On March 10, 2013
by 卓 坂牛
広島大学の学士会館というところに泊まらせてもらった。その辺のビジネスホテルより広くて快適だった。それにしてもこういう施設があるというのは驚きである。東大、東工大、首都大の先生が皆「うちにはないね」と言っていた。実に広いキャンパスを見ながら東大のキャンパス計画やっていた岸田先生に本郷の容積率どのくらいですかと聞いたら、約200だそうだ。金町の容積率は200以上なのだから。あの本郷の密度感をこえているということだ。まあ金町といえども都会ということか。
それに比べるとここは山の中である。朝起きてキャンパス内をジョギング。山あり森あり谷あり池ありである。蛇注意の看板は笑える。これ以外に溺れ注意の看板もあった。
On March 10, 2013
by 卓 坂牛
広島大学で建築学会の意匠委員会連続セミナーを行う。広島大学の杉本先生、岡河先生、大阪市大の宮本先生のレクチャーを聞く。杉本先生の建築120年説は面白い。120年周期で建築は単純複雑を繰り返すという説である。しかしチャールズジェンクスは30年説を唱えていたように思う。奥山先生も同じことを言っていた。小林克弘先生はすごく昔はもう少し長い周期だろうから周期は徐々に小さくなっていると言うことではないかと言っていた。そんな気がする。レクチャー最後は岸田先生のしめの言葉で終了。
理科大工学部建築学科教員のご苦労さん会を神楽坂のフランス料理屋で行った。毎年この時期に皆で美味しいものを食べながら出ていく方の功績に感謝する。今年は定年の先生がお二人、別の大学に移る方が一人である。皆のそれぞれの活躍が大学を築いていくのだと思う。組織は人であり人が組織を良くもすれば悪くもする。去る人を祝いながら自らを省みる。
大学の山のような資料とにらめっこして、ああしんどい。主任業務にひーひーである。この先大学の引っ越し、入試の判定、年老いた親父を4日預かり、広島に出張し、JIAのシンポジウム、雑誌の原稿二つ、そして入試、、海外でのレクチャー二つのパワポ作って(同じことが言えないレクチャーで)、、、、ああマジでしんどい。乗り切れるだろうか??
レクチャーポスター届き嬉しいやら苦しいやら。
坂牛研来年度に向けての初回ゼミを行った。去年までは修士二年がいなかったけれど、今年はついに満杯。4年生18人、修士一年7人、修士二年6人、研究生2人、ポスドク研究員1人、捕手1人。合計36人。彼らと一緒に場所は葛飾と神楽坂を横断しながら活動する。さて、うまくいくでしょうか?36人で最初の食事。
みなさん4月からがんばりましょう。it`s up to you!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
三浦展『東京高級住宅地探訪』晶文社2012は東京西郊の高級住宅地を扱っている。山手線の外側の西側が対象である。つまりそれらは山手線のターミナル駅から西に延びる私鉄沿線に生まれた町である。僕は西武池袋線の江古田に生まれ、やはり池袋線の大泉学園に6歳の時引っ越し結婚までここで暮らした。その後山手線の東(早稲田)で数年暮らしたがマンションを買うはめになって引っ越したところが方南町。その後かみさんの母が亡くなりマスオさんとしてかみさんの実家上北沢で数年暮らした後、40年を越える西郊での暮らしにピリオドをつけて四谷に引っ越した。
私が住んだところは西郊の普通の住宅地である。高級な場所の横だったこともあるし、および出ない場所もあった。でも三浦の挙げた町の状況はなんとなく知っている。
その間実はこの西郊の暮らしが素敵だと思ったことはない。実に不便で暮らしにくく、自然の破壊を見ながら、ああいやだと思ってばかりであった。もちろん高級なところは快適だったのかもしれない。でもたまに高級な町の横に住んでいた時に高級なエリアに散歩など行ってもここに住みたいと思ったことはこれっぽっちもない。三浦は図らずも西郊の高級住宅地は日本の近代化という特殊な歴史状況のなかで、ごく一時的に必要とされたものと言っているがその意味が痛いほど分かる。なんだか西郊の町と言うものは明治以降の衛生思想に後押しされたきれいを装った鳥かごのようにしか映らなかったのである。三浦も言うように、これからの小子高齢化の中で西郊の高級住宅地は衰退を上手に受け入れざるを得ないであろう。もちろんすべてがそうだとは言えないが多くはそうなるのではなかろうか?まったく何のためにこんな町ができたのだろうかと思わないこともない。しかしかと言ってこれも東京の事実であり、無視するわけにもいかない。我々がしょってしまった街をこれからどう考えていくかは僕らの責任でもある。
○野口毅撮影 水ノ子島灯台
先日カメラマンの野口毅さんにお会いした。靖国通りの梵さんが設計したマンションに事務所を構えていらっしゃる。野口さんは日本中の灯台を撮り続けている。私が無知なだけかもしれないが、灯台はほとんどがコンクリートでできているのかと思いきや、そうでもない。そもそも灯台がつくられたのは明治以降の外圧によるもので、最初はその場所で採れる石やレンガで作られていたそうだ。そこにデザインのローカリティが求められていたのかどうかわからないが、西欧ではコンクリートが土木構造物に使われ始めたころにコンクリートが景観を破壊すると言う議論があり、ダムや橋をあえてその場所で採れる石で被覆したそうだ。そんな発想が日本にも流れ着いていたのか?単純にまだコンクリート技術が無かったのか?興味深い。
例えばこの灯台は豊後水道(大分沖)の無人島水ノ子島にある1903年にできた石造の灯台である。灯台の横に建っている建物は1904年に完成したレンガ造の宿舎である。
石の上に白黒で縞模様に塗装しているのは視認性を上げるためであり、かつ対候性を上げるためだそうだ。でもこんな風に塗ってしまったということはローカルな景観なんていう発想があったのではないのでしょうね???
昼間理科大二部の編入試験で大学へ。午後帰宅して多木浩二『視線とテクスト―多木浩二遺稿集』青土社2013の膨大なテクストの中から、雑誌『デザイン』に収録されていた篠原論「篠原一男についての覚え書き 「花山の家」まで」を読んでみた。1969年の文章であるから40年以上も前のものである。そこで多木は空間概念を二分し、一つを人間の内在的な衝動や直感につながるものもう一つを抽象的な記号論のレベルで扱われるものと言い、言い換えて実存と半人間的な構造とも呼ぶ。其のうえで、篠原はこの二つを接続するのではなく断絶させて前者に焦点を当てていると述べる。
そのあとの文脈からして、この半人間的な構造とはどうも建築にまつわる、資本、生産、消費と言うようものと思われるのだが、この篠原の方向性が磯崎と同調しながらその後の建築を閉塞的にしていったというのが伊東豊雄等の建築内向批判へとつながるのである。おそらく篠原はあまり意識していなかったのだろうが、篠原の断絶は「社会」をも無意識のうちに切り離したものと思われる。今となってはそこが一番の問題となっていると言えよう。しかしそうした現在の建築内向批判は断絶された社会を再評価するあまり、空間のもう一つの概念を無視しているかの様相を呈しているところに難がある。建築の思潮とは(建築に限らないが)いつでも極端である、白が駄目だと黒を目指す。分かりやすいからなのだろうが、物事はそう簡単ではない。現状がすべて悪いと言うことはありえないのである。つまり社会を再評価するのはよしとして衝動や直感につながる空間と言うのも当然重要なものであり、そのことに話が及ばないということはおかしな話なのである。今こそ断絶した概念の縫合が必要なのであろう。
午前中西荻の家の施主検収を行い午後帰宅。読みかけの赤川学『社会問題の社会学』弘文堂2012を読む。赤川さんは元信大助教授で現在は母校東大に戻られた。彼は社会学の中でも構築主義を推奨する学者である。社会問題は一体だれがそれを社会問題と同定できるのかと考えそれが社会学者にあるのではなく社会にあると考えるのが構築主義的発想の基礎にある。つまり誰かが何かを問題だとして活動した時に社会問題は発生し、それに対するリアクションの連鎖を追うことがこのイズムの方法論となる。別の言い方をすれば社会問題とは客観的に存在するのではなく、人々の発言によって生まれるものだと言うことだ。
このことは例えば建築の美と言うようなものにもあてはまるものだと思っている。すなわち、建築の美的なるものとは客観的に存在するのではなく、誰かがそれを「美しい」あるいは「いいね」と言った時に発生するということである。ちょっと聞くといやいや黄金比のような絶対的な価値基準があるではないかという反論もあるかもしれない。もちろんそれは否定しない。しかし『インターナショナルスタイル』のようにヒッチコックとジョンソンが「これこそが20世紀の建築美」だと言ったことがシンプルボックスを加速させたこともまた事実なのである。
構築主義には客観性を欠くし、実態をとらえていないと言う批判があるそうだ。建築でこういうことをやるとたとえば雑誌における言説分析のような形になるが、全く同様の批判を浴びる。しかしこのことも現実の一部を表すものなのである。
朝8時半から撮影。2誌の撮影が同時進行。大野さんにとってもらうのは8年位ぶりである。学生3人にもアシスタントとモデルとしてはいってもらう。曇りぎみの空が緩い光を落している。今回は大きなトップライトもあり、また外装も銀色がぎらぎらと光らないためにも柔らかい光が欲しかったので丁度良い。2時ころ現場を後にして大学に。週末の入試の打ち合わせから始まり延々と、延々と続く会議。終わったら8時半である。6時間半も会議したのは初めてである。今日は久しぶりに韓国から休暇で一時帰国した友人と食事の約束が、、、、、、、申し訳ない。