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by 卓 坂牛
今月はどんより気が晴れない月だったが、今日原因の一つが解消された。二つの着工物件のネゴの行く先が見えてきた。一月の末から二月頭にかけて現説を行い、見積もり上がりが2月後半から3月初旬。今回は有名どころの工務店に声をかけたので(技のいる建物である)忙しそうで、どこも1カ月程度かかってしまった。
毎度のこととなってしまったが、今回も上がった見積もりは予算より2~3割高い。かたや1億近辺、かたや6千万近辺。昔は膨大な査定書を作り根詰めて施工者と話し合った。しかしある時からその方法は結局徒労と感じ、ざっくりグロスでお願いするようになった。しかし今回は数量にかなりのばらつきがあり、加えてて突出した単価(例えばEP塗装が3000円超えるなど)が散見されたので、数量も単価も適度に査定した。最近はいい塩梅を心得たのか、大方の査定を受け入れてもらえる。
もちろんそんな査定だけで追いつくわけもなく、デザイン的にぎりぎりのスペックダウンも行った。そしてなんとか2割~3割削り取り施主予算へ近づけた。
今日事務所に施主をお呼びして説明を行いある方向性を決め、かたや海外出張中から帰ったばかりの社長を電話で追っかけまわし、こちらも指示を頂いた。
4月までどんよりした空気を持ち込まずに済みそうである。考えて見ればネゴ1カ月(終わってないけれど)程度は通常よりは遥かに短い。そう考えればスムーズなのだろうがいつだってこの金計算の時期、気分は晴れない。
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by 卓 坂牛
先日吉本隆明が他界した。吉本隆明と言っても若い人は知らないだろう。僕のいる理科大建築学科700人くらいに聞いて知っている人は5%いるだろうか?東大文学部で聞いたって果たしてどうか?まあ皆名前くらいは知っているかもしれないが(それも怪しい)読んだことのある人間が何人いるだろうか?
しかし僕にとってはどうにも気になる思想家であり、もちろん本屋に行けば彼の死を悼み吉本コーナーができている。そんな中にこんな一冊があった。藤生京子『吉本隆明のDNA』朝日新聞出版2009。姜 尚中、上野千鶴子、宮台真司、茂木健一郎、中沢新一、糸井重里の中で吉本とはどういう存在であったか?在り続けているかを描いた本である。
面倒くさい話を抜きにして、彼らの語る吉本すべてに共通し、そして僕の中でもそう感じることは唯一点。吉本の思想が彼の心からの実感と常識に支えられているという点である。こんな思想家は恐らく日本に彼以外にはいない。吉本の文章は、場合によってはとんでもなく晦渋で、ムードしか分からないことも多いのだが、人の意見に安易に立脚したり、時流に流されていないことだけはよく分かる。
こういう時にいつも例に出す吉本の言葉がある。それは脳死問題に対する吉本の言葉。「脳死を語る医者や評論家に欠けていて、そして最も重要な視点は近親者の気持ちである」。こんな普通の視点を科学、倫理、哲学的な議論が蠢く新聞紙面に発見した時の安堵感は忘れられない。
どうして吉本は常に実感と常識という発言の軸をぶらさずに一生を終えられたのだろうか、なんとなく気になっていたこの問いに今日この本を読みながら一つの答えが閃いた。それは吉本が意識的か無意識的かは別にして「制度」から距離を置いていたからではないか?世界が堅固な「制度」であることを熟知していた彼だからこそ彼はそこにからめ捕られないように生きてこられたのである。「制度にからめ捕られない」。言うは易し行うは難し。そんな人はまあそうはいない。
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とある行政から「マスターアーキテクト」という仕事をお願いされた。一体「マスターアーキテクト」とは何ぞや?聞けばどうも景観委員会委員とか○○建設委員会委員とかと言う仕事とあまり変わらない(ように聞こえた)。この手のお仕事は信大時代には快く引き受けた。頼まれれば全てやった。右も左も分からずに地方国立大学たるもの地方行政のお手伝いをするのは当然との気持ちでお受けした。しかしこの手の委員会はいくつかの問題がある。一つは委員会に利害関係の対立するメンバーがごっそりいてその対立を解消するためだけの場となること。これだとあるべき姿へ向かった建設的な議論にならない。二つ目は行政が多くの人の意見を聞いたと言う事実を記録として残すためだけ(と言うと言い過ぎなのだが、、、)に行われていて、既に結果ありきの委員会となってしまう。
東京に来てこれだけ大学も沢山あり、先生も沢山いる中で、アリバイ作りや単なる調整のためなら何も自分が引き受ける必要もないだろうなあと思いその旨申し上げた。それなら何をすべきかまで提案してくださいと言う暖かい言葉を頂いた。そこまで言うならご協力は惜しまない。ということでいくつかの提案をさせていただいた。
その昔、経団連会長だった土光さんが臨調(臨時行政調査会)の会長を引き受けるにあたって4項目の申し入れをした。その一つが「答申を必ず実行すると言う決意」だったそうだ。○○答申などというものがアリバイ作りに終わらないためには必須の条件だろうし、これが無かったら答申する方だって真面目にやる気など起こるまい。
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今日は本を2冊頂く。一冊は谷川渥先生より届く。『芸術をめぐる言葉』美術出版社2012。149人の芸術をめぐる言葉151項目。見開き2ページに1項目ずつである。その中で僕が最も気になったのはジャン=ジャック・ルソーの次の言葉「音楽において旋律が果たすものはまさに絵画においてデッサンが果たすものと同じである」この言葉には続きがある。それとこれを併せると要はこうだ。絵画で重要なのは輪郭線(デッサン)であり、色は不要。音楽で重要なのは旋律であり、音色は不要。とこうなる。そしてこれが建築に来ると建築で重要なのは形であり、素材は不要。とこうなったのがモダニズム建築なのである。
しかし音楽だってもはや旋律が無く純粋に音だけに拘ったものが存在する。絵だってそうである輪郭なくメデイウムだけに拘ったものがある。ポロックなんてその典型である。しかしどういうわけか建築ではなかなかそう言うものが現れない。形を消して素材だけが前景化する建築ってあってもいい?
もう一冊は新聞社の友達から頂く。あらたにす編『2030年の日本へ「新聞案内人」の提言』日本経済新聞出版社2012この本は朝日、日経、読売が08年から今年2月末まで4年間にわたって共同で運営したニュースサイト「あらたにす」の人気コラム「新聞案内人」の執筆陣の提言集である。26人の提言者の中に高校の一つ先輩がいた。早稲田大学教授の川本裕子さん。彼女の提言は極めて真っ当である。これからの世の中は公的支出の公正な分配のために「健全な議論」が必要である。そのためには正確な情報が不可欠であり、その主役はメディア。つまりこれからの20年ますますメディアの質向上が求められると言うのである。もっともだ。しかし正確性もさることながら、彼らは数多ある情報を取捨選択しているわけで、彼らに必要なのは選球眼なのではないかと感じている。
これを伝えないでこちらを伝えるその責任は大きい。
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輪読本のリストを作ろうと思って過去のリストを眺めて驚く。量が多い。2005年に信大に赴任した最初年のリストはこうだ。
1 2005.4.27 words and buildings Adrian Forty
2 2005.5.10 生きられた家 経験と象徴多木浩二岩波書店2001
3 2005.5.19 テクトニックカルチャーケネス・フランプトンTOTO出版2002
4 2005.5.26 ハイデガーの思想木田元岩波新書1993
5 2005.5.26 マニエリスムと近代建築コーリン・ロウ彰国社1981
6 2005.6.2 建築・夢の軌跡多木浩二青土社1998
7 2005.6.7 対話・建築の思考坂本一成・多木浩二住まいの図書館出版1996
8 2005.6.7 【参考】坂本一成 住宅 日常の詩学坂本一成TOTO出版2001
9 2005.6.14 建築を思考するディメンション 坂本一成との対話坂本一成TOTO出版2002
10 2005.6.21 インフォーマルセシル・バルモンドTOTO出版2005
11 2005.6.21 電子テクノロジー社会と建築 伊東豊雄「せんだいメディアテーク」多木浩二ユリイカ2001.8
12 2005.6.21 日常性と世界性 坂本一成の「House SA」と「Hut T」多木浩二ユリイカ2001.9
13 2005.6.21 そこに風景があった 山本理顕『埼玉県立大学』について多木浩二ユリイカ2001.10
14 2005.6.21 ノイズレス・ワールド 妹島和世『岐阜県営住宅ハイタウン北方 南
ブロック妹島棟』
多木浩二ユリイカ2001.11
15 2005.6.28 増補 シミュレーショニズム椹木野依筑摩書房2001
16 2005.7.5 疑問符としての芸術千住浩 宮島達男美術年鑑社1999
17 2005.7.13 消費社会の神話と構造ボードリヤール紀伊国屋書店1995
18 2005.7.21 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会東浩紀講談社現代新書2001
19 2005.7.21 【参考】オタク学入門岡田斗司夫新潮OH!文庫2000
20 2005.7.26 美術史の基礎概念ハインリッヒ・ヴェルフリ慶應義塾大学出版会2000
21 2005.8.11 抽象と感情移入ヴォリンゲル岩波書店1953
22 2005.8.30 建築美論の歩み井上充夫鹿島出版会1991
23 2005.9.8 建築と言語土居義岳建築技術1997
24 2005.9.13 インターナショナル・スタイルH-R・ヒッチコック、P・
ジョンソン
鹿島出版会1978
25 2005.9.20 建築の多様性と対立性R.ヴェンチューリ鹿島出版会1982
26 2005.9.27 ラスベガスR.ヴェンチューリ鹿島出版会1978
27 2005.10.4 現代建築史ケネス・フランプトン青土社2003
2005.10.11 現代建築史ケネス・フランプトン青土社2003
28 2005.10.18 情報様式論マーク・ポスター岩波現代文庫2001
29 2005.10.25 古典主義建築の系譜サマーソン中央公論美術出版1988
30 2005.11.1 ミースという神話八束はじめ彰国社2001
31 2005.11.8 ルドゥーからル・コルビュジェまでエミール・カウフマン中央公論美術出版1992
32 2005.11.15 美学の逆説谷川渥筑摩書房2003
33 2005.11.22テクノデモクラシー宣言柳田博明
34 2005.11.29色彩の哲学村田純一
35 2005.12.6メタボリズム八束はじめ、吉松秀樹
36 2005.12.13 住宅論篠原一男
37 2005.12.20象徴形式としての遠近法パノフスキー
2005.12.27
2006.1.3
38 2006.1.10巨匠ミースの遺産山本学治
39 2006.1.17経験としての建築ラスムッセン
40 2006.1.24実存空間建築ノベルグシュルツ
41 2006.1.31the function of the oblique Paul Virilio
2006.2.7the function of the oblique Paul Virilio
42 2006.2.14エコロジカルマインド三嶋博之
43 2006.2.21隠喩としての建築柄谷行人
44 2006.2.28美学への招待佐々木健一__
本当にこれだけ読んだのだろうか?だいたい夏休み無いし。
一番最初にwords and buildingsとある。これは原書を読んだのではなく、出版寸前の翻訳ゲラを読ませた。『言葉と建築』の膨大なゲラを一週間で読んで来いと言ったのだから無茶苦茶だった。それもコンペやりながら。脳ミソを体育会的に鍛えていた。でもその効果はあったと思う。信大の学生は寝る時以外は大学にいたからこういう特訓が簡単にできた。理科大ではちょっと無理かな。
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by 卓 坂牛
宇野常寛、濱野智史『希望論―2010年代の文化と社会』NHK 出版2012の中で宇野は昨今の政治の在り方として、リーダー(ビッグ・ブラザー)が必要なのでは無くて、リーダーなしで回るシステムが必要なのだと言う。それは飛び抜けたリーダーが無くても回るAKB48のようなものだと説く。
建築もそんなところがある。街中で一つだけ飛びぬけたデザインが必要なわけでもない(いやあった方がそれはそれに越したことはないが)むしろ沢山のリトル・ピープル的建築がうごめくシステムが求められている。それは恐らく我々も参画しているような街づくり運動の中で生み出すべきことなのであろう。
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by 卓 坂牛
理科大二部のC入試の論文審査を行った後、真鍋先生の退官記念最終講義を聞いた。真鍋先生の幅の広さに感服。理科大に来て一年目の僕は真鍋研の論文を発表会で初めて聞いて、結構批判的な意見をした。その批判に対する回答を今日みっちり聞けた気がした。
夕方学士会館で退官記念パーティーが行われた。何百人いたのだろうか?退官記念でこんな出席者の数にお目にかかったのは初めてである。
真鍋さんは内田先生の弟子であり構法の人である。広義のディテールの研究者。この歳になってもまだまだ分からないディーテールについて時々読むディーテール解説書が真鍋著だったりする。
ディテールというと僕の中では二つに分類される。一つは建築を作る「いろは」のようなもの。音楽で言えば音階である。つまり「ドレミファソラシド」である。音程を作る楽器をやった人ならだれでも分かると思うが、そういう楽器の練習の3分の1は音階である。何も面白味もないドレミがちゃんと引けるようになるまでひたすらマシンのようにひかなければ次の練習には進めない。建築も同じである。建築の最低性能を担保するこのドレミディテールはひたすらその原理と一般的手法を暗記して初めて図面が描けるものだ。僕はカードにこれらドレミディテールを書き写して暗記した。
そしてもう一つのディーテールは意匠ディテールである。これはできなくても雨漏りするわけでもないし、隙間風が入るわけでもない。しかしこれを知らないとカッコいい建築は作れない。音楽で言えば練習曲である。音階が終わったら練習曲をひたすら練習してやっと曲に進める。このディテールは原理があるわけではない。一つの場所に対して無数の方法がある。だから設計者はこれらのディテールを自分の好みで数多く暗記していないと図面は描けない。その意味でこれは作文する時の言い換えのボキャブラリーのようなものである。「多分」と表現するのにprobably, presumably, certainly,などのいろいろな表現があるのと同様である。
「ドレミ」ディテールと「言い換え」ディテール。これらを覚えてやっと図面は描ける。そしてさらに言い換えを自らの言葉で置き換えられるようになって初めて自分のデザインになっていく。
真鍋先生のディテールの体系化は設計プロになるための最低限学ぶための最適なテキストだろうと思う。
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その昔フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーの『遠くの都市』と言う本に解題を書いた。その折にナンシーの主著『無為の共同体』という本を読み、たいそう感動した。無為には二つの意味がある。一つは何もしないでぶらぶらしているということ。もう一つは作為の無いことである。無為の共同体の無為は後者の意味である。つまり人間社会は意図せずとも共同性を持つ運命にある。その理由は人間とは死ぬものであり、他者の死に直面した周囲の人間はそれを悼みあうことで繋がるからだと言う。
これを読んだ時ああ人間だけではなく、人は身の回りの建築環境、自然環境とも無為の共同体を作っているだろうと思った。周囲の環境の好き嫌いにかかわらず、それらが死に至らしめられたら人は命なきそうした環境にさえ悼む気持ちを持つはずだから。
それは震災の過酷な映像に登場してきた人々の姿が実証した。しかし一方で我々は悼む気持ちなどさらさらなく平気で環境を死に追いやる風景を目のあたりにしている。往々にしてそういう風景の演出者は政治と資本である。
僕らはそろそろそういう風景に終止符を打ち、自らの建築環境との間にも無為の共同性が生まれることを求めていかなければいけない。
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昨日紹介した末木文美士(すえき・ふみひこ)東大名誉教授は東日本震災について、「人間の世界を超えたもっと大きな力の発動」があったのではないかと論じたところ多くの批判を招いたそうだ。しかしそれでも彼は再度そうした力―自然の底で抑圧された何者かが怒って暴れる―を認めるべきだと論じている。
こういう話を聞くと最初はなんだか胡散臭いと思うものである。
しかし今日三浦展・藤村龍二編『3.11後の建築と社会デザイン』平凡社新書2011を読んでいたら似たようなことを三浦氏が言っている。神はいないとしてもこれを単なる自然災害と思えば防波堤作って建物を鉄筋にするで終ってしまう。でも神の怒りだと思えばもっと本質的な我々の暮らしを見直すはずだ。
2人には揃って今回の災害の中に人間・科学・あるいは自然を超越した力が働いていたという認識がある。
僕は普通の唯物論者なので末木氏の考えにはちょっと距離を置いてしまうが、でも僕らの生活が近代科学で培われたデーターだけを元に紡ぎだされていると考える時代はもう終わったと思っている。もっと直観や偶然や勘や言い伝えなどに導かれて自然に生きる部分があるはずだと思っている。それは別にこんな大震災が起こったからそう思っているわけではない。おそらく今から30年くらい前に大学に入ったころからそう思っている。そしてそれは多くの僕の学友もそうだった。
しかし僕も彼らも社会に入り変ってしまった。幸い建築デザインなんてやっていた僕は比較的個性を破壊されずに生きてきたけれど、合理性や経済性優先の価値観で動く場所に行った人間は変らざるを得なかったと思う。
でも今僕らは再度昔の自分を思い出し、こんな超越した力を省みてそれを基盤として生きる部分も大事にしなくてはいけないと気付く時なのだと思う。
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by 卓 坂牛
現場への往復で末木文美士『哲学の現場―日本で考えると言うこと』トランスビュー2011を読み終える。西洋哲学と東洋哲学を接ぎ木しながら日本の哲学を教えてくれる。日本の哲学は東西の思想の混合である。そして東洋思想の根源の一つは老荘思想でありその大事な概念に『無』がある。この言葉昔からちょっと惹かれる。というのも中学時代、今から40年近く前に、漢字学者の諸橋轍次が招待講演でその本質を教えてくれたからだ。今でも鮮明に覚えいているが、彼はこう言った。「箱でも棚でも鞄でも空の時ほど意味がある」。子供の常識で言えば、本棚には本が一杯入っていてこそ意味がある。なんだってものが一杯入っていなければただの空であって意味が無いと思うのが普通だ。しかし諸橋さんはそんな常識をころっと覆してくれたわけだ。それ以来馬鹿の一つ覚えのように、ものは空(無)でこそ意味があると思うようになった。
ノートはなるべく空白を沢山とる。本棚はなるべく空きスペースをとって不要なものは何でも捨てる。鞄はなるべく大きいものとしていくらでも入るようにする。やたらなんでも暗記すると頭が一杯になるので不要なことは覚えない(これは失敗だった)。
などなど。そして今でもその習性は変らない。なるべく捨てられるものは捨てる。コンピュータの中もどんどん捨てる。(これでいつも失敗をする。でも気にしない)。捨てるか捨てないか悩む時間の方がもったいない。
そしてそれはついに建築の考え方にも無意識に影響を与え「建築はフレーム」であって大事なのはそこに飛び込んでくるものだと言う境地になっている。中学時代の教えに忍び込んでいた老子が建築に生きづいているということである。
関係あるかどうか分からないがオルジャッティのプランなど見ていると空箱の思想を強く感じる。