Archive

Dec 2010

アクリル絵の具で空を描く

On
by 卓 坂牛

%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%AB%E7%B5%B5%E3%81%AE%E5%85%B7%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%97.JPG
先日、日比野克彦を見たら気分が晴々した。彼の世界がとても豊かで自由に見えたのである。芸術は伝染するもので、自分も日比野みたいに大きな画用紙に自由な絵を描いてみたくなった。職業がらスケッチ程度ならよく描くが手帳大の小さなものである。サインペンで形をとって水彩かマーカーで色をつける。しかし今回描きたいと思ったのはそんなんじゃない。もっと大きくて自由な奴。カルトンに紙を入れて長い筆で書のような絵を描きたいのである。しかし日比野流で行くなら岩絵の具。こりゃちょっと金もかかるし、テクニックもないしどうしようかと配偶者に相談。パステルにしたら?と言われたので午前中しばしパステルでバルコニーの草など描いてみたのだがどうもあの小さなチョークのようなものを画用紙にこすりつける感じが自由じゃない。もっとスムースに楽々と描きたい。やはり水に溶いたもがいい。でも水彩は飽きた。となると油かアクリルか。油はやったことないし、自信がないので消去法でアクリルである。早速世界堂に行き気に入ったアクリル絵の具を6本とグロスワニスを一本、大小の平筆を5本。キャンバスペーパーの大型スケッチブックを一冊買ってきた。そして何を描こうか??もう真っ暗だし。昼の空を思い出し描いてみた。そらである。年末配偶者とこんな絵を描きに1日旅行へ行くことにした。僕はアクリル、かみさんは墨である。

吉本と篠原

On
by 卓 坂牛

朝ゼミ。今日の輪読本は鹿島茂の『吉本隆明1968』。吉本は正直言ってたくさん読んだけれど分からないことが山とある。そして吉本解説本も結構読んだ。でもどれもおぼろげだった。そうこうしているうちに既に最初に吉本を読んでから20年以上たち、数年前にこの本を読んだ。そして初めて吉本がぐっと分かるようになった。というわけで学生にもこれを読ませようと思った。今朝久しぶりにこの本読んでみて「ぐっと分かった」ことを思いだした。それは、吉本の偉さ(鹿島のことば使い)は言うことがぶれないということ。吉本は常に自らの腹の底から湧き出る声を時流に流されずに語れる人だということだ。何だそんなことかと思うかもしれない。でも「そんなこと」をずっと続けることがどれほど大変かはちょっと考えれば分かることである。篠原一男が生前対談の相手候補に吉本隆明を挙げたことがある。その理由をことさら聞かなかったが今にして思うと妙に納得する。自分と同じ血を吉本に嗅ぎ取っていたのである。
午後製図のエスキス。夕方大林設計部に行った研究室OBがリクルートにやってきた。今年のM1は2人留学し、留学している2人が未だ帰ってこないので残念ながら聞く人が少ない。夜のアサマで帰宅。

稲荷山でカラマツへのこだわりを勉強する

On
by 卓 坂牛

うまく日程が組めず今日もアズサで塩山へ。9時に現場へ。コンクリートは3階の床まで打ち上がる。8月半ばに着工して4か月半かかって年内上棟。出来高30%台。年明け2カ月で残り60%以上を仕上げるのだから来年はちょっと緊張する。気を張らないと知らぬ間にいろいろなものが出来てしまう。大学が最も忙しい時期だけに少々不安。昼前に現場を出て北河原さんの稲荷山養護学校を見に屋代へ向かう。塩山から中央線で韮崎乗り換え松本。そこから篠ノ井線で篠ノ井乗り換えて屋代という予定。ところが中央線が来ない。乗り換えスケジュールがくるい予定より遅く到着。篠ノ井線の姨捨あたりからこの建物の稲穂色の大きな屋根は何度も見ていたが中に入って見せてもらうのは初めてである。担当だった上原さんに案内していただく。県産材のカラマツの今後の活用を見据えて徹底してその使用にこだわったデザインに脱帽。しかも一般の流通を考え4寸角を基本として使用。必要に応じて抱き合わせ、それでいてデザイン的にスマートに処理されている。またパンチの効いた木のデザインは随所に見られるベニヤの箱に収納された照明ボックスもその一つ。そんなこだわりの中で子供への優しさが随所に見られとても勉強させられた。
見終わったのは5時だがもう真っ暗。冷たい雨に濡れながら長野のマンションへ。風呂につかり体を温め飯尾潤『日本の統治構造』中公新書2007を読む。2007年のサントリー学芸賞を受賞した書である。日本の議院内閣制が本来の機能を果たさず官僚支配になる構造がとても分かりやすく論じられている。

ピアノという楽器の繊細さ

On
by 卓 坂牛

%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
朝方のアズサで甲府へ。昨日の雨があがり雲が飛んで冷え込んでいる。空気は澄み渡り甲府を囲む山々がくっきりと青空に浮かび上がる。昨晩の雨が山では雪に変わりうっすらと雪化粧。
甲府駅前は駅広整備が行われている。甲斐市にあった重文の擬洋風建築(藤村記念館)が移築されて駅広に鎮座し、その背後に丹下さんの山梨文化会館が見え、かたや駅自体が宇宙的デザインで拡張されている。いやはやなんともちぐはぐ??
現場は建具の塗装中。外構に土を入れて高さ調整。外壁の白がまぶしい。午後事務所で定例会議。
午後のアズサで新宿へ。車中高木裕『調律師、至高の音をつくる』朝日新聞出版2010を読む。スタインウェイを20台近く保有し、それをピアニストともに会場に運び込むという著者の調律師としての新しい職能の拡張に驚く。それはもはや調律師を超えピアノサウンドプロデューサーである。ピアノの調整で最も気を使うのは温湿度だと言う。それは弦楽器ときわめて近い。そう考えると確かに弦を鳴らし、それを共鳴箱で響かせる原理は弦楽器そのものである。その昔温湿度が適当ではないところで練習するときはヴァイオリンを布でくるんで弾いていた記憶がある。ピアノもそのくらいデリケートな楽器であることがよくわかった。

川口先生の構造と感性

On
by 卓 坂牛

川口衛先生から『構造と感性Ⅳ』法政大学建築学科同窓会2010が届く。A5の可愛らしい本である。ページ数も70ページ足らず。でも内容は濃く楽しい。磯崎さん、妹島さん、内藤さんらの名建築の構造苦労話が語られている。この本はシリーズの第四番目で木造特集。僕も見た内藤さんの日向駅も川口さんだったとは知らなかった。あれは架構だけではなくディテールまで完成されていると感じた建築だ。説明が分かりやすく、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲも読みたくなった。
夜『ことばと思考』を読む。人はことばで世界を切り分ける。ということになると、緑という言葉を持たない民族は緑を他の色と識別できないかと言うと、できるのだそうだ。なんだじゃあ人はことばで世界を切り分けてはいないのかという気になる。もっと言うと虹色の7色のことばを持っている民族と、3色のことばしか持たない民族(本当にいるらしい)ではどちらが色の識別能力が高いかというと実は3色の方らしい。ことばがある民族は連続的に変化する色相をどこかでどちらかのことばに含みいれてしまうからだそうだ。なるほどね。ことばがあるから豊かな感性を保持できるとは限らないということか。これはちょっと発見である。

ことばが世界を切り分ける

On
by 卓 坂牛

久しぶりに始発のアサマで大学へ向かう。これまでは朝会議の日は前日の夜行っていた。しかし冬になると夜中の長野マンションは冷蔵庫状態。とても寝られないのでこれからは少々辛くても朝一で行くことにした。早朝出かけるのも気持ちのいいものである。車中今井むつみ『ことばと思考』岩波新書2010を読み始めたが案の定眠りに落ちた。午前中学科会議。午後ゼミ。4年の卒論梗概をそろそろ真面目に見始める時期だが、憂鬱である。毎年何書いているんだか分からない。今年はまた一段と分からない。自分たちは分かっているのだろうか?夜学科の忘年会。今日はリンゴジュースで鍋をつつく。寒いマンションに戻るのは嫌なので東京にとんぼ返り。車中『ことばと思考』の続きを読む。言葉は世界を切り分ける道具。だから世界の認識は使う言語で変わる。ということはずっと思ってきたことだが実例を示されるとさらに頷く。例えば、信号機の緑を日本人は緑と言いアメリカ人は青という。それは日本人が青という言葉を持たず、アメリカ人が緑という言葉を持たないからではない。双方、両方の言葉を持つのだがその言葉が指し示す領域が異なるのである。しかし世界には青と緑を区別しない言語が多くある。つまり青と緑の両方を同じ言葉で示す言語である。なんとその数は119言語中91もあるそうだ。もちろん世界の切り分けは名詞に限らない、形容詞、動詞に至るまでその差はさまざまのようである。

布一枚が隔てる空間

On
by 卓 坂牛

医者と建築家はちょっと似ている。医学には建築と同様その分野の歴史つまり医学史というものがあるそうだ、それによれば医学とは自然科学なのか行為の科学なのかそれとも術なのか時代によってその認識が変化していたようだ。(「ドイツ医学史観」アルフォンス・ラービッシュ『身体は何を語るのか』見田宗介編新世社2003所収)昨今では医学はそうした行為総体ととらえられているようだが、建築も近い。そもそも建築という行為は自然科学ではなくそれは行為である。しかるに学校というところはそういうことを全く教えようとしない。これはどういうことだろうか?医学のカリキュラムはそういうことを教えるようにできているのだろうか?
IMG_0001ann.jpg
IMG_0002ann.jpg
先日ゼミで衣服のような建築を作りたいという学生がいた。体の半分は上の空間にあり体の半分は下の空間にありそれを隔てるものは布一枚というようなスケッチだった。それを見てああどこかで見たことがあると思って本棚を探していたら出てきた。Ann Hamiltonの作品だった。写真でしかしらないこの作品を僕はすごくすごく好きである。でもこれは建築になるだろうか?
今晩長野に行こうと思ったが寒くて億劫で明日朝一のアサマに載る決意で風呂につかる。読みかけの森功『同和と銀行―三菱東京UFJ汚れ役の黒い回顧録』講談社2010を読む。なかなかのルポ。銀行もこういう世界と付き合わざるを得ないそのしょうがなさがひしひしと伝わる。

熊野

On
by 卓 坂牛

PC043741yatagarasu.jpg
熊野本宮の八咫烏は日本サッカー協会のシンボルである
9時の飛行機で南紀白浜へ。また乗り遅れないように気張って早起きしたら7時半についてしまった。思わず朝御飯を食べてゲートで寝ないように本を読んでいたら香山先生がいらっしゃった。南紀白浜から事務所のスタッフの方の運転で世界遺産熊野本宮館へ1時間のドライブ。去年何としても熊野へと思い、しこたま本を読みいろいろ調べた挙句結局うまくスケジュールが組めずあきらめて伊勢に行った。1年越しの念願が叶った。敷地は前に写真で見ていたがこの迫力は本物を見ないと分からない。熊野川のとんでもない幅と対岸に迫る山並みには驚かされた。その山並みへ抜ける2棟に分割した配置。建物前面で来訪者を受け止める歩廊。8寸角の地元産の無垢柱。環境、計画、生産、施工、構造さまざまなことが一つに焦点を結んでいるように感じた。その後せっかく来たので本宮を拝みさらに熊野古道の王子の一つに車で連れて行ってもらい少し歩いてみた。山の冷たい空気の中に風の音が舞っていた。

LとRの発音

On
by 卓 坂牛

今朝長野は大雨。傘をさしても少々濡れた。ヨーロッパから留学許可の朗報。めでたい。午前中ゼミ、講義。午後は後期後半課題の敷地見学。ここを見るのもこれが最後。傑作を作って欲しい。ちょっと早いが東京へ戻る。車中白井恭弘『外国語学習の科学』岩波新書2008を読む。この中に結構面白い実験結果が出ていた。日本人はLとRの発音差を聞き取れないとはよく言わる。聞き取れないからもちろん発音も使い分けられない。ところが、それは生まれつきではないらしい。成長の中でその差を無視することを学習してしまうのだそうだ。ある実験によると生後数カ月は日本人の赤ちゃんもLとRを聞き分けられ、その間に英語を聞かせておくと成長してもその差を認識できるようになる可能性があるとのこと。これはもちろんいろいろな場合に通用する。アメリカ人の赤ちゃんに中国語を聞かせておくと米語にない中国語の発音が上手になるという実験結果もあるそうだ。考えてみれば確かにそんなことは後天的なものであろうことは想像に難くない。もう少し早くこのことを知っていたら自分の子供に試しみたのだが、、、、、

悲しみ先取り症候群

On
by 卓 坂牛

午前中のアサマで長野へ。車中で読んだ川上未映子の短いエッセイにこんなことが書かれていた。川上は将来起こるであろう悲しい出来事に備えて想像の中で先回りして、その悲しみの予行演習をするという。しかしこの悲しみ先取り症候群も親友の死を前にしてまったくその機能を果たさなかった。あの小林秀雄も母の死にあって「もっと大事にすればよかった」などとひどく普通のことを言ったそうだ。物事をねちっこく考える小林であっても死は想像を絶するものだったということなのだろう。そして最後に悲しみ先取り症候群など時間の無駄なのか?人生は今だけ考えていればよいのだろうか?と自問する。
このエッセイを読みながら夭折の哲学者池田晶子の言葉を思い出した。「死を前提にしない哲学などあり得ない」。僕はこの言葉が気に入っている。哲学などと硬く考えずとも生き方と読み替えてもよい。「死を前提にしない生き方などあり得ない」。その意味では僕らは常に先回りし死の予行演習をしたほうが良い。もちろんそれは本番の悲しみを除去するためではない。
午後会議、ゼミ。無線ルーターを買ったのだがうまくつながらない。悔しい。