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Mar 2013

アアルトを見ながら日本を思う

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by 卓 坂牛

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アアルトをこの年齢になって初めて見た(本屋、自邸、スタジオ、ホール、オフィス)。その昔1970年大阪万博のフィンランド館を見たことはあるがそれはもう記憶の中から零れ落ちているので実質的には初めてである。トータルにこの建築家の良さとか凄さを体系立てて理論的に説明しようとするのは僕にはとても難しい。どうしても箇条書きのようになってしまう。
・階段が緩くてのぼりやすい
・室内のスケールが家具の延長上にあり、使いやすい
・室内のスケールが家具の延長上にあり、スケールアウトしていない
・光が柔らかく劇的ではなく緩やかに入るようになっている
・建具のディテールがきめ細やか
・取っ手のディテールが家具のようである
・外観は多少目立ち彫刻的な場合もあるけれど、物静か
・外装のディテールがきめ細やか
・ヘルシンキのアアルトの外装は全て白かった。レンガに白塗りか、ビアンコカララ
・外装周りの建具は木が多く、アクセントがつけられていた
目立ち過ぎず、使いやすく、気持ちよく、欲しいものが欲しい場所にあるような建築。アアルト建築の一日の感想を敢えて言えばそんなことになる。
アアルトの時代がどうだったかは知る由もないが、こんな場所で生活して、仕事して生きているのが今の北欧の人たちには似つかわしい。地図を持って道に立っていれば99%誰かが道を教えに来てくれるのは彼らの生活のゆとりなのだとこちらの人が教えてくれた。大きな政府に守られてのんびり生きている彼らは自己責任の競争性や攻撃性は少ない。日本のゲーム社会に馴れてしまった僕などは、こんな北欧の世界に仮に生きたらばきっと飽きるだろうなあと思いつつ。またあの不必要に攻撃的な社会に戻って仕事するのかと思うと憂鬱にもなる。

ウッツォンの教会

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by 卓 坂牛

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北欧は昨日がイースターで今日も祝日と土日を挟んで連休。アルゼンチンの時もそうなのだが、国外出張はここしか行けないという時に限って相手国は連休がはいる。その間建築見られていいと言えばいいのだが。
というわけで今日はコペンハーゲン郊外のバクスバルトにあるウッツォンの教会を見た。この教会についての最初のコメントを読んだのは、おそらくフランプトンの『テクトニックカルチャー』においてである。テクトニック(結構的)とはフランプトンの意味においては、構成が明確で何によってこの建築ができているかがよく理解できるということである。確かにこの建物はセメント板のようなものが組みあがっていて、構成要素は写真で見ても明快である。
その次にこの建物について言及されているものを読んだのは、やはりフランプトンによる「批判的地域主義」の中においてだったと思う。曰く、外観はインターナショナルな量産的な作り方をし、内部はもっと地域的でクラフト的で信仰を形にしている。というようなコメントだった(と記憶している。間違っていたらごめんなさい)。
という理屈っぽいフランプトンの二つの説明を聞いてこれを見に行った。さて、言っていることはその通りだと思ったが、この建物の良さを、どちらの説明も言い尽くしているとは言えないし、そんなことよりこの建物の良さは他にあると僕には感じられた。
一つはランドスケープ。道路と建物の間の芝生のアンジュレーションとそこにランダムに植えられた木。二つ目はセメント板のように写真では見えた板が石のようなテクスチャーを持っている。おそらくコンクリート板を磨いて、いわゆる人研ぎのような板にしてあること。三つ目はこの人研ぎ板の横目地はシールだけれど、縦目地はアルミで押さえてちょっとしたディテールがあること。四つ目は白い外壁に部分的にとても微妙に大判のタイルを使ってテクスチャーを変えていること。
つまりランドスケープと、ディテールと、素材感がいいことによって、この建物の周りに独特の風合いと気品が漂っていることがこの建物をこの建物らしくしていると感じたのである。確かに構成的であり、一見インターナショナルでローカリズムだという指摘は正しいが。他にも重要なことがいろいろある。

スカンジナビアン経験主義

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by 卓 坂牛

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やっと念願のルイジアナ美術館に来ることができた。ルイジアナと言ってもアメリカではない。名前の由来は創設者の3人の奥さん(三回離婚した)がすべてルイーズだったことだとものの本には書いてある。
なぜ念願の建物かと言うと、ここでは彫刻を野外においてそれを建物内から見るように設計されている。つまりこれこそ「フレームとしての建築」を最もプラクティカルに実現していると思っていたからである。
拍子抜けなくらい思った通りの建築だった。昨日買ったDanish Architecture since 1754 の中ではデンマーク建築が1754から2007の間で10のフェイズに区切られている。デンマークと言えば僕の中ではラスムッセンの『経験としての建築』くらいしか知らなかったのだが、この本において彼はスカンジナビア経験主義(Scandinavian empiricism)と称され。ルイジアナ美術館の設計者である、Jorgen Bo, Vilhelm Wohlertはラスムッセン達の次世代のようで、経験主義に加え、contrapuntalな設計手法で(開く、閉じる、高い、低いなどの対になる性格を並置する)を用いる建築家群を形成したとのこと。
確かにそういわれると天井高さの高低や展示室の開閉のコントラストはかなり意図的に行われている。これは良くやられることだけれどかなり効くものである。
総じてとてもいい建築であることは確かだが、自分が類似した考え方を持っているだけに、批判的に見てしまう。こんな素晴らしい敷地なら自動的にこういう設計にならないとも限らないだろうなあ???なんて(とはいえ、素晴らしい湖を見せる巨大な部屋を作ってジャコメッティ2個しか置かないってなかなかできないとは思うが)。

王立アカデミーでレネと再会

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by 卓 坂牛

例によって海外に来ると早朝目が覚め、暗いうちからジョギングとなる。地図を片手に市内を走りまわると少なからぬ朝のジョガーに出会って嬉しくなる。寒さを予測して気張って出たがそうでもない。
10時にデンマーク王立アカデミー建築学科のレネ・クーラルのオフィスを訪ねる。彼は建築学科とスポーツ文化研究所の教授を兼任しており、オフィスは研究所内にある。この建物がすごい、200年前のボート小屋である。今にも壊れそうな10個くらい並ぶその小屋の一つを改装して使っている。改装と言っても最低限の手入を最高級のデザインで行っている。ボートハウスだから河縁に建っているので景色は抜群。白鳥が群れで見える。
レネは数十年前、篠原研を訪れ、その後坂本研に2年間ほどいた。僕とは大学時代はかぶっていないが何度も飲み、その後一緒に本も書いた。今回は大学間協定や共同プロジェクトの話をしにやってきた。
打ち合わせ後建築学科を案内してもらう。スタジオは模型の残骸の山。どこも同じである。その後学食で昼食。オープンサンドのビュフエだが、食材が新鮮で豊富、学食のレベルを超えている。日本の学食もう少しましなもの出さないと外国の方が来たら恥ずかしい。
MIMOAで調べた数十あるコペンハーゲン建築のデーターから見るべき建物をレネに選別してもらった。海沿いに建つウッツォンの家具屋+レストランはガラス張りでもないのにとても明るく僕が勝手に抱いている北欧の空間になっていた。

●200年前のボートハウスをコンヴァージョンしたレネのオフィス

●レネ・クーラルの英語はとてもジェントル

●王立アカデミーは90年代後半に冷戦終了とともに不要となった海軍の施設のあった場所に移転したため、それらをリノベして使っている。これがすごくいいわけだ。

●製図室は熱気

●鉄骨で補強された学食のボールと屋根が美しい

●ウッツォンの家具屋さん

スイス=クール

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by 卓 坂牛


数十年ぶりにチューリッヒ空港に来たけれど、こんなにクールなデザインだったかな?スイスっぽいと言えばスイスっぽい。この後トランジットしてコペンハーゲンに来たらこちらはとてもウォーム。時差ボケ解消なんて思って昨晩は余り寝なかったのだが、結局飛行機の中ではほとんど寝ずに映画を見でいた。

僕にとってのテクトニクスとは?

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by 卓 坂牛


●昨年竣工した児童養護施設管理棟の屋根の鉄構造の露出
自分が建築を創る時にテクトニクス(構築)についてどう考えているのか?それをこの一週間考えているのだがなかなか答えが出ない。そもそもフランプトンの言葉ではなく、自分自身の言葉でテクトニクスをどう定義するのか?
テクトニクスは見る方にとっては3つの側面を持っているように思う。
① 建築の成り立ち(formation)が理解可能であること
例:デスティールの要素主義とか、日本の真壁づくりの建物など
② 力の流れが(flow of forces)が可視的であること
例:オーギュストペレの柱梁が良く見えるラーメン構造など
③ 素材性(ontologic materiality)が感じられること
例:ズントーのテルメなど
それで自分はこのどれを重要と考えているのだろうか?
建築の成り立ちは分かりやすい方がいいと思っている。妙に複雑である必要性を感じないから。でもわかりやす過ぎると深みが無いので7割くらい分かるのがいい。
力はとても感情移入しやすいので全部見えるとそれで建築が終わってしまう。なので3割くらい可視的であれば十分である。
素材は視覚だけでなく触覚も参加する側面なのでこれも影響力が強い。そこでインテリアの5割くらいが感じられると丁度良い。
テクトニクスは建築の本質ではない。建築の本質を作るためのテクニークである。しかしこれを外すと建築を作れない。言えば建築の修辞である(というと軽すぎるだろうか)?デンマークでの講演のお題がテクトニクス。正攻法で直球で返すか????

胡錦濤路線の継続が及ぼす影響

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by 卓 坂牛


やっと最後のc入試が終わった。明日学長との会議が終われば今年度の入試業務は全て終了。私大の入試はとにかく大変だ。その仕事がすべて主任マターだというのも辛い。信大時代は入試委員という役があったのだがここでは主任が入試の責任者。入試は失敗が許されないから気を張る。
帰宅してだらだら読んでいた沈才淋『大研究中国共産党』角川新書2013を読み終える。習近平就任の前段としての薄 熙来の失脚劇が、彼の打黒唱紅(中国共産主義の原理的な復活)を阻止するためのモノであったことを知る。これによって胡錦濤の社会主義市場経済は継続され未曾有の経済発展はおそらく継続し、世界は中国から多くのことを見習うことを余儀なくされる。これは何を意味するのだろうか?社会主義市場経済成功の最大の原因は優秀な少数の集団独裁体制にあるのではないか?中国では習近平を含む7人の政治局常務委員が意思決定すれば物事は進む。決定から行動まで時間がかからない。これは日本の企業、あるいは大学などにも大きな影響を及ぼすような気がする。つまり私企業、私大の取締役会、理事会での決定が社員、教員などの合議を得ることなく、アクションプランとして進められる可能性が高くなると言うことである。これにはメリットデメリットがあるのだが、中国の成功はこれらを正当化していくはずである。

デンマークの建築家にあげる印を彫る

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by 卓 坂牛


午前中、来週行く北欧の荷物をチェックしながら、王立アカデミーで会う予定のRene Kuralに思いを馳せる。最後にあったのがいつだったのかよく覚えていない。日本のどこかの居酒屋だったような気がする。何かお土産を持っていこうと思い、日本好きの彼に僕の大事にしている遊印(書や日本画に押すはんこう)をあげようかと思ったが、ちょっと惜しい。家にそういうの余ってない?と配偶者に聞くと彼女が「ちょちょっと彫れば?」といとも簡単にできそうに言う。確かに中学生のころ書道の時間に「卓」という字を彫った。そんなに難しくなかった記憶が蘇る。そこで配偶者に道具を借りて彫り始めたのだが、あれれ、結構難しい。こんなだったかな?Reneに挙げるので礼根と彫ることにしたのだがなかなか終わらない。

引っ越した先の金町研究室の整理

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by 卓 坂牛


午前中はこの間作った住宅の取材を受けて、午後金町キャンパスに向かった。事務所から丸の内線を使って国会議事堂前に行き千代田線に乗り換える。運悪く北綾瀬行きが来たのだがそれにのって北千住で後から来た取手行きに乗り換える。金町で降りて徒歩8分。だいたい1時間かかる。
研究室は未だ段ボールの山。研究室の学生が殆ど全員来てそれを開けてしかるべき場所に移動。研究室は二部屋あり大きな学生部屋と小さな教員部屋。「小さな」と言っても20㎡以上あり、それを僕が占有するのはもったいないので教員部屋を模型作成部屋として 僕は学生部屋の片隅にコーナーを作って座ることにした。新しい家具を買うお金もないので、古い事務機器はそのまま移動。その代りすべての机の上には4×8のランバーコアを切ってクリア塗って乗っけて少しは見栄えをよくした。
5時過ぎに大学を出て新建築のある霞が関に向かう。金町から千代田線で一本と高をくくっていたのだが結構かかる。あの霞が関ビルに初めて入ったが、45年たったビルとは思えず中はとてもきれい。新建築のインテリアもすっきりして一望できる使いやすそうなオフィスランドスケープ。席は職位に関係なくフラットに並んで仕事されているようである。最近はどこもそうである。

儲かるまで働くか?

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by 卓 坂牛


我が家の傍のお店の看板にこう書いてあります。営業時間、夕方5時から儲かるまで。いいですねこれ。でも設計事務所でこれやったら24時間不眠不休だね。