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Dec 2011

共感、焦点、印象―アップルのマーケティング哲学

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by 卓 坂牛

ベストセラーは普段読まない僕だけれど、「いま世界で一番売れている」という広告に負けた。ウォルター・アイザックソン井口耕二訳『スティーブ・ジョブズ』新潮社2011の一巻を朝から読んでいた。そうしたら夕方の5時にNHKで彼の特集をやっていた。やはテレビは本に比べるとシンプルで本の4分の1くらいの情報量しかない。
本を読んではじめて知ったのだがジョブズは60年代後半のヒッピーのスピリットの中で育った人だった。反体制で、裸足で、ボロを来て、風呂に入らず、禅が好きで、LSDにのめりこみ、インドを放浪した。そんな人である。あの時代のスピリットは世界的に様々な知恵を生みだした。しかしそれらは一般に反体制的、革命的な知性である。体制であるところのビジネス界での(いやその見かたが違うのかもしれないが)巨大な智慧につながった例はそう多くは無いのでは?とはいえコンピューターで時代を変えたのだから一つの革命だったのだが。
1977年にアップルを設立したのはジョブズ、ウォズ、そしてマーケティングを担当したマイク・マークラの3人であり、このマークラの作った「アップルのマーケティング哲学」と題されたペーパーが素晴らしい。そこには3つのポイントが書かれていた。
① シンパシー―顧客の想いに寄り添う
② フォーカス―重要度の高いものをやるためには低いものは切る
③ インプレッション―評価して欲しいと思う特性をデザインで印象付づける

なぜこれらが素晴らしいかと言うと、これらが月並みなお題目ではなく、アップルの商品はまさにこれを全て実行していることの結晶と思えるからである。そして何よりも素敵なのは、押し並べて平均点をとるという発想ではなく、一番の売りを100点に近づけるという発想である。平均点には不満は出ないが満足もない。100点狙いはリスクもあれど夢があるものだ。そしてそうした夢の発想が人々に受け入れられるという事実に僕らは勇気づけられる。
おそらくこの原理はこれからの建築にも通用する何かだと思う。人々に共感されること、もっとも重要なことに焦点を定めること、その焦点を徹底して印象付けること。 Sympathy Focus Impression 2012に未だにコンセプトメークの基礎ではなかろうか。

イトイのスタンス

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by 卓 坂牛


糸井重里 ほぼ日刊イトイ新聞『できることをしよう―ぼくらが震災後に考えたこと』新潮社2011を昨晩虚ろな目で読んでいた。糸井は昨今日刊イトイ新聞というネット新聞を配信している。そこで3月14日に3つの提案をしたそうだ。
① ぼくらは『たいしたことないもの』です
② こころのことは別にしました
③ カッコいいアイデアはありません
アイデアを捨てるとはコピーライターイトイを捨てることに等しい。そして被災地のためにコピーを書くというような仕事はやるべき事とからは最も遠い仕事であると思ったそうだ。つまり表現者としての自己は捨ててバケツリレーの1人として頼りにされることが大事と考えたと。プロはプロとして自らの専門分野で協力するべきと言う意見はある。しかし専門分野でやることには報酬がついて回る。お金を無条件に拒否しながら協力するとなると自分の専門を捨てたところでやることも一つのあり方だと思う。
p.s.
こうして一冊の本として出版していることは結果的に、十分自己表現(飯のタネ)にしているようにも見える。しかし内容は徹底して聞き役である。そこが本としては物足りなくもある。でも彼らがいろいろな人ととにかく出会ってその状況を新聞のように報じていることには深い意味があると思う。

石巻を歩く

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by 卓 坂牛


知り合いの誘いで石巻に来た。東日本大震災による死者行方不明者が最も多かったのが石巻であり4000人近い。2番目が陸前高田で約2000人。その倍である。
石巻は東北有数の工業都市であり工場群は海の近くに立地しておりかなりの被害にあったはず。しかし既に煙突からはもくもくと煙があがっていた。一方海近くにある市立病院と文化センタは一階の割れた大型ガラスの代わりにベニヤが打ちつけられ無残な状態である。
4000人の人間を一掃した津波被害の場所には駅から一つ丘を越えて辿り着く。丘の切れ目からその光景を目の当たりにすると不謹慎な表現かもしれないが、ガリバーがほうきで町を一掃し海際にそのゴミを山積みにしたかのようである。別の言い方をするとこれから建設が始まる埋め立て地のようでもある。しかし残骸として残された戸建住宅の基礎がそれを否定する。
ガリバーを地面にひもで張り付けるなど子供心にあり得んと思っていた。ガリバーが本気出せばあんな糸はプチっと切れてしまうに違いない。本気のガリバーは手がつけられない。そんな虚しさを覚える光景である。
高山英華が究極の防災とは災害が起こりそうな所に住まないことであると言っていた。石巻に限らずこの海際がその地である。それはそうかもしれない。一たび丘の上に上がれば何事も無かったかのような街並みが続くのだから。でもそこに土地を頂けるわけではないし、言うは易く行うは難しである。

ルンバの動き方

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by 卓 坂牛


突如我が家に飛来した謎の飛行物体ルンバ。帰宅するとかみさんがルンバをついに買っちゃったと嬉しそう。ソファの脇で充電中。寝ようと思ったら充電完了。動かしてみるといやあかわいい。昔よくあった壁にぶつかると方向を変えるおもちゃのようである。およそ10分あっちこっち走り回るルンバを止めて円盤を引くり返し見るととんでもない量の綿くずがブラシに絡みついている。特に我が家は全室絨毯なので凄い埃。
一体こいつの動きはどういうプログラムで規定されているのだろうか?サーペンタインのセシルバルモントのプログラムのようでもある。

配管ハウスお見事

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by 卓 坂牛

夕方金箱さんに電話して屋根の梁を抜いてもらう。さすが金箱さん。切妻屋根を折板構造とモデル化し直して梁なしを実現してくれた。いい構造家は骨組みのモデル化のアイデアがいろいろあるものである。感謝。
夜岩岡先生の家を急襲。すいません。呼ばれてもいない忘年会に勝手に伺いました。今年のSDレビューに入った狭小住宅である。屋根で作ったお湯を地下に落として貯湯。ガス給湯器で温度を安定化して各階のスラブに送りスラブ放熱する。夏は地下水で同じようなことをする。自家製PSである。配管はメンテを考えて全て露出。こりゃすごい。ポンピドーセンターがインテリア化された。配管でインテリア作っちゃった。
このざっくり感さすが岩岡さん。

山の手と下町の格差

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by 卓 坂牛

先日丸善で新書を見ていて橋本健二『階級都市』ちくま新書2011に目が止まった。格差社会問題の都市構造版である。
都市の物理構造は日本に限らず階級構造を反映してきた。言われてみればそうである。
その典型が東京で言えば下町と山の手の格差。これも薄々分かっていたけれど数字になると恐ろしい。例えば現在理科大(建築)のある千代田区(山の手)と再来年引っ越す葛飾区(下町)を比較してみるとこうなる。
1人当たりの課税対象額は千代田区423.7万、葛飾区165.9万1人当たりの年間収入は千代田区423.4万、葛飾区は221.5万。ある程度の差があるとは思っていたけれど倍半分違うとは予想外。これには少々驚き。ちなみに千代田区は両方において23区で一番高く、葛飾区は両方において23区内で下から二番目である。
この格差を生んだ大きな要因は古くは関東大震災、二次大戦、そしてグローバリゼーションの波というのが著者の分析である。都市がさまざまな意味でホモジニアスである必要は無いけれど、社会問題化する閾値があるはず。何らかのコントロールが必要なことだと思う。

ケーキを撮る娘を撮る

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by 卓 坂牛


朝から本棚大整理。もう絶対読まないだろう本は捨てるか家族にあげる。売れそうな建築本は南洋堂へ。使いそうな建築書はなるべく研究室へ。ただ闇雲に送ると何処に何があるのか分からなくなる。今日は今和次郎全集などの全集ものをまとめる。昼ころかみさんが買い物行ってケーキを買ってきた。
このマンションではどこもドアにクリスマス飾り付けしていて同じ階でしていないのは我が家だけ。クリスマスプレゼントの習慣もだいぶ前に消えた。でもケーキは欠かさず食べる。酒も飲むけれど甘いもの好きな僕としてはこの丸いの一つくらい食べられるのだが、そんなことをしても体にいいことないので素直に家族で3分の1ずつ。これで3000円って暴利だよなと思いながらも、四谷一美味しいという評判の駅2階のケーキを味わう。ものの10分。もう少しゆっくり会話を楽しんで食べればいいものを酒は延々飲んでも甘いものは延々食べる習慣がない、、、、
再び本の配置を変えながらダンボール詰め。南洋堂へ一箱、研究室へ五箱、娘やかみさんの本棚へ少し。夕方クロネコ呼んで持って行ってもらう。

ブエノスアイレス・マドリード・東京を結ぶラボを作ろう

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by 卓 坂牛


だいぶ前に来春アルゼンチンで行うワークショップの課題を送り意見をくれとメールしたのだがその後音沙汰無し。課題の主旨が理解されなかったのかなあ?とやきもきしていたのだが今日ブエノスアイレスのロベルトから返事が来た。届いたのは質問や意見ではなく既にスペイン語となったきれいな冊子のPDF。良かった。僕らの作品写真なども参考でくっついていた。送ったペーパーは3ページくらいだったのに15ページくらいの懇切丁寧なものに様変わり。こちらの意図が正確に翻訳されているのかは分からないが、なんとなく僕らのテーマ「住宅+α」(公共性のある住宅というテーマ。αとは家族以外が入って来られるスペースでカフェやバーや下宿など)を彼らは納得しているようである。それにしても彼らはこういうものを実に丁寧につくる。頭が下がる。
ワークショップの話に加えてアルゼンチン、マドリード、東京の3都市を結ぶメディア、建築、デザインのラボを作ろうと言う誘いの話が書かれていた。そしたら既にフライヤーのようなものが添付されていてそれにはご丁寧に日本語訳も付いているし既に僕の名前も載っている。もちろん面白そうな話なので細かいところは分からないけれどやってみたい。
ちなみに我々のワークショップがこのCrea Lab での最初のイベントということのようで、毎年どこかの都市でワークショップやミーティングをやっていこうということである。再来年は東京かマドリード。どこかから助成金をもらいたいところである。

3年生合評会良い案が沢山あって嬉しい

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by 卓 坂牛


午後一で八潮。公園設計、水路上の空間設計、T邸設計と三つの打合せ。水路上空間は最終的に小川研でかっこよくまとめてもらいました。
夕方僕以外の先生方と役所の方は忘年会へ。僕は今年最後の奉公で大学へ。3年生の製図最終合評会。4先生のスタジオ課題で亀井先生のオフィスビル。青島先生のアーバンデザイン。多田先生の大空間。川辺先生の公共空間。ゲストは日建山梨先生。
山梨さんのショートレクチャーを最初にやってもらう。この間できたソニーを見せてもらう。オープンハウスに行きそびれたのでやっと見ることができた。なるほどの素焼きのルーバー。利他的建築とは彼らしい命名である。
合評会とはいえ全員の作品を並べてもらい発表者を全部の先生で決定していく。なかなか充実した案が並び嬉しい限り。
全体の最優秀案は亀井スタジオのオフィス。前半課題の最優秀も亀井スタジオだった。これは指導が良いのか課題が良いのか学生が良いのか???
終わって懇親会。その後学生たちと忘年会。来年はいよいよ4年生。皆自分の進路を決めて悔いの無いようにやって欲しい。意匠は才能ではない。やり続ける力。

山本理顕さんの住宅論賛成

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by 卓 坂牛


夕刻山本理顕さんの退官記念シンポジウムを聞きに横浜へ。第Ⅰ部は伊東さん妹島さん小島さん山本さんでテーマは建築の地域性。第二部は隈さん内藤さん北山さん山本さんでテーマは「社会システムと住宅」である。両方とも3.11後のトピカルな話題。大学の会議を終えて着いたのは二部の始まったところ。着いた時は満員御礼。運よく受付やっていた大西さんが席を見つけてくれて座ることができた。
来る間際に会議中に書いて送った10+1のアンケートで3.11の教訓はと問われ、相互扶助の街の機能の必要性と書いた。シンポジウム会場では期せずして同様の話が展開していた。隈さんは徹底して住宅の私有制を否定していた。それはよーく分かる。そうかもしれない。私有制を奨励したのは国であり、そのおかげで住宅は一国の城と化し閉塞したのだ。まさに城のように。
山本さんはこれからの住宅(集合住宅)は専有部より共用部の方が大きいものとなるべきだという持論を展開していた。そりゃすごい。そんな卒業設計を今やっている学生が僕の研究室にいる。皆そういうことを少しずつ考えているのだろう。相互扶助の建築のヒントはそんなところにある。
シンポジウムの後のパーティーでは田村明さんがYGSの設立者として祝辞を述べられた。こう言う人がいるからYGSはできたのかと認識を新たにした。
パーティのお土産は未だ店頭に並んでいないという『地域社会圏主義』INAX出版2012『山本理顕の建築』TOTO出版2012。帰りの電車で読んで見た。山本さんの住宅は見世というパブリックな部分と寝間という究極のプライベートな部分で構成しトイレや風呂やキッチンは共用部というものである。これからの住み方に大きなヒントを与えると思った。
日本もラオスやカンボジアのような生活を再度見習ってもいいのかもしれない。