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Oct 2011

久しぶりの批評理論

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by 卓 坂牛

娘の文化祭に行った。高校最後の年なので。演劇二つとダンスを見る。いやなかなか面白い。ダンスはセミプロである。黄色い声援が女子高らしい。図書館前では古本市。筒井康隆の『文学部唯野教授』岩波書店1990が売っていた。130円。10年以上前に読んだことがある。批評理論を学ぶには最良の入門書。笑い転げる面白さ。また読もうと思って書架を探したのだが捨てたのか失くしたのか分からないが見つからないので思わず買って帰宅後斜め読み。
明言されていないがこの本にはネタ本がある。テリー・イーグルトン『文学とは何か』岩波書店1997(1983)である。そして更にこの本には解説本がある。訳者である大橋洋一(東大教授)が書いた『新文学入門』岩波書店1995である。筒井康隆の本のモデルが大橋洋一ではないかという噂が流れたくらいである。
ところで彼らが注目した批評理論をあげてみると恐らく現代、使用に耐えられる批評理論はほぼ網羅されていると思われる。以下批評理論と掲載本を記してみる。
1、 英文学批評(イーグルトン、大橋)
2、 現象学、解釈学、(イーグルトン、筒井)
3、 受容理論、構造主義、ポスト構造主義(イーグルトン、筒井、大橋)
4、 印象批評、ニュークリティシズム(筒井)
5、 ロシア・フォルマリズム(筒井、大橋)
6、 精神分析批評(イーグルトン、大橋)
7、 ジェンダー批評(大橋)
批評と言うのは物事を解釈する一つの立場、見方である。筒井は文学を対象に書いているがこれはもちろん建築を対象としても何ら問題はない。この本来年の坂牛研のゼミ本にしよう。笑いながら批評理論を学べる。

寡黙なる巨人

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by 卓 坂牛

午前中ジムに行ったら今日は休み。帰宅してジョギング。午後事務所に兄貴夫婦来所。またしても6時間の打合せ。やっと一案に絞り込む。
帰宅後風呂につかりながら多田富雄『寡黙なる巨人』集英社文庫2010を読む。小林秀雄賞をとったこのエッセイは千葉大、東大の教授歴任後、理科大の生命科学研究所の2代目所長をされた著者が脳梗塞で倒れた後の闘病記である。
ちなみこの本のタイトルである寡黙なる巨人とは、脳梗塞からのリハビリは元の自分に戻るのではなく、体の中に横たわる別の誰か(寡黙なる巨人)が目覚めるように感じたことからつけられたものである。
著者の闘病は嚥下障害、言語障害、歩行障害との闘いであり先日亡くなった友人の父親の闘病と同じである。こんなに苦しい状態だったのかと思うと再度友人の父親が気の毒になる。

神楽の設計陣は4人野田も合体したら6人である

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by 卓 坂牛

7時の新幹線で東京へ。帰りの車中はジョン・バージャー伊藤俊治訳『イメージ―視覚とメディア』パルコ出版1986(1972)を読む。我々に見えているモノが社会的にどのように意味付けられているかという話し。考えて見れば40年も前の本なので少々解釈が古い感もある。例えば広告イメージは頻繁に絵画のイメージを転用する話。何故転用するかと言えば絵画は富の象徴であるからであり、伝統や歴史にこそ人は価値を見いだせるからだという。確かに今から40年前はそういう時代だったかもしれない。しかしその後我々は伝統や歴史に頼らなくても想像的に価値を見いだせる時代に入ってきていると思う。それゆえ見たことも無いような広告イメージが多く生み出されてきている。
10時に大学。雑用。午後一で計画意匠系の会議。信大の時もそんな会議はあった。構成メンバーは歴史3人、心理1人、意匠が僕だけ。ここでは歴史1人残り4人は意匠、計画で皆さん設計ができる人たち。これに来年度からもう一人加わる予定。これは嬉しい。会議も充実する。これに野田の2人も入れたら設計者は6人である。大学院教育など一体化したらこんな恵まれた大学はあるまい。
自転車で事務所。打合せ。夜大学に戻り研究室の1時間設計の課題を出して、輪読本である佐々木健一さんの『タイトルの魔力』の説明をしてから製図へ。今日は提出日である。そこそこ形になってきただろうか?まあ24万㎡の渋谷のコンプレックスなど、数週間でできる課題ではないが、なんとか提出にこぎつけている。来週は藤村龍二さんをゲストに呼んでの講評会。楽しみである。

住宅作家とは?

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by 卓 坂牛

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朝一で住宅の模型を見る。1/30 の段ボール模型は頭が模型に入る。なかなかいいものである。しかし最近模型を見るたびに赤坂さんの言葉を思い出す。「模型は作らない、甘くなるから、、、、」大学のお弁当会議を終えて東京駅へ。久しぶりに新幹線に乗る。目指すは長野ではなく大阪だが。
車内で鞄を開けて驚愕。行き帰りと向こうのホテルで読もうなんて思って4冊の本を入れていたつもりだった。読みかけの9.11、コミュニティデザイン、新しいオフィスの作り方、それから脳梗塞になった東大の先生の日記。ところが恐ろしいことに4冊ともまるで手品のように違う本が入っている。ルネサンス、三島由紀夫、愚作論、イメージ。
まあ別に入れたつもりの本を今読まなければいけない必然はないからそんなことはどうでもいいのだが、自分の体が自分の意思通りに動いていなかったと言うことが問題である。体中が不随意筋でできているようなものである。
仕方ないから八田利也『復刻版現代建築愚作論』彰国社2011を読む。この本は復刻版とある通り、1961年に出た本であり八田利也(はったりや)というペンネームの主は磯崎新、伊藤ていじ、川上光秀三氏の共同体である。内容は当時の建築界の状況風刺。藤村龍二の解説では本書の主旨が建築家は「量」を問題にせよということになっているが、そうとも言い切れない。しかし当たらずとも遠からず。たとえば住宅作家をこんな風に批判する。住宅だけやっている建築家はプロではない。なぜなら住宅は食えないのだから。故に一流の(?)住宅作家と言うのは全て大学の助教授である(当時)。東大の池辺、早稲田の吉阪、東工大の清家みな一流の住宅作家にして大学の助教授である。なるほど。今日会うだろう日建のO君も住宅で学会賞とっているが、あれを仕事にしたら大赤字のはずである。
大阪では日建の方々とお会いする。2年ぶりくらいだろうか。社長以下いろいろお話させていただく。4月に大学移動したこともお伝えする。終わって新しくできた大阪駅などを見る。これは一見飛行場である。駅の上にもう一度屋根をかけようなんてそう思いつかないだろう。基本設計は日建と聞く。大屋根によって場内放送が反響しヨーロッパの駅のようである。なかなかダイナミックである。

リゾートのような

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by 卓 坂牛

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野木の現場定例。開発行為工事が先行。11月末に制限解除されてやっと建築工事となる。それまでは指を加えてまっているような感じである。さっさと施工図が出て来てチェックできればいいのだが、、、契約のどたばたで未だ下請けが決まっていないのが現状。ひどい。今日は秋晴れ。空気は澄んで周辺の雑木林の木漏れ日を見ていると一瞬仕事を忘れてリゾートに来たような錯覚に陥る。

吉阪隆正的想像力

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by 卓 坂牛

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●倉方さんが撮られた写真を再掲載
夕方卒業設計の中間講評会。高橋堅さん、新堀さん、他非常勤の先生8名そしてゲストの倉片俊輔さんを加え豪華なメンバーで講評。いやはやこれだけの布陣で見るほどのものになっていないのが残念だしお呼びした方に申し訳ない。
講評途中で倉方さんのショートレクチャーを聞く。伊東忠太と吉阪隆正について。吉阪の呉羽中学校の未完性の面白さがよく分かった。つまり建物が長年の間に新たな予想外の使われ方を生んでいくという面白さである。
帰宅後『吉阪隆正の迷宮』2004吉阪隆正展実行委員会編2005をぺらぺらめくると石山さんのコメントに目がとまる。吉阪隆正と丹下健三の違いについて。吉阪は先ず建物を配置すると人間の歩く道は自然にできると言う(セミナーハウスなど)。一方丹下さんはまず歩く道を決めてその中に建物を置くのだと。
計画者が計画できることの限界を見極め後は人間の力を期待すると言う態度は極めてポスト近代的である。丹下の方法はまさに近代。そう言えば先日お会いした板屋緑さんも「建物はできた時が一番いい時ではない」と言っていた。彼のデザインは何かがはずれたり壊れたりしながら核とした部分だけは風化せず残りそうな建物である。千年後に遺跡になった時を想像させる。変化を許容するデザイン。これが吉阪的早稲田の伝統か?!
そんなざっくりとした、何かがおこるかもしれないと想像力を掻き立てるような卒業設計が生まれてくることを是非是非期待したいところである。

9世紀後の十字軍

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by 卓 坂牛

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一昨日、瀧本哲史『武器としての決断思考』星海社2011を読んだ。ディベートの仕方を描いている本なのでディベート好きの娘にあげよう。
昨日、太田敬子他『十字軍全史』新人物往来社2011を読みながらバルカン半島からパレスチナにかけての地図と睨めっこ。エルサレムに一度は行ってみたい。兄貴の話だとイスラエル入国の時に次にアラブの国に行くと告げるとパスポートの上に紙を一枚乗せて入国の印を押すそうだ。つまりパスポートにイスラエル入国の証拠が残らないようにしてくれるとのこと。なんとも不思議な国である。
十字軍の9世紀後アメリカはイスラムにリベンジされる。ローレンス・ライト平賀秀明訳『倒壊する巨塔―アルカイダと「9.11」への道(下)』白水社(2006)2009を読む。2007年のピュリツァー賞受賞作。ビンラディンは「アメリカはキリスト教徒とユダヤ人によってイスラム復興を粉砕する地球規模の十字軍のさきがけ」と見ていたと言う。それを察知した彼は先手を打ったわけである。9世紀前の轍を踏まぬように。

ロートレックの目

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by 卓 坂牛

驚きのフェイスブック。UCLA時代の一番仲の良かったドイツ人から20年ぶりにフェイスブックを通して連絡が来た。彼はドイツに帰らずヴァンクーバーで都市計画の仕事をしているとのこと。11月に日本に来るので会うことにした。
雑用がたまりいろいろやっていたら夕方。行こうと思っていたオープンハウスも行けそうもないと諦めた頃にかみさんがロートレック見に行こうと言う。日展の作品制作でこのところ土日は出ずっぱりだったが今日は久しぶりに家にいる。
三菱一号館に行くのは作品選奨の審査以来。この庭は高層ビルの公開空地の作り方としては少々暑苦しくはあるが画期的である。
ロートレックは3年前にサントリー美術館でも見た。あの時は人の背中で絵を作ったのはロートレックが最初だろうと思った。今日は目が凄いと思った。ここまで表情のある顔を描く(リトグラフだが)アーティストはいないと思った。いやもう少し言うと彼の描く目は漫画みたいである。と思って見ていたら彼が浮世絵に影響を受けたことが説明されている。特に北斎漫画に影響を受けたと言う。そうやってみると確かに彼の描く目は北斎漫画の人物画集から貰って来たのではないかと思わせる?女性の目など実に日本的な細い切れ長ものがあったりする。
今日は暑くなく寒くなく気持ちのいい空気。丸の内のストリートカフェで食事。お隣さんのお連れの犬が少々ばて気味。
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驚きの一日

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by 卓 坂牛

午後早稲田理工学部へ。建築学会の建築論、意匠小委員会に出席。理工キャンパスに来たのは建築士の試験を受験した時以来である。その時はあまり感じなかったけれどひどく建物が密集したキャンパスである。入江先生がこのキャンパスは容積率を使いきっているんだよと言っていた。そんなキャンパス他にあるのだろうか?まあ理科大もそうかもしれないが、理科大はキャンパスがないから同列には扱えない。
委員会の後シンポジウム。入江先生のお題「建築論の現在 建築デザインにおける既存、既在という場所を巡って」に沿って萩原剛さん、赤坂喜顕さん、板屋緑さんの3建築家が自作を語った。
萩原さんの台湾の美術館はもうすぐ竣工のようである。とても日本人離れしたデザインに驚いた。
赤坂さんはあの白い箱をコンテクスチュアルに説明された。彼は模型を作らない。図面と言う抽象性から建築という具体に突如移り変わる緊張感が重要なのだと言う。これも驚愕である。そういう建築家がいることは聞いていたが赤坂さんの建築がそうだったとは。
板屋さんは恐るべき人である。四角いものを見るとロの字に見えてローマを思うというほどローマが好きな人。ローマの遺跡のような建築を作っている。作った数僅か3つである。しかしそこにとんでもないエネルギーと情念が刷り込まれている。30分間よどみなく「えー」とか「うー」とか全く入らず話す。まるで機械のように話す。これは想像以上に驚くべきことである。また雑誌で作品を見た時はきっと若い人だと勝手に想像していたのだが私より一回り以上先輩であると聞きこれも驚きであった。
3氏のプレゼンの後岸田さん、富永さん、田路さん、奥山さん、僕が加わり質疑そして最後に中谷礼仁さんがまとめて終了。
夜は懇親会。意匠小委員会の委員でもありかねてより翻訳本を愛読していた白井秀和先生とお話しした。老齢で静かな方をこれも勝手に想像していたのだが、なんとも豪快で元気な方なのには驚いた。現在ワトキンの本を訳されているそうで出版が楽しみである。2次会は若手だけ。下吹越さんとは法政と理科大はお隣さんだし何かできないものかと話す。彼はあの若さで教授であるこれも驚き。今日は驚くことばかりである。

日本で働くモーチベーションは?

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by 卓 坂牛

構造の長坂さん来所。10時から1時まで打合せ。お腹が減った。2時に昔のインターンシップ学生、アイルランド人ガレスが来所。一昨年インターンシップ後アイルランドに戻りこの夏に大学を卒業。卒業と同時に大胆にもさっさと日本にやって来て就職活動を始めたそうだ。そうしたら運よく日建設計が試用職員で拾ってくれた。某国の空港プロジェクトをやるらしい。
どのくらい日本にいてその後どうするのかと聞くと別に何も決めていない。‘It would be open` と言う。アイルランドの最もプレステジアスな大学を卒業して、まあヨーロッパで仕事もあるだろうが、そんなチャンスを放り投げてさっさと日本にやって来て将来の具体的なヴィジョンもない(いい意味で)というのはどう考えたらよいものか?
先日メールが来たチリの建築家の卵も同じである。チリの東大みたいな所を出て就職も楽にできたのにそんなことを放り投げて日本に来たいという。日本に来て大金持ちになれるのならいざ知らず、まあせいぜいアトリエ事務所の初任給はまあいいとこ10万だよと言ってもOKというのは一体どう考えたらよいのだろうか?
ヨーロッパも南米もとにかく建築家の仕事などないということなのか?経済状態が悪いと言ってもそれでも日本の状態は相対的にいいということなのか?日本の建築が世界的に見ていろいろな意味でレベルが高いからここで勉強したいと言うことなのか?今のところ僕には正解が分からない。