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Jun 2012

槇文彦、さすが屋上も美しく納まる

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by 卓 坂牛


最近6時半には起きるようにしている。寝ぼけたまま20分ほどジョギングしている。帰ってストレッチしてサラダ食べてシャワー浴びて翻訳1ページする。1時間で終わらせたいのだが少しオーバーする。その後はその日の予定ですぐに外出の時もあれば、雑用の時もあれば、読書の時もある。
午後森美に行き「アラブ・エクスプレス」http://ofda.jp/column/なる展覧会を見る。僕は去年からここの会員になっているのだが、展覧会数が少なくてもとをとれている気がしない。もっと沢山やって欲しい。
見終わってから滅多に行かない展望台の方に行ってみた。今日は天気がいいので珍しく横断道の換気塔も見える。眼下には槇さんのテレ朝の屋根が見えた。きちんと緑化している。機械は何も見えない。さすが名建築は屋根もきちんと納めている。日建時代よく言われた。屋上もきちんとデザインせよと。パレスサイドの屋上の美しさは当時としては図抜けている。気にしない事務所は気にしないのだが、コルビュジエじゃないけれど屋上は有効に使われるべきである。機械置き場ではない。
1階に降りて第一工房に行くべく地下鉄の改札に入ってから路線が違うことに気付く。大江戸線に乗るべきところが日比谷線。あわてて地上に戻りタクシーに乗る。考えて見ればここから第一工房はすぐそばである。ではあるが遅刻。
今日は10月の上越トークインのキックオフミーティング。高橋てい一さん、渡辺真理さん、木下庸子さん、川口さん、そして早大、芸大、東大、横国、工学院、法政、日本女子大、らの学生に混じっ理科大の学生がいた。が知らない学生。後で聞いたら理工の吉澤研と安原研の学生だった。あれあれ、うちの学生も参加させないと。
今年のトークインのゲストはなんと三浦展さんである。彼は生まれ育ちが上越ということで二日間我々とべったり付き合ってくれるそうだ。これはなかなかおもしろそうである。三浦さんと言えば、下流社会で衝撃的にデビューされたが、その後も僕は彼の著書を面白く読ませていただいている。最近では彼の吉祥寺や高円寺の本を見ながら中央線文化を楽しんでいる。いやリアル三浦さんとお会いできるのは楽しみだ。
興味ある学生はそのうち「上越トークイン」というホームページができるだろうからそこに申し込んでください。

神社の朱色を内装に使う

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by 卓 坂牛


とある神社脇のオフィスの7階ワンフロア―を改装することになった。この1カ月スピードデザインである。図面書いて施工者決めて見積もっていたのでは間に合わないので、最初から施工者を決め打ちでスケッチ書く脇で見積もってもらいながらの設計である。こんなやり方初めてであるがそうでもしないと間に合わない。
320㎡にフリーアドレスで60人入れる。柱間に板をわたしスタバのカウンターみたいな席を設け、内側は巨大テーブルを点在させ、神社が見える角の一角は30センチあげたお茶屋さんのような畳スペースとカフェゾーン。全体のコンセプトは神社である。内装のカラースキームは木々の緑と神社の朱色。
カーペットはふかふかの緑色。会議ゾーンは木軸のガラス張りで壁と天井は朱色。フリーアドレスなので60個の個人ロッカーをコアの壁にべったり造る。これも朱色。しかしこの朱色というのがなかなか難しい。神社にこの朱色を採取しに行ったのだが場所によって色が違う。オレンジ系と赤系と2種類ある。さてどちらを使おうか?

堤清二の魅力

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by 卓 坂牛

辻井喬『叙情と闘争――辻井喬*堤清二回顧録』中公文庫2012を読む。次々に飛び出す政財界人、文士との交流は別世界の話しである。その中で少々びっくりしたが身近に感じた話があった。社会党の高沢寅男との逸話。ある日東大同窓の高沢が会いたいと堤に連絡をよこした。既に西武の経営者である堤に社会党の人間が会いたいと言うのも妙な話。当時高沢は社会党の中央執行部におり未だ議員では無かったが選挙に出ると言う。それが既に社会党の議員がいる選挙区から立つため、周到な根回しが必要であったのに情報が漏れその議員は憤った。その人は神近市子。元新聞記者であり愛人大杉栄が別の女性に心移りしたことから彼を刺傷し刑務所に入った強者である。
高沢は堤に仲裁に入って欲しいと懇願した。というのも堤の母が神近と親交があったから。堤という人はお人よしである。こう言う時にさっさと動いてくれる。堤は神近に電話でアポを入れ、高沢と2人で訪問したそうだ。きついことを言われたものの仲裁は上手くいった。加えて高沢は堤に西武の労組を紹介して欲しいと頼んだ。堤は高沢を労組の部屋へ連れて行き彼を応援するように頼んだそうだ。
堤は別れ際にこう言った「僕は君を応援するが条件がある。いつまでも社会党の幹部としての立場を貫いてくれ」と。
僕は学生になったころ高沢寅男に会ったことがある。社会主義を追いかける親父の同士であったから。社会党左派のばりばりのマルキストである。
やはり堤清二という人は一筋縄ではいかない人である。そこが彼の魅力でもある。

現場は嵐

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by 卓 坂牛

現場の最後の方は嵐だな。突如噴出する様々な意見やら問題に晒される。この嵐に立ち向かうのは相当なパワーがいる。とは言えそんなことは毎回のことでもある。毎回そうなのに人間って慣れない動物だ。あれから比べればこんなの屁の河童と思えるはずなのに。のど元過ぎると熱さ忘れる。
結論は世の中いろいろな人がいるということだ。それはある意味仕方ない。そして偉そうに「他者性を受け入れる中で新しいものができる」なんて言ったりもする。とは言えなかなか「言うは易し行うは難し」。この間の中国なんて想像を絶する文化ギャップに押しつぶされそうだった、、、、、当分あの国には行きたくないと思って何年経ったのかも忘れてしまった。
今日中国から帰ってきた友人がメールをくれた。彼女は中国も変わってきたという「賄賂をもらいたくなくてやめてしまったお役人とか、高層ビルがきらいな人とか、、、、、」ローカルな常識がグローバルスタンダードにそろえられるなら少々寂しい気もするのだがでも仕事をするうえではある程度の共通認識がないと厳しいなあ。

夫婦の平等は経済的平等の上にある

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by 卓 坂牛


設備のMさんと現場の設備検査に行く。車中、山田昌弘、塚崎公義『家族の衰退が招く未来――「将来の安心」と「経済成長」は取り戻せるか』東洋経済新聞社2012読む。話せば長いが山田氏は経済回復の大きな引き金は男女共同参画にあると言う。そのために女性がもっと進出する社会を待望するのだが、社会の受け入れ体制が変らないだけではなく、女性が変らないと指摘する。そして変わらない大きな原因の一つに専業主婦が守られ過ぎているからだと言う。その守りの最も大きなものの一つに「専業主婦が家計を握る」という通念がいつまでも存続していることをあげている。一度家計を握った主婦は働く意欲を失うと言うわけである。そりゃそうだ。自由になる金が無ければ自ら働かざるを得ないはずである。
山田氏の意見に僕は全面的に賛成である。僕の世代ではおそらく給料袋をそのままかみさんに渡している輩は多い。僕は結婚した当初からそれはしなかった。その結果(かどうか定かではないが)配偶者は適度に働き続けいている。それによって彼女は彼女なりに消費活動をしているわけで経済活動の微小な一端を担っているわけである。
まあ、しかし、給料袋を渡さなかったのは、小遣いをもらうなんてとんでもないと思っていたのと、配偶者には当然働く能力があるとリスペクトしていたのと、最大の理由は夫婦の精神的平等は経済的下部構造の平等の上にしかあり得ないと思っていたからである。25年経って今のところそれは間違いではなかったと感じており、マルクス的思考が有効であると思う稀有な例の一つとなっている。

犬化した現代人

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by 卓 坂牛

テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン、 中尾 ゆかり『動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド』NHK出版2012を読む。
犬はオオカミが分化したものだが、オオカミの子供状態で成熟が止まっていると言われる。こういうのを幼形進化って言う。祖先の幼体にのみ見られる特徴的な姿で成熟を迎えることをさす。何故そういうことが起こるのかというとそれ以上の進化が犬の時代の環境になったら不要になったからだ。つまり犬は人間に家畜化されることでオオカミ化する必要が減っていたのである。
なんだか人間の世界でもこういうことは起こっているように感じる。僕らの親父世代から見たら明らかに今の学生達は幼い。考え方も、行動も、親父世代の中学生のインテリジェンスである。何故そうかと言えば、環境がそれを必要としないからである。だれも中学生に半世紀前のインテリジェンスを期待しないからである。だから幼いまま成長が止まっちゃうわけである。人間も昔はオオカミだったのがどんどん家畜化して今は犬化したということである。

国立新美術館で二つの展覧会を見る

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by 卓 坂牛


午前中サッシュの戸車とり替え工事。昨晩遅かったので九時からというのはつらい。午後国立新美術館へ。配偶者の所属する書道会の展覧会が開催されている。その展覧会で奨励賞をいただきその授賞式があった。
中国宋の時代の四大書家の一人米 芾(べい ふつ、皇祐3年(1051年) – 大観元年(1107年))の字である。字も額装もなかなかいい(と思った)。
せっかく国立新美に来たのでエルミタージュを覗く。この美術館は理科大の教員証見せると団体料金にしてくれる。プ―ジェ、モネ、マティスに感動。やはり見てよかった。
http://ofda.jp/column/

旅行家二村忍

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by 卓 坂牛


「二村忍が見た世界」と題して理科大で彼にレクチャーをしてもらった。彼は中学高校の同級生。琉球大学に進み台湾へ遊学し、その後旅行代理店の中国駐在員などをやりながら、独立して自称旅行家になった(旅行家っていう職業があるのかどうか知らないが)。
年間50日くらいのツアーを一回20日クラスを4回5日クラスを数回やり、年間約半分を世界で過ごす。アメリカは嫌いなので行かないらしいが世界100カ国は渡り歩いている。
そんな彼が『アジアの秘教ゆったり旅行』(七つ森書館)と言うタイトルの本を上梓した。
読んでみたが実に愉快である。西安から敦煌を回りラオスへという壮大なツアーの話し。彼のツアーの醍醐味はバスで大地を走り、何か発見すれば止まり観察する、話をする、食べる、そして常にトラブルと出会う、でもあせらずのんびり行く。
そんな彼の旅行の仕方に熱烈なファンがいるそうだ。なんと彼のツアーに700日も参加した方がいる。驚きである。

現代における王の家

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by 卓 坂牛

朝一で早稲田の授業。娘と一緒に出かける。曙橋から九段下経由東西線早稲田へ。地下鉄内で研究室の院生O君に会う。びっくり。
今日の講義は建築を生みだす倫理性について。ジェフリー・スコット、ディビッド・ワトキンの倫理性批判などなど。そして現代の抗えない概念エコロジーの功罪について。
昼は三朝庵でカレー南蛮。事務所に戻り現場定例。引き続き別件の打合せ。中座して大学ゼミへ。地下鉄駅まで来てCPU忘れたことに気付く。スタッフに持ってくるよう頼み、自分も事務所方向へ向かう。そのせいでゼミ遅刻。
I君は超高級集住のプランニングを調べていたがなかなか資料が集まらない。そこで集住から住宅に切り替えた。延べ床500㎡を越える巨大住宅のプランニングに的を絞る。そうするとなかなかとんでもない見たことないようなものが現れる。アメーバ―みたいなもの、街路みたいなもの、円盤みたいなもの、、、、、、、、などなど。
僕は修論で摩天楼の巨大(高い)性分析をし、「反復」、「伸長」が設計の中心概念であることを導いた。それに類似した手法分析は可能かもしれない。
その昔、王の家である宮殿という巨大性があった。彼らは力の具現のためにのモノやらヒトの収容力を必要とし、そしてその収容力を権力の象徴性へ転換して見せた。王不在の現在において巨大性は何を意味するのか?現代にも王は別の形で蘇生しているということなのか?調べがつくなら誰が何のためにその大きさを必要とするかが分かれば更に面白くなるのだが。

建築用心棒

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by 卓 坂牛


●父の日に娘にもらったUSB
Y市の都市デザイン課の課長さんと係長さんが来研。「マスターアーキテクト」というものを委嘱された。マスターアーキテクトと聞くと、何か大きなプロジェクトがあってそのマスタープランを作る建築家を連想する。ところが今回の依頼はそういうものではない。仕事は3つ。景観計画が変更になる時、大規模開発が行われる時、コンペする時、市長に助言するという役割である。つまり市長の建築用心棒である。そういう役割ってあまり聞かない。お互いよく分からないけれどまあやってみましょうと言う状態。暗中模索である。