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by 卓 坂牛
岡田温司「宇宙の音・色」(東京都現代美術館監修『アートと音楽―新な共感覚をもとめて』フィルムアート社2012所収)の中にニュートンがなぜ虹を七色にしたかその理由が書かれている。なんとそれは一オクターブが8度だからという音階を参照したとのこと。図はニュートンが光学に記した図式で七色を表している。幅が違うのはスペクトルの幅に大小があるからだそうだ。音階も周波数の幅は一定ではないのと同じである。
さてここからは自問自答。ではドレミファソラシドの共感覚とはどんな色となろうか?僕の場合は決まっている。ドは赤、レは黄色、ミは緑、ファはオレンジ、ソは空色、ラは紫、シは白である。おそらくこの色にはかなりの賛同者がいるのではなかろうか。しかしそれは共感覚によるものではなく幼稚園の音楽教育の結果である。幼稚園の木琴や鉄筋にはだいたいこの色のシールが貼ってあったのでは?(と僕の配偶者は言っていた)。だから音を聞いて自然とこの色を連想するようになっているのだと思う。
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by 卓 坂牛
事務所の小改造をするので材料部屋の棚を全部出し、マップケースの中の原図を全部出し丸めて地下へ、その他いろいろあっちへ持っていき、こっちへ束ね、ひたすら働いたが終わらなかったのだがあとはスタッフに任せ大学へ。迫る校正を必死にやっていたのだがそれも終わらず、卒計の最終中間発表会。さて来年を超える作品はできるだろうか?5つくらいはいい作品ができそうだ。あとは皆の頑張り次第。
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by 卓 坂牛
九段下の都営新宿線と、半蔵門線のホームをつなげる工事をしている。工事中の天井裏を見るとタコの足のように四方八方に銅版の皿が斜めにかかっている。これは一体なんだろうか?漏水を流す樋だろうか?
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by 卓 坂牛
午後現場でクライアントも交えて定例、そして打ち合わせ。長時間コンクリートの床の上に動かず立っていたら完全に体中がおかしくなってきた。弱っている足首が凍りついて動かなくなった。余りの寒さにかみさんと新宿で夕食をとり帰宅。四谷三丁目の地下鉄駅から地上に出るとおよそ100メートルくらいにだけツリーライトがつけられていた。日曜日で人通りも少なく風も強くライトが冷たく光っていた。
数日前から読み始めた佐伯啓思『隠された思考』ちくま学芸文庫(1985)の第一章は「演技する知識・解釈する知識」という表題。プラトンをヒントに著者は、暗がりで手探りでものを見極める触覚を直感能力とし、光の中でものを配列する視覚は論理的構成能力と呼んだ。ヘルダーは「目で見る立体は平面にすぎないが手で触れる平面は立体である」と言って。プランと同様手の優位を述べいている。
さてその後スコラ学ではこの直感能力が知性と呼ばれ、論理的構成能力は悟性と呼ばれた。そして近代は知性を無視し、悟性の上に科学を作り上げた。現代人は悟性を万能だと思うほどお人よしではないのだが、悟性が優先せざるを得ないことも知っている。だからこんな悟性優先で得られる知識を「演技する知識」そしてこの演技する知識から観照(テオリア)を通して直感能力の先で得られる知識を「解釈する知識」と著者は呼ぶ。近代の学問つまり○○科学とつくものは理系文系を問わず演技する知識であろう(いやそれを壊すためにこんな本があるのだろうが)。そうなると我々の建築は理工学なんていう○○科学のジャンルにありながら数少ないテオリアが有効な分野なのである。現場で凍てつきながらそんなことをふと思ったが、寒さのあまりとても知までは辿り着かなかった。
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by 卓 坂牛
今日は長い一日でした。博士論文の本審査と予備審査。本審査は学習院の話で娘が小中高といた場所なので興味深く読みました。読み物としてはとても面白いのですが、論文としてはもう一つ方法論が必要だと言うのが僕も含めた他の審査員の意見でした。もう一つは構造の論文。エンジニア系の博論はなかなか手ごわいものです。発表者はいつも身近に顔を合わす人ですが東工大の後輩だと後で知りました。
夜は非常勤講師の懇談会。今更ですが私大は非常勤を含めてファカルテイを構成しています。彼らなしでは私学は成り立たないようにできているのです。よろしくお願いします。夜中帰宅して玄関で玄関に散らばっている靴を見ながら家族を感じます。娘とは時間差があるのでめったに会わないし会話もしないのですが靴が彼女みたいなもの。妙に小さい娘の靴が愛おしいものです。
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by 卓 坂牛
我が家のそばにガウディのような(と言うとガウディファンには怒られそうですが)ビルがあります。まあなんてことないRCラーメンビルの四隅が上から下まで細かなタイルでグニャグニャおおわれているわけです。1階は工房で二階から上は賃貸住宅です。ちょっと目立つ建物に住んでいるぞって優越感が味わえるかもしれません。誰が作ったかわからないけれど、ちょっと間抜けで、ちょっと一生懸命で、ユーモラスでいいですね。
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by 卓 坂牛
とある企業の創業の建物が物置同然になっていたのできれいにして企業の歴史を残そうということになった。ちょうど3年前くらいだったと思うが、信大生を連れて実測調査をして図面ができたのだがそこで頓挫した。2年ほどしてまたやろうということになり今度は理科大に移った後なので、演習として研究室でスタディをした。すると本当に作ろうということになり事務所で実施設計をして春に着工してやっと足場もとれた。今日現れたファサードを初めて見ることとなった。止まったり動いたりしながらいろいろな場所でスタディが進み、いろいろな知恵が入りこんできたというのも楽しいことである。
大正時代の建物のもともとの色を復元し、実測図に則り建物の輪郭線を忠実に復元し、でも中の構造は全く変えた。ギャラリーにするので開口部もなくした。これはクライアントとかなり議論した末の結論である。大正時代をそのまま復元するのではなく、大正を平成に読み替えて継承しようというのがコンセンサスである。
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by 卓 坂牛
鶴見俊輔は芸術を純粋芸術、大衆芸術、そして限界芸術という3つに分類した(鶴見俊輔『限界芸術論』ちくま学芸文庫1999)彼がこの概念を最初に提唱したのは1956年なのだが、この概念は未だに有効だと本書を読みながら思うのである。
純粋芸術とは専門的な芸術家が専門的な享受者を対象に創るもの。大衆芸術とはやはり専門的な芸術家が創るものの、資本が制作の決定権を多く持ち俗悪と言われようと大衆に広く享受されるもの。そして限界芸術とは「くらしをひとつの領土とみて・・・くらしとも見え芸術とも見えるへりの部分」にある芸術と説明される。限界とはだからここではmarginalという意味である。例えば子供の落書きを想像してみてもいいだろう。
限界芸術がすべての芸術の根源であろうことは容易に想像がつく。そしてそこからの発展の終着点が純粋芸術であるものの、その純粋芸術が限界芸術のふりをしてみせているのが現代芸術と見えなくもない。
さて鶴見の概念を建築に置き換えてみるとどうなるだろうか?多くのThe建築家は純粋建築を創っている。そして多くの資本主義建築家(という定義はなんだかあいまいだが)は大衆建築を創っている。そして、では限界建築は? 建築家なしの建築なんていうものはこれに当たるわけで、ルドフスキーはこのことにいち早く気付いたのである。しかし昨今は現代芸術同様プロの建築家が生活のへりに建築を創ろうとしているようにもみえつつ、そんな時代にあきあきして純粋建築に目覚める若い人もいるのである
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by 卓 坂牛
久しぶりに富士市のするが幼稚園に伺う。園長先生を囲み文教施設という雑誌の座談会を行った。この雑誌は竣工後月日をおいて、どう使われているかというようなことを丁寧に取材して報告するハイバー専門誌である。
竣工後8年たちその間いろいろとご相談を受けてアフターケアーをしているが、いまでも美しく使われているのがうれしかった。二階の吹き抜け廊下には手すりにプランターを入れる小さな丸いバスケットを設けたが、すべてにお花がきれいに咲いていた。感謝。
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by 卓 坂牛
午前中助成金の書類の最終チェック。チェックしながら、次々と書き方の不備を発見し、加えて追加資料もいろいろと思いつく。午前中には終わると思ったのだが、結局終わったのは3時近い。助手に提出に行ってもらう。その助手と1時間後に某文化センターに行って館長さんとお会いする。助成金で呼ぼうと思っている建築家の展覧会を行いたい主旨を説明する。とても乗り気なのだが、加えてこれとこの建築家をぜひ呼びたい。ついてはその費用は出すので、彼らを入れて全体のプログラムを組みなおせないかと打診される。それは願ってもないことなのだが、呼ぶ人間が増えると全体の調整業務はどんどんしんどくなりそうでちょっと憂鬱でもある。でもなんとかその方向でよりグローバルな企画にしたいところである。
夜言葉と建築の講義、今日は「自然」の章。自然は不完全であり、芸術はそれを完全にする。それがヴェルサイユ宮殿でもある。という話をしていったことがある人手を挙げてと聞いたら0だったのにはちょっとびっくりした。