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Oct 2010

自然の中で製図

On
by 卓 坂牛

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10月1日。今日から後期の授業。午前中デザイン論で新しく若里キャンパスに来た2年生と会う。皆はつらつとして頼もしそうだ。午後はその2年生と製図である。課題は住む場所(住宅)である。敷地は長野市内ではなく隣の須坂市。わざわざ遠くに出掛けるのはこちらの方が自然が多いから。田舎でやるのだから都市とは違う環境でやりたい。市の方の協力もあり毎年こちらの注文に合わせて場所を探してくれる。始めて敷地に来てこの自然に囲まれた環境にうれしくなる。市街化調整区域ぎりぎりの第一種低層住居専用地域である。道路を隔てて田んぼ。稲穂は既に頭を垂れて刈られるのを待っている。
長野に戻り夜のアサマで東京へ。車中読みかけの『マスコミは何を伝えないか』を読む。マスコミ報道の異常さにいつも憤慨している僕としては一体何故ああいうことになるのか?疑問だったがこの本を読んで少し晴れてきた。晴れてきたと言ってもジャーナリズムの理不尽を認めようと言うことではなく、何故こういう理不尽が起こり得るかというそのメカニズムが見えてきたということである。しかしそれも多かれ少なかれ予想範囲内。要は現場に行って餌になることに食らいついて会社に持ち帰らない限り「仕事」にならないということなのである。食うための餌という原理が不要なバッシングを生み、不要な悲劇のヒーローを生み、不要な争いを生むということなのである。しかしそれでは報道制限をかけるべきかと言うとやはり報道の自由は重要である。そうなるとやはり一番重要なのは、受け取る側のリテラシーだということになろうかと思う。この本は数あるメディアリテラシーの本の中でもかなり質の高い指南書であると思う。