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by 卓 坂牛
3年ぶりに海外での学生を連れたワークショップを行った。今回は午前中建築を見て、午後人と会い、レクチャーをして夜エスキスチェックという学生も教員もへとへとになるタイムテーブルだった。さすがロベルトだんだん日本人みたいになっているのかな。後半のチリはストライキで足止めを食い、レクチャーはキャンセル。行ったら地震があって日本のみなさんにご心配をかけ(サンチアゴは幸いたいしたことはなく)独立記念日で色々な建物がお休み。タイトスケジュールと事件で同じ日数行っているのだが、バルセロナに比べて疲れた。
スペイン、ラテンアメリカを連続的に行くとよくわかるが、やはりスペインの方がブエノスアイレスより建築や文化の厚みがある。ブエノスアイレスの方がサンチアゴより深みがある。深みがある分しがらみも多いということかもしれないが。
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by 卓 坂牛
日本を留守にしている間に安保法案が可決された。これは様々な思惑の絡み合いのなかで生まれたのだろうが、アメリカの防衛戦略の餌食にされたと僕には見える。まるでラテンアメリカでおこったキューバ包囲網と同じである。戦後ラテンアメリカではキューバ包囲網をしくためにアメリカの諜報活動と支援がほぼすべての国に軍事政権を作り、反対勢力を強制収容所に放り込んだ。その結果おそらく相当の人が拷問、虐待そして何処かへ葬られた。そんな恐るべきことを仕組んだアメリカは憎い。
サンチアゴからヒューストンまで来た。ここまでくると言葉の問題もあるが少しリラックスする。それはかって知ったる場所だということもあるが僕がアメリカと親和性を持っているからだと思う。アメリカの国民性が嫌いではない。憎いアメリカと好きなアメリカが同居している。この感覚はなんだろう?
当たり前なのだがここでいう憎いアメリカはアメリカ政府あるいはその中でも一握りの政治ゲームの判断をしている人々のことである。言えばビッグアメリカファミリーの一握りのお父さんお母さんたちなのである。彼らの子供あるにその罪の原因はない。彼らはその罪を忘れていいわけではないが、その罪を責められる立場にはないだろう。つまり僕の同居している感情とは子は好きだが親は憎いということである。
今の日本でも同じようなことが起こっている。一握りの政治家の判断が民主主義というシステムをくぐり抜けことを前に進めている。子の心親知らずである。
帰国の飛行機で見たビリギャルという映画はビリっかすのギャルが頑張って慶応大学に入学するという実話をもとにしたものだった。そのなかで父親はそんな娘の努力を気にもかけず、相手にもせず、鼻から無理と決め込み子の心をへし折っていた。子の心親知らずである。しかし最終的に父親は自らの非を認め。この気持ちを分かち合った。家族で起こることが拡大して国家規模でも同じことが起こっている日米の親たちが映画のように子の心を分かち合うことを切に望む。
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by 卓 坂牛
本当なら昨日学生とディエゴと見るはずだった建築を見に出かける。スミルハンの民族美術館はディテール、空間、展示が完璧なまでに作り込まれていた。昨今見た美術館でここまでの完成度は数少ない。展示も素晴らしい。世界の5大文明は嘘で実はここに6番目の紀元前の文明があったと昨今は常識化したけれどその本物を見られたのは嬉しい。昨日はスミルハンのレストランでディナー今日はスミルハンの美術館でランチ。
午後はカトリカ大学の建築学部に行こうと思ったが上手く入れず、諦めて少し離れたキャンパスにあるアラベナの二つの建築を見学。とても大胆なデザインである。
スミルハンとアラベナを比べると、前者の大胆さ、後者の繊細さが際立つ。夕刻国立美術館に行ったが閉まっていたのでぶらぶらしていると公園で民族的なダンスをするグループがあり、しばし見惚れる。
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by 卓 坂牛
昨日サンチアゴ空港のストライキで1日ブエノスアイレスで足止めを食った。1時半のフライトが3時となり4時となりサンチアゴに着いたのは7時。ここは空港で円の両替ができるのでびっくり。しかし日本の1万円札には英語表示がなく、これはYENなのかとなん聞かれ、なんともドメスティックな紙幣だと改めて思う。
ホテルに行くのは諦めて、学生たちとディエゴが待つスミルハン・ラディック設計のレストランMESTIZOに向かう。あらあらとても高級そうなレストランでこんなところで学生たちがご飯食べて払えるのだろうかと心配したがまあ居酒屋程度の値段で最終的はほっとした。
本当は今日ディエゴの案内でたくさんの建築を見るはずだったしカトリカ大学でレクチャーをし彼のビデオインタビューを受けるはずだったのができなかった。少なくとも夕食ぐらいは彼といろいろ話をしようと思っていたのだが地震が来て、奥さん思いの彼は妊娠中の彼女のためにすぐに帰宅。なんと彼とは乾杯するだけで終わってしまった。1かヶ月以上前から、今日の予定を練っていたのが、二つのアクシデントで飛んでしまった。まあセラビということか。
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by 卓 坂牛
さあチリと意気込んでエセイサ空港に来て出発便の掲示板を見るとキャンセルの文字がならんでいて、なんだか嫌な予感がしたら案の定、サンチアゴへ飛ぶ便はすべてキャンセル。理由は空港ストライキ。ディエゴにメールをすると、バスもあるよということで夜行バスの予定を調べたが満席。メンドーサまで飛行機で行きそこからバスという経路も調べたがそれも満席。
もう可能性は0。しょうがないブエノスアイレスに戻る。佐河君が見られなかったスルソラールの美術館を見る。僕は数回目だが、何度見てもなかなか啓発される。その後アルゼンチン建築家協会の本屋に寄る。ラテンアメリカの建築雑誌は日本に入ってきてないものが数種類あるがこれがなかなかいい。スペインとはまた少し違う土着性がある。ホテルは今回時間がなくて行けなかったサンテルもにとり夜ぶらぶらして昔を懐かしむ。
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by 卓 坂牛
バリロチェからブエノスアイレスに戻り、宿で一人メールの返信をしたり、明日からのチリの見学ルートを確認したり、チリでアテンドしてくれるディエゴとメールのやり取りをする。出かけようと思ったが、そんなことをしているうちに夜。ロベルト、フロレンシア、フェデリコとブエノスアイレス最後の夕食をとり別れを告げる。来年のワークショップは、エクアドル、バルセロナ、ウィーン、ブエノスアイレス、東京。さてどこまでできるだろうか?予定があるのはいいけれどどんどん増えてしまってパンク寸前。
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by 卓 坂牛
Navel Huapi 湖の周りを周遊するアンティークボートで2つの島を歩く。静かな湾に突き出た小さなピアの先端で水の音と風の音と鳥の声に耳を傾けて空を仰ぐ。旅をすると建築しか見なかったが、ロベルトのおかげで初めて自然が素晴らしいと思える経験ができた。
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by 卓 坂牛
ハードな1週刊を終え、ロベルトに連れられバリロチェに来た。こんな場所にかつて来たことがあるだろうか?美しすぎて声が出ない。。
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by 卓 坂牛
国立サンマルチン大学(UNSAM)の建築学部アカデミックセクレタリーとお会いする。この大学は22あるアルゼンチンの国立大学のひとつ。建築学科ができたのはさらに新しく2年前。だからこそみな新しい試みに熱心である。ロベルトは建築学科の教授であり技術部門のディレクターに数年前に就任した。ここのプログラムがすこぶる面白い。サンマルチンは工場とスラムの街。工場の廃材でリアルに貧困地域を改善するのが学生課題。バーチャルなプロジェクトはしない。毎年そうしたテーマのワークショップに諸外国から150人人が集まるそうだ。
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by 卓 坂牛
1週間とはいえ、月曜日はクルチェット邸に行って、火曜日にはUSUMAを見て、水曜日はクリシュナ文化センターに行き数少ない時間しかないワークショップを文化が違い、建築が違い、言葉が違う人たちとワークショプをやることの大変さに日本の学生はフラストレーションを感じている。結構妥協したと思っている。一方アルゼンチンの学生は全くそう思っていない。彼らは心から日本の学生と共同したことを喜んでいる。言いたいこと言ってやりたいことやったと思っている。その上日本人の勤勉さと器用さを学べたことに感謝している。る。この感想の差がすでに日本文化を表しているのだという気もする。多勢に無勢という感もあるが、この差を無くすように努力しないと、それじゃあまるで日本の外交と同じである。一体どうしたらこれを解消できるのだろうか?いつか国外で、あるいは国外の人と仕事をすることが必ずやあるかもしれない君たちの課題である。