On
by 卓 坂牛
午前中ジムに行って一っ走り。体調が徐々に日本時間に戻ってきた。事務所に行ったら川村純一さんから御本が届いていた。『代官山プロジェクトをめぐる11建築家の提案』カルチャ・コンビニエンス・クラブ㈱2010。TSUTAYAと多彩なショップ群で作る街づくりのような提案競技である。敷地が5000㎡を超すとは驚きである。中をぺらぺらとめくる。コンペの常連たちが並んでいるがどれも面白そうである。内容をよく見る時間がないのでまたいつかじっくり見よう。しかし一体誰が勝ったのか本の中には書いていないような???事務所にたまった雑用を片付け遅めの昼をとってから明日の定例に向けて打ち合わせ。夜はマンションの理事会。
On
by 卓 坂牛
八潮大地案
ヤシオカコウエン案
100活園案
昼ころ八潮へ。八潮駅前公園設計の中間発表会。前回発表された3つの案を更にブラッシュアップして発表。5大学の学生たちは昨日から一つの大学に泊まり込み最後の模型やレジメを作成した。少しずつだけれど前進してきた。今日は市長、副市長、商工会議所会長も出席し真剣トークだった。実際駅前に出来上がり、市民の評価にさらされるものであるだけに、行政にとっても重要な課題である。3つの案は市の中で検討され方向性を定め更にブラッシュアップしていく予定である。10月には神戸でワークショップの流れも含め大々的に展示する予定。夜は学生の労をねぎらいバーベキューパーティー
On
by 卓 坂牛
今日は昼からA0勉強会。いよいよ来月で読み合わせ終りというところまできた。今読んでいる章は「アカデミズムの伝統」要はルネサンス時代に読み返されたウィトルウィウスがどのように使用されていったかという話。それによれば、ウィトルウィウスはそのまま文字通り使用されたわけではなかったという。このルールは一つの基準でしかなくそこからいかに逸脱するかが建築家のうでの見せどころ。パラディオもそうだったという。とてもよく分かる。『建築の規則』についてインタビューされた時この規則は乗り越えていくための一つの基準であると述べたが、規則やルールは常に更新されていくものなのである。
On
by 卓 坂牛
一日学会缶詰。いやはや疲れた。夜サンフランシスコから出張で来た友人と食事。太陽電池を作っている。そこにデザイナーズマンションを作っている会社の友人も合流。「これからのマンションは太陽電池載せないの?」と聞くと、「未だ怖くて載せられない。時流に安易には載らない」と言っていた。かなり慎重である。
On
by 卓 坂牛
飛行機の中ではかろうじて寝られたものの、あの狭い場所に長時間じっとしていると腰にくる。たびたび廊下側にださせてもらって柔軟運動などしていた。リスボン空港で通路側スチュワーデス前の広い所を機械チェックインで確保できたのに、いざボーディングパスを出すところで機械が壊れた。あちらでは公共交通機関は券売改札ともに機械だったが、よく壊れた。
東京にもどり時差ぼけ頭を抱え事務所で打ち合わせ。施工者が亜鉛めっきを嫌うとスタッが言う。よくある話。亜鉛メッキをステンに代えて欲しいと頼まれたことはたびたびある。むこうでは外部鉄部はほとんど亜鉛メッキだったなあと思いかえした。さらに言えば、サッシュは全部鉄だった。アルミサッシュなんて全く見なかったような気がする。少なくともシザとモウラとマテウスは使ってない。全く使ってない。障子も含めてとにかく鉄。これはデザインとしてそうなのかそもそもアルミサッシュなんて使わないものなのか分からない。雨が少ないということもあるのかもしれないが。しかし彼らの建築にアルミサッシュがはまっている姿は想像できないし、アルミじゃあの巨大なガラス障子はとてもできない。
On
by 卓 坂牛
早朝の飛行機でリスボンを後にしてアムステルダムスキポールへ。乗換時間が5時間くらいある。その間こうしてブログを書いたりメールの返事をしたりしている。
何時だって何処だって自分のホームタウンを久しく離れればそれなりの新鮮な経験をするものだ。だから今回のポルトガルがことさら特別だったわけでもない。国としてはブエノスアイレスの方が総合的には好きだ。でも、こと建築に関して言えばこのポルトガルはちょっと特別だったかもしれない。それはいつもよりちょっと多く建築を見たし、見たいと思った建築を見に来られたからかもしれない。ブログにもいろんなこと書いた。書きたいことは山とあるし感じたことも数えきれない。
その昔篠原先生がアフリカの写真を見せてくれていた時にこんなことを言っていた。「旅行中に、とても印象的な空間や、これだと思うものに出くわす時がある。そういう時はそのことを人に言ってはいけない。心の中で孵化しておきなさい。使えるプロジェクトが現れるまでじっと温めておきなさい」。何時この話を聞いたのかよく覚えていないが、言われた時は「さすがプロは違う」なんて思ったからやはり学生時代だろうか?
今回建築的にはちょっと特別だったというのはすごーく久しぶりに、「これだ!」って思うようなもの(というかこと)に出会えたからである。僕は篠原先生のようにアイデアをじっと温めてというようなことも無いのだが、まだそのことをうまく言えないのでここでは書けない。いずれ頭が整理できたら書いてみよう。
さてこれからハイネケンをしこたま飲んで飛行機の中はひたすら寝て時差を解消しよう。
On
by 卓 坂牛
リスボンのやや東に国立アズレージョ美術館がある。古い教会を改修した美術館である。ポルトガルのタイルの歴史が学べる。ここでいかにタイルがポルトガル建築に根付いたものであるかを知ると、今日までみてきた多くの建物でのタイルの使用が理解できる。シザも街中での建物には多くタイルを使っていた。タイルが使われている周辺環境との連続性に気を配っている。マテウスも灯台博物館のように既存との対話をする建築にはタイルを欠かさない。またどの建築家も大々的ではなくとも必ずどこかで使っていたように思う。もちろんカーサ・ダ・ムジカでは二つの特別室がそれぞれ装飾系のタイルと幾何学系のタイルを使っていた(またタイルではないが、特別室の一つはリスボン市内の「くちばしの家」の外壁を模したものだった)。
ポルトガルタイルは基本サイズが14センチ角。確かにこのサイズ以外のものはほとんど見なかった。常に14センチのモデュールが街の最小スケールである。日本のようにとんでもなくチョイスがあるのも悪くないが、チョイスが少ないというのは瓦の色なんかもそうだけど街の統一感という意味では悪くないのかもしれない。普通にやっていればみなそれになり、そこからの逸脱をしたい数少ない新たな挑戦だけ緊張を生めばいいのである。日本のメーカーは新製品作りすぎかな?
On
by 卓 坂牛
早朝の特急でポルトへ。一昨日見つけた英語併記のポルトガル建築のガイドマップとにらめっこしながら地図を見ていたらあっという間にポルト。昨日お会いした方のお話だと、ポルトに時間をかけるより、途中のアヴェイロやコインブラの大学建築がよいとのこと。確かにガイドを読むと双方かなり充実していそうである。そうなるとなんとか今日中にポルト建築を見てしまいたい。可能だろうか?
先ずはインフォメーションに行ってバスのルートを調べる。ほー結構使えそうだ。でもバスで全部は回れない。ポルトはリスボンから本州の半分くらい北。途中霧に包まれたりしたので結構寒いかと思いきやリスボンとさほど変わりない。強い日差しの中を脱水症状寸前で歩き回る(流しのタクシーがいないのだ)。それでもシーザの建物を三つ、ソウト・デ・モウラを二つ、コール・ハースを一つ。食傷気味なくらい見た。もうこれで十分だ。これらの建物、全体感は雑誌情報の想定内。しかしディテールや素材感などメディアでは伝えきれないもの、載らないことに目を見張った。コール・ハースの最近の建物にはディテールに妥協がない。新しいことをやるために命かけている感じである。見るものすべてに息を呑む。一時間の英語ツアーで何枚写真を撮っただろうか?一方シーザは低所得者層ハウジングから有名な庭園美術館まで設計の幅が広くコストは明らかに違うのだろうが作るものが極端には変わらない。常に一つの考え方が見え隠れする。それはディテールにも見えてくる。この階段は建築学部のもの。昨日セトバルの学校同様、メンテナンスが悪く荒れているのだが、こんな石像のような階段はこわれようもない。ほのぼのとさせてくれる。
On
by 卓 坂牛
ポルトガルと言えば白。というのはシザのイメージ?
いやシザ以外でも白い建物は多いしこのとてつもなく強い光の下では白は似合う。ご覧のマテウスの灯台博物館も白いアプローチである。実にきれい。なのだがこの白い部分はトイレやカフェやオフィスが入っていて肝心の博物館部分(奥の木の陰に見える箱に四角すいが乗ったような形)は全面タイル張り。このタイルは既存の灯台のタイルと同じものが使われている。実は昨日のシザの大屋根の壁部分もふんだんにタイルが使われている。タイルはアズレージョ(これは装飾タイルだが)と言ってポルトガルの名産品なのである。既存のまわりに小さなスケールで貼りついたこれらの建物は色と言い、形と言い見事である。マテウスも昨日みた新リスボン大学の大きなスケールだけではなく、こういうこじんまりしたスケールもとてもうまい。灯台博物館はリスボンから電車で30分のカスカイスという町にあるがこの地にはポルトガルを代表する画家ポウラ・レゴの美術館がある。設計はソウト・デ・モウラこの建物は最近エルクロに載っていた。モウラの最新作の一つ。赤っぽい何とも言えぬ色が特徴的だけれど、これはコンクリを染めたもの。小型枠のテクスチャにこの染色でかすれた感じが何とも言えぬ表情を作っている。よく分からないが、この建物はヴァナキュラーな要素を参照しているとのこと。この色や風合いもそうなのかもしれない。ポルトガル=白。これはコルビュジエジエ のごときものかと思っていた。気候だけが頼りの周りからはちょっと浮き出た建築なのかしらと少々疑っていたのだが、どうもそうではない。彼らにとって場所や歴史などは意識しなくても表出するようなものかもしれない。