小諸コンパクトシティ構想の先鞭をつける商工会議所会館竣工
信大時代に小諸市の街づくりの検討をしてその中核施設としての商工会議所会館の基本設計を行った。実施設計は商工会議所に所属している甘利設計事務所が行い、今日竣工式を迎えた。基本設計とは構造や材料がだいぶ変わってしまったけれど、坪80万を切る工事費でここまで作っていただいたので感謝している。
午前中は朝から神事を行い、昼前に神事とは別に竣工式が行われ感謝状をいただいた。午後は小諸商工会議所100周年記念式典が行われ、夕方からその懇親会。地元選出の国会議員が5名、市長、知事代理、などなどなんと250名参列の大パーティーが行われた。
「すごいですね」と臨席の市議会議長に言うと、「こうやって皆で元気をだすのですよ」と言っていた。なるほどお祭りみたいなものなのか?
もと国交大臣も務めたという参議院議員の話では、現在国交省には地方都市リノベーションという補助事業があり、地方都市のコンパクトシティ化に補助がでるとのこと。これはある一定のゾーンの中に交通、行政、文化、経済の施設を集約する計画が対象とのこと。小諸では駅の近くに、病院、市役所、図書館、コミュニティ施設、公園、そしてこの郵便局をテナントに持つ商工会議所会館がその補助対象に選択された。全国で最初の採択だそうだ。さてこの計画が今後コンパクトシティとしてどこまで実効性を持つのか見守りたい。
平野敬一郎の分人論
夕方久しぶりにあさまに乗って小諸へ向かう。車中読みかけの鈴木弘輝『つながりを探る社会学』NTT出版2013を読む。人のつながりを生むコミュニケーションとは何か。そしてそのコミュニケーションによって喜びを生むとはどういうことかを探求している。その中で紹介されている平野敬一郎の「分人論」という概念が面白い。これは「個人」という概念に対立させたもので、個人とは個の一貫したアイデンティティを保つものであるのに対し、分人とはアイデンティティの一貫性を意識することなく、状況に応じて発露する自分を否定しないと言う立場である。著者はそうしたあり方がコミュニーケーションを豊かにすると指摘。分人論はいい加減と批判されそうな考えにも見えるが僕はアイデンティティと言うものをあまり信じていないので賛同する。夜小諸で商工会議所の方とお会いして夕食。
稲葉なおとに素敵な宿を教えてもらった
●楽楽荘和風スィート山桜(ゆすら)のプランhttp://rakurakuso.com/stay/yusura/
年明けに外国の建築家を連れて修学院と桂を訪れる。せっかく地球の裏側の客をつれていくのだから京都らしい宿に連れて行きたい。そう思っていろいろ調べても馬鹿高い宿か、普通のホテルしか見つからない。リーゾナブルプライスで、建築が素晴らしく、ホスピタリティの高い宿など無いのだろうか?
そこで閃いた。稲葉なおとに聞いてみよう。昨日そんなメールを打ったら早速、今朝「こんなのはどう?」と二つ候補を送ってきてくれた。
一つは京都亀岡の楽楽荘と円山公園の中にある吉水。どちらも探していた宿にぴったり。少々高いが楽楽荘は田中源太郎翁旧邸に小川植治の庭。そのうえ部屋が広い100㎡である。それでルームチャージ21000円。一人あたり1万500円である。そこで電話をしてみた。すると空いていますよとの返事。4室全部予約。さすが稲葉ありがとう。
大学院の後期製図
理科大大学院の製図は前期は藤原徹平さんと構造の小西さんのコンビで構造オリエンテッドな設計にチャレンジ。後期は亀井忠夫さんと環境の山下開さんのコンビで環境オリエンテッドな設計を学ぶ。亀井さんのエスキスは遠回りせず的確なコメントで合理的に学生を導く。さすが組織の長である。藤原さんの課題は家具のような建築でありとても小さなスケール。亀井さんの課題は数万㎡という大きな課題。昨日のアンリアレイジのファッションテーマが小さなものと大きなものだったが、建築では普通に起こる重要な問題である。小さなものと大きなものは実際の設計ではテクニカルに全く違う様相を呈するのだが、そこには当然建築としての一貫性がある。前後期を通じてその共通点を確信するのは難しいかもしれないがなんとなく肌で感じてもらえればうれしい。
大きいと小さいを分ける境界線はどこにあるか?
昨年作られたコムデギャルソンの本の巻頭の座談会でご一緒した森永さんのブランドアンリアレイジのファッションショーの案内をいただいた。場所はラフォーレ飯倉。テーマは「大きさと小ささ。大きいと小さいを分ける境界線はどこにあるか。」森永さんらしいコンセプチャルなテーマである。
驚いたのはショーの途中で登場した大中小のモデルの乗ったステージが空中に浮き、ひときわ人目を引いたところで、モデルの着ている服の裾が上昇したのである。つまりロングスカートがミニスカートに変態したのである。これも森永さんらしいと言えば森永さんらしい。大きいものが小さくなった。
都市の巨大ボイド
桂離宮と修学院離宮の拝観申込みに宮内庁と言うところへ初めてでかける。皇居の周りはしょっちゅう自転車で回るのだが、自転車と車は深く内側へはいりこめない。進入禁止になっている。二重橋からぶらぶら歩いて坂下門に向かう。この坂下門から丸の内を振り返って見るとなかなか壮大な眺めが展開する。超高層ビルにやんわりと囲まれたこの皇居回りの広場の広大さは世界でも類を見ない。上海の美術館のあるあたりはこんな風だけれどそれよりも規模が大きい。
宮内庁のあたりは静寂で空気がいい。リスでも出てきそうな風情である。拝観申し込み室にいくと外国の方が数名いた。彼らはたとえ前日でも、明日桂を見たいと言って定員が空いていれば簡単に見られるらしい。日本人だけだとそうもいかないようだが。
ブラジルの二の舞にならないように
日曜日はクライアントと打ち合わせ。消費税増税が決まり、オリンピック誘致が確定したことで工事費の上昇は逃れられない。さまざまな情報をかき集めてクライアントに話す。工事費が来年夏(着工時)には3割くらいは増加しそうですよと。相手も困った顔だがまあ仕方ないという風である。
それにしても、工事費がそうなのであれば他の物価の上昇も心配である。ラテンアメリカでは政府の発表で年1割~2割程度のインフレなのだが僕が一年ぶりに行って感じた物価上昇は倍である。去年1足300ペソだった全く同じ靴が今年は620ペソだった。そしてブラジルも同様な超インフレに彼らは迷惑している。どこへ行ってもデモの嵐。そのおかげで僕らはブラジリアのコングレッソに入れなかった。彼らにとってワールドカップもオリンピックもお荷物以外の何物でもない。日本はどうだろうか?政府が良かれと思ってやっていることは我々のためになるのだろうか?ブラジルの二の舞にならないことを祈っている。
後期のスタートゼミにへとへと
後期最初のゼミ。4年M2にとっては卒業、修了へ向けた最後のフェーズのスタートでもある。15人くらい相手に一人20分で300分。3時から8時半くらいまでぶっ通し。医者さながらの連続対応にへとへと。お医者さんってえらいよなあと思わずため息。
やって来る患者の病気はさまざま。夏風邪程度はまだいい。見極めるのも楽なら治療もさしてすることはない。しかし重傷者には頭が痛い「どうしてここまで放っておいたんだ」と怒る医者の気持ちがよくわかる。そんな患者は病巣がすぐ見つかれば即刻手術。それはそれでやるべきことが分かっているのでなんとかなる。難儀なのは病巣が見つからない場合。いずれにしても最後は自己治癒力に期待するしかない。医者と違って僕らは学生に処方できる薬がないのだから、、、、、まだ続く時差ボケと格闘しながらこっちも必死。今ここで病巣を取り損ねれば最後に悲しむのは学生もこちらも同じだから。
人のアイデンティティ、建築のアイデンティティ
浅野智彦『「若者」とは誰か―アイデンティティの30年』河出ブックス2013を読む。昔は結婚、就職、人生観が自己のアイデンティティを作っていたものが消費社会になり何を買い何を食べるかがその人を示すようになり90年代ポスト消費社会ではその人が他人とどのようにコミュニケーションをとるかがその人を決定するようになる。そしていずれもその人をその人たらしめるものはもはや単一ではなく多元化しているというのが著者の考えである。僕も概ねそう思う。そしてこのことは人だけではない、およそ人が作る表現するすべてのものが多元化している。建築も例外ではないし、僕が言うフレームとしての建築なんていうものはその典型である。建築のアイデンティティよりもその他のアイデンティティを重視しているのだから。ただそこにはフレームとしての建築は実態として不変にあり、これがこの建築のメタレベルのアイデンティティとなっている。同様に人間も時と場合で様々な人格がでてくるかもしれないが、そうした人格を収めている器というものがあり、これがこの人のメタレベルのアイデンティティを形成しているのだと思う。