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Apr 2013

地の巨人の書棚

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by 卓 坂牛

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知の巨人立花隆の書棚を覗く本がある。立花隆『立花隆の本棚』中央公論新社2013。この本は実際に立花の蔵書を収蔵している通称猫ビルで撮った写真が山のように載っていてその説明がついている。
ちょっと面白いのは外国の哲学者などの解説本が見られること。なるほど立花でもそのての本も目を通すのかと思ってほっとする。そして原書が沢山あるのには改めて驚く。もちろんこれらの本のすべてのページに亘って読了しているのではないだろうが普通に読んでいてはとても終わらない。

前川自邸は南庭より北庭の方が大きい

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by 卓 坂牛

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1942年に竣工した前川国男の自邸を見に行った。戦間期に完成した数少ない「建築」の一つである。戦前戦後をつなぐ建築理論を探している僕としては貴重な建物である。
この建物は武蔵境の江戸東京たてもの園の中にあるが前川自邸の横には堀口捨己の小出邸(1925)三井道男の大川邸(1925)が並んでいる。
3つの平面を見比べると時代の流れとともに前川の個性が際立つ。堀口の平面は和洋折衷で西側の玄関はいると南にすぐ食堂そして和風の座敷が南に面してあり北側は応接や女中部屋である。大川邸はやはり西側玄関はいると南にすぐ応接奥は居間食堂である。その北側には台所がある。
一方それらから約20年後に作られた前川自邸は北側から入ると居間兼食堂が建物真ん中を南北に貫通しその両脇に書斎、寝室などがある。この南北の貫通と幾何学的な分割が特徴的。そしてもう一つ驚くのはその配置。南の庭より、北の庭の方が大きいこと。南北を貫通した平面にとって北庭は重要な要素だったに違いない。それにしても大胆。

村上春樹の新作(『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』)を読む

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by 卓 坂牛

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久しぶりに村上春樹を読んだ。話題の前作は読んでいないので10年ぶりくらいだろうか?クライマックスの舞台がフィンランドだったのは奇遇。あの時間が止まったような街の静かさが小説の舞台としてフィットしていた。色彩を持たない多埼つくるの友人との会話がすこしだけ心に残った。
「僕には個性みたいなものもなかった」
「生きている限り個性は誰にでもある。それが表から見えやすい人と、見えにくい人がいるだけだよ」

東京のイメージ

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by 卓 坂牛

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早朝ジョギングで外堀の土手を赤坂の方に向かって上智大学の終わりのあたりに来ると向こうに鹿島のビルが見える。一方手前はジャングルのような場所がありそこから赤プリの前のお堀へと繋がっているのが見える。あれそうだったんだ。知らなかった。「上智大学のグラウンドは赤プリ前の池につながっている」。四ツ谷とか赤坂とかは自宅周辺とはいうものの地理的な繋がりが全く分かっていない。これって何故か?
理由1:地下鉄駅周辺は地上に上がったところは知っているのだが隣駅との関係は分かりづらい。
理由2:僕は車に乗らないので道路を介した地上のつながりが視覚的に記憶されていない。
これはおそらく車に乗らない都心居住者には一般的に言えることなのだろうと思っていたら宇野常寛『日本文化の論点』ちくま新書2013で著者が同様なことを言っていた。著者は高田馬場に住んでいるが近くの護国寺や目白台とかあまり知らないと言う。その大きな理由は東京の都心部は車が渋滞するので、人は電車で移動することが多く、そういう人にとって(著者もその一人)町は鉄道で分断され、東京マップが表象されないというわけである。
こういう問題(問題であるかどうかは分からないが)を違った視点から見るとすると、王立アカデミーのレネに言われたように、自転車移動によって表象される町とは何かというテーマが浮上する。確かに毎朝ジョギングの代わりに自転車で一回りすることもあるのだがジョギングと自転車ではまただいぶ見える範囲もモノも違うものである。

集合知はどこまで可能か?

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by 卓 坂牛

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西垣通『集合知とは何か』中公新書2013を読む。ネット時代の知の行方というわけで東さんがいうようにウエッブ上の総意が適正な判断を生み出すのだではという期待があるのだが、それは単に総意というものであって適当なのかはよくわからなかった。
しかし定量的な問題に関しては例えばある人間を見てこの人の体重は?というような問いに対して、様々な推量方法をもった多くの人間がこれに答えを出すとそれは限りなく真実に近くなることが数学的に簡単に証明されるのには驚いた。これが集合知ということなのかと目から鱗。さてでは定性的な問題は?

本日で54歳となりました

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by 卓 坂牛

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本日をもちまして私は54歳になりました。ここ1年間毎朝散歩のようなジョギングをしているせいか体の調子はいいのですが、持病の足首の痛みは現れたり、消えたり。目はどんどん悪くなっているような気がします。大学の会議の資料など半分は見えません。まあ膨大な資料が何でも見えると脳みそがいくらあっても足りないので適度に見えない程度でいいかなと思いますが、下手すると新書の字も暗い場所だとおぼろげであります。肉体あっての精神とはよく言います。65までは更に体を鍛えて現状を維持し、65からの楽しい人生を送りたいものです(なにそんな先のことを考えているのかと怒られそうですが、、、、)たまさか本日お会いした昔のクライアントが美味しいケーキを娘からはカラフルな飴をいただきました。ありがとうございます。歳は取りたくありませんが、そんなこといくら言ったってとるのだからもうあきらめて素直に喜ぼうと思います。

虎の門の美術館

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by 卓 坂牛

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午後の打ち合わせ前に六本木にある美術館に立ち寄り篠田桃紅の書を眺める。この美術館は余り知られていないのだが素晴らしい現代陶芸のコレクションがある。都会のど真ん中にひっそりとたたずむ美術館があるのは驚き。しかし最近もっと驚いたのはこの美術館が友人の叔母が所有するものだという事実。とんでもない財力を持った方が身近にいるのが信じ難い。
この美術館にはエントランスホール脇に素敵なレストランが併設されていて、庭に面する開口部が床から天井までガラス。緑が内部を圧倒する。今度ここでコーヒーでも飲んでみよう。

4年の製図の最初はコンペ分析

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by 卓 坂牛

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今年の4年前期の設計製図は先ずヨーロッパのコンペ分析をやることにした。名前を忘れたがヨーロッパのコンペとその入賞案ばかりを掲載した雑誌がある。その雑誌の中から3人一チームの学生に一つのコンペを渡し、その趣旨、入賞案の分析をさせる。もちろん内容は全て英語なので英語のお勉強も兼ねている。
コンペ案は再開発、インフラ提案、公営住宅、美術館、文化センター、高層ビル、住宅までさまざまである。学生たちは先ずは設計趣旨を解読して、敷地を読み取り、次に、提出案に目を移し、なぜこの案が一番なのかを解析する。そこで重要なのは入賞者が主催者の欲しい何に食いついたのか?そしてそれをどのように伝えたのか?
この二点を分析したうえで前期後半ではこれをもとにして自らプロジェクトを立ち上げてもらおうと考えている。

坂本一成、伊東豊雄との出会い

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by 卓 坂牛

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『多木浩二と建築』を読みながら、坂本一成と伊東豊雄という二人の建築家の偉大さに改めて感じ入り、帰宅後本棚の一冊の『都市住宅』に目が留まる。これは高校生だった僕が初めてこの二人の建築家に出会った書物である。建築をやろうと思い始めたころにどこかの本屋で手に入れたこの雑誌を見た僕には二人の作っているものが自分の思い描く建築とは程遠いものと感じたことだけを今でも覚えている。

多木浩二の写真を使った新建築

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by 卓 坂牛

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『多木浩二と建築』長島昭夫2013に収められた石堂さんの文章を読む。ここにはその昔新建築でのとある事件が書かれている。それは新建築が多木浩二の撮った篠原一男の写真を使った話である。
そもそも事件の発端は篠原の未完の家を取材に行った編集部がその作品にピンとこなかったことに端を発する。それまでの「白の家」に代表される伝統の読み替えから大きくスタイルを変えたことに編集部はいささか鈍感だったのだろう。
そこで篠原は二袋の未完の家の写真を持って編集部に登場。一袋は建築写真家の撮った写真。一袋は多木の撮った写真だそうだ。建築写真家の撮った写真は未完の家の新たな空間を鮮明にはできなかったが、多木のそれには一同理解を示した。多木は未完の家の良き理解者であり、読解者であり、解説者であることを理解した編集部は多木の写真を新建築に掲載したのだが、35ミリブレボケ写真を建築専門誌が採用したことに、写真部をはじめ、外部の写真家からもかなりの批判があったとのこと。
今でも写真部以外の写真はめったに使わない新建築。5月号の私の作品では懇願して、私の撮った写真を2枚使ってもらったが、、、