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Oct 2013

朝のジョギングが夜中にずれ込む

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by 卓 坂牛

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長い出張から帰るとたまった仕事を前に呆然とするし、即決すべき事案を前に合意をとる人がつかまらなくてイライラしたりでとにかく初日はしんどい、それでもいろんな人と連絡取ったり話したり、メールしたりしてこんがらがった糸をほぐす。もちろんそれでも不確定要素がごろごろあって気分が悪い。帰国後二日目になるとメールしていた相手から返信が来たり、さらに多くの情報が入ってきて少し安心したり、困ったり、そして授業もありしばらく見ていなかった学生とも会話しやっと浦島太郎状態からこの世に戻ってきた気分となり少し安堵する。まだ時差との戦いは当分続く。朝のジョギングも朝なのか夜なのか??

東京でタンゴ?

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by 卓 坂牛

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日本に戻り次の日にどうしてこういう重い会議がごろごろしているのか?いやになってしまうが仕方ない。会議が私を待ってくれていたと思えばありがたいことである。それにしても解けない問題が山積みで妥協案を考えねばならぬということばかり。ああ疲れる。
帰宅途中四ツ谷駅の傍にはアルゼンチンタンゴの店がある。思わずそそられるが眠いのでスルーして家へ。

模型生還!

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by 卓 坂牛

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無事成田に4つの模型を持ち帰った。20分の1の躯体模型である。スタイロを切ってジェッソを塗っては紙やすりで磨くという工程を数回繰り返して作った模型。研究室で二つ、事務所で二つ作った。持っていくのにいろいろと調べた挙句チェックイン荷物で超過料金を払うのが一番安上がりと分かり一つにつき100ドル払って持って行った。良く分からないのだが帰りはルールが異なりしかもペソで払うと言うこともあって400ドルより高い。しかし展示中の模型を特別に搬出させてもらい、トラックをチャーターして展示会場から空港へ、ブエノアイレスの空港では値段の決まっていないポーターを頼み最後に支払いで文句を言われ(有り金全部挙げたけれど、、、、)、そして二回の乗り継があったけれど無事成田に到着した。税関で一つくらい開けさせられるかと思いきや、そんなこともなく。宅急便へ。日本まで来ればもう安心。フー。

ゲーリーのそばに見たことある建物発見

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by 卓 坂牛

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南米からの帰路トロントでのトランジット6時間を利用してリベスキンドとゲーリーを見に町に出た。ゲーリのそばに見たことある建物発見。トロントアートカレッジの増築である。好き嫌いは別にして、これも現場に来ると設計者の気持ちが理解できる。

世界で建築の話をすること

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by 卓 坂牛

アルゼンチン、ブラジル行脚を終えて帰路についた。去年の春から日本の外で建築の話をすることが急に増えた。世界の5つの国、6都市、8大学、1企業、3つの会議場で計13回建築の話をした。話したことは自分の建築のこと、建築のアイデンティティのこと、歴史とデザインのこと、建築の構築性のことなどである。
昨年までは自分のことを英語で話すことで精一杯だった。相手が理解しているかどうかなど考えている余裕はなかった。が、今年の春くらいからなんとなくこの話は分かってもらえている、これは難しいという感触を話しながら分かるようになってきた。そして国によって理解してもらえる内容が違うことも分かってきた。そんなことは文化が違うのだからあたりまえなのだろうが、実際に想像するのと、肌で感じるのは大違いである。一生懸命作ったストーリーがスルーされることくらい淋しいことは無い。
今回は、ビエンナーレの国際招待講演と4つの大学でそれぞれ1回計5回話をした。招待講演は残念ながら緊張してひたすらしゃべって終わったが、それ以外の大学ではこちらから質問をして手を挙げさせ、終わった後の質問も欠かさず、ジョークもあり、笑いもおき、サンデル教授とは言わないが、今までよりかはお互いの理解が深まるレクチャーになったような気がする。次はスペイン語をもっとはさみながら(全部は到底無理だから)レクチャーできるようになれたらと思うのだが、、、、、何時になることやら???

Chiao Buenos Aires

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by 卓 坂牛

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ブエノスアイレス最終日は今年最初の春のウィークエンドの快晴だそうだ。ブラジルでは連日の雨に気分が落ち込んだが、天は最後に味方してくれた。
そして今日はロベルトの家でアサド(肉を焼いて食べる)。ビスマン夫妻とニコ(息子)がやってきて日曜日を楽しんだ。
明日の模型の梱包、そして3か月後に行う日本での展覧会やシンポジウムの打ち合わせなどを最後にしていたら未決事項がいろいろあり気持ちを新たにさせられた。とある大学の名誉客員教授という話ももらいまた一つ繋がりが深くなりそうである。
夜はRicard Kinaさんとお別れの食事。Kinaさんにも毎度お世話になっています。
Gracias Chao!!!!

ブラジルで中国の空気を感じた

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by 卓 坂牛

1週間のブラジル行脚は4都市を性急に回るものだった。ブラジルは勢いがあって、煩くて、人々はいつも走り、エリートはプライドが高く、しかし若い学徒は冷静に国を批判し、物価は恐ろしく高く、街はいたるところが工事中で、大都市にはホームレスが溢れ、それで来年はワールドカップ、再来年はオリンピックを行い、それが国を豊かにするとはだれも考えず、天才的建築家がいたけれども、民度はさほど高いわけではない、らしい。僕の知る限り今のブラジルの空気は中国のそれにかなり近い。近代建築の伝統ははるかにブラジルのそれの方がうえではあるが。別れ際にウゴ教授が言っていたが、今ラテンアメリカで元気なのはチリ、ブラジル、メキシコだと。それは建築のこと?と聞いたら、うーん建築かもしれないし経済のことかもしれない?と言っていた。
夕刻の飛行機でブエノスアイレスに戻る。面白いいものでこの地球の裏側の異国でも一度外に出て戻ってくると故郷に戻ってきたような安心感がある。ブラジルに行ったおかげでアルゼンチンが相対化された。次はチリかメキシコか?ラテンアメリカへの興味は尽きない。

シザの大屋根はこの大屋根へのオマージュだった

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by 卓 坂牛

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イビラプエラ公園にニーマイヤーを見に来る。もうそろそろニーマイヤーはいいやと思っていたが、塚本さんがイビラプエらを勧めてくれたのでやってきた。この公園は全部ニーマイヤーが設計している。○△□全部ある。それらはもういいと思ったが巨大なフリーシェープの屋根がかかっていてその下でスケボーやローラースケートが行われていた。自由なアクティビティを受け入れるこの巨大屋根は今の日本っぽい。50年前にこんなのあったというわけだ。この巨大屋根はブラジルの強烈な夏の太陽の下では有効なはずである。そいうえばシザの巨大屋根を思い出す。ということをウゴ教授に言うと、あれはシザのニーマイヤーへのオマージュなのだと言っていた。ポルトガルの建築家はニーマイヤーの影響を大きく受けているとのこと。

パウロ・メンデス・ダ・ローチャの建築を三つ見た 感動した

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by 卓 坂牛

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サンパウロ大学のレクチャーの後院生の車に乗せてもらいピューリッツカー賞建築家パウロ・メンデス・ダ・ローチャの建築を三つ見た。コンクリートのロングスパンは彼に限ったことでは無く、ニーマイヤー、リナボバルディ皆やることだが、彼の緊張感のあるスケールに心動く。ブラジルでいいものを見た気がする。

アルチガスの建築学科棟でレクチャー

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by 卓 坂牛

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朝一で地下鉄4番線の終点ブタンタに行く。サンパウロ大学の院生が我々をピックアップしてくれて大学へ。ついにお目にかかる伝説のアルチガス設計の建築学科棟。ブラジルコンクリート建築の神髄の一つである。が、しかし、なんとコンクリート表面が剥落して鉄筋がいたるところで露出。かぶりを減らして薄く軽く見せたのが初期ブラジル建築の特徴で今では法的にそれは不可能なのだが、まさか壁までかぶりを少なくしていたとは予想外。それにしてもこうなるまで放っておいたのは何故か分からない。これから3年かけて完全に補修すると言うのだが、、、、、ブラジルの最高学府の一つの大学がなぜ?????
ともかく、この建物でスピーチできるのは光栄である。100分間通訳なしなので充実したレクチャーだった。いくつかの質問を受けた後、日本語が上手な日系ブラジル人が来て僕の事務所でインターンシップをしたいとのこといつでもどうぞとお答えする。