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by 卓 坂牛
昨日といい今日といいスケジューリングが悪い。午前中八潮市の方、先生方が研究室来室今年の作業方針を検討する。理科大は結節点にあり皆さん便利なようである。昼をとってから事務所に戻る。2時から設備の打ち合わせ。3時間かけてシステムを概ね決める。打ち合わせ中急激に体調が悪くなる。設備設計者の声が虚ろに聞こえる。この後6時から製図なのだがどうしょうかと「ウーウー唸っていたがとにかく大学にタクシーを飛ばす。研究室の体温計で計ると「ゲッ39度4分」補主の田谷君が「インフルエンザですよ」と言う。これはエスキスやるとまずいよなあ、皆にうつる可能性高い。さっさと逓信病院に行って救急外来でみてもらう。インフルエンザである。明日はキャンセル。もう寝る。
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朝事務所に寄って週末描かれた矩計図を見てから大学へ。10時半の教室会議に出るつもりが一週間延期になっていた。僕にもメールまわしてくれよ、、、、トホホ。事務所に戻り打ち合わせ。屋根屋さんの打ち合わせに参加して3時ころまたゼミで大学に戻る。恐ろしいことに簡単に行ったり来たりできてしまう。自転車で往復していると空気が悪いせいか花粉が飛んでいるせいか分からないが気管支炎症状が治らない。コンペのゼミをして、卒論のゼミをして、6時から講義。4人くらい寝ている学生が見える。この数が少しずつ増えていくのだろうか?夕食後研究室にいたら彰国社の富重さんがいらっしゃった。現代建築の講義を二コマお願いしている。10年ぶりにお会いし懐かしかった。夕食をご一緒した。よくよく聞くと富重さんは東大の独文出てから理科大で建築を学んだとのこと。東大の文学部で建築を教えるとそういう人がたまに現れたものだ。人文的知の持主にとって建築は興味深い対象なのであろう。
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朝ジムに行って走る。帰宅後読書。先ず西和夫『二畳で豊かに住む』集英社新書2011を手にする。現在設計中の児童養護施設の個室が狭い狭いと施設長に言われるのだが、そう簡単に延べ床を大きくできないし、、、、狭さ克服のために先人の知恵を追う。しかし先人の二畳は概ね戸建。マンションのような建物の中の二畳とは大違いである。次は古郡延治『あなたの表現はなぜ伝わらないのか―論理と作法』中公新書2011。これはタイトルに偽りありだな。それを見抜けない読者が悪いとも言えるけれど、この問いに対する答えが書いてある本ではない。午後かみさんと千駄木散歩。谷中銀座でお茶をする。細長いドーナツがおいしい。凄い人。天気がいいからだろうか。帰宅後千田有紀編『上野千鶴子に挑む』勁草書房2011を読み始めた。熱い風呂で汗垂らしながら読む。先日この本の編者である千田有紀さんの『日本型近代家族』を読み、なかなか面白かったのでこの上野千鶴子退官に際して弟子たちが作り上げた上野批判論文集を買ってみた。さすが上野。通り一遍の退官論文集などつくらなせないところが見習える。内容も濃い。最後に千田が上野にインタビューしている中で上野はこんなことを言っていた。教員の仕事は研究と教育だが、自らの研究レベルのままで教育できる大学は数少ない。上野はその幸運に恵まれたという。僕もそれは痛感する。そして僕もなるべくそれをやろうとしてきた。しかし知らぬ間に複雑なことを簡単にし過ぎていたり、難しそうな内容をはしょってしまう自分に気づく時がある。
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朝一で古河に行くつもりが高崎へ行く電車に乗っていた。大宮まで戻って宇都宮行に乗り直し古河へ。忘れ物を取ってから上野へ向かう。上野寸前で乗客の携帯が一斉に成り始めた。と思ったら電車ががたがた揺れ車内灯が消えて停まった。しばらく動かなかったがほどなく上野に着く。せっかく上野を通るので西洋美術館に寄りレンブラント展を覗く。観終わって東京駅からこだまに乗り熱海へ向かう。木島さんのオープンハウスに行く。駅からバスで20分くらい。伊豆山の中腹。三角形平面の別荘である。昔設計した連窓の家#3を思い出す。帰りは竹内君の車で東京まで送ってもらう。東名を降りて環八にはいり八幡山から京王線で曙橋に戻る。今日はあっち行ったりこっち行ったり長旅だった。お腹が空いたのでかみさんを呼んで鈴新へ行く。お店にいた『東京人』の編集長を紹介される。『東京人』は1986年創刊。最初の十数年は東京都から発行されていたそうだ。その後民間に移されて今に至る。それにしてもよく今まで休刊しなかったですねと聞くと、「やはり東京だからでしょうね」と言う。実は大阪人という雑誌は東京人より古くから出ているのだが大阪市が半分費用負担しているそうだ。最新号は写楽特集。見せてもらったが広告が少ない。「最近は広告とれなくて個人広告でもいいから欲しいです」と言って笑っていた。
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午前中湘南ライナーで古賀へ向かう。車中千田有紀『日本型近代家族』勁草書房2011を読み始める。著者は上野千鶴子研究室一期生。なるほど上野の家族論を受け継ぐ匂いを感ずる。「美」とは近代の幻想(作られたもの)とはよく言われるが、「家族」もそれに近い。つまり我々は近代に作られた概念をアプリオリで自明なものと錯覚しているケースが多々あると言うことだ。美や家族に限らず、多くの疑いの無いと思われている概念は近代に作られた幻想であるケースが多い。そしてそうした自明性が有効な場合もあれば無効な場合もある。
午後事務所に戻り打ち合わせ、夕方大学。最初の製図。今日はガイダンスで非常勤の先生の自己紹介スライドを楽しむ。塩田さん、高橋堅さん、木島さん、宮さん、若松さん。熱の入った5人の建築家の話を連続して聞く。いろいろな建築があるものだ。いずれにしてもこんな豪華な顔触れで授業ができるのは都会の大学の特権である。
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高崎で学生と待ち合わせて上州富岡へ向かう。向かう電車の中で橋本元明『メディアと日本人―変わりゆく日常』岩波新書2011.3.18を読む。ネット利用の「マタイの法則」という聞きなれない言葉が目に入る。それはネット利用によって外向的な人は更に外向的に、内向的な人は更に内向的になるという調査結果のことである。富裕な人は更に富裕になるというマタイの言葉があてはまると言うことである。次にネット世代のメンタリティ分析に入るのだが、世代が4分類される。76年以前に生まれた人たちはデジタルイミグラント(移民)、76年から20年間はデジタルネィティブ、96年以降はネオ・デジタルネィティブと命名されている。僕はもちろんイミグラントで学生たちはネィティブ、娘はネオである。確かに娘のネットの使い方はもはや僕らのそれとはかけ離れている。アイポッドにお気に入りのユーチューブをダウンロードさせて友達と見せ合って喜んでいる。漫画を見る感覚で動画を見ている。最後にネットの未来を語る中で昨今のクラウドコンピューティング志向(自分の頭の中に知識をためないで必要な時に必要なサーバーに取りに行く)の高まりを前提に著者はこう述べる。「通常、大学入試でも持ち込みはできない。しかし、やがてネット接続が可能な条件下で、何を参照してもいいから、与えられた問題をいかに短時間に解決できるかと言うスキルが・・・・重要な学力判定の一つになる時代がくるに違いない」。この本が出版された時には既にそういうことが逸脱として現実のものとなっていたのは何とも皮肉である。
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朝から事務所で実施に入らんとするプロジェクトのスタディ。一日ゆっくりスケッチが描ける日があるというのが嬉しい。
夕方日建設計の若い人たちが4人来所。彼らが企画しているシンポジウムシリーズへの出席依頼。年に三回行うナイトフォーラムの最終回だそうだ。題して「建築家の与条件シリーズ」。第一回は『建築×女性』というタイトルで永山祐子さん他2名、二回目は『建築×人数』というタイトルで藤原徹平さん、亀井さん他2名、そして今回は『建築×系譜』ということで五十嵐淳さん、中川純さん、そして僕が呼ばれてなにやら自らの系譜と作品の関係を語らねばならないらしい。
4人の若い彼らにいろいろと調べ尽くされて質問されると少々気恥ずかしい。まあ恥ずかしくても自分のことを語るのはそんなに面倒臭いことではないし、正直にありのままを語ることはできる。しかし困るのは日建の若い人たちを相手に彼らを鼓舞する言葉を見つけるのに苦労する。日建の社会的な意義や、その強みを語ることはいくらでもできるのだが、そういうことにそれほど価値を感じていないからそこにいることを止めているのである。となると有能な彼らに何をお勧めしたらいいのか?何が言えるのか?少々不安になってしまう。
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by 卓 坂牛
午前中これから始まる実施設計の図面リストとそのスケジュールを見る。80枚あまりの意匠図になりそうなのだが、2人で描くには期間が短すぎる。もう一人どうにかしないと。午後矩計図をチェック。そうこうしているうちに夕方になって大学へ。今日もちゃりんこで行ってみる。昨日と違い道が分かると早い。事務所からきっちり10分である。いいロケーションだなあとつくづく思う。2年後に金町に引っ越すのが残念である。
宇野先生、山名先生と製図第三(4年生の前期課題)前のプレミーティング。24人が受講して先生は助教も含めて7人。毎回全員出てくるわけでもないのだが豪華な布陣である。8時ころ終えて坂牛研のゼミオリエンテーション。輪読本のタイトルとそのスケジュール、1時間設計のやり方、富岡駅のコンペ、八潮ワークショップ、などの話をする。学生のレベルもモーチベーションも分からないので手探りである。6年前に信大に来た時のことを思い出す。とりあえず前期ゼミ本は以下のような簡単な基礎的な本を選んでみた。
木田元/反哲学入門/新潮社
東浩紀/動物化するポストモダン/講談社現代新書
佐々木健一/美学への招待/中公新書
松井みどり/アート:“芸術”が終わった後の“アート”/朝日出版社
井上充夫/建築美論の歩み/鹿島出版会
ヴォリンゲル/抽象と感情移入/岩波書店
P.ジョンソン/インターナショナル・スタイル/鹿島出版会
R.ヴェンチューリ/ラスベガス/鹿島出版会
篠原一男/ 住宅論/鹿島出版会
ケネス・フランプトン/テクトニック・カルチャー/TOTO出版
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●少し整理された研究室
理科大講義初日。うわっ100人近い。細長い部屋なのでプロジェクターの画面が後ろじゃあ見えない。後部座席用のモニターが後ろの方の天井から吊り下がっているのだが、これが壊れている。「なんてぇこった!!」加えてマイクの調子が悪い。仕方ないマイクは使わず地声でがなる。初日から少々面食らう。
しかし嬉しいこともある。誰1人寝ていない。信大を思い返すとはるかにやる気が見られる。さすが夜間だなあ。モーチベーションの高さには敬意を表する。まあ高い授業料払ってくるのだから当然かもしれない。
夕方から突然の雨。晴れだと思って自転車で来たのだが。これで千鳥が淵の桜も散っただろうか?と思って外を見たら雨が止んだ。守衛さんが回って来て「11時で閉めますよ」と言って出て言った。今日は素直に帰るか。自転車に揺られ夜桜でも見ながら。
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by 卓 坂牛
●普通の家がちょっと改良されてブティックに
●全開するギャラリー
午後早めに今日締め切りの原稿を片づけた。よかった。夕方四谷小学校へ選挙にでかけその足で根津散策に行く。谷中のあたりを歩く。この辺りは寺が密集している。カップルや外国の観光客と思しき人も結構いる。ギャラリーやカフェも多く裏原宿のような雰囲気のところもある。根津から地下鉄で広尾へ向かう。Kさんの御尊父の通夜。帰宅後河田恵昭『津波災害―減災社会を築く』岩波新書2010を読む。津波、高波、高潮と潮位が上がる現象はいろいろあるがどうも津波は波と考えてはいけないことが分かった。津波は流れなのである。水が移動しているということである。津波の映像で岸壁にぶつかってとんでもなく波が上昇するシーンがあったと思うが、あれは海底付近で岸壁にぶつかった海水の運動エネルギーが位置エネルギーに変わったことの表れなのである。それにしても昨年こんな本を書いた著者にとってこの災害はどう映っただろうか?