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Sep 2011

ミースのガラスを杉本が撮った

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by 卓 坂牛

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杉本博司の『空間感』マガジンハウス2011は彼がスター建築家の作品を訪れその建築のエキスを掬い取った写真集である。もちろん写真以外に彼の攻防記も併置されている。リベスキンド、ミース、磯崎、ズントー、SANAA,、小川冶兵衛、ヌーヴェル、吉田五十八、ヘルツォーグ、安藤、谷口、ピアノ、西村伊作。そして最後に採点表まで付いている。採点表は写真が掲載されていないものも多く含まれ、星一つから五つまでで示されている。なかなか手厳しいその評価はさておき、さすが杉本という写真がいくつかあった。
その中でも一番美しいと思ったのはミースのニューナショナルギャラリーである。昨今、中の美術品の為にカーテン締め切り状態のこのガラス張り美術館をカーテン全開にして撮っている。それだけでも大変な苦労だろう。それに加えこのガラスに夕陽と町並みが写り込んだその瞬間が捉えられている。恐らく一般の建築写真でこんな瞬間を切り撮ったものは無いと思う。
昔GA素材空間の編集協力をした時に二川さんに言われた。ガラスの厚みを耐風圧で決めるようじゃ建築家じゃない。ガラスは素材としての美しさがある。その美しさで厚みは決めるものだと。ファンズワース邸に数回行って毎回朝から晩までいるとその表情の変化が分かるのだと教わった。そんな表情の機微はそう簡単に写真なんかで伝わるものじゃない。でもこの一枚はそれを伝えている。

自尊感情の欠如

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by 卓 坂牛

朝、家でスケッチ。模型が作りたくなったのでノートだけ持って事務所へ。作っては見たが、、、、どう評価したらいいのだろうか??家に戻ると皆出かけた後。昼を作って食べてから軽くジョギング。シャワーを浴びてから森美へ。メタボリズム展を見る。http://ofda.jp/column/。帰宅後風呂に入って正高信男『団塊のジジババが日本をダメに』潮出版2011を読む。著者は『ケータイを持ったサル』で有名な京大霊長類研究所の教授である。
団塊の世代に代表される戦後日本人が子供たちに望んだ資質は「思いやりと素直さ」だそうだ。この標語の狙いは大人に服従する子供づくりだと著者は言う。なるほど頷ける。
かたやアメリカに行くと子供に求める資質は自尊感情(self-esteem)と公正、正義(justice)なのだそうだ。さもありなん。彼らの執拗な自己主張はそこから来る。それに偏り過ぎるのもどうかと思うが服従する子を作る教育よりかは100倍マシである。今の大学生には自尊感情のかけらもないような人が少なくない。彼らには「自分はこれをやったのだ見てください」という自信ある態度が欠如している。これは明らかに本人のせいだけではない。親の育て間違いだと僕には思える。

ブラジル人の嫌いなもの

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by 卓 坂牛

『イサム・ノグチ』下巻を読む。山口淑子と6年間結婚して最初の一年を魯山人の家の離れで暮らしていたとは知らなかった。20世紀前半のアートコネクションである。
続いて和田正親『ブラジルの流儀』中公新書2011を読む。「ブラジル人はアルゼンチン人を嫌うことを愛する。アルゼンチン人はブラジル人を愛することを嫌う。」という言葉があるそうだ。ブラジルから見るとヨーロッパ人比率が高いアルゼンチンはスノッブに見えるのだろう。アルゼンチンに行ってニーマイヤーの話しをしてもどうも食い付きが悪かったのはこれが理由???この対立が極点に達するのがサッカーだそうだ。
夕方ジムでシャドーボクシング。久しぶりにスタジオ系の運動をしたらばてた。ボクシングしながら考えた案を夜事務所に行って模型にする。でもあまりよくない。

空飛ぶ家

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by 卓 坂牛

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午前中親友の父親の葬式に行く。我々が高校時代クラブの試合後よく行っては酒を飲ましてもらった。青春の一コマを飾る素敵な親父。期せずして自分の親父と同い年。大正15年生まれ。アーメン。
葬式後その自分の親父の家最初の打合せ。長男と同居の家。案を二つ出しリクエストを聞く。特にこれっと言ったものはなくお任せ状態。できかけの三つ目の案も見せる。善福寺川氾濫地域なので一階は床を上げ低めに窓をつけないRC造。親父の部屋と広間と水回りを配置。二階と一階の間にロフトを入れてそこをぐるり採光空間として鉄骨で二階を支える。二階は四等分して四室配置。軽くするため木造。屋根は一種高度車線と日影をやらないで済むぎりぎの高さに抑える。空飛ぶ家。

4人のツワモノたち

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by 卓 坂牛

3年生の後期製図が今日からスタート。講師陣は日建の亀井忠夫さん。建築家青島裕之さん。川辺直哉さん。構造設計家の多田修二さん。皆さんの自己紹介パワポはそれぞれ印象的だった。亀井さん設計さいたまスーパーアリーナの観客席の移動は数百円しか電気代がかからない。青島さんのプロポの腫率は8割!!!川辺さんはあれだけ集合住宅を作っているが全てが個人からの依頼(デベが絡んでいない)。多田さんの佐々木事務所時代の仕事の一つディオールでは模型が数百個作られたとか。いやはや皆さん凄い人たちである。

ヴォリュームゾーン・イノベーション

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by 卓 坂牛

朝一で古河へ。落札したゼネコンに初めて会い強烈な減額案を提示される。これからネゴらなければならない。そして時間が無い。それにしてもトリッキーなプロセスである。
行き帰りの車中で大泉啓一郎『消費するアジア』中公新書2011を読む。ちょっと目から鱗な発見。
ファッションの流行伝搬の法則としてソースティン・ヴェブレンの滴り理論という古典的法則がある。上流階級のファッションがそれに憧れる下位の階級へ滴るように伝搬するというものである。これは19世紀末の提唱であり、現在はこんなもんじゃあるまいと歴史の1ページにしまいこんでいた。ところが現在アジアで起こっていることはまさにこんな事である。
アジア市場において年間可処分所得が40万円から280万円の中間所得層をヴォリュームゾーンと呼ぶ。この市場は2008年現在アジアに9億人近くいて、市場参入のターゲットとなっている。さらにこの中間所得層の中でも40万円~120万円の下位中間所得層の増加率が高い。そこでこのゾーンを狙い商品開発が進む。これまで高嶺の花であった商品の、性能を下げ、デザインを捨てコストを抑え購買力の範囲に生まれ変わらせるのである。因みにそうした変革を「ボリュームゾーン・イノベーション」と呼んでいるそうだ。
ところが近年、情報網の発達により、ヴォリュームゾーンでの売れ筋商品は限りなく富裕者層の商品デザインに近いことが必須となってきたそうである。性能はともかく見た目は富裕層商品と同じが望まれている。これまさに上流への憧れである。階級社会は無くなったが経済的格差社会が代わりに登場し、100年前の滴り理論が現在進行中ということである。

スタディモデル

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by 卓 坂牛

最後の一枚、メインのフォトモンタージュが決まらない。夕方宅急便で送ろうと思っていたけれどあきらめた。この一枚のブラッシュアップを2人でやる。締め切りぎりぎりに出来上がるだろう2つのフォトモンは学生達で良い方を選べと言い残し夜研究室を出て事務所へ戻る。研究室最初のコンペは学生の実力を見るためのテストみたいなものだったけれど今回は誰が何をできるかも分かり作戦もたった。それでも4年しかいないハンディは如何ともし難い。手とり足とり指示をしないととんちんかな方向に進む。連日注文を付け続けるのは結構な労力である。叩いたなりの力が発揮される時は喜びではあるが。
それにしても模型は作りこむほど難しい。最後のフォトモンが上手くいかないのも模型が理由。コンペに限らず模型は最初のスタディモデルや構造モデルが美しい。前者はつけたくない機能的なディテールが削ぎ落とされているから。後者は人間もヌードが美しいのと相通ずる。
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ちぢみ模型

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by 卓 坂牛

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●家から持参したちぢみの端切れ
鎌倉のクライアントと延々禅問答のような打合せ。「食パンのような建築、、、」「農家のようで、、、」「菜園から直接入れるようなバスルームとキッチン」「教会のような神聖な、、、」「薄暗い土間があり、、、」「土間に炉」「一段上がったところが図書室のようであり、、、」「シザの教会のような明るい光が入り、、、」「明るいリビングルームというのとは全然逆で、、、」という話を聞いていていイメージが定まる人は先ずいない。一体いくつ模型を作っただろうか?まだ先は長い、、、迷路を歩いているようなもの。
夜研究室へ。いよいよ残すところあと二日。プレゼンボードの右一列はどうなっただろうか??おやおや予想に反して水彩画のコラージュがうまくできている。頑張ったねU君。両方を打ち出して皆で見る。全会一致で水彩画を採用。続いて模型写真。本物のちぢみを切って吊るしているのだが悪くない。建物が抽象性を重んじんないのだから模型も抽象白模型では表現できない。つくるなら徹底して具象的に、、、

CI (Cultural Interface) プロジェクト

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by 卓 坂牛

見積もりが高くて不調に終わりそうだった仕事がなんとかネゴれたようである。まるでひとごとのようなのはネゴのすべてをクライアントがやってくれたから。そのおかげで我々の仕事は減ったのだがどういう筋道で納まったのか分からないので不安が多い。こんなやり方は未だかつてないのだが、このクライアントは過去に沢山の施設を作ってきて何時もそうしているようである。
夕方学生と企業の連携プロジェクトの発表会を聞きに丸ビルに行く。あらあらここにはこんな素敵なコンフェレンスルームがあるとは知らなかった。このプロジェクトはCIプロジェクトという名がついているCultural Interfaceの略である。学生の社会勉強にはなかなか有効。経営学科と建築学科が某企業の戦略プロジェクトを練ると言う企画である。4チームが参加し、この企業の方々が審査員となって賞を決める。建築学科のチームが最優秀賞となった。聞いているとさもありなんである。4チームの中ではまだましだ。3か月くらいやっているのだから皆もう少しアイデア出さないと企業の方に申し訳ないよ。
夜研究室に戻りコンペの作業を見る。あと少し。

形無き形たち

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by 卓 坂牛

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朝早く起きて母校サッカー部の都大会を見に行った。野球に続きサッカーも頑張っているのだが行ってみたらこりゃだめだ。ボールを「止めて、蹴る」ということができていない。武蔵小金井で昼をとり四谷に戻り昨日休みだったジムでひとっ走りしてから竹橋に行ってイケムラレイコ展を見る。これが思ったよりよかった。彫刻と絵画とスケッチがタイトルなしに150点くらい並んでいる。具象とも抽象ともいえぬその中間をさまよっている。顔が半分溶けたような彫刻とか、闇に消えてしまいそうな人物画等である。形を消そうという意識にとり憑かれたたような形たちである。夕方研究室に行くが誰もおらんのでイサム・ノグチを読み続ける。一生私生児であったからこそこんな執念が生まれたのだろうか?芸術家になる条件は劣等感だと昔友人と話し合ったことがあったが、、、、夜学生が三々五々やってくる。