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Jun 2013

これはちょっと驚き!

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by 卓 坂牛

韓国の出版社からメール。企画中の本に「内の家」を掲載したいとのこと。こういう話は最近何でもスタッフや助手任せ。そのうちにどこから何を頼まれたか自分では把握困難になっている。掲載リストをきちんと作るべきだと反省。
最近眠くて12時には寝ているせいか起床も早く5時には目が覚める。その後寝る時もあればそのまま起きている時もある。今日は日曜なので二度寝して7時半に起きた。しばらくラジオ聞いて果物食べてジム行って走る。ヨガやってシャワー浴びて、チャリで話題のアーティストJRを見に行ったらワタリウムの前に長い列。ここで入場制限にあうなんて初めて。なかなか刺激的な展覧会。リオのファベーラで階段に人の顔を描くプロジェクトが一番好き。
表参道を一周したら素敵なお店に遭遇。このファサードスクリーン一見の価値あり。
夕方大学へ。コンペのエスキス模型を見る。作る傍からいろいろ変えなければいけない部分が現れる。残り二週間。
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スカルパを見ながら「汚れ」と「風化」の差を考える

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by 卓 坂牛

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高校の建築関係者OB会を行った。場所は幹事である石橋さんの母校でありやはり幹事である坂牛の仕事場である理科大のOB会館。この会は本来会員の竣工作品を愛でる会なのだが、最近東京近郊で会員の作品がなく今日のテーマは高田典夫さんのスカルパツアー。高田さんはレンゾピアノの事務所にいたのでイタリア通である。優雅な旅のお話は羨ましい限り。これをみながらあることが気になった。それは汚れ。スカルパのコンクリートはきれいなものもあるけれどブリオンベガなんてかなり汚い。でも高田さんに言わせればこの汚さがいい。ではこの汚さの良さとはなにのだろうか?僕の最近のエイジング研究によれば(なんて別に研究しているのではなく単なる最近の観察によれば)汚れが局部的な場合それは汚れになる。しかし見渡す限り汚れていれば汚さは気にならない。その時それを形容する言葉は「汚れ」から「風化」という美しい言葉に代わるのである。例えば今朝撮った四ツ谷の崖写真。コンクリート擁壁は美しく汚れている。この大壁面全体が余すところなく汚れているから「汚れ」から「風化」に変身するのである。

上田宏さんに模型写真の撮り方を教わる

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by 卓 坂牛

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午前中早稲田行って昼から学会で構造をテーマとした学生プロジェクトコンペの審査。今日は斉藤公男先生、新谷先生、金田さん佐藤淳さん名和さん、意匠ではヨコミゾさん工藤さん大西さん福島さんなどなどが集まって2時間議論の末10選んだ。この10案は7月に学会広場で実際に作りさらに最優秀賞を決める予定。去年の最優秀賞は理科大だったようだが、今年はエントリー0。淋しいねえ。
その足で東京駅丸善に行きごそっと本を買って大学へ。1時間ほどコンペのスケッチをして6時にカメラマンの上田さん来校。今日は製図の最初の1時間半を模型撮影講習会とした。バカちょんデジタルでどこまでとれるかデモしてもらった。簡単にできて効果的な技は露出を変えた同じ構図の写真をフォトショで重ねあわせ近目を明るくする。これでかなり奥行き感が作れる。お試しあれ!!
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隣のトトロスペイン語版だと私の隣のトトロになるわけだ

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by 卓 坂牛

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昼大学でランドスケープデザイナーの西田さんとコンペの打ち合わせ。先日メールで打ち合わせをお願いしたら、ブラジルでサッカー見ているという返事。さすが余裕の人。小一時間貴重なアイデアをいろいろもらった。夕方会議の後予定では藤原さん小西さんの大学院製図の中間発表会だったが藤原さんが来られなくなり急きょ延期。これ幸いとコンペスケッチを進める。帰宅すると航空便でトトロDVDが届いていた。隣のトトロスペイン語版である。MI VECINO TOTORO。最近スペイン映画をスペイン語字幕で見ている。どうして彼らはこうも早口なのだろうと驚くばかり。

軒先に樋つけたくなければ、、、、犬走りですね

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by 卓 坂牛

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今日は梅雨らしい強い雨である。昼大学についてアーケードの下を歩いて学食に行こうとしたら、犬走りがあることに気付いた。そして上から雨だれが落ちてくる。これってランドスケープの装飾ではなく本当の犬走りである。そして見上げるとアーケードの軒スラブ先から雨水が垂れている。よく見るとコンクリートスラブの先端に伝統建築の鼻先についているような板がついている。その板で軒の雨水が飛散しないようになっている。伝統建築なら木だがここではリン酸処理した鉄板である。この写真よく見ると軒先にスリットが見えるがそこから雨水が落ちている。
ここに樋つけたくないものね!!

エスキスチェック

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by 卓 坂牛

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4年生の前期自由課題の中間発表会。今日は提出が義務付けられているので履修者全員の作品が貼りだしてある。と言うわけで今までエスキスで見たこともないものも貼りだされている。そう言うものにすごいのがあったりすれば嬉しいのだが、ただ単に進捗が遅いと言う結果を露呈するだけである。今までエスキスを見たものについて言えばその8割は数週間前とほとんど変わらない。そう言うものについては今日はコメントしないことにした。今日初めて見る一部の先生にコメントはお任せである。そりゃそうだ。数週間前に既に言ったことをまた言う気にはなれない。そしてコメントしたくなるものが片手で数えられる程度しかいないと言うことはどういうことなのだろうか?こんな中間発表会などやるだけ無駄と言うことか?おもわず自分のエスキスはじめてしまう(おっとなかなかいいな。明日模型を作ろう)。これは教師の怠慢ではなく生徒怠慢の結果である。

川久保玲⇔坂本一成

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by 卓 坂牛

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南谷恵理子さんの書いた『THE STUDY OF Come des GARCON』リトルモア2004の中で著者は川久保の服の作り方の本質として「身体の零度」をあげている。その意味するところは、創造の現場での「冷酷なまでの着る主体の不在」。言い換えればその服を着ることで「人が知的に見えるとかセクシーに見えると言った同一性獲得願望に」かかわらないということである。この主張を建築に置き換えれば「冷酷なまでの住む主体の不在」ということになる。そしてもしそうした態度を貫いた建築家をあえて挙げるとするならば篠原一男であろう。しかしそうしたアナロジーよりも、衣の世界における着る主体の存在自体に注目してみたい。というのも住の世界では住人と言うものをその住への要望者として照射することはあっても、建築と一体となった同一性を生み出す主体として見ることはまずないからである。しかしもしかすると、そうした住む主体と建築が一つのアマルガムのようなものへ生成する建築と言うものもあるのかもしれないと思う。いや少し前の建築はむしろそれが普通だったのではなかろうか?建築が流通する商品となった時からこうした契機が失われたということなのではなかろうか?
実は坂本一成さんが求めている環境としての建築と言うのは逆に言うとこうした住む主体の復権につながる行為なのではなかろうか?
川久保玲の創作哲学に坂本一成を読むヒントがあるというのも面白い。

国立新美から大学は一本近い!

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by 卓 坂牛

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朝2冊のスタイケンン写真集を眺めていた。ピクトリアリズムからストレートへの変化が見て取れる。時代の流れを感じる。
昼ごろ国立新美術館に行って配偶者の作品を見る。宋の時代の書家米 芾をもとにした字である。隣の部屋の中世の巨大タピスリーの展覧会も見る。タピスリーというものは壁面の装飾品だが、石壁の遮熱、遮湿も目的としていたそうだ。
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乃木坂から金町へ。研究室に八百屋でバナナとオレンジをおやつに買う。今年のオレンジは美味しいな。2時ころついて少しスケッチ。4時ころ石橋さんが合流して学生を含めてゾーニング案の検討。5つくらいある案にはそれぞれ重要なテーマが隠されている。それらは全て足し算できるものとは限らないがポイントをいくつか抑え合体できそうだ。既存の状況を残しながら新たなものをはめ込んでいく作業である。4時間ぐらい検討の末ベースのゾーニングが生まれる。これを1/300で図面化してみる。屋根の形状の作り方を考える。それらをデベロップするように指示して帰宅。
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都心の川はビルのお尻が並んでいる!

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by 卓 坂牛

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理科大東京父兄会が後楽園のプリズムホールで行われ二部工学部代表で行ってきた。理科大はこの手の会を全国のすべての都道府県で行っている。信大でもこういう父兄会があったが、会場は大学でそこに全国から親御さんが来られていた。甥っ子は早稲田に行っていがそういう会は大学で行われていたそうだ。娘も早稲田だが、そんな通知は私には来ない(来ても行かないが)。
こういう会は丁寧な対応として感謝され、大学の競争力をあげる。企業としての大学にとって懸命な方策である。例えば日建設計ではそのOB組織として「日建会」というものがあり、年に一度大パーティーが行われる。相当の出費だが、その結束力を高め企業の繁栄につなげていくわけである。
夕方この回も終わり、後楽園から水道橋駅へ。駅手前には神田川があるのだが真っ暗だ。都心を流れる川の両脇はビルがお尻を向けていることが多い。江戸の土地区画がこうなっていたわけだ。川の両脇が道路だったらまったく違う風景になっていたろうに。

「命と取り換えても作りたいのか」と

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by 卓 坂牛

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早稲田あゆみbooksで買った山本耀司 聞き手 宮智泉『服を作る―モードを超えて』中央公論新社2013の後半で著者は100の質問に答える。
共感する4つのQ&A
54-自分専用のはさみを持っていますか
持っています。これは人に触らせません。
(かっこいいなあ)
76―デザイナーになって損をしたことは?
いっぱいあります・・・ファッションは芸術という表現分野ではマイナーに見られるんだなと。でも僕はそう思っていません。言葉にできないものを形にする最先端の表現だと思っています。だからどんなに知性があってもファッションをバカにしている人は信用できない。(右に同じ)
89―服のことを考えない日はありあすか
ないです。三六五日考えています。(建築のことを考えない日はあり得ない)
96―デザイナーを目指す人に言いたいことは
「命と取り換えても作りたいのか」と
(建築を目指す人も同様,そうじゃなければさっさとやめた方がいい)