら。仕方ないもう一度来週見ることにした。修士と学部に一つずつ心理実験をして、統計処理したものがある。これがなかなか手ごわい。数三の統計を思い出し(やったはずだが遥か昔)分からないところをネットで調べなんとかフォローするが風邪の頭は追いつかない。まあだいたい間違っていないだろうくらいのことが分かったのでいいことにした。
チェックしたものを学生に渡し、急いで遅めの昼をとり、戻ったら所にリクルーターの方が来研。4時と5時に一社ずつ。終って就職相談の学生が矢継ぎ早に2名。今日の義務は終りと言いたいところだが、メールとスケジュールを睨み会議日程を調整してメール、論文題目をとりまとめてメール、博士課程学生のレポート題目メール、学生の相談へのメール、小さなことも数がたまるとなんだかんだと時間がかかる。
カーサブルータスの最新号が手元にある。住宅特集である。興味深い若い人の作品がたくさん載っている。芸能週刊誌ではないが、毎年毎年登場人物が若くなっていく。Smapは終り嵐というところか?来年は誰になっているのか?先ほど調べ物をするのに開いた本(ゴンブリッチ(Gombrich, E.H)友部直訳『美術の歩み』1972(1967))の序文がこう始まる。「これが芸術だというようなものは、本当はありはしない。ただ芸術家がいるだけである」芸術を建築に入れ替えてみる。「これが建築だと言うようなものは、本当はありはしない。ただ建築家がいるだけである」現在の建築状況に近いかもしれない。

たおやめぶり

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by 卓 坂牛

朝食後しばらく自宅で調べもの。フォーティーの『言葉と建築』によれば西洋建築の評価軸には男らしい・女らしいという比喩があり、それに則れば評価が高いのは古来男なのである。その理由は頑丈で堅固なものでなければ人を守れないからであろうと推測される。建築って当然そうだよなと思う。しかしそう思う反面、世界中どこでもそうだったのだろうか?と疑問もわく。それは西洋が狩猟民族であったことに関係しないのだろうか?ちなみに日本では縄文的(狩猟時代)・弥生的(農耕時代)という通俗的美意識の二元論がある。それは和歌では「ますらおぶり」(男性的でおおらか)な万葉集「たおやめぶり」(女性的で優美)な古今集と繋がるし建築も陶器もそうした二つの系列が表現の軸になってきたところがあった。そしてこの「たおやめぶり」の美意識は既述の通りフォーティーの西洋建築史には顕著には見られない、他の文献を調べても見つからない。これってかなり日本独特なのではなかろうか?(いや自分で言ったことに従えば、農耕民族にはあるはずの美意識かもしれないのだが、、、、)そこでそのことをかみさんにも尋ねてみた。「どう思う?」。彼女曰く日本のそうした美意識の対比は書道史の中にもみられ、平安から鎌倉へかけての書の変遷は典型的な事例のようだ。それは繊細優美から粗で荒々しい字への変化。貴族の暇人と戦う武将の差が表れるのだそうだ。うーんそれは、狩猟、農耕とは関係ないのだが、、、でも平安の「たおやめぶり」が生まれたのは農耕社会ののんびりムードが関係しているのではないのだろうか?ま、その結論はおいておいて、概説本ではこうした変化を女性性から男性性への移行と説明するらしい。しかし彼女が言うにはゲシュタルト的には認知できにくい線の中身に本質があり、繊細優美な平安の字を表層的に女性的と呼ぶのは間違いだというのである。これはかなり本質的な問題をぐさっと突いている。確かに表現の本質において女性的とか男性的という形容は全く意味をなさない。建築を擬人的にそう呼ぶのももはや無意味である。ただ、世の中がそれをそう呼んだという事実だけが意味を持っている。つまりそれこそが性にまとわりついたイメージのお仕着せなのであり、そのお仕着せの事実こそがジェンダー的に意味があるわけだ。なんて支離滅裂なことを考えながら、事務所へ。スタッフと類型化した住宅分析51棟をもとに打ち合わせ。なるほど名建築でもプランはステレオタイプだったりするものだ。つまりプランじゃない所で作っているということである。プランのセイムスケールってよく見るけれど、今度は断面のセイムスケールを作ってみようかな?
午後のアサマで大学へ。風のため新幹線が遅れ気味。アサマは超混雑。隣に座ったビジネスマンがマスクして死にそうなくらい咳をしている。席を移動したいのだが廊下も立っている人がいて身動きできず。車中未だ戦争本を読み続ける。やっと第一次世界大戦。この本では外交文章を例示しながらことの因果を説明する。その結果何故この当時、子供のケンカのようにいたるところで戦争していたのかが腑に落ちるように出来ている。その腑に落ちた僕なりの理解は、それまでの世界は現代世界のように国家がジグソーパズルのようにピタッとはまって出来ていたのではなかったというものである。大国と言われる国は数えるほどしかなくて、後は空き地っていう感じだったのだ。つまりパズルで言えば100のパーツで完成するところに10しかパーツが無い。だからそのパーツはどこにでも置けちゃうのである。言いかえれば世界中に空き地が一杯あって(もちろん人は住んでいるのだけれど)空き地を誰が使おうがそれを誰も文句は言わない。「でも俺が使いたい空き地にはあまり入ってこないでよ」という、そんな世界だったのだろうなああって思うのだ。野原で子供たちが野球やったりサッカーやったりして「俺らのサッカーやってるところに、外野入ってくるなよ」と中学生の兄ちゃんが小学生を追い出しているようなものである。

距離感

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by 卓 坂牛

半日かけて学内GPの資料作り。毎年とれているのだが額が小さくてあまりたいしたことはできない。とはいえどもbetter than nothing。小さくたくさん稼ぐしかない。Portfolioの試し刷りが出来上がる。事務所内ではインクジェットで試刷りしていたわけだが、印刷になると解像度が少々落ちる。想定外だったが仕方ないかな。今後外部印刷の試しはレーザーでやらないと。夕方、コンペのことを考える。市原の自然の中にあったあの建物。じっと思い返しても、あの建物のあの空間がまったく理解できない。まったく気分良くない。2時間半かけてあんな場所に行ってもまったく嬉しくない。何故なんだろうか?駅から湖を渡ってあの建物に入った瞬間に外界とはなんの関係もない、東京のどこにでもありそうな「部屋」に入ったのである。もちろん部屋によっては大きな窓もあってそこからは外部が見える。しかしこの外部というのが「唯の外」。風景と言うよりサッシュのグリッドばかり目につく。この空虚な味わいはあたかも高速道路のサービスエリアで食うラーメンのようである。これに比べれば、 ぼろぼろの駅舎で猫と戯れていた時間の方が遥かに豊かだった。こっちはガード下で食う焼き鳥のように哀愁に満ちていた。この差はつまりやはり周囲と自分の距離感なのだろうと思える。味はもちろん距離とは何の関係もないのだが、、、、