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Aug 2013

久しぶりにカント

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by 卓 坂牛

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お盆の一週間は大学もお休みだし(ゼミとかは普通にあるし、事務所も行くけれど)、東京を出ることもなく少しゆったり時間があるので、気になる本を精読しようと思いカントの実践理性批判の新訳(熊野純彦訳作品社2013)を読んでいる。以前ぼろぼろになった岩波文庫を読んだが字が小さいし、旧かな使いですこぶる時間がかかった割には良く分からなかった。新訳は『実践理性批判』とそれに関連の深い『倫理の形而上学の基礎づけ』が左右のページに対照できるように配置されている。これによる理解の深まりはかなり大きい。なんでまた「カント」の「倫理」なの?と思う向きもあるかもしれない。カントはある時『純粋離異性批判』を精読したことがある。一度読んでも良く分からないけれど当たり前だけれど読まないより分かる。まあそんな程度である。でもカントは人間の物の考え方のロジックを見極めた人だけあってカントの書物を読むと頭がとても整理されるのである。カントの考え方にのめりこむと言うのではなく概念を整理する方法を学ぶと言ったらいいのだろうか?そしてなぜ「倫理」かというと早稲田の授業で「倫理性と悪党性」という回があってカントの倫理観のアプリオリ性を話すのだがその点について再考してみたくなったからである。本当か?という疑念もある。毎日4時間くらい読んでいれば一週間で終わるかな?

ロジカル・ノンーヒエラルキー(Logical non-hieralchy)

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by 卓 坂牛

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さて夏休みは「どっぷり勉強しよう」と丸善に行く。ドバっと買った本の一冊に昨日平瀬さんと行った建築グラフィックの4分類の一つに相当するいい事例があった。これはある意図を伝える樹系図である。その意味ではある論理性を持っている。だがそんなものはぱっと見では目えてこない。見えるのはヒエラルキーの無い字の羅列である。この論理性を持ちながらヒエラルキーが無い、「ロジカルノンヒエラルキー」という属性が昨今のビジュアルの傾向のように思える。

夏休み!!勉強しよう!!

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by 卓 坂牛

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佐賀大の平瀬さんと理科大でとある本の企画打ち合わせ。1時から5時までびっちり4時間。結構詰まってきました。面白くなりそう。
6時から北千住で前期坂牛研納会。さあ夏休み勉強しようね!!!さあこれから一週間誰にも邪魔されず勉強勉強!!

一年目検査、汗止まらず

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by 卓 坂牛

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午前中は主任会議で神楽坂。今日は本当に暑い。終わって新宿へ急ぐ。湘南ライナーに飛び乗って野木へ向かう。去年竣工した児童養護施設アリスとテレスの一年目検査。現場では手際よく不具合箇所をとりまとめていただいていたので2時間程度で検査は終わり、大きな問題もなかった。ほっとする。一面の畑か陽炎があがりそうな暑さだが、一昨日行った甲府では40度近いから、栃木はまだいい方かもしれない。

金町でオープンキャンパスそして夏休み

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by 卓 坂牛

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年に一度のオープンキャンパス。今年は金町キャンパスができて初めての開催。僕も学科主任になって最初のOCで学科説明会を2回ほど行った。暑い中多くの高校生が来校してくれたようである。大学も今日から夏休みだが坂牛研は最後の輪読ゼミ。暑かろうが、夏休みだろうが淡々と平凡な毎日を着実にこなすことができるかどうかが4年生やM2に求められていることである。

きし麺トラス

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by 卓 坂牛

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建築作品選集の審査(をしていただくたく)で久しぶりに甲府に来た。久米設計の嵐山さんと実践女子大の高田先生が遠路はるばる来られた。お暑い中ご苦労様である。たまさか甲府駅でお会いしたのでタクシーを少し遠回りして竜王駅の安藤さんの駅舎を見ながら現地へ向かう。竣工後2年半たっているが建物(住宅)はとてもきれいにお使いいただいておりびっくりである。一部犬が壁をひっかいたところがあるくらいで後は新品同様。
帰りはクライアントが駅まで送ってくれた。丹下さんの山梨文化会館の隣に県立図書館が新築されていたので嵐山さんと見学。設計は久米設計で壁面緑化がぶどう棚のイメージとのこと。室内もおおらかな空間でここも天井はぶどう棚のイメージ。板状の鉄をたわませてきし麺のようなトラスを組んでいる。自然光を入れるのこぎり屋根の固さがこのきし麺トラスでほぐれている。最近の図書館は都会の広場のようで人がたくさんいて楽しい場所になっている。静かに読書するスペースが逆にガラスで囲われてsilent roomなんて看板がついているところが面白い。

ヒートブリッジを減らす構造

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by 卓 坂牛

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昼から構造の梅沢さんのオフィスと自邸の見学に出かける。できた時から一度拝見したかったのだがやっとチャンス到来。今回も秩父セメント工場に続いて今本先生の授業の一環で拝見できることになった。オフィスは意匠設計がアーキテクトファイブで自邸は椎名英三さん。空間の作り方にそれぞれの味が出ていて素敵だ。
学生の見学会なので梅沢さんが丁寧な説明をしてくれた。僕は最後に二つ質問をした。一つはなぜ鉄を構造として選んだのか?二つ目は面材の可能性とは何か?
その答えは、どうも面材を選ぶというのが先にある。線(柱や梁)は意匠では不要なものだけれど、面である床や壁というものは意匠の不可欠な要素。だから面で構造を作れば意匠と整合する。というのが梅沢さんの主張。そこで世の中の構造部材を考えてみると比較的コンクリートも木も面として使うことが多く。鉄だけが未だに線として使っている。そこで鉄を面として使うことを考えた。というのが質問へのメインの答え。そしてそれをメンテフリーで200年持つ建築にしようと考えた末にコルテン鋼の殻となったとのこと。明快な説明である。お見事。
まあこういう根源的な受け答えとは別にやはり技術的なことはいろいろ気になる。暑さのことを聞くと二つ目に作った住宅ではヒートブリッジを作らない構造にしたのだとスケッチを描いてくれた。

走って泳ぐフィジカル・アーキテクトを目指す

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by 卓 坂牛

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今朝は昨日届いたSUUNTOの心拍測定ベルトを装着して心拍数120を切らないように走ったら結構しんどかった。そのせいか12時からの翻訳勉強会が眠くて参った。英語読みながらふと意識があっちへ飛んでいた。5時に終えてジムで500メートル泳ぐ。水泳グッズはその昔亡き母が「たまには運動したら」と送ってくれたものであることを思い出し懐かしい。
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帰宅後楠見清『ロックの美術館』シンコーミュージックエンターティメント2013を読む。昨今CDの発売は「フィジカル・リリース」と呼ばれるそうである。もちろんネット配信を「デジタル・リリース」と呼ぶのに対応した言い方である。本来digitalの反対語はanalogだろうけれどアナログ盤(レコード)もCDもモノがあるからphysicalと呼ぶわけだ。
そう言えば建築家もデジタル・アーキテクトという呼び方がある。の対義語としてはアナログ・アーキテクトもありだがはフィジカル・アーキテクトも意味が出る。つまりコンピューター上で作るデジタル派に対して実際にモノ作る人たちをフィジカル派と分類するわけだ。いやもちろん言葉の本来の意味からすれば肉体派建築家もフィジカル派だ。僕はそっちの意味で走って泳ぐフィジカル・アーキテクトを目指そうかな?
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ワイン入れ

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by 卓 坂牛

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昨日に続き大学院入試。夕方神楽に移動して某設計事務所のワークショップエスキスチェク。この事務所には信大の教え子や理科大の卒業生たちが数名おりそんなわけでこのワークショプを引き受けた。さすがに学生よりきちんとしているがまだ若い。
帰宅すると大きな段ボールが届いていた。ワインセラーである。先日家にあった商品券でワインを10本くらい買ったのだがそのワインの置き場に困ってしまった。しばらく僕の部屋のファンコイルのわきに置いていた。ここにはいつも冷水が流れているので輻射冷房効果があるから。しかしずーっと置いておくのも邪魔で。買う気もなくネットでワインセラーと検索したら。12本入るものが1万円で売っていた。大きさもまあまあ。これなら機械室(というものがこの古いマンションにはあるのだが)の一画にちょうどはまる。というわけで注文。

オネエがモテる理由その2

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by 卓 坂牛

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今日も明日も大学院の入試で採点したり、待機したり、取りまとめたり。待機中に柏木恵子さんの『おとなが育つ条件―発達心理学から考える』岩波新書2013を読んでいて昨晩読んでいた「オネエがモテる理由」を裏付けるようなグラフを発見。それは自己の性格分析グラフである。それによると男も女も自分は「アンドロジニー(両性具有的)」型とする分析結果が多い。そして高齢期になるとますます社会が脱ジェンダー化を期待し、そしてその結果自らもそれを望むと著者は言う。つまりオネエは現代社会の期待とそうありたい自分が交差する地点なのであろう。