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Jan 2010

インスタント衣食住

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by 卓 坂牛

朝から原稿。ずーっと書く。書くと分かる。調べの足りないところ。どうも一章書くのに準備ができてから二日はかかりそうだ。夕飯食べてまだ書こうと思ったが、頭がもう動かないので諦めた。年末に買ったポール・フリードマン(Freedman, P)編 南直人、山辺規子訳『食事の歴史』東洋書林2009を眺める。200点以上の図版が楽しい。マキシムのインテリア写真が見開きで、ロンドンサヴォイの創業時の内観外観のエッチングなど興味深い。そんな図版や見出しを読みながら気になることが一つ。衣食住は近代化とともに「早く安く」という「牛丼化」の傾向を伴いながら変容してきた。住宅は大量生産住宅の夢がコルビュジエやバウハウスによって二十年代に語られた。そしてそれは現代では積水ハウスやミサワホーム、もちろん世界中のプレファブメーカーに引き継がれている。着るものにおいても大衆消費社会に乗ってジーンズ生地でポップオーバーを作ったのはクレア・マッカーデル。1942年のことである。そして今やユニクロが世界中で売れる時代である。では食では?この本によると「19世紀末にスイスの製粉業者ユリウス・マギーは工場で働く女性が、栄養のある食事を家族のために準備したり料理したりする時間を持つことができないということに気が付き」野菜の粉を使って栄養価の高いスープの素を作ったとある。これが誰もが知る「マギーブイヨン」でありインスタント食品の嚆矢である。それ以来もちろん食文化でもファーストであることが金に繋がる時代になってきたわけである。しかしこれからはもう安く早くの時代でもないだろうと思うのだが、それでもユニクロのこの好業績を見るとやはり、牛丼の時代は終わらないのかもしれない。こうなったら徹底的には早い設計のシステムと言うのも考えてもみたい気もする。

大衆の終焉

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by 卓 坂牛

朝の冴えた頭でコンペのことを考えながら既存施設の図面と睨めっこ。増築すべき面積をその上に描き込み余りに小さいので愕然とする。やはりこれは殆どインテリアのコンぺだ。インテリアの関係性を部分の集積として考えるのではなく有機的な全体として考えたい?そこで蔵本由紀『非線形科学』集英社新書2007を飛ばし読む。昔の高校の物理のような内容である。チューリンゲンパターンという面白い画像を発見。内容はとても理解できないのだが、、、、「建築の条件」消費社会の章を考え続ける。そこで先日買った難波功士『広告のクロノロジー』世界思想社2010の後半を読む。70年代後半から80年代にかけての広告自体のサブカルチャー化が語られる。先日読んだ堤清二と上野千鶴子の対談では上野が西武の70年代末の広告を画期的だったと評価していた。それは広告の指示対象物(商品)が広告から消えたという理由による。シニフィエに対してシニフィアンの過剰とも書かれていた。簡単に言うと何の宣伝?とわけのわからない宣伝のことである。しかしそれは若者には受けた。難波の分析による広告自体のサブカル化(若者のアートと化した)とはこのことである。大衆消費社会とは人々が使用価値を越えてイメージを求める社会だが、その終着点でついに使用価値が消滅したことを広告のアート化が示している。夕方風呂につかりながら成実弘至『コスプレする社会』せりか書房2009を一気に全部読む。コスプレが盛んになるのは90年代。つまり大衆消費社会が終焉してつぎの分衆消費が始まる頃からである。大衆と言うひとつのくくりにはめこまれた時代が終わり、大衆が分かれ、そしてさらに個人化していくのが90年代である。そこでは様々な社会現象が登場してくる。それまでとは異なりひとは「本当の自分に執着するように強い圧力を」かけられてくる。その現れの一つがコスプレである。本当の自分というにはやや屈折してるかもしれないが、それでもそこには他者とは異なる自分への執着がある。大衆の夢でもない。ポスト大衆的現象であることは間違いない。

市原

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by 卓 坂牛

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研究生のT君と新宿で待ち合わせ。総武線を乗り継ぎ千葉に行き、内房線に乗り換え五井、そこから小湊鉄道なるバスのような電車に40分揺られて高滝。久々に乗るディーゼル車である。まるでトラックに乗っているようなエンジン音。新宿を出たのが12時。高滝に着いたのは2時半。新幹線なら京都に着いている。コンペの敷地まで駅からぶらぶら歩いて20分。既存の「水と彫刻の丘」と言う名のギャラリー施設の改修増築コンペである。しかし、、、、こんな地の果てのように遠い場所に人はいったいくるのだろうか?????場所は確かになかなか魅力的なところではあるのだが。寒風吹きすさむ中見学。同業者と思しき人たちも少々。一通り見終わり5時の電車に乗るべく駅に戻る。駅の周りに唯一ある何でも屋で菓子を買って吹きさらしの駅のベンチで空腹を凌いでいたらネコが3匹やって来た。野良猫を見るのも久しぶりである。車中可能な案の形式を話し合うのだが、これはかなり難しそうである。
帰宅して読もう読もうとずっとカバンに入れて持ち歩いていた祐成保志『<住宅>の歴史社会学』新曜社2009を読む。著者は信州大学の人文の先生である。去年成実弘至さんをレクチャーで招いた時「信大に面白い建築の先生がいますね」と言われこの著者の名を告げられ恥ずかしながら存じ上げなかった。読む前はブルデューの『住宅市場の社会経済学』のような本を想像していたのだが、どうも違う。社会経済学と歴史社会学だから力点の置き方が違うのは当然である。ブルデューはどうしても話が階級意識に繋がるのだが、祐成氏は住宅を成立させる広範な基盤を丁寧に掘り起こす。その中で紹介される一つの話は印象深い。それは45枚の位牌を背負って師走半ばの雨中を歩き保護された老人の話。現代の我々は彼をホームレスと呼ぶのだろうが、この老人にとって45枚の位牌は極限まで切り縮められたイエなのである。ホームレスなのにイエがあるというこの逆説は考えさせられる。上野千鶴子『家族を入れるハコ家族を越えるハコ』平凡社2002で山本さんがこう言っている「近代家族の理念が虚構でしかないということが分かっても、それでもなぜ家族というものが崩壊しないでかろうじて残っているかという、住宅と言う擬態があるからなんだと思うんです」つまり家族という概念は国家の秩序を保つ重要なユニットであり、その意味で極めて近代的概念として成立してきたもの。さらに言えば西洋キリスト教的な一夫一婦性の性秩序を守る基盤でもあった。つまり秩序を守る箱として社会(国家)が必要としたそのハコは人々が生き生きと暮らす場ではなく国家秩序のユニットを可視化したものに過ぎないというのがここでの山本さんの言わんとするところであろう。そして本来の人の生きる場としての住宅を山本さんは模索する。それはもしかすれば95歳のこの老人にとっては45枚の位牌なのかもしれない。イエとは生きていく選択肢なのであって固定化され、制度化されたハコではないのだと

成人

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by 卓 坂牛

朝一でゼミ、即日製図は住宅。1時間で40坪の住宅の図面が描けるようになった。その昔研究室の希望者選抜で即日設計やって愕然としたが、それに比べればかなりの上達である。輪読本はルフェーベル『空間の設計』最後にどーんと重い本である。
午後は製図。出席者が少ない。どうも成人式が原因のよう。昔は成人式なんて出るやつは変わり者だったのだが、最近の学生は当然のように参加するらしい。来週が製図の締め切りなのだが今週末は成人式に出なければと学生たちは異口同音に言っている。成人式はもちろん出身地で出席するのだから遠い人は大変である。50人以上いるクラスで今日の出席者は38人。成人式のために既に地元に帰ったか、あるいは冬休みの延長でまだ長野に来ていないかどちらかである。そして残っている38人も大半が明日土曜日は地元に帰るようだ。隔世の感がある。夕刻のアサマで東京へ戻る。車中で読んだ週刊誌に佐藤優が日本の成人年齢について意見していた。現在成人年齢を18に下げろと言う議論があるがとんでもない。若年層の幼児化がひどく昔の成人に値する精神年齢はせいぜい35だと書いてあった。まあ35は極端にしても、確かに精神年齢が下降しているのは事実かもしれない。

タクシー

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by 卓 坂牛

夕方学会の委員会。終って田町で食事をしてから長野へ向かう。同僚先生と3人。長野に着いたら11時半。最近道の凍結で自転車は大学に置きっぱなしなので移動はもっぱら歩き。しかし今晩は余りの寒さにタクシー。

スキー部健闘

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by 卓 坂牛

事務所で住宅プランの分析。JT10年分を全部引っ張り出してきて、平屋住宅プランの分類をスタッフといっしょに行った。たまにぎょっとするプランに出会うのでなんとも面白い。こちらの興味に合致するものを選びぬいたら51軒あった。これらをセームスケールにする。これでここ10年くらいのおおよその形式が炙り出せるだろう。昨今の平屋トレンドを受けてこうした分析は既にJTでやられているのだが、それとは視点が異なる。ではそこから何か別の形式が見い出せるのか?あるいはヴァリエーションしか出てこないのか?
大学時代所属していたスキー部の冬の試合の結果が毎日のようにメールされてくる。自分が学生時代、冬は7大戦、春は東京都国公立、東日本国公立、インカレと年間4試合を行っていた。冬の7大戦とは全国の国立大学(神戸、大阪、京都、名古屋、一ツ橋、東京、東工)7校の試合だったが昨今は九州大学が加わって8大戦と言うらしい。その昔、僕らのころ、単科大学である東工大は総合大学の選手層の厚さには勝てず、いつも下位を争っていたのが、去年あたりからメールで回る情報を見ると、とんでもなく強くなっている。そして今年も男子は3位、女子は優勝である。工業大学だからただでさえ女子が少ないのに総合大学相手に優勝とは感動である。心から拍手。

松本の会議

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by 卓 坂牛

エアコンの暖気が冷気に感ずる。6時にセットした目覚ましで目が覚めたのか、エアコンの冷気(?)で目が覚めたのか不明。外はまだ真っ暗。余りの寒さに風呂のドアを開けたままシャワーを出しっぱなしにする。部屋中に湯気が雲海のごとくたちこめる。これで部屋の温度は4℃くらいすぐ上がる。ついでなのでこの熱いシャワーを浴びる。やっと目が覚めた。6時台の電車で松本へ。長野から松本へ来ると普段はひどく寒く感ずるものだが今日はそうでもない。長野がよほど寒かったということか?駅で朝食をとってから大学へ向かう。副学長や施設部の方たちと、ある計画についてのミーティング。最近は後でストレスがたまらないように会議では言いたいことはなるべく全部言うようにしている。1時間半たっぷり意見することができすっきり。副学長には初めてお会いするので『建築の規則』をさしあげる。山梨県の中世史が専門とのこと。私も山梨で仕事をしていることを伝えると嬉しそうに話始められた。今後またいろいろ話を聞かせて頂くことをお願いして大学を後にする。午後のアズサで新宿へ。昨晩は寝不足なのだが車中では目が冴える。『それでも日本人は「戦争」を選んだ』を読み続ける。じっくり読んでいるせいかなかなか終わらない。駅で遅めの昼をとり事務所へ向かう。皆と年初の挨拶。たまった雑用を終わらせ、スタッフと今後の仕事の進め方を話す。話しているうちに面白くなり明日は共同でその作業をすることにする。

今夜も寒い

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by 卓 坂牛

1月4日仕事始め。日建時代も仕事始めは義務で出ていた。義務とはいうものの社長はそれなりに精一杯の意味ありげな話をしたものだ。それに比べてと言ったら申し訳ないが、大学の仕事始めはあっさりしている。せっかく集まったのだから長たるものの心の入った言葉を聞きたいものだが業務連絡で終りである。気が楽と言えばそうとも言えるがちょっと物足りない気もする。終って新年最初の学科会議。飯食って午後も会議。それから4年生の卒論ゼミ。もう余り言うことはない。後は自分でよく考えてもらうしかない。てにをはを直すのは僕の役目ではないだろうし、大きな方向転換ももはやあり得ないし、後出来ることはマラソンの横で並走するコーチのようなもので、ゴールまでへこたれるなと怒鳴るだけである。夕刻研究生とコンペの打ち合わせ。いい線まで来ている。後は表現の段階だろうが、言いたいことを明確にするプランニングというものは何かを考える、、、、明日朝早く松本で結構重要な会議があり今晩中に移動しようと思っていたのだが、その矢先に中国の事務所に行っていた卒業生から電話。「飲みませんか?」。前から会おう会おうと言って会えずにいたので松本への移動は諦め、研究生と指定の場所へ行く。彼の友人で今年のSDの奨励賞をとったS君もいて建築談議に花が咲く。短い時間だったが面白かった。明日が早いので先に失礼。今夜ももちろん長野は死ぬほど寒い。

本格的冬

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by 卓 坂牛

午前中夫婦で散歩。僕はジョギング、かみさんは自転車。新宿まで往復。人もまばらで爽快。昼をとりながら付けたテレビに雪の降る善光寺がホラー映画のごとく映る。恐怖におののきさっさと家を出て長野に向かう。東京駅はさすがに人がごった返していたが新幹線は空いていた。車中昨日の続きで『それでも日本人は「戦争」を選んだ』を読み続ける。企画は気に入らないところもあるが内容はとても面白い(僕の歴史的知能レベルが高校生並であるということである)。題名が示す「なぜ戦争という判断に至ったのか?」という問いは、どうも二つの局面を持っているようである(未だ読み終っていないのだが)。一つ目はその判断を生んだ過去の歴史読解。そしてもう一つはその判断を支援した世論の成立基盤である国民性。なるほどそういう目で見ると日本に限らず様々な戦争が何故そういう判断をしているのか少し理解が深まる。戦争ほど究極の政治的判断はないだろう。となれば歴史家にとって(あるいはそうじゃない一般の人にとっても)その判断の根拠に迫ることほど肝要なことはないだろう。6時に長野に着いた。もう真っ暗である。一月になるとぐーんと長野は寒い。先ず道が凍り始める。自転車は怖い。駅から歩いて大学に来た。よく滑る。実に危ない。研究室に着いてファンヒーターとエアコンを両方入れても全然部屋が暖まらない。冬休みで建物が芯から冷え切ったようだ。冷蔵庫でマッチをともすようなものである。ダウンのコート着ながら、明日の会議の資料を作る。3月に行うワークショップの企画なのだが名案が浮かばない。苦し紛れに2案ほど作ってはみたもののどうもうまくいくような気がしない。寝ながら考えよう。

教育の基本

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by 卓 坂牛

かみさんは仕事始めで出かけた。書道を生業にしているのだから仕方ない。娘と僕は二人で雑煮を食べ正月二日目を過ごす。ジャックアタリの本の続きを読みながらテレビでラグビーを見る。早稲田が既に負けたので興味は半減しているのだが、慶応と早稲田の行方が気になった。しかし両方とも東海と帝京の巨漢フォワードに潰されてしまった。時代も変わった。夕方かみさんの兄弟姉妹との新年の食事会に出かける。電車の中で加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版2009を読む。この本の企画は先日読んだ『単純な脳複雑な「私」』と同じで東大の先生による高校での講義録である。つまり難しい話を簡単に語るために高校で話させるという企画である。それはそれでいいのだが、今回は名の売れた私立高校を前面に押し出して本づくりをしている。この本の場合は桜蔭出身の東大教授が栄光学園で教えてその講義録を本にするというものである。私立受験校を出版のプロモーションに利用するのが僕は気に入らない。私立受験校が日本に過剰に登場してきたのはベビーブーム時代に東京に都立高校が不足したからだと言う。そしてそれからというもの東京では公立高校のレベルがどんどん下がった。逆に私立高校が努力してレベルを上げた。それはそれでよいのだが、やはり教育とは基本は国が責任をもって行うべきものであり、私立学校は補助であるべきだと思う。年間100万程度の学費を払う親の負担が生活の豊かさを犠牲にしているのである。だから日本はいつまでたっても文化を持てないのだと思う。教育にはやたら敏感だが文化には全く鈍感な国民がこれだけ生まれてきたのはそこに原因の一端がある。こういう状況に拍車をかけるすべての行為を僕は好きになれない。