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Jun 2012

国会は機能しているのだろうか

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by 卓 坂牛


いやー設計は大変だ、現場の最後の最後まで修正を求められる。もう無理と悲鳴!
先日とある偉い方と食事をした時おっしゃっていた。朝令暮改は当然だ、君子豹変の何が悪い。ブレないなんていうのは決して立派なことではない。考え方など変わるものだと。
現場の往復で読みかけの『財務省』を読み終える。日本の法律は国会で作られると言うがとんでもない、国会で決まる法律の7~80%は政府提出でありそれらは官僚が作っているのである。著者は言う「日本では国家公務員が事実上、立法と行政の双方を担っています」。憲法にはしっかりと国会に立法権、内閣に行政権を与えているのであり、こうさらっと現実を言われると開いた口がふさがらない。もちろん国会は作られた法律を審議する機能をもっているのだからこの事実を憲法違反とは思わないけれど、彼らはその法律を審議する能力を持ち合わせているのだろうか?はなはだ疑問である。

報酬に見合った仕事を!

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by 卓 坂牛


朝一で水戸の現場。昔の建物についていた瓦。屋号が入った紅色の瓦。これはコンクリートの塀に埋め込もうかと思ったけれど、庭の床に埋めよう。なかなか素敵である。
現場の行き帰りにミスター円と言われた大蔵省OB榊原英資著の『財務省』新潮新書2012を読む。その中で日本の財務状況を悪化させる一因として議員歳費があげられている。国会議員歳費は年間2000万を越え世界トップクラスだそうだ。加えて問題なのは地方議員。都道府県議会議員の平均年収は2119万だそうだ。これはアメリカの州議会議員の5倍。イギリスとフランスの地方議員の歳費は73万、スイスでは大半が無報酬。ヨーロッパではそれはボランティアとの認識だそうだ。要は町内会である。
著者は元国家公務員だから自分たちのところに火の粉が飛ぶ前に政治家にジャブを飛ばしているのだろうが、それにしても高いよな。報酬下げろということもできるが、そうすると質の低下を招きかねない。そう考えるより数を減らしたうえで報酬は維持し報酬なりの仕事をせよと言うべきか?

湾岸のスケールはでかい

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by 卓 坂牛


朝早くリーテム東京工場に行く。モノレールの流通センターで降りていつもはタクシーなのだが、今日は丁寧にお迎えの車。待っている間ぶらぶらしているといつも見ている風景が急にクローズアップされてきた。駅の目の前の倉庫が高速道路下に見える。今にも動き出しそうな船のようである。スケールが違うのである。
工場に行くのは何故かと言うといろいろな改善工事の相談である。6メートル階高の1階手解体スペースを2層にしたいということに始まり、15メートル上にある屋根の下に、屋根を作りたいなどなど。やはり工場というものは断面、平面のスケールが普通の建築の3倍くらいあるから様々な変更の可能性を持っている。
大田区のこの辺りは駅前の倉庫と言い、城南島の工場と言いとにかくでかい。この強烈なスケールギャップに圧倒される。

魚は痛みを感じるか?

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by 卓 坂牛


青森出張の行きに鈴木隆雄『超高齢社会の基礎知識』講談社新書2012を読み、帰りにビクトリア・ブレイスウェイト高橋洋訳『魚は痛みを感じるか?』紀伊国屋書店(2010)2012を読んだ。65歳以上の人口が全体の7%を超えると高齢化社会、14%を超えると高齢社会、21%で超高齢社会と呼ぶ。日本はすでに23%を越え優に超高齢社会だそうだ。そりゃ世界一の平均寿命の国なのだからさもありなん。
それにしてもこう言う本は一種の脅しであり、読んでいて気分のいいものではない。でも読まざるを得ない。おまえもいつか死ぬのだが、その前に病気や介護で人に迷惑かけないように疾病や介護の予防をせよというわけである。まあ予防して何とかなるようなことは何とかしよう。しかし認知症みたいな精神的なものに予防の方法はあるのだろうか?既に認知症状は十分見てとれているし。
中核症状である、抽象思考障害、判断障害は今のところ無いが、失行(自分の意志による行為ができない)、失認(対象とする事柄を正確に認識できない)、失語(言葉が適切にでてこない)はしばしば。周辺症状である妄想、幻覚、睡眠障害、徘徊、は無いけれど、不安、焦燥など不必要にしばしば、多弁、多動、暴言は飲むとひどい、依存、過食など二日酔いの時は頻繁。というわけで症状の半分は既に発生している。今からでも間に合う予防策を誰か教えて。認知症などなる前にがんにでもなって痛かったらさっさとモルヒネ打って何事もなかったようにおさらばしたいものである。
さてモルヒネと言えば次の本に面白い実験があった。正常なマスを大きな赤い岩の塊がはいった水槽に入れるとマスはその岩を回避するように泳ぐ。しかしそのマスをとりだして酢酸を注入(つまり痛みを加える)してから泳がすとこの回避行動が鈍るのだそうだ、つまり岩にぶつかりそうになる。そこでこの痛みを除去すべくモルヒネを注入してから再度泳がすとこの回避行動が正常になるそうだ。
もちろん酢酸を打たれたマスが僕らと同じような「痛ってええええええ}という情動を持っているかどうかは正確には分からない。でも様々な実験を通してそれに近い感覚をもっているはずだという推測は成り立つそうだ。これ聞くとちょっと活きづくり食えんな。

ヘルツォーグ風、縦格子風、暖簾風、、

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by 卓 坂牛


理科大には「こうよう会」という学生の親の組織が各都道府県にある。いうなればPTAである。大学にもなってという気もするが、この組織が地元のOB会とも連携して卒業後の進路などでも協力し合う。
毎年一回この会に教員は出向き懇談する。信大にもこういうのはあったがその会は大学で行われて親御さんは大学まで来られた。早稲田でもあるらしいがやはり大学でやっている。しかるに理科大は全国に出向いてやるところが懇切丁寧である。
教員は何処に行きたいか希望を出せるので僕は青森を選んだ。もちろん青森が父母の故郷だからである。昼ごろ青森駅あたりに到着。数年前青森県美に来た時以来だがまた不思議な建物ができていた。ねぶたを展示する展示館である。おっとヘルツォーグみたい。しかし横が縦になっているし、ルーバーのサイズが大きい、表面の加工が違う、、、、
しかし自分は知っているからこう思うけれど世の中の大半の人は別にこれが偽物だとは思うまい。そう思ってみるとこの偽物は結構うまくコピーしているようにも思う。まあルーバー自体はユニバーサルなデザインだし、縦線だったら日本の伝統である。暖簾のようにも見える。それに少々ヘルツォーグをふりかけただけか。

器用に溺れないように

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by 卓 坂牛


午前中は早稲田の演習学生発表。今年は比較的静かな学生たちで少々物足りない。午後もいろいろ詰まっているので三朝庵で昼をとってさっさと事務所に戻る。1時にセットエンブの入江君とHPの打合せ1時半から荻窪の現場定例。現場定例を事務所でやるのもどうかと思うが、着工してから杭打ちまで一カ月。じっくり施工図作っている現場である。こういう現場も初めてだがクライアントが親類だからできることでもある。定例終って別件の打合せしてから大学へ。4時半から4年ゼミ。やっと一人、形になってきた。後4カ月。未だ4人くらいは迷走中。
6時から3年製図の講評会。今日のゲストは生物建築舎の藤野高志さん。ショートレクチャーで彼の土間のオフィスでを見て皆息をのむ。事務所の床が土でそこに木が生えているのだから。面白い人もいるもである。レクチャーの後合評会。若松スタジオ、高橋スタジオ、川辺スタジオ、木島スタジオ、塩田スタジオそして僕と呉君のスタジオ。ちょっと偏りがあるけれど、去年よりは着眼点が冴えている。でも詰めが甘い感じもする。模型のレベルは2年生の方が上かもしれない。でも数名は去年より確実に面白い。がんばれ。ゲストの藤野賞をもらったのはこの作品。こういう曲線だけで全体を上手にまとめられる人は所謂器用な建築家である。器用に溺れず更にステップアップして欲しい。器用な人ほど伸びないことが多いので。

もの決めの早さ

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by 卓 坂牛

とあるクライアントとの打合せ。なんと1時半から5時半まで。4時間である。長い会議はどうも苦手である。会議は長くても2時間というのが僕の基準だけれど、相手がクライアントだと、さすがにさあこの辺りでまとめましょうというわけにもいかない。
スタッフとモノ決めの早さという話になった。僕は彼らに言わせると決めるのが早い方だと言う。OFDAの他のパートナーは結構時間をかける。とあるビル改装のカーペットを決める時、スタッフが用意した5種類くらいの見本を前に「これ」って見た瞬間に決めた。他のチームのスタッフが横目でそれを見ていて「自分のチームならこれを決めるのには1カ月かかる」とささやいていたらしい。
一体これはどういうことか?日建時代のボスのキャラなのかもしれない。僕のボスはとにかく早かった。色でも素材でも瞬時に決めた。僕が逡巡していると「無い頭を使うな」と怒られた。一方パートナーの一人のボスはSさんであった。Sさんはきっと悩む人なのだろう。
僕はそんな即決ボスを反面教師にしてなんとかいろいろ考えようとしているのだが、デフォルトが即決なので、長々悩んでいると悪魔の声がささやいてくる「無い頭を使うな」と。なので第一印象を大事にする癖がついているのかもしれない。いいことなのか?悪いことなのか?

塚本由晴は詩人だと詩人が言っていた

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by 卓 坂牛


一昨日塚本さんから一冊の本が届いた。タイトルは『建築と言葉』河出ブックス2012。詩人の小池昌代さんとの共著(というか対談)である。『言葉と建築』を訳した僕としては何とも興味深い本である。
現場への行き帰りで読んでみた。そして「おっさすが!」と思ったことがあった。それは申し訳ないが内容とは直接関係なく、小池さんの塚本描写であった。詩人小池さんは塚本さんを詩人だというのである。曰く「彼の創るもの建造物ではなくまさに棲家・・・すうすす、はあはあ、息をはいたりすったりしているように見えた・・・ふるまいという日本語を見つけたとき・・・心の中にあっと声があがった・・・言葉を発したのは彼なのに、しかし彼はそこで権力をふるわない。ただ、立ち会い、様々な要素が、うまく調和し機能するように観察し、考え、方向を指し示すだけなのだ。・・・わたしは思った。あ、詩人がいる」
先月10日間くらい私と配偶者は塚本夫婦と外国でご一緒した。その短い(とも言えないが)期間で私の配偶者はべったり塚本ファンになっていた。「今度彼と飲む時は絶対呼んでね」とまで言われている。その気持ちは一緒に生活しているとよく分かる。なぜなら彼は底抜けに楽しい、そして誰にでもとても気を使う。誰にも気を使わない僕と数十年も暮らしている配偶者は世の中にこんな人がいるのかと目から鱗だったに違い無い。
しかしそうした表面上のことではなく彼の脳ミソまで含めた成り立ちというのはそんなに簡単ではない。というのも帰国後塚本さんを知る数名の建築家と飲んだ時に「いやー塚本って面白いよなあ」と言っても皆白けた顔をしているのである。ふーんっていう感じである。逆にサカウシはノー天気なやつだと言う顔でこちらを見ているのである。彼をよく知っている人たちは彼を単に楽しいという一言で語れないことをよく知っているわけだ。
なんて思っていたところでこの本の小池さんの描写を読み、うーんそうなんだよなあと納得した。
なんだかせっかく送っていただいた本の感想としてこんなことを書くのも著者には失礼であろう。彼らの書きたかったことはきちんとある。それを僕は異国の地でさんざん聞いた。なのでこの備忘録的ブログに書くこともない。とても面白い話である。是非読んでみて欲しい。彼の詩人的なものの見方に学ぶべきことは必ずやある。

利休もマルジェラもブリコラージュ

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by 卓 坂牛

利休の2畳の茶室は秀吉の戦場での即席茶室に起源をもつ。だからありあわせの材料であり、粗っぽいし、狭い。というのが藤森『茶室学』での解説である。なるほどと思う。待庵では雨戸を壁に転用しているなんて知らなかった。そういう方法を藤森はブリコラージュと呼ぶ。
ブリコラージュとは、レヴィ=ストロースがアマゾン原住民の神話分析の結果ある部族のそれが他の部族の神話の一部を本来の意味や役割を無視して断片化して使用することを発見したことから考え付いたことで、人間が古い体系から新しい体系を生みだす方法として定義した概念である。
そうか利休がブリコラージュならマルタン・マルジェラもそれに近い。先日松田さんや入江さんと恵比寿で発見したマルジェラのショップは電気屋さんの古いビルの1階を使って中を真っ白く塗りたくり、天井引っ剥がして、汚い所はシーツのようなもので覆い隠してある。新品の雰囲気を消して寄せ集めて貼り合わせている風を装っている。お店がそうなら、売っているものも古着に絵の具こぼしちゃいましたといった風情である。
この「その辺にあるもの寄せ集めました」っていうのはポストバブルにしぶとくブームである。みんな大好きである。不景気的なのである。でもそんな建築400年前に利休がやっているのだ。

今村創平さんによるヴィドラーの訳本出版されました

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by 卓 坂牛


今村創平さんからアンソニー・ヴィドラ―今村創平訳『20世紀建築の発明』2012鹿島出版会が送られてきた。だいぶ前に『言葉と建築』を訳し終わって次の勉強会の本を物色中にこの本も候補にあがり、少々皆でさわりくらいを訳した記憶がある。カウフマン、ロウ、バンハム、タフーリというモダニズムをけん引した建築史家のパワーダイナミクスを詳らかにする本である(と思っているが本当のところは実は知らない)。
とても興味深い本でもあり恩師ディビッド・スチュワートにこの本を訳そうかと思っているというと、それは止めた方がいいと言われ驚いた。なんとなれば彼の英語は日本語にするのがとても難しいからだと言う。僕の英語力をもってすれば英語で読むほうがはるかに楽なはずだと言うのである
もちろんそんなリップサービスを真には受けなかったのだが、訳すのが難しいと言うのは過去のヴィドラ―の訳本を読むと察するに余りある。というわけで僕らはこの本を諦めて『人間主義の建築』にとりかかったのである。しかし正確に言うとこの本に多少恋心をもってブログに書いたら、今村君にこれは既に自分が手をつけているよとメールいただいたので諦めもついたのである。
そしてあれから何年経ったか忘れたが、彼はついにこの難解な書の翻訳を終えたのである。しかも単独で。僕らが数名のグループで富士山を登っている間に彼は単独でエベレストに登頂したのである。これに敬意を払わずして何に敬意を払おう。とても頭が下がる思いである。そして心から祝福したい。
この気持ちをメールでお伝えすると彼は僕が翻訳を続けていることに勇気づけられたと言う。しかしそれは逆もまた真なりである。こんな難解な本を一人で訳そうなんて思う人がいることに元気をもらえる。そしてまた僕らも次の本にとりかかる勇気が湧いてくる。