フィルターバブル
今日は理科大の入学式。武道館からはスーツ姿の学生が吐き出され千鳥が縁の花見客とあいまって人の波。午後保護者懇談会、専攻会議、学会大会の梗概チェック。
夜研究室でイーライ・パリサー井口耕治訳『閉じこもるインターネット』早川書房(2011)2012を読む。アマゾンがあなたの好みの本を推薦してくれることに違和感を感じている人は多いかもしれない。アマゾンに限らずおせっかいなサイトに腹を立てる人も少なくないはずだ。しかし腹が立つのはまだ可愛らしい、作為の相手が特定できるのだから。問題はそんな私のパーソナル情報を利用した作為がこちらの気がつかないうちに我々の周辺にまぎれこんでくる場合である。あながあなたの気付かないうちにあなたの都合のいい情報でくるまれているとしたら???
ちょっと不気味である(著者はこの情報フィルターをフィルターバブルと呼ぶ)。
グーグル等の検索エンジンはあなたの好みの情報を常に上位に来るようにカスタマイズしている。つまりワタシのcpuとアナタのcpuでは同じ語句を検索しても出てくる内容は全く異なるのである。ワタシもアナタもネット上で自分の都合のいい、自分の好みの情報で包まれているというわけである。そしてその好みに合わせて最も効果的な宣伝がそこに投下されてくる。そういう情報を競売にかけるあまり知られていない、しかしとんでもなく儲けている会社が世の中には存在している。
僕らが画面をワンクリックするたびにその情報が世界中で一つの情報として売られているということである。無料でサービスを提供してくれるサイトは無料なのではなく、しっかりと我々の個人情報を得てそれを売って儲けている。そして我々はそうした自分の好きな(LIKE=いいね)情報にくるまれて自分と異なる他者との接続を回避され、ネット社会の中に孤立するように仕組まれているというわけである。状況はまだ楽観的かもしれないがそのうち検索エンジンが提供するニュースまでもカスタマイズされたらどうだろう。スポーツニュースの比率が多い人、政治の話題しか届かない人、芸能の話しか来ない人が出てくるだろう。しかも偏っていることが分からないように徐々にそうなっていくかもしれない。
四六時中世界に接続されている携帯というのもちょっと考えてしまう。
ネットとマスメディアの力関係
数年前から『思想地図』はコンテクチャーズという合同会社から出版されるようになった。この会社は東浩紀も名を連ねているから、彼は自分で作って自分で売っているわけだ。これはなかなか大変だろうけれど言葉の自律を考えたら理想的である。
その最新版『思想地図別冊メディアを語る』コンテクチャーズ2012を読んでみた。東浩紀と濱野智史の対談でネットとマスメディアの力関係について話されていた。東はその力関係は「10年後くらいには確実にひっくり返るでしょう」と言う。マス媒体の限界を感じる僕も10年くらいたつと誰も新聞買わなくなるかもしれないと思う時もある。そしてまさにこの本のように、マスではない同人たちの情報発信が可能な時代になっている。とは言え、一方で公共の正義が希薄な日本で新聞的なモノが壊滅していいものかとも思う。
ところで10年もすると確かに様々な表現の媒体がネット中心に回る可能性が高い。すでにテキスト、音楽はかなりそうである。果たして、絵画や彫刻、そして建築のようなものまでさらにネット媒体の重要性が高まるのだろうか?テキストや音楽とやや異なり、建築の身体性や実存性はそこへ行って初めて分かることが多いので本来ヴァーチャルな世界に馴染まないのだろう。しかし技術のイノベーション速度は想像を絶する。そうなるともはやあるサイトに行って特殊なメガネをかけると自由にその建築を体感できるような装置が開発されるものもそう遠いことではないだろう。10年前まだネットにダイヤルアップしていたことを考えれば10年後に何が起こるかはだれも分からない。
「プロメテウスの罠」は清々しい新聞らしい連載
朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実』学研パブリッシング2012を読む。朝日紙上で去年10月から行われている話題の連載の初期の書籍化である。最近気づいて読み始めたがちょうどこのころの部分を読み逃していた。
3.11後結構多くの関連書籍を読んだが、事実に肉薄したものは地震直後には存在しなかった。だからこの本は頗る新鮮である。そしてこの事実から次の3つのことに驚く。
①日本の情報隠蔽体質
これは枝野が悪いとか誰が悪いとかい言う問題ではない。そうではなく日本の政治、行政にこびりついているものである。中国で新幹線が脱線した時に中国が事実を隠ぺいしたと日本は批判したが、日本とて世界から見たら同じに映っているのだと思う。
②無効だったSPEEDI
放射能の汚染範囲を僕らは何キロ圏と言って憚らないが、実は汚染範囲は同心円状に広がるわけではない(そんなことちょっと考えれば当たり前である)。それを予測するシステムSPEEDIの情報が米軍には地震直後から流されていたにもかかわらず、日本政府には流されていなかった。
③管現地入りの勇気
管首相が3.12に原発へ飛んだことへスタンドプレーだとか本部を空けたとか言われて批判が多いが、果たしてそうか?あの時東電は福島第一を完全放棄するつもりだった。それを避けるために管は東電に乗りこみ命がけでやろうと鼓舞し、「60歳以上が現地に行けばいい」と捨て身で現地へ飛んだ。この事実の流れを読んでいると管が現地へ行ったことはごく自然だし勇気ある行動だったと僕には思える。
本書最後の1ページには背筋も凍る内閣危機管理監伊藤哲郎と東電担当者との15日午前3時の会話が載っている。
伊藤「第一原発から退避するというが、そんなことをしたら1号機から4号機はどうなるのか」
東電「放棄せざるを得ません」
伊藤「5号機と6号機は?」
東電「同じです。いずれコントロールできなくなりますから」
伊藤「第二原発はどうか」
東電「そちらもいずれ撤退ということになります」
建築は人を変える
午前中今年度早稲田の最初の講義。今年も40人弱の受講生で大半は女性だった。文化構想学部とは大半が女性だと思っていたのだが実は半々くらいだと知り僕の講義は女性向けなのだろうかと不思議に思った。
講義後新宿までタクシーを飛ばし12時半のかいじに飛び乗り塩山へ向かう。昨年竣工した児童養護施設の一年目検査。あらかじめ不具合を連絡してもらっていたがそれらはその都度直してきたので本日新たな不具合というのは数えるほどだった。
ちょっと驚いたのは合板で作ったテーブルの突板がかなり剥がれていたこと。こういう施設特有の現象だと思う。普通の使い方をしてこんなことにはおそらくならないだろう。しかし壊れたり汚れたりで気になったのはそれくらいで後は新品同様の状態だった。
またもう一つの驚きは真っ白な外装のサッシュ周りに全くの汚垂れが見当たらなかったこと。たいていサッシュの水切りの両端のどこかでシールに付着した汚れの線が出やすいものである。特に外装が真っ白ならなおさら。外装の断熱塗料に含まれる防汚物質(光触媒)が効いているのかもしれない。
またこの建物ではガスヒートポンプを採用しているのだが、改築前に比べて面積が2倍以上あるのに光熱費は数割しか上がってないとのこと。電気代は月10万以下だそうでこれもとても嬉しい話である。
園長先生にはこの建物に移ってからは子供の気持ちがとても安定して、前とは見違えるよう、この器のおかげですと感謝された。建築がここまで人を変えられるなんてちょっと信じがたいけれど、とにかく嬉しい話である。
さてそろそろ新年度
10時に大学へ行って、4年生の製図の進め方、問題点、今年のポイントなどを山名さん呉さんと話始めた、、、、、のだが、、、、、、外の陽気に負けてサクラでも見ながらやりますかということとなり、研究室を飛び出してカナルキャフェに行く。そしたらなんと外濠沿いに長蛇の列。年配の女性群。
諦めてはす向かいにできたスタバの二階のテラスに行く。1時間議論して方向性を決める。言いっ放しの議論を呉さんにまとめてもらおうのが最近の我々のスタイルになってしまった。優秀な助教がいると楽である。昼に大学に戻ると新年度の雰囲気がぷんぷん。新任の助手を連れて熊谷先生、今本先生がやってきた。今年度もよろしく。少しするとやはり新任の構造の助教の焦 瑜(じゃう)さんが回覧板をもってやってきた。彼女は上海交通大学出身で上海設計院でF1サーキットの屋根などの設計を4年ほどしてから東工大でドクターを取り終えたところ。製図のエスキスもやってもらう予定。楽しみである。
研究室は展覧会用の1/20模型作成のため殆ど研究室の体をなしておらず工場状態である。隣の製図室も全部占領中。熊大から来た研究生も模型作りに参戦中。名城大から来たm1と修士設計や論文の話を少し。新四年生とは留学の話し。チェンマイ大学を勧めたら興味ありそうである。しかしアプライの時期や必要書類など分からないことだらけなので先日ディーンと一緒に来られたA先生に電話をしてお聞きする。修士の学費は50万とタイと思えばちょっと高く聞こえるけれど日本の国立大学と同じ。生活費は月2万もあれば十分なようだし、施設は日本のそれよりはるかに良さげである。
夕方は所用で駒込、千石、辺りをうろつき夜事務所。少々打合せをして工務店に電話をして来週の打合せの日程調整。明日は早稲田の最初の授業。さて、、、、今年はどんな学生がお目見えするか、最初はこちらも緊張するが楽しみな出会いでもある。
イズムの鮮度
中野剛志『日本思想史新論―プラグマティズムからナショナリズムへ』ちくま新書2012を読む。朱子学の合理を批判した伊東仁斎、荻生徂徠は古学を生みだした。それを受けて会沢正志斎は『新論』を著しプラグマティクで健全なナショナリズムを主張。そしてその精神が福沢諭吉につながる理路を示して見せた。
中野剛志が震災後に書いた論考を読んだ時は素晴らしい文章だと思った。復興の最重要点は街づくりとか都市づくり以前に被災者の心の復興であると書いてあったから。そしてTPP批判を読んだ時も全面賛成はできないものの頷けた。そしてこの書も幕末の水戸学の本質を過激な排外主義ではないことを明かした点で面白かった。
だが、どうもyou tubeに流れる中野の脱原発批判は少々戸惑う。彼の脱原発批判は脱原発批判の前にナショナリズムが先行しているからである。吉本隆明の脱原発批判とはわけが違う。中野の批判は脱原発主張者をアンチナショナリズムであることを持って批判の根拠としている。吉本のそれは原子力が人間の生み出してきた文明の一部であるということを根拠とする。方や政治的視座であり、方や文化的視座である。
もちろんそれが理由で本書の内容を全面否定するつもりもないのだが、イズムはそれに基づき何を主張するかによってその価値も決まる。であるならば彼の健全なナショナリズムの使い方は少々乱暴でそれゆえにせっかくのイズムの鮮度が減少して見えるのである。
爆弾低気圧
突如発生して荒れ狂う台風並みの低気圧を爆弾低気圧と呼ぶそうだ(正確には中心気圧が24時間に24ヘクトパスカル以上下がるもの)。そんな言葉一体いつから使われているのだろうか?ゲリラ豪雨もそうだけれどお天気用語にしては物騒な命名である。
そんな爆弾が爆発しそうな日に現場定例がずれたので予定より1時間早く着くつもりで現場に向かう。古河に着く辺りで空の色がグレーに代わり現場に着いたら霧雨そして会議が始まったら嵐。現場も殆どの仕事はストップで風散養生が今日の仕事。
現場所長が「今日は早めに終わらせましょう。湘南新宿ラインはすぐ止まりますからねえ」と言う。帰路に着くと確かに既に運休。新宿は諦めて宇都宮線で上野へ向かうものの大宮で止まる。スタッフのT君はここで降ろして帰宅を促す。携帯を見ていると方々で電車が止まり始めたので事務所にも電話して皆帰るように指示。そして自分はのろのろとやっと上野に着いたが山手線神田で乗り替えたら中央線がお茶の水で動かなくなった。歩こうかと思ったら総武線が来たので乗り替えて四谷。
ニュースを聞くとこんな現象は1954年以来だそうで半世紀ぶりの出来事だとか。数日遅かったら東京の桜は一夜にして吹き飛んだだろう。
大学も変わった
●最近改修が終わった大隈講堂
結婚後最初に住んだのは西早稲田。大隈商店街に面したマンションの3階。50平米で家賃10万という掘り出し物を発見した。日建までバスで10分。格好の立地でとても気に入り本籍もここに移した。だから未だに僕の本籍は早稲田である。生まれ育った所とは何の関係もない早稲田が本籍だと言うのも少し不思議だが血縁地縁に夫婦そろってあまり興味がないので分かりやすくていいと思った。
それからかなり長い間住んだ。古本屋もあるし、名画座もあるし、物価も安いし、都電もあって快適だった。そして何より好きだったのは大隈講堂の前の空間。日本の数少ない広場だと感じて休みの日はよくぶらぶらした。しかしその大隈講堂に住んでいた間一度も入るチャンスが無かった。なんとも悔やまれる。
そしたら入学式のシーズン親族も入れると聞いてちょっと行ってみた。ところが学生以外は地下へと誘導され、入ったところは大隈講堂ではない。大隈講堂の地下ホール。大きなスクリーンに入学式の様子が映されるというわけである。なんだ!来た甲斐ないなと思って帰ろうかと立ち上がり思いとどまる。学部長が何を話すかもちょっと聞いてみたくなった。長たるもの何か深い話をされるのではと期待した。
しかし、そんな期待は裏切られ、改組以降の学部の説明、大学生活の在り方、雑菌の多い大学での自己防衛の方法などなど、極めてプラクティカルな話に終始した。ああ大学も変ったものだと我が身を振り返り、納得したりがっかりしたり。
完全性とそれをやめること
吉本隆明、石川九楊『書 文字 アジア』筑摩書房2012の中で吉本は良寛の書は他の禅僧と違いとてもあっさりしているという。普通禅僧は厳しい修行で様々な無駄を削ぎ落される故、修業以外の部分が濃厚になる。しかるに良寛は淡白であると言う。
書は書く人の内面が出るものだが良寛はちょっと違うようだと言う。しかし僕はこう思う。書は内面が現れる場合がある一方、書が内面を構築する場合もある。つまり書を書くときにフォームのみに意識を集中し現れたフォームを気にいり、そしてそのフォームに馴染む自分が事後的に生まれてくる場合もあるのではと思う。
もちろん良寛がこのケースであると言う証拠はどこにもない。ただそんな可能性もあるということだ。
おそらく表現というのは書に限らず双方のケースがある。僕と建築との関係もそうである。作ったものから事後的に自分がそこに同調していくことも多々あるのである。
ところで書のフォームとはある完全性を持っている場合が多い。完全性とはフォームを作り上げるアルゴリズムによってほぼ全体が作られていることである。例外が少ないことである。つまり一貫したスタイルがあるということである。
しかし良寛の書は別として、一貫したスタイルを敢えて壊し、アルゴリズムの例外を散りばめる書き方もある。
そんな書のことを思いながら塩崎君のオープンハウスにうかがった京王線の先の方である。100㎡ちょっとの家だが3階建てでヴォリュームが二つに分節されている。この分節がこの建物の構成を決定づけている。二つにスプリットすることで生まれた間の空間が曖昧な階段室となり、そして2階には別世界のような天井の高い空間を生みだした。この小ささで多様な空間性がいいなあと思ってゆっくりと味わった。
ただこの建物は曖昧な中間領域がそれを象徴しているのだが、ある統一を拒否している、書で言えばスタイルの形成がありそうでそれをやめようとしている。照明のテイストが多様だったり、トイレのキューブが広間に入りこんでいたり、いくつかの異質の空間の質があったり、エントランスキューブがとって付けたように見えたり。この手の統一性の拒否は何も塩崎さん独自のことでもない。坂本先生もよくやることである。
しかし重要なのはそのやり方。書でもそうなのだが、全体を支配するアルゴリズムの例外の作り方は例外が例外として表現になるレベルであることが必要である。そうしないとそれはただの荒れ地になってしまう。