On August 20, 2012
by 卓 坂牛
二つのプロジェクトのオープンハウスも終わりちょっと一息。やっと来月海外で行う3つの講演の準備に取り掛かれる。そこで先ず最初が南京東南大学で行われる第三回現代建築理論シンポジウムでの講演。東南大学は中国建築教育の発祥の地。このシンポジウムはAAスクールと共同で行われてきたようだ。
さてスケジュールを確認して飛行機のチケットを予約しようとしてつまずいた。14日の学会の司会を終えて夕方の飛行機に乗るのだがずっと成田から行く気になっていた。しかし考えて見れば学会は名古屋。名古屋からのルートを考えないと、、、、、
シンポジウムのテーマはInvention of the Past。Pastは本当にデザインに役に立つのか? と言うのが問いである。このテーマを歴史的に考えれば、過去にすがるリバイバリズムがあり、過去と断絶したモダニズムがあり、そして今は?ということになる。フォーティーの『言葉と建築』の歴史の章を再読。
過去は重要な現在創造のエッセンスだけれど、それを再生するのでは永久に現在は過去になってしまう。そうでは無く、未来から見た時に現在という過去を作ることが我々の役目である。過去は現在の視点で読みこみ読み変えていかなければならない というのが僕のスタンスである。そして実際のデザインの現場では過去の痕跡をobserveすること、そしてそれをtransformする方法論が問われる。
このことを3つくらいの材料で語ることに決めた。一つは大学の課題で出した「荒木町を読む」を題材にこの方法論の教育について。二つ目三つ目は先日完成したオフィスリノベか児童養護施設、現在建設中の水戸のギャラリ―におけるデザイン現場での実践について。話の筋が固まれば後はどれだけきれいな画像が集められるかである。
On August 20, 2012
by 卓 坂牛
炎天下の中、栃木県の児童養護施設「アリスとテレス」のオープンハウス。遠方にも関わらず多くの方においで頂きました。ありがとうございます。
建物が分棟で4つあるので皆さん1~2時間くらい見ていただいているのが印象的。
2週連続で来ていただいた、磯さん、日経森さん、新建築阿部さん、松田平田の香川君、理科大PD天内君、助手の田谷君、ありがとうございます。また日工大武田先生、理科大の青島先生夫妻、東工大塚本先生、信州大寺内先生夫妻、宇都宮大安森先生、遠いところ感謝。加えて多様なコメント嬉しい限り。信州大OB陣、2~3時間いた輩もいたようだがプロとしてどう見えていただろうか?今度聞かせてほしい。理科大学生諸君。僕の考えていることが少しは伝わっただろうか?他にも沢山の建築家、学生の方ありがとうございます。
ところで結構多くの方からこの三ツ矢のプランはいつどのように生まれたかと聞かれた。そこで自分の昔のノートを開いてこのプロジェクトが始まった2011年1月辺りを見てみると、5ページ連続してこの計画のプランスタディがされている。日付は2011年2月3日~7日である(まだ信大にいたころ。研究室で一人でしょこしょこ描いていたのを思い出す)これを見るに最初からかなり直観的にこのプランを描いていることが分かる。
●四角いプランが最初にあるが、すぐ三ツ矢プランが描かれ、右ページではそのバリエーションでT字型も描いている
●次の日、プランとエレベを同時にスタディしているがこれはまだ平屋で6人1ユニットを一棟に入れようとしている。ベッドルームの前が広間になっており、妹島さんの寮のプランが頭にあったと思う。さらにこのプランをスキップでして2ユニット入れようと小さな断面が見える
●次の日、プランが少し進化し断面も一緒に考え現在のプランに近づく。配置計画は中央大広場ではなく小さな広場を散在させている。小広場をいくつか通り抜け隣の特養へのシークエンスを考えている。
On August 18, 2012
by 卓 坂牛
アルゼンチンワークショップ中に(というか行く前から)いっしょに行った塚本さんが「今まで自分は地中海主義だったけれどこれからは山水主義 だ」と言っていた。
この言葉を初めて聞いて理解できる人はいないだろうから注釈を加えると次のようになる。「今まで自分は気持ち良いテラスでビールでも飲みながら海でも眺めている快楽主義を悪いとは思わなかったが、少し考えを改めるようになった、やはり日本には日本固有の文化的土壌がありそれに立脚して建築を考えるべきだと。そしてそれは日本の湿度に着目し、その湿度性を軸とした文化創造の志向性であり山水主義と呼ばれるものだ」と言うわけである。
「へええ」まあ塚本さんらしい発想だと思っていたら先日本屋で松岡正剛『山水思想』 ちくま学芸文庫2008なる本を発見した。そうしたらその解説を内藤廣さんが書いている。そこには何故長谷川等伯の松林図が現代まで日本の若者さえも惹きつけるのかと問いその答えを日本の文化の基層に流れる水脈がそこにあるからだと述べ、それを「湿潤」だと結論付けるのである 。
なるほど塚本さんと内藤さんの意見は一致した。湿潤は日本文化の基層というのはその通りかもしれない。この湿潤がもたらすじとっとしてねとっとした感じ、湿潤がもたらす空気の不透明度、湿潤がもたらす空気の柔らかさは僕らが日本を感じるものではあるだろう。僕らはなかなかそこから逃れられないだろうし、それを否定することは難しい。でも僕はその湿潤が昔からあまり好きではない。だから松林図を見てもその湿潤を感じたくはない。もちろん梅雨の湿気は嫌いだし、透明度の低い空気もできることなら見たくない。湿度が高くて気分いいのは冬に鍋から上がる湯気に包まれる時くらいである。だから山水主義で建築を作ると言うことがどういうことなのかまだ分からない。塚本さんに「山水主義で作ると何か変わるの?」と聞いたのだが確たる答えは頂けていない。
On August 17, 2012
by 卓 坂牛
午前中事務所、明後日のオープンハウスの打合せなどしてから大学へ。研究室に入ると机の上に一通の封筒。デンマークに留学する学生からの手紙。僕の教えが彼のプラスであったことが記されてある。それはこちらも同じである。人生の貴重な一時をどれだけ素敵な学生と過ごせるかが残りの人生の質を左右する。
PD天内君と打合せしてから4年生のゼミ。4年は卒論、八潮、新宿アートフェスタとやること満載。頑張って全部やると持久力がつく。
ゼミの後青島先生来研。後期からのアーバンデザインの授業のシラバス打合せ。きちんと15回分の授業のテーマ、参考文献、自分の作品紹介など綿密な打合せ資料をご持参いただいた。日本ではアーバンデザインの授業がなかなか成立しない。そもそもそういう概念が育っていない。勢い行政的都市計画的視点になるか、町おこし的視点になるかである。建築設計者の視点からアーバンデザインを語る講義をして欲しいと思い青島裕之さんにお願いした。そして講義ではなるべく、どのように街を読み、具体的にそれをどう建築のデザインに活かしているかを語って欲しいと思っている。建築設計者のためのアーバンデザインを身につけてほしいというのがこの講義の目的である。青島さんも、僕もアメリカの教育を受け、向こうでは比較的常識的なこういう講義が日本では無いのでお互い目指しているモノは共有できている。
その後部屋の掃除。要らない本が5~6冊出てきたので学生にあげる。隣の部屋では新宿アートフェスタの作品制作中。去年も最後は凄いことになっていたが今年は大丈夫かな?
On August 16, 2012
by 卓 坂牛
昨日、タクシーの運転手さんに言われた。8月15日は毎年、ロシア大使館、中国大使館の周りは街宣車で大交通渋滞になるのだが今年は加えて韓国大使館の周りもひどいと。我が家は現在仮住まい中の韓国大使館の傍なので朝から街宣車の大音量が鳴り響いていた。
午後大学に行ったらこちらも街宣車が大行進。僕の部屋は靖国の鳥居の前だから室内でもうるさい。騒音防止の意味で部屋で音楽をかけていたがとても外の音をかき消せるほどにはならない。昨日は更に参拝者の中で希望者を募って周辺デモをしていたらしくその誘導音も鳴り響いていた。
それにしても韓国大統領もあそこまで露骨なパフォーマンスをしなくてもいいのに。日本はそんな挑発にのらず大人の対応をして欲しいものだ。
話は違うがリーテム東京工場のヴィデオを一般公開したと、制作者からメールがあった。是非皆さんご覧ください。
・YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dajnJYb2E8A
*以前ご連絡した際は、限定公開(URLを知っている人のみ視聴可)でした。
・Vimeo
http://vimeo.com/47640659
On August 16, 2012
by 卓 坂牛
今村創平さんが翻訳されたアンソニー・ヴィドラ―『20世紀建築の発明』鹿島出版会2012を通読。
カウフマンが『ルドゥ―からル・コルビュジエまで』を書いたのは1933年。ヴィットカウワーの『ヒューマニズム建築の源流』が1949年、師ヴィットカウワーの影響を受けたコリン・ロウの『マニエリスムと近代建築』は1950年。ロウとは一線を画しテクノロジー心棒者のバンハムの『第一機械時代の理論とデザイン』は10年後の1960年。そしてここまでの4人を「操作的批評」(歴史を計画的に作り上げてしまう方法)として批判したタフーリの『建築のテオリア』はそのまた10年後くらい。
現代から読めば確かに前世紀半ばの近代建築史が操作的であるというのは言うまでもない。彼らは近代建築家と同時代人なのだから。コルビュジエの横で旗振っているようなものである。それはまあいいとしても旗振り係がいたということが日本とは違う
昨日とりあげた浜口隆一の本が1947年にして日本のモダニズムの理論書として殆ど最初。あたりまえだが上述の歴史家たちと比べて論の深みが違う。そしてその後も彼らを超える論理が登場しにくいのは、やはりモダニズムが借り物だからなのだろうか?
On August 14, 2012
by 卓 坂牛
浜口隆一『再刊 ヒューマニズムの建築』建築ジャーナル(1947)1995をやっと読み終えた。日本の近代建築思想の確立を稲垣栄三『日本の近代建築』は「分離派」とする。爾来その考えは定説となっているようにみえる。しかし分離派宣言は思想と言えるだろうか?あれは運動ではあれども思想とは言い難い。と個人的には思っている。過去から分離しようと言う勢いではあるが創作の理論には至っていない。分離派からこの『ヒューマニズムの建築』が出版された1947年の間にどのような著書があるのかは調べ上げたわけではないから分からないが、この書は次なる理論的節目であり、日本の近代建築を位置づけた書ということになっている。しかし、その理屈付けは予想外にユニーク。そもそもこの「ヒューマニズム」という用語の使い方に驚く。それは近代市民革命により生まれ出た社会の主流たる市民(人民)を意味しているのだから。
著者の近代建築の定義はこの意味でのヒューマニズム+機能主義に裏付けられた建築なのである。そしてこの機能主義とは人のための(ここで再度人が登場する)機能と言う説明がまた少しユニークである。
近代建築をここまで人に引き付けて説明した言説を僕は知らないのだが、果たしてその後日本の近代建築はそうは進まなかったように思う。人のためと言うことで具体的には戦後最小限住宅の推進を促しているがそれは限られた設計者の美しい作品に結晶したものの、人民の建築にまで到達したとは言えないであろう。
しかし、この書は終戦直後の高い志、階級意識、を醸しそれでいて極めて理性的な書きっぷりであり確かに日本近代建築推進の最初の理論書と言えるものである。
On August 12, 2012
by 卓 坂牛
神田のオフィスのオープンハウス。小さなリノベだけれど多くの人が来てくれていろいろな意見を頂きありがたい。去年は山梨県でオープンハウスを二つやったけれど地方なのでさすがに人があまり来ない。久しぶりの東京なので日経の森さん、磯さん、新建築の阿部さん、石黒さん、若松さん、坂本先生まで来ていただき恐縮。
皆さん的確な批評がありがたい。磯さんは天井に僅か残ったジプトーンが「昔の痕跡」のようでいい。森さんはテーブルの仕上げ塗料に一言。石黒さんは「牧場みたい」。若松さんはグリーンのカーペットが剥いだ天井裏コンクリートと「違和感あり」。坂本先生は「机のレベルの構成」がこのリノベの要点。などなど。みなさんの意見はとても嬉しい。主観的な意見もそれなりにその人となりが出ていて面白いし、客観的な意見には今後参考にしたいということも多くある。やはりオープンハウスはやればやるほどプラスになる。信大OBも多く来てくれた。懐かしい顔ぶれである。彼らも今やプロの一員。彼らのオープンハウスに招かれるのもそう遠くは無い。楽しみである。
On August 11, 2012
by 卓 坂牛
栃木県野木町で設計していた児童養護施設が竣工して本日関係者の内覧会+オープニングセレモニーがあった。因みにこの施設全体の名前はアリスとテレス。4棟ある建物のそれぞれは、プラトン、アリス、テレス、ソクラテスである。福祉施設というのは大半が補助金で作られるし、地域の人たちの理解も欠かせないのでこういうセレモニーは予想以上に多くの人を呼んで行うものである。ということを前回山梨県の塩山で児童養護施設を設計した時に学んだ。
今回は児童養護施設と特別養護老人ホームを一体で(棟は別々だけれど外部空間は連続して)作ったこともあり、役所にも地元にも関係者が多く100人以上の方が来られていたようである。栃木県知事、県会議員、野木町長、町会議員、教育長、学校関係者、地元の方々など。現在の栃木県知事は日大の理工建築の出身で建物に大変興味を持っていた。また野木町長は芸大の芸術学科出身で美術史をやられていた方。建築にはやはり一言おもちのようであった。
来賓の一人として、我々に児童養護施設のなんたるかを教えてくれた全国児童養護施設会長の加賀美尤祥さんも来られスピーチをされた。昨年塩山でも来賓として挨拶され、その時も思ったが加賀美さんのスピーチは素晴らしい。決して紙を見ること無くそれでいて細かい数字と意見を織り交ぜながら決して人を飽きさせずそれでいて強いメッセージを放つのである。あの話しっぷりは是非見習いたいものである。