青山で二つの写真展を見る。RAT HOLE GALLERYでアラーキーの「センチメンタルな旅 春の旅」岡本太郎記念館で「岡本太郎の眼」。現代を見つめるアラーキーと時代を超越した岡本が対比的に見えてきたhttp://ofda.jp/column/。見終わって凄く久しぶりにヨックモックビルに入りランチを食べた。相変わらずここはホテル並みに高いけれどこの辺りじゃゆっくりパソコン開いて本も読めて1時間いても気分がいい場所だ。夕方乃木坂で待ち合わせした娘と国立新美術館へ。かみさんが出品している書展を見る。奨励賞を受賞したので授賞式も後ろの方で眺めていた。今年はこれ以外にも賞を受賞したようだ。賞の価値はともかく取るにこしたことは無い。おめでとう。かみさんは最終日ということもあり打ち上げ。僕と娘は地下で夕食をとり、ヒルズに話題の映画「告白」を見に行く。僕は何も知らずに娘に引かれて見に来たのだがなかなかディープな内容だ。松たか子のナレーションは淡々とし、ストーリー展開の異様さを増幅する。それにしても表現がちょっと強すぎる。でもこんな一見虚構のような世界が実は本当なのかもしれない。子供の養護施設の設計等を始め、いろいろな方からいろいろな話を聞いてきたせいか、こういう陰惨な子供の社会がヴァーチャルなものとは思えなくなってきた。僕は建築なんてリアルなものを相手にして気持ちよく文化なんて語っているのだけれど、こんなどろどろした嘘みたいな世界のほうがよほどリアリズムである。建築屋はモノを扱うから実業だなんてむかし広告代理店相手に言った覚えがあるけれど、自惚れだね!
朝一でジムに行ってティラピス。腰の矯正運動。少しずつ楽になって来た。午後八潮のワークショップ。今年から神戸大学も加わった。神戸から埼玉に来るのはちょっと遠いけど頑張って欲しい。
今年は駅前の公園の設計をするので、実施設計をするランドスケープ事務所のトデックとパートナーを組みながら進めることになる。今日のワークショップはトデックの昨年までの市民とのワークショップの内容の説明を聞き、続いて各大学の資料集めの成果発表。日工大小川研は都市公園事例調査。茨木大寺内研は駅前都市公園の事例調査。神奈川大曽我部研は変った公園と照明について。信大坂牛研は佐久平の駅前公園調査。神戸大槻橋研は海外公園事例調査。建築屋はランドスケープの設計に興味は多々あるものの、抑えるべき機能や法律について知識不足の部分もある。というわけで最初はお勉強会である。各大学の発表はそれなりの分析的な視点がありとても興味深かった。しかしこれからが本番である。一体ここで何ができるか?3カ月で結果を出さないといけない。ワークショップ後はそのまま懇親会。そしてワールドカップオランダ戦観戦モード。時刻は8時。帰るとライブを見逃すのでそのまま公民館で観戦。それにしても岡崎毎度毎度惜しい。そして大久保の調子がいい。デンマークには勝つ。
午前中早稲田の演習。二回休講したので、今日は2講義まとめてやった。超特急である。グローバリズム問題と主体性問題。主体性は毎年どうもうまくいかないので昨晩急遽パワポを作り替えて話をした。自分で一から作るとすらすらと話せる。あたりまえだ。建築も理論も共同作業は難しい。最近聴講生がツィッターしているので授業が理解可能か等を聞けて便利である。今日は超特急講義だったがとても分かりやすかったと言われた。しかし分かりやすいと言われて嬉しいやらそれでいいのかと?ちょっと落ち込むやら。分かりやすく話すということは分かりにくいことを話さないということでもあるし、複雑なことを解きほぐし、時に複雑を構成する要素の幾つかを捨象したりする。そうしながら分かりやすく話せる人は世に受ける。でもそれって正しいことなのだろうか?嘘つきではないだろうか?とツィッターで学生に返信したら、そういうことを宮台真司も言っていたと返事が来た。そうだよな。自分でこういう反省をしているので、テレビや新聞で妙に分かりやすいことを言う人をどうも信じることができない。固より、テレビも新聞も8割信じていないけれど。
夜事務所に八潮の先生たちが来られた。明日のワークショップの打合せ。今年は結構密に打合せしないと成果品ができないので大変である。槻橋さんが関西から美味しいクリームパンを買ってきてくれた。僕は夕飯食べたばっかりだったので大事に持って帰ったら。「これはかの有名なクリームパン!!」と妻と娘に食べられてしまった。
昨日のレントゲンを見ると背骨が少し曲がっており、真っすぐにするのにティラピスがいいと言われて行ってみた。終るとすっきりした。効果があるかもしれない。
事務所では発注期間中に不足している模型スタディを回復するべくやるべきことのリストを作る。順番が逆だがあの設計期間中にはとても無理だ。
数日前、今年の東京コレクションにも出ていたT美大のS君が「フレームとしての建築」のコンセプトに賛同して是非僕の所で働きたいとメールをくれた。今スタッフは募集してないと言ったのだが、ではポートフォリオだけでも見て欲しいという。送られたポートフォリオはアルドロッシを彷彿とさせる。小さいけれどちょっと惹かれるものだった。なんて返事を書こうかと思っていたらオープンデスクでもいいから働かせて欲しいとまたメールが来た。修士まで出た人をオープンデスクに使うのは主義ではないのだが熱意に負けた(ポートフォリオの魅力に負けた)。
帰宅後、田口久美子『書店風雲録』ちくま文庫2007を読む。著者はその昔の池袋西武の中にできた本屋、「リブロ」の店員だった人(因みに永江朗氏もここに勤めていたはず)。リブロがどのようにして、ああいう個性的な本屋になったかを記した本である。リブロが出来たのは1975年。僕は高校1年生である。西武池袋線の大泉学園から有楽町線の護国寺まで通っていた僕は池袋で電車を乗り換えていた。放課後サッカー部の練習が終わると西武線沿線に住むクラブの友人と帰宅した。その中に朝日新聞に行ったMと練馬区役所に務めたKがいた。練習後は彼らとたいてい学校近くで大びんの炭酸ジュースを飲んで一休みしてからしばしば池袋の本屋に立ち寄った。MとKは文系で小学のころから格段の読書量があり理系の僕に読むべき本を指南してくれた。しかし行く本屋はリブロではなく芳林堂書店。駅から少し歩くが、文庫本の備えがとてもよく高校生向きだった。リブロの本はなんだか面倒臭いし高かった。というわけでリブロには高校時代は滅多に行かなかった。それが大学に入るころに西武美術館に通うようになり美術館脇にある洋書のアール・ヴィヴァン(今のナディフの前身)そして和書のリブロとお決まりのコースになった。とは言え、大学当時は未だリブロの品揃えに敏感に反応するほど物知りでは無く、アール・ヴィヴァンの方が遥かに面白かった。その後池袋にはあまり行かなくなってしまったが、あの頃は明らかに日本の文化の一つの核が池袋にあったように思う。それなりに熱い場所だったと思う。
最近イスに座っていると左のお尻が痛くなる。昔から固いイスは苦手だったのだが腰痛を起こしてから急にこうなった。腰痛の続きなのか、内臓の問題なのか不明で最初は大腸の先生に見てもらったがこれは整形だねと言われて整形の先生に回されレントゲン。結局ストレッチをよくしなさいと言うことになる。つまりは年ですか?。午後事務所で雑用を終わらせ、先日送った入札見積もり用図面の追加指示を皆でまとめる。確認の質疑が認定機関から来ているのだが意匠の質疑は殆どない。これはびっくり。こちらの資料が完ぺきだったか。向こうのチェックが甘いのか?
夜永江朗の『ブックショップはワンダーランド』読み続ける。4つ目の本屋さんは南洋堂である。どの本屋も自分のお店の定番の本を載せているが、南洋堂も40冊近く。以下既読に〇、知っているが未読に△、聞いたことも無いに×、初めて聞くが興味深いので是非読むに●を付けてみよう。10宅論〇、厳選建築家名鑑〇、住宅病はなおらない×、渡辺篤史のこんな家を創りたい〇、生きられた家〇、優しさの住居学〇、建築家と家を建てたい×、家族を容れるハコ家族を超えるハコ〇、小さな家〇、集合住宅物語●、新編住居論〇、箱の家に住みたい×、象を飼う中古住宅で暮らす法●、住宅巡礼×、建てずに死ねるか建築家住宅×、建築家が建てた幸福な家×、狭くて小さいたのしい家×、普請の顛末×、コレクティブハウジングの勧め×、住まい学大系10塔の家白書、〇、住まい学大系80「私の家」白書●、住まい学大系761969~96安藤忠雄×、新建築臨時増刊建築20世紀part1、2〇、a+u20世紀のモダンハウスⅠ、Ⅱ×、GAhouses masterpieces1945-1970×,住まい学大系90中野本町の家〇、住まい学大系100栖十二●、近代建築を記憶する×、20世紀建築ガイド、ルイスカーンの全住宅×、衣食足りて住にかまける×、JA57文化遺産としてのモダニズム建築×、住まいの探求増沢洵1952~1989●、現代住宅研究〇、ありえない家×。特に増沢洵は興味深い。
朝のゼミの前に修士入学希望者と面接。はるばる九州から来られた。9時からのゼミにも出席してもらう。4年のゼミは少しずつだが進んでいるようだが、選択の設計製図もあるせいか進捗は亀のようである。午後は3年の製図の後半課題。幼児の施設である。例年最初にプログラムを持ってこさせるのだが、今年はやり方を変えて、先ずは敷地の何かに(地形や舗装の材質や石の形など)反応して形を作ってくるように指示をした。そのせいか例年の不満が払拭された。ただし未だ場所への心配りが足りない。製図の後急に雨が降りだす。梅雨だから仕方ない。帰りのアサマで『現代日本人の意識構造』を読み終える。1973年から日本人意識として大きく変化したことの中で二つのことが目を惹いた。一つは昭和から平成にかけてそれまで天皇への好感度が20%程度だったものが倍の40%へと上がったこと。もう一つは選挙やデモが国の政治に影響を及ぼすと考える人が20%前半から30%後半へ増加したことである。前者の問題はその理由として皇太子結婚が挙げられている。年号の変わり目にはいつも起こることなのだろうか?まあ意識が高まることは結構だが好感度が上がるというのは腑に落ちない。どこかの都知事じゃあるまいし。天皇はシンボル。皇室ゴシップに盛り上がる国の民度って何だよ?と嘆息する。後者は経済状況の悪化が原因かと思いきや、そうでもない。バブル時代にはすでに上がっているのである。これはなんとも嬉しい数字である。
東京駅で丸善へ。新刊を物色してカートに放り込み宅配。永江朗の『ブックショップはワンダーランド』六曜社2006とmusic bar@marunouchi tokyoというcdだけ持ち帰る。永江さんの本は特色ある品揃えの本屋13点が紹介されている。帰りの地下鉄で読み始めると最初の本屋は青山のbook246。とある施主の家のそばだったので仕事の打合せ後よく立ち寄った。というのもこの本屋にはカフェが併設されているから。専門は旅である。と言ってもプラクティカルな意味での旅の本だけがある訳ではない。読むと旅した気になる本とか、写真集などもある。またメインの流通に乗らない本も多い。僕もここで上海を特集した写真雑誌を買ったことがある。これも普通の本屋には置いてないものだった。帰宅後music bar @marunouchi tokyoをかけながら新聞を読む。このcdは80年代discoの名曲ノンストップリミックスである。オヤジ御用達cd。BananaramaのI heard a rumourは結婚式でも流れていたなあ!!
午前中博士の講座会議、入試判定会議、午後の教員会議はゼミですっかり失念。ゼミの輪読はリオタール『ポストモダンの条件』。この本たいしたこと言ってない割には文章が厄介だ。でも「大きな物語」というキャッチフレーズは分かりやすく皆の使う言葉となった。流行語大賞のようなものだ。ゼミ後の1時間設計は小さな家の敷地で100㎡自動車2台停まれる住宅設計。なかなかリアルな条件だ。都心ではその外形は建築家の意志とは関係なく決まるものと奥山信一は言っていたが正しいね。建蔽率と斜線と敷地形状でほぼ決まる。車はこう言う時あまり登場しないが、でも車の存在も大きい。そもそも小さな家の外形も車で決まっているわけだ。この建物以降、車があるから斜めの壁というのはちょっとした流行になった感もある。というわけで、では2台置いたらどうなるの?というのが出題意図。まあいろいろと案が出てきて面白かった。皆が製図している間NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第七版]』NHK出版2010を読む。これは1973年から続く日本人意識の定点観測である。第二章は「男女と家庭の在り方」。その中に女性の教育という調査がある。1973年(調査開始年)女性を大学に入学させるべきだと言う考えは全体の22%だったものが2008年では52%と30%も上昇している。僕が学生の頃同級生(建築学科の)で女子は2人だった。それが今では3分の1(約15人)は女性と聞く。信大も同様だ。50人の内15人から20人くらいが女性である。ところが大学院まで行かせるべきだと言う意識はそれほど増えていない。だから未だに院に行くのを反対される学生も後を絶たない。院は何をするところか親には伝わりきれていないのかもしれない。
ホテルの朝食が混んでいて待たされた。タクシーで駅へ向かったが予定ののぞみに乗れず一本遅れ。車中松岡正剛『知の編集術』講談社現代新書2000を読む。21世紀は「主題の時代ではなく方法の時代だ」に始まり、その方法として編集術があり、編集の方法は遊びと同じとしてカイヨワの遊び理論が紹介される。それらは4本柱で、競争、運、模倣、めまいである。さらに古代ギリシア劇で尊重された技法として、アナロギア(類推)、ミメーシス(模倣)、パロディア(諧謔)を編集術では尊び、オリジナリティを問題にしないと言う。彼の編集術とは単なる編集ではなく、それこそが一つの創作としての位置づけなのだが、そこでの創るは純粋なクリエイティビティとはずれてぃる。でも建築なんて言うのも編集術と言えばまさにそうかもしれない。
重い荷物を引きずって事務所に直行(腰に悪い)。次々に打ち出されて来る図面の最終チェックをしていく。やはり未だ少しずつ赤が入る。どうしてもこの短期間だから矛盾、書き込み不足が後を絶たない。来週の追加変更指示まで時間をフルに使わないとだめかもしれない。今日の5時の宅急便に乗せる予定が結局無理。明日の11時までに乗せることにする。最後の展開図に赤を入れて後をスタッフに頼み事務所を出る。帰宅して京都の荷物を置いてから飯を食って長野に向かう。車中松岡正剛を読み続ける。この本では編集術を使いこなす芸術家として武満徹が例に上がる。ノヴェンバー・ステップなどの雅楽をとりいれたオーケストレーションがそれに当たる。新しい素材の組み合わせである。さて何か参考にできるだろうか?長野は雨。そろそろ梅雨。
今日はレクチャーにぎりぎり飛びこむかと思っていたが、朝から行ける段取りとなった。朝起きてふと正伝寺に行こうと思い立つ。と行ってもそれがどこにあるのかも知らない。高校時代に読み耽っていた立原正秋の『日本の庭』の冒頭に出てくる寺である。書き出しがいかした文章だった「いつの年だったか、正伝寺の山門をくぐりぬけ出た時風が死んでいたことがあった。・・・・」原文の通りかどうか定かではないが、こんな文だった。いつか行きたいと思って30年。ネットで場所を調べると北大路から徒歩15分。朝食もそこそこに家を出て事務所に立ち寄る。『フレームとしての建築』をカバンに入れる。今晩のレクチャーで即売しようと思っていたのだが、なんと3冊しか手元にない。10冊くらい残っているかと思ったのだが。満席ののぞみに揺られ京都。今日は30度を超えている。梅雨前の夏日。正伝寺は緩い坂の上の方にある。山門の周りは山中の風情である。確かに季節が季節なら立原の言う風が淀み死んだような雰囲気が醸し出されるかもしれない。庭は小堀遠州という噂もある枯山水。比叡山を借景した小さな庭である。枯山水だが見ての通り石はなくその代わりにつつじが饅頭のように4つ置かれている。今にも動き出しそうなこのつつじの饅頭がなんとも愛らしい。強い日差しが照り返す道を北大路まで戻る。まだ時間があるので電車を乗り継ぎ妙心寺へ。お堂が公開され狩野探幽の天井画を見ることができた。構想に5年描くのに3年かかったそうだ。まあ大きな龍の絵である。
ホテルに引き返しシャワーを浴びてから京都造形芸大へ。松岡聡さんと初めてお会いする。会ったことも無い方にレクチャーをお願いされるのは光栄である。6時半から8時まで演題であり拙著の題名である「フレームとしての建築」のお話をする。日建を止めてから10年間の僕の考え方と作る建築の変わらないところ変ったところをお見せした。質疑応答して8時半には終了。持って行った拙著も売り切れた。やはりもっと沢山あればと後悔。
先日東京でお会いした松岡さんの同級生である京都大学の朽木さんも聞きに来てくれて、準備された事務の北川さんや助手の方たちと一緒に夕食。美味しい料理を頂いた。心づくしの歓待に感謝である。松岡さんありがとうございます。
長野の朝もだいぶ暖かくなった。嬉しい。でもこれから梅雨が来ると思うと萎える。午前中3年次編入学試験。終わって研究室の雑用。昼のアサマに乗る。車中直木賞受賞作である佐々木譲『笑う警官』角川文庫2007を読む。僕は疲れて何も読みたくなくなると小説を読む。そういう時はこの手の権力モノ(政治モノ)が多い。「ハゲタカ」なんかも好きだけれど。言ってみればこの手の小説はチャンバラ時代劇のようなものである。水戸黄門とは言わないが、まあそれに近い。そんなの面白いの?と言われそうだが疲れた時は気分転換に水戸黄門も悪くない。昔花山大吉というチャンバラ劇をテレビやっていた。親父が大好きでいっしょに見ていたから息子も単純な精神構造になったのかもしれない。まあ最近の権力モノは映画も小説も必ずしも勧善懲悪の結末にはならないのだが。
事務所に戻りクライアントと電話、最後の詰め。見積もり額とスペックをフィックスする。後は図面を間に合わせるのみ。締め切りは日曜日の午後5時DVDで発送である。夕方先日の図面レビューで入った赤と最後のスペック調整による赤及びその修正状況を確認した。おやおやまだまだ結構あるよ。終るかなあ?