○篠原展実行委員長坂本先生と美術館長
5時起きてぶらぶら人民広場の周りをジョギングして朝食を食べてから19世紀末に建てられた火力発電所をリノベーションした現代美術館へ。篠原一男展最終日。館長さんの出迎えを受けてびっくり。館長は30代後半と言う若さ。この美術館は延床4万㎡スタッフ40人で年間10の展覧会を行っている。篠原展は60日間一日平均2000人の来場者だったそうだ。新聞、ファッション誌でも話題となり多くの人が来ていると言う。日本でこんな入る建築の展覧会は無い。今日も朝から家族連れカップル学生などなど多くの人が訪れている。日本でできないことがここ中国では平然と実現していることに驚く。今に中国の芸術文化のレベルは日本を追い越していくかもしれない。
午後同濟大学出版会の方と篠原先生の本の翻訳の話を進める。その後日建のロさんと会ってから彼の作品を見学して夕食。
明日の朝が早いので今日も頑張って5時起き。ストレッチしてから人民公園を一周。台湾も中国も朝からたくさんの人が歩いたり、体操したり、バドミントンしたりしている。僕らの宿は東洋で最初の高層ビルと言われるパークホテル。23階建て。アールデコ調のセットバックしたデザイン。この手のセットバックアールデコは世界中で見られる。この手のデザインの発祥はニューヨークでその理由の一つにゾーニング法が挙げられるのだが、同じ法律が世界中にあるとも思えない。デザインだけが自立して世界に広まったということだろうか?
それにしても今回の中国ではFB、Twitter、googleどれもつながらない。なのでg-mailを使っている僕はメールを受け取れないし見られない。トホホ。不義理があったらごめんなさい。
スタッフに勧められて山崎ナオコーラ『ニキの屈辱』を読む。上海へ向かう機中親子関係を描く「ラストミッション」という映画を見ながらこの小説を読んでいたら丁度上海に着くころ読み終わった。20代の女性写真家ニキのアシスタントがこの写真家と恋に陥るが、いつしかアシスタントが写真家として自立し違う女性写真家と恋におちいりニキをふるという話。クリエィティブな仕事で自立したい若者にとっては仕事と恋が率直に語られていて我がこととして切実に感じられるのだろう。自分の子供の世代(ということは自分の学生たち)のこととして(つまり親として)感じ入るものがある。
9時半の飛行機で上海へ。岩岡先生、奥山先生、村田先生と私。上海パークホテルで石堂さんたちお会いする。バンドのチッパーフィールドのリノベした美術館を見てから同濟大学へ。卒業設計プロジェクトを少し見せていただいてから元学科長の王先生たちにお会いして理科大の説明などをする。坂本先生たちも合流して夜は皆で会食。会食には同濟大学出版局の社長でもあるシー先生も加わる。シー先生の娘さんは理科大で建築を学んでおり、私の研究室に来たいとのお話を聞く。10時ころホテルに戻りカフェで坂本先生たちと少しお話。
10時に国立新美術館で配偶者の書を見る。ついでに地下のミュージアムショップで中国へのお土産を探す。絞りの小さなバッグが銀パックにラップされて1800円。5つほど購入。一体中国で何人の先生にお会いするのかよく分からないが5つあれば間に合うだろう。事務所に一度戻ってから1時半に神楽坂でコンペの打ち合わせ。3時から輪読ゼミ。今日は『動物化するポストモダン』4時半から1時間設計。6時から製図。うーん今日は長い。
先日理科大理工OBで附属の先輩でもある鈴木さんと会った時に理科大闘争の話を聞いた。そして宮内康さんの『風景を撃て―大学一九七〇-七五』相模書房1976がその理科大闘争を記したものだと教えていただいた。この本はその特徴的な題名とかっこいい装丁でその昔から気になっていた本だが中身がそういうものだとは全く知らなかった。加えて宮内康さんが理科大理工の講師だとは意外なことであった。早速古本サイトで購入して読んでみた。そもそも反体制の血がある私はこういう本を読むと血沸き肉踊ってしまうのだが、しかし時代はだいぶ変わっている。そういう時代の差を冷静に見つめ直して考えてみたが、やはり理科大の歴史の一こまを活写した文章として感動的な書である。そして実に大学教育に対する真摯な態度に背筋をただされる。加えて理科大の歴史を知るには必須の書であると感じた。
午前中事務所で雑用。午後来季の学科予算書を作って事務と相談。なんとか完成。来週の教室会議に間にあった。ホッ。夕方から研究室でコンペの初回打ち合わせ。要項を読みながら動線やゾーニングを描いていたら色が足りなくなってそれも描き重ねていたら不思議な抽象画となった。コンペに限らずだけれど一人でエスキスしていても色を変えて違う階を同じ平面上に描くのでこういう絵になってしまう。4時間やっていたら少しは条件が分かってきた。敷地に僕を含めて3人が行ったことあるというのは結構驚き。
午前中事務所で某プロジェクトの面積縮小のための寸法変更の打ち合わせ。このプロジェクトは施工者を紹介されていて基本設計が終わったところで図面を見てもらった。当初予想の坪単価では困難と言われ、しからば面積絞るかと言う展開となったわけである。ただ縮めるなら簡単なのだが一応910モデュールで(歩留りよくするために)小さくするとなると少々面倒くさい。
昼から神楽坂で主任会議。会議後大学院を外部受験する関西の学生と会いポートフォリオの説明を受ける。未だ完成していないので試験までにもっとブラッシュアップするように指示。6時からプレディプロマの中間発表。30人の作品が部屋3辺に貼られる。計画歴史系の助教、准教授、教授計10人全員集合でなかなか充実した講評が行われた。プレディプロマのしかも中間発表なので今のところリサーチのヴィジュアルプレゼンである。リサーチのきっかけとして今年はプログラム、コンテクスト、エンジニアリングのどれかに着目して漸次必要なアイテムを付加するように指導した。今年は30のプレゼンそれぞれ見どころがある。後半に向けていい作品を期待したい。
●アルフレッド・スティーグリッツ「驟雨」
修論ゼミでピクチャレスクをテーマとする学生がいる。僕にとってこの言葉は学生時代に『建築の世紀末』を読んで以来うまく理解できない難物であり未だにその芯を掴めない。先日読んだ『アメリカンリアリズムの系譜』では写真的絵画と絵画的写真の話が出てきてその嚆矢として写真の分野ではアルフレッド・スティーグリッツが挙げられ彼のピクトリアリズム写真がピクチャレスクと評される。ここでのピクチャレスクの意味は「既に慣れ親しんだものではあるが構図が正しく、詩的で、変わらぬ価値が表現されている」ものと説明される。この説明自体すでに18世紀19世紀ピクチャレスク概念とはずれていて分かりづらい。ただピクチャレスク理論家のウィリアム・ギルピンが称揚する風景とスティーグリッツが切り取る風景には共通点があると言う。それは双方とも「既にあるなんらかのイメージに呼び寄せられて切り取られたもの」。つまり先行するなんらかの「オリジナル」の「コピー」としての表現だと言うのである。それは単なる自然ではなく単なる都市の一コマではなく。周到に計画され計算された構図であり、光であり、ものの組み合わせでありそして何よりも、それが呼び起こすであろう感情が予測できるようなイコンであるというのである。この説明は確かにピクチャレスクと言われるものに共通してある性格の様に感じる。
エリザベス・L・クライン(L. Cline E)鈴木素子訳『ファストファッション――クローゼットの中の憂鬱』春秋社2015を読む。タイトル通りH&M Forever21 Zaraその他大量生産格安販売のファッションを徹底取材。その結果著者が辿り着いたファストファッションの真実とは
① 人々に必要以上の服を欲しがらせるために数週間ごとに新しい記号を並べて欲望を喚起する。
② そうやって生まれた欲望の経済力に見合う値段をつけるために一つの製品を数万単位で生産する。
③ 同様に値段を下げるために東南アジアの労働力を最低価格で酷使する。
④ そうやって消費された衣類は消費者のニーズを超えて溜まり最後には捨てられる。
こうし反省から生まれるこれからのファッションとは自ら創るか廃棄された服をリメイクして着ると言うものである。なるほどそれはその通りだと思う。この恐るべき無駄遣いのメカニズムは少々変えないといけない。衣も住も同じ。