On October 10, 2012
by 卓 坂牛
現場の型枠見ながら篠原先生の東玉川の住宅増築の内部空間を思い出す。設計中は意識していなかったのだが、、、、こういうことはたまにある。
昨晩読んでいた田中辰明『ブルーノ・タウト―日本美を再発見した建築家』中公新書2012に載っているタウトの桂賛美と東照宮批判の図式に改めて注目。タウトの桂賛美がいかなる企みの上になされようとも、そして当時の政府に国家発揚として利用されようとも、そして岸田日出刀の桂賛美が既にあったとしても、でも彼の発言はきっと大きかったのだろうと思わざるを得ない。日本の近代概念が日本であり得、日本の建築家が自信を持つことができたのは日本建築の美=桂の美を土台とし得たことにあったのではなかろうか?
先日異国で日本建築の流れを説明し丹下さんと桂の写真を見せながらつくづくそう思ったのだがこの本を読んでその気持ちがまた新たになった。
On October 9, 2012
by 卓 坂牛
午前中事務所、昼大学で会議、雑務、会議、科研の書類も天内君が週末頑張ってくれてなんとか提出。明日の打合せ資料もどうにか間に合い、やっと夜一息。「今日は家で飯」と言って出てきたのだが、疲れたので研究室で読書。マーラ・ヴィステンドール(Hvistendahl, M)大田直子訳『女性のいない世界―性比不均衡がもたらす恐怖のシナリオ』講談社2012を飛ばし読む。男女産み分けの実体がここまで来ているとは知らなかった。特にインドと中国。インドのとある洲では出生性比が126。女性100に対して、男性126という数字を記録している。中国は国全体で120だそうだ。そしてもし生物学的に正常な出生性比(それは必ずしも100では無い)を維持していたならアジア大陸にはあと一億六千三百万人の女性がいたはずだという結論は耳を疑う。
そしてこの本の凄いところは単純にその統計的データ―を暴くにとどまらず、こうして増えた余剰男性によっていかなる事件が湧きおこったかまでをも取材している点である。それは人身売買であり売春であり、、、、中国の産婦人科病院の話しに思わず気持ち悪くなってきた。帰宅して飯食えるだろうか???
On October 8, 2012
by 卓 坂牛
外国へ行く鞄の中にいれておいて読んでいなかった『プラグマティズムの作法―閉塞感を打ち破る思考の習慣』技術評論社2012を読む。パースのプラグマティズムの定義はどこかで読んだことがあったがこの言葉はインパクトがある。
ものの概念とはその効果、特に人間の行動に影響を及ぼすような効果と同義だというのである。別の言い方をすると人の行動に影響を及ぼさないようなものは無いも同じ、考えることも無駄であるということになる。これはヴィットゲンシュタインの言う、語りえぬものについては沈黙せよということに通じるところがある。
著者は大学の教員として、世の中の研究には効果が期待できないような、何を目的でやっているのか分からないようなものが山とあり、それらは無意味であると言う。確かに学会などに行くと、研究のための研究がいろいろあり理解困難なものも多い。
僕も大学の教員として自戒の念を持ってこの本を読んだ。自分は意味不明な目的不明な行動をしていないだろうか?おそらく僕のことで言うならば、常に建築の設計あるいは意匠を前進、展開させることに効果のある講義であり演習であろうか?読書でありゼミであろうかと問い続けないといけない。もしそんなことをしても何の効果も期待できないと言うようなことがあればそれは少し考えなければいけない。反省も必要だろう。でも世の中には遠回りと言うこともあるわけで、必ずしもプラグマティズムが全てに優先すると言うわけでもないところが難しい。
On October 7, 2012
by 卓 坂牛
今日も頑張って、朝は翻訳メールの応答。午後は原稿そして夕方はやっと自由時間。配偶者と娘と連れだって国立新美術館。辰野登惠子、柴田敏雄二人展を見る。2年前に銀座のギャラリーで彼女の個展を見てとても好きだったので今日改めて見たかった。今日の展覧会では入った瞬間の最初の絵が素敵だった。
On October 6, 2012
by 卓 坂牛
○四谷大好き祭り、荒木町で踊る
○四谷大好き祭り、カルミネギャラリーでの理科大3年スタジオ展示
海外遠征から帰って一週間。学科主任の重責に頭がくらくらしながら後期の授業に奔走し本当に疲れる一週間だった。今日はほっと一息の土曜日である。ああ嬉しい。朝から翻訳を進め、原稿を二つなんとか書き始めた。ほっと一息。夕方四谷大好き祭りで盛り上がる荒木町を散歩、300軒ある飲み屋さんがお店のドア開けて路地にテーブル出して、日本酒、ワイン、シャンパン、ビールと飲み物売り。蕎麦や串カツなど簡単な食べ物もふるまわれている。法被姿の子供や大人が路地を踊り進むのは実に楽しい。その中でのスリバチ展、理科大3年生のスタジオ展示がカルミネギャラリ―で行われている。今日までかと思ったら明日の4時までだそうだ。
鈴新のマスターが模型をもっといじりたいというので、ではお客参加型にしてポストイットで投票させればいいと言ったらその通りになっていた。今日はお祭りなのでお客さんも多くなかなか盛況だった。
On October 5, 2012
by 卓 坂牛
グアテマラで買った私の唯一の自分の為の本以外のお土産。一体これは何かと言うと伝統的な彼らの織物の見本帳。タイトルはcolors des paraiso。楽園の色である。Nua muestra de los textiles mayas de guatemaraグアテマラのマヤ織物の見本帳。
見本帳の1ページ1ページにはその織物の産地が書かれている。産地の数だけ種類がある。マヤの模様はひし形が多いのだが、グアテマラの現代建築の廊下は直線では無くひし形にクランクしているモノがある。マヤの模様だと説明されてちょっと驚いた。
On October 4, 2012
by 卓 坂牛
MacBookAirを常時持ち歩き、家でも事務所でも大学でもこれだけで仕事をしていたのだがついに限界。大学で送られてくる資料の字の小ささに(例えばカリキュラムとか)もはやMacBookAirの画面では対応できなくなった。前任の先生のcpuを再設置した。しかしこれがまた問題。大学来るとついなんでもかんでもこの大きな画面に頼りたくなる。好き好んでMacBookAirを使う気になれない。そうすると当然の結果として目が大きな字に慣れ、家や事務所でMacBookAirを開くとそのとんでもない小さな字に(とんでもなく小さな字では無いはずだが)目がついていかなくなる。ああ健全な肉体が欲しいとこの歳になると思う。30代の体力と視力と脳力を返してもらえるのなら、主任だろうと、教務幹事だろうと喜んで引き受ける。体が衰える歳になるとこう言う大変な仕事が回ってくると言うのは自然の摂理に反するとつくづく思う。
On October 3, 2012
by 卓 坂牛
〇草土舎ホームページより
額縁ばかり作ったり売ったりしている草土舎というお店が小川町にある。とある額縁を作っておらうためにクライアントと訪れた。大正13年創業というからほぼ親父と同じ年である。そこの宣伝文句が気に入った。「さまざまな作品や大きさでも 、世界にひとつしかない額縁をお作りいたします。・・・日本に於ける額縁の歴史の中で、洋の伝統を吸収し、日本古来の美意識を加えて、独特のスタイルを創りました。」額縁とは普通その中身をフレーミングするものであり、一般的にはニュートラルな、作品をひきたたせるものなのだが、このお店はその額縁があたかも作品であるかのごとくの意気込みである。
僕がArchitecture as Frameというコンセプトで建築はフレーム(額縁)でありその中に見えるシーンが重要と言うとそのフレームがあたかもオブジェのようだと批判されたりする。しかしこの草土舎のモットーのようにその額縁が美しい作品になることは十分可能だと思っていたので草土舎の制作コンセプトに我が意を得た。
On October 2, 2012
by 卓 坂牛
昼ごろ荒木町カルミネギャラリーに立ち寄る。理科大3年生の前期課題「荒木町を読む」の優秀作品が展示されている。これは昨今注目されているスリバチ学会(東京のすり鉢状の地形を踏破し、分析し、愛でるというユニークなグループ)を中心に荒木町をこよなく愛する人が集まり、その中でも特に荒木町を愛するカルミネさんが自らの家をギャラリーとして一部開放し、そこで荒木町にまつわる展示を行うものである。
私も荒木町に事務所を持ち、そのすぐ隣町(栄町)に住む住民として荒木町を愛する人の仲間入りをし、学生にこの面白い東京の地形と文化を味あわせるべく課題を行わせた。そしてその優秀な成果をここに発表の機会を頂いたというわけである。
展示は我々のみならず、法政大学佐々木研、陣内研なども行う。今週は私たち理科大生の展示である。12時~5時と平日はちょっと行きにくい時間だが土曜日まで理科大の展示は続き、日曜日から法政大学の展示に切り替わる。今週末は四谷大好き祭りと重なるので、沢山の人に来ていただき御高覧御批評頂ければ幸いである。
On October 2, 2012
by 卓 坂牛
朝から会議。午後打合せ。夕方大学院の講義。『言葉と建築』を1年ぶりに話す。信大の時同様。学生の文章を学生に批評させると言う方法をとることにする。
夜今村創平さんをお呼びし、卒計の心構えについてお話頂く。敷地、プログラム、形という一連の流れの中での敷地、プログラムの重要性が強調された。というのも敷地自体に建築のポテンシャルが内在しているので、敷地を選んだ時点が0点なのか50点なのか決まってしまう。0点のところにいくら80点を作っても80点だが、50点のところに80点作れば130点というわけである。プログラムしかりでプログラムの設定ですでにデザインする前からスタート地点が異なる。しかし一方で最近はそこまでやって終わってしまう作品が多く最後のデザインが無いことを嘆いていらっしゃった。同感である。