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Apr 2010

ザ・ヒューレ(質料)

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by 卓 坂牛

信大の大学院の授業で拙訳『言葉と建築』を教科書として使っている。そして毎週講義のホームページに小さな問いを書きその答えを要求する。
先週の問いはこうである。
「デザインとは概念(イデア)とモノ(モルフェとヒューレ)との相克であるというのがつまるところの今日の話なのだが、建築を見ていると、ああこれはイデア先行型だよなとかモルフェだけだよなぁとかヒューレだけでモルフェがないなあとかそのバランスが悪いものが多々あるのではなかろうか?僕の建築も当初イデア先行型だと坂本先生に批判されたのはArchitecture as Frameを読んで頂けると分かると思う。そこで君の経験した建築においてイデア、モルフェ、ヒューレの視点からそのバランスについて批評してほしい」
これに対して、「モダニズムはイデア先行型建築であり、大学の製図もイデア先行型であり、そんな建築に興味はない、僕はモノの建築が好きだし、作りたいという」というような答えを記す学生が少なからずいた。
そんなレポートをウエッブ上で読んだ後、期せずして先日お送りいただいた『竹原義二の住宅建築』toto出版2010の写真をめくった。「これぞまさにモノ建築!!!」思わずため息が漏れた。ここには概念で建築を語ろうなんてみみっちい作法は無い。「張りつめたプロポーションが作り上げるモルフェの緊張感と、ウソ偽りの無いヒューレの衝撃である」。なんて勝手に竹原宣伝マンになったような気分でページをくくると藤森論文に遭遇した。題して「竹原城の謎」。一体何が謎かと言うと、竹原義二の仕事はその独特の作風を知ってはいても言葉にできないというのである。曰く「言葉という道具は、トンガッタ思想やデザインを把むには適していても、誰にでもすぐわかるような目立つ先端分をもたない存在にはむいていない」これぞまさに竹原がイデアを後景化しモノを先行しながら建築を作っていることを物語っているのである。しかし、ヒューレのヒューレたるは写真なんぞでは分からない。一度本物を見たいものである。竹原さん今度見せてください。
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GW出張

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by 卓 坂牛

いつもより30分早いあずさに乗るべくあわてて家を出る。新宿の改札であずさ回数券を入れるのだが通らない。ゴールデンウィーク中は回数券が使えないことを思い出し慌てる。券売機で特急券を買って乗りこんだのだがその電車はスーパーあずさ。検札の車掌さんが「これは塩山止まりませんよ」というので「八王子で乗り換えるつもり」と言うと、別途慮金がかかりますと言う「なんで?」と聞くと「今回は結構ですから次回は気を付けてください」と言って去って行った。僕は「なんで」と聞いたのであって料金を払わないとだだをこねたわけではないのだが。いまだに理由は分からない。八王子で乗り換えた「はまかいじ」と言う鎌倉から来た特急に乗る。これがひどく旧式な電車。トイレは駅弁トイレで窓も開く。なんだか田舎の電車と言う感じでのどかである。車窓の風景は春うらら。と思いきや八王子を超えて山を抜けたら大雨である。なんだこれは?塩山も土砂降りである。先週渡した25枚の展開図への細かな指示を延々と聞いた。終ってこちらから5枚の建具表を説明。だんだん打合せも細かな話へ入り込む。午後は甲府へ。こちらは殆どのことを決めて後は図面。ひさしぶりに日のあるうちに甲府を出る。帰りの車中はジャック・アタリ斉藤広信訳『1492西欧文明の世界支配』ちくま学芸文庫2009を読む。先日小巻さんに勧められた本である。しかしこのジャック・アタリの博学には恐れ入る。こんな人が世の中にいると思うと本を書こうなんて100年早いと言う気になってしまう。

「けらば」の出

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by 卓 坂牛

朝から豪雨。午前中某建物の補修工事の件で防水業者と電話で押し問答。防水保証の10年の前に亀裂が生じているので早急に現地視察して処置するように言う。けれどもなかなか気持ちよく動かない。やっと日程調整しクライアントに伝える。午後は5月のプロジェクトスケジュールを入念に作る。現説、見積もり、など細かな締め切りが波打つように迫ってくる。こういう緊張感も久しぶり。今年は本格的にGWが無い。その後明日の甲府遠征のための打合せ。その途中で淡路島の屋根瓦屋さんが来る。現状の設計を見ながら細かにアドバイスをもらう。特にけらばの機能性とデザインについて。僕らはけらばと壁面を面一で納めようと考えていた。同様のディテールを参考にしようと思い、新建築を見ていたら類似事例にこの淡路島の瓦が使われていた。そこでお呼びしていろいろ納まりの原理を聞いていたのだが、「屋根は軒でもけらばでも少なくとも300くらいは出さないと壁が落ちる」と言うのだ。「ではこれは大丈夫だったのですか?」と類似事例の写真を見せる。「うーん大丈夫かなあ?設計者がけらばの出を無くしたいと言っていたからこうなっているけれど」と言う。T工務店が施工しているのだから安心と思いきやそうでもないわけだ。「でも長野でも古い土蔵などけらばは殆ど出てませんよ」と反論するのだが、「ああいうけらばの出の無いしっくい壁は落ちます」とあっさり言う。ここまで言われると方針変更。けらばの出し方を議論していたら夜になった。もう一つのプロジェクトの建具表とにらめっこ。なんとも建具表だけで5枚ある。この建物いかに室が多いかである。展開図は25枚、建具表は5枚。簡略化する必要は無いのが見やすくしないと間違える。

越境する批評の可能性

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by 卓 坂牛

午前中ゼミ。暖房の効きが悪い上に外装工事をしていて窓が全開にされる。寒くて集中力が切れる。午後は製図のエスキス。これもどういうわけか暖房が故障。今日はたたられている。夕食後学生の就職相談やら、クライアントに電話をしたりで遅くなった。乗れた電車は9時。車中思想地図vol5の佐藤俊樹の論考「サブカルチャー/社会学の非対称性と批評のゆくえ―世界を開く魔法・社会学編」を読む。これは昨日読んだ北田の論考が多く依拠していたものである。つまり、この中に北田が思想地図を降りる理由がもっと明快に書かれているはずなのである。そう思って読んでみると期待を裏切らない内容であった。彼の論理はこうだ。サブカルも社会学も売れるものと売れないものがある。一方サブカルも社会学も先端をゆくものがある。そして売れるものが必ずしも最先端のものではない。しかるに0年代の批評なるものは最先端のサブカルを売れる社会学で説明しようとすることでねじれ現象を起こしていると問題提起する。そして売れた(ている)社会学者として宮台と大澤の批判をする。そして結論は最初の問題提起に戻り、それら売れた社会学のみを使った0年代批評の批判となるわけだ。この批評の担い手の実名は挙げられていないがそれは言うまでもない。そしてこの批判こそが、その人間と手を組んで批評を連ねる北田を思想地図から引きずりおろす原動力となったことは想像に難くない。ここにはアカデミズムとジャーナリズムの相克に加え領域を超えた批評の在り方が批判的に語られている。個人的には建築を社会学的に語ろうと思っていた(もはや昨日その野望は捨て「社会的」程度に格下げしたのだが)僕にとってはまたしても厳しい文章である。しかし人文の知による数理的な知の乱用は言うに及ばず(アラン・ソーカル『知の欺瞞』)建築学に越境してくる知に我々もたびたび違和を感ずる。表象やら美学の議論が建築を語り始めると思弁的過ぎるか制作を無視しているかでリアリティを感じないことが多い。それでも僕は越境を良しとしたい。専門分野を越境する時には欺瞞や誤謬やケアレス・ミスは起こり得る。もちろんそれはあってはならないことなのかもしれないが、それでも戦線縮小して自からこの殻に閉じこもっていては学の閉塞が学の鮮度を低下させると信じて疑わない。批判を恐れず行動する勇気が必要だと思わざるを得ない。

社会の批評

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by 卓 坂牛

朝のアサマで大学へ、車中思想地図vol5「社会の批評」の北田論文を読んだ。なんと彼はこれを最後に思想地図を降りるようであり、それなりの決意の責任編集のようである。素人の私には北田氏がここで主張していることを正確には記せそうもないので控えるが、その昔専門家から聞いた社会学の難しさ(社会という対象の同一性を確保する基準、社会学を語る主体自体が既に社会の構成員であること、等)がなんとなーくひしひしと伝わってくる。加えて今まで生半可に興味を持っていた社会構築主義――特に昨年まで信大にいらっしゃった赤川学氏の著作などもその位置づけが克明に記されていた。これほど厳密な議論が社会学には必要であるのかと改めて感じざるを得ない。社会学的に建築を論じるなんて言う野望はどう贔屓目に見ても建築家をやりながら片手間でできるようなことではない。まあそんなことは分かってはいるのだが、、、、、「社会学的」になどと言う野望はさっさと取り下げて、「社会的」にくらいにしておかないといけない。まあこれがKさんに言われた「建築家として」書くということでもある。しかし学際分野を架橋するのだからそれなりの方法論を備えておきたいところだ。うーん。今度祐成先生とお会いした時にヒントを頂こう。
昼前に大学に着いて研究室で講義の準備をしていたら学生がどっと入ってきた。誕生日ケーキと、ワインと、ワイングラスのプレゼントである。ありがたや。ケーキをしこたま食べたらお腹がパンパンになった(ワインは飲みませんが)。午後から講義、ゼミ、即日設計。講義は『言葉と建築』「デザイン」の章。ゼミ輪読はヴォリンゲル『抽象と感情移入』。終ったら6時ころ。部屋に戻ったらご飯を食べに行く元気もなくなり、五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』彩流社2010のページをめくる。ジェンダーのところが気になって読み始める。なかなか参考になる新たな知見がある。少し勉強させてもらおう。

スチュワート研で焼肉食べる

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by 卓 坂牛

朝から原稿と睨めっこ。いままで書きなぐってきたものを、見直して使えるレベルにブラッシュアップ。夕方ジムに寄ってから銀座へ。スチュワート研の集まり。僕の出版の祝い、スチュワート先生、辺見への御礼、岩下シンガポール赴任の送別、ついでに僕と岩下の誕生日。北大から小澤が来られる日と言うことで今日になった。場所は藤田が選んでくれた正泰苑 (しょうたいえん)銀座店なる焼肉屋。さすが竹中工務店銀座に詳しい。4丁目から歌舞伎座の方に歩いて行って右側だが、その真ん前で鹿島の石張りビルが立ちあがっていた。後で聞いたら三越だとか?三越?ということは伊勢丹??まあ納得。着いたらお店は既に満員。人気店と聞いていたが、確かに。2週間前に予約をいれておいたからはいれたようなもの。肉がとんでもなく美味しくて値段も悪くはない。使える店である。今年はゼネコン設計の就職はかなり少なかったようである。来年は一体どうなるのだろうか?帰りは銀座から丸ノ内線で帰る。宮迫千鶴の『《女性原理》と「写真」』国文社1984を読んでいたのだが気が着いたらお茶の水。また逆向きに乗っていた。中央線に乗り換えようかと思ったが、ゆっくり読書と思い、ただ逆向きに乗り換えた。

最近心と体が分離する

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by 卓 坂牛

昼ころ富山大学助教の横山天心君等が設計した住宅のオープンハウスに行く。場所は阿佐ケ谷。快速で荻窪まで行き乗り換えるのだが、間違って下りに乗る。終りの時刻が早かったので危なかった。最近乗換で逆に乗ることが多い。先日も早稲田に行く時、九段下で乗り換え船橋方面に乗ってしまった。あぶなく遅刻するところだった。注意力散漫。というか全然関係ないことを考えて心と体が分離するのである。
横山君の建物は旗竿敷地に建っている。旗竿の方に間口の狭い入り口部分を突き出して、入るとすぐに2階に上がるようになている。青木淳さんの住宅にもそんなのがあったような気がする。その玄関の上には写真のように壁面から板が倒れてきて段々畑のようになり玄関土間の上に作られた床部分(小さな読書スペースとなるそうだ)に行けるようになっている。
玄関から2階に上がると居間。トップライトから落ちる光がまぶしい。よく見るとその光の下にはガラス製のテーブル(天板だけではなく脚もガラス)が置かれそのテーブルの下の床もガラス。トップライトの光が1階まで落ちる仕掛けになっていた。その他にも玄関の床がとれてブーツ入れになっていたり、いろいろとデバイスのある家だった。オープンハウスを後にして四ッ谷に戻りジムに寄る。久しぶりである。スタジオでダンスをやっていたら「どうしました」と先生に聞かれはっと我に戻る。昨日のKさんとの話を思い出しながら原稿のストーリーに頭が憑かれていたようだ。その間しばらく体が止まっていたらしい。ここでも心ここにあらずである。
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日本のモダニズムのオリジンは?

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by 卓 坂牛

事務所で昨日の甲府遠征のアフターミーティング。2時くらいから始めるのだがいつも7時近くまでかかる。南洋堂からお電話。拙著Architecture as Frameを来週から販売するとのこと。嬉しいお知らせ。
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http://www.amazon.co.jp/gp/product/4883617289/ref=s9_simh_gw_p14_i1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=18KWAC2E3E1JCESEPJSM&pf_rd_t=101&pf_rd_p=463376736&pf_rd_i=489986
アマゾンはどういうわけか在庫があるのに発送できずにいる。御待ちの方は是非南洋堂でお買い上げください。
夜Kさんと食事。1年くらい前に「何でもいいから書いてよ」と言われて「いいよ」と生返事していたのだが、1年の間に書きたいことが煮詰まったので企画書にして持っていた。おそるおそる「これ」と差し出したら、しばらく読んでいて「いいんじゃないですか」と言われほっとした。ただ条件を付けられた。「建築家として書いてください」である。これはちょっと難しい。「それってどういうこと?」と聞くと「直感的に言いたいことを言ってください」ということである。少し考えてみないと分からない。篠原一男のように書けということなのだろうが、、、、、、、やれやれ。
Kさんは昨日、あるところでシンポジウムをしている。その話を聞いた。「何話したの?」と聞くと「日本の現代建築のオリジンは西洋のモダニズムであるというのは定説だし、その通りだが、本当にそうだろうか?それだけだろうか?日本独自の文化、特にその抽象概念を無意識的に引きずっているのでは?ということを話した」と言っていた。これはとても面白かった。Kさんは外国雑誌の日本版の編集などもされているのだが、ヨーロッパでは建築の評価はとても歴史的であり、歴史抜きに建築は語れないという。そんな中で日本の建築が評価される時にそれは歴史の無いただ面白おかしい建築ということではないだろうと感じてきたというのである。
妹島和世がビエンナーレの総合ディレクターに選ばれた理由は何なのか?歴史のない日本の建築が世界的に評価されるその理由は単なる現代性だけでは説明がつかない。妹島和世を伊東、篠原の流れだけで解釈しようなどということは表層をなでるだけで意味がないと彼は言う。そうかもしれない。

思想地図VOL5の東京の政治学は面白い

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by 卓 坂牛

朝の「かいじ」で甲府に行く。車中東浩紀、北田暁大編の『思想地図vol5』NHK出版2010を読む。目次を眺め最初に目についた、原武史、橋本健二、北田暁大の鼎談「東京の政治学/社会学―格差・都市・団地コミューン」のページをめくる。戦後東京のどこにどの様な人間が住みどの様な文化圏が形成されたかを分析している。面白いことに(あるいは当然かもしれないが)それは電車の路線沿いに形成されてきたことが見えてくる。そしてここでは中央線沿線の文化圏と西武池袋線沿いの文化圏が浮き彫りにされていた。時期的には60年代がメインである。59年に江古田(西武池袋線)で生まれ、65年に大泉学園(西武池袋線)に引っ越した僕にとってはとても身近な話題である。そして伏線にある話題が団地であり、江古田の団地で生まれた僕にとってはますます身近な話題である。
それらを読みながら、まず驚いたのは団地とは当時のハイカラの象徴であり新中産階級の視覚化だという原の指摘。僕にとって団地とはやや所得の低い人たちが住む場所なのだという気持ちがあったのだが(裕福な人たちは一戸建てに住む者だと子供心に感じていた)どうもそうではなかったわけである。また西武池袋線は東大系の社会主義研究者が多く住んでいたという指摘にまた驚いた。そう言われると両親がこの沿線に戸建を買ったのはそうした理由だったのかと思わなくもない(それが本当の理由だったかどうかは分からないけれど)。北田も本気で言っていたが、知識人がどこに住みどこに引っ越して一生を終えるかということを丹念に調べ東京の文化地図を作る作業は十分研究に値することなのかもしれない。

住宅の歴史社会学

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by 卓 坂牛

甲府遠征の打合せ。部屋数が多いので展開図がやたら多い。1/50で描くとA2で25枚。担当のUさんも悲鳴。明日全部の展開を持って行き収納計画にけりをつけたいのだが。
打合せを終えメールをチェックすると人文学部の祐成保志先生よりメールが届いていた。講演会快諾のメールである。この講演会は学長裁量経費に応募して通った企画の一つ。毎年幸い頂けている。去年はリーテム社長の中島さんが環境問題と建築を。京都造形芸大の成実弘至さんがファッションと建築を。信大人文の准教授でダンサーでもある(というかダンサーの方が有名だが)北村明子さんが身体と建築を。山梨県立大の加賀美さんが子供と建築の話をしてくれた。今年は信大農学部の北原先生に森。信大人文学部の祐成先生に住宅の社会学、ブエノスアイレス大学のロベルトにコンテクスト、早大三嶋先生にアフォーダンスの話をして頂く予定である。
祐成先生は東大時代に山本理顕さんの保田窪団地の社会学的調査をやられたと聞く。私が知ることになったのは成実先生に「信大には面白い先生がいますね」と言われ祐成先生の名を告げられ、それをきっかけに主著『〈住宅〉の歴史社会学―日常生活をめぐる啓蒙・動員・産業化』新曜社2008を読んでからである。生粋の社会学者でマジで建築を対象にしている人はそうはいなのではかなろうか?北村さんにしても、祐成さんにしても、信大には結構素敵な先生がいるものである。やはり総合大学はいいものだ。