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Nov 2015

イスラム文化圏

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by 卓 坂牛

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この5年間くらいスペイン語を話す国との付き合いが深い。その理由は2009年にブエノスアイレスの日本建築展に呼ばれしばらくアルゼンチン建築文化や教育を見せてもらって、一つ考えることがあったからである。それは、「ここには日本では感じられないもう一つの建築文化がある」ということだった。スペイン語を話す人口は中国語について世界第二位の3億2900万人である。
日本はイギリス、アメリカを手本としてここまで来ているが英語を話す人口は3億2800万人。スペイン語よりやや少ない。アメリカ中心主義の昨今の情勢が生み出す矛盾が理由かどうかわからないが、僕にとって今英語圏の外への興味が高い。そして次は世界第4位の語圏であるアラビア語圏と思っていた。そうしたらひょんなことからバングラデシュに来た。もちろんバングラデシュはベンガル語でアラビア語ではない。しかし回教徒の多い国であり、アラビア語文化に密接に関係する。また一つ違う文化圏に足を踏み入れかけていることに喜びを感じる。

再びカーン

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by 卓 坂牛

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今日は戦犯裁判に反対するストライキがあるらしく、街は危険状態にあるようで車もリキシャも信じられないくらい少ない。ただ都心の警戒地区は安全とのことで、国会も海軍副司令官の特別の配慮で案内していただくことができた。撮影は禁止なので写真はないが、初めてじっくりと見たカーンの建築に圧倒された。水の国(洪水の国)を象徴する建物として池の中に作られているし、電気の乏しさを配慮して電気が消えても使える自然光の配慮、メンテも頻繁にはできないだろうということで高級な仕上げはしていない(という説明はあまり科学的ではないが)とのこと。1964年にスタートして74年から使い始め完成は82年。円形の議事堂の中の天井のコンクリートのボールと天井は圧巻だった。ぜひ日本の学生に見て欲しい建築の一つである。
午後JICAを訪ねご挨拶。なんとダッカのJICAには50人以上の職員がいるとのこと。日本からの技術協力について日本と同じような発展の仕方をたどると公害や交通渋滞など様々な同じ問題を引き起こす。ぜひ新しい技術援助と発展の仕方を考えて欲しいものだと述べた。
日本大使館に渡邉大使を表敬訪問。理科大の篠塚教授(元バングラデシュ大使)の話をすると2代前の大使だったとのこと。今後ともお世話になる可能性もあるしよろしくお願いしますと挨拶し作品集をお渡しした。

カーンのコンクリートとレンガ

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by 卓 坂牛

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午前中の大臣との面会はキャンセルとなり、午後IT省の次官と面会した。彼は大変積極的に我々の案を聞いてくれて、1月にジョイントミーティングをしようということになった。IT省を出て明日行く予定だった国会を見に行く。パリでのテロ、そして明日は大きなデモがあるということで厳重な警戒で近寄れない。本当は中にも入れるはずだったが残念である。
すべてが人力で作られ、完成までに23年かかった。完成後40年たっているがコンクリートと大理石の目地が美しい。ダッカの喧騒の中にひときわ際立った建築である。よくこの建物を40年前に監理したものだと感慨深い。
ダッカのコンクリートが綺麗な原因の一つは型枠が鉄だからかもしれない。夜は海軍の要人の公邸に招かれディナー。公邸での食事はオーガニックだしスィーツもそんなに甘くない。エリート階層の生活を垣間見た。

どこまでできるかバングラデシュ

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by 卓 坂牛

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これから5つくらい作られるバングラデシュのハイテクパークの一つの敷地を見に行った。ダッカから40キロくらいの場所なのだが渋滞で2時間以上かかった。ダッカの車渋滞による経済損失は莫大である。まさに宇沢が指摘した「車の社会的費用」を考えなければいけない。日本が40年前に失敗したことを繰り返して欲しくない。亜熱帯の緑に覆われ、ラグーンが残り、アンデュレーションのある100ヘクタールを越す敷地。私がランドスケープアーキテクトの西田さんとお話ししているのはここに今までに世界中で作られてきたた平坦で建物がグリッド上に並ぶ工場団地を作るのではなく、自然を可能な限り残し、アンデュレーションに沿って区画割りをしたヘテロジニアスなサステイナブル ハイテクパークを作ろうというものである。
敷地を見た後バングラデシュ政府の郵政情報省(ministry of posts, Telecommunication & Information Technology)に行きHi-Tech Park Authorityの長官に「どうでした敷地はと聞かれて」素晴らしい自然が残りこれらをほとんど残しながら作れば世界で初のエコハイテックパークができますよというととても喜んでいた。実際彼らは敷地の8割の自然を残すと言っていた。我々の考えが間違っていなければそれに沿ってマスタープランを作成したいというとYesの返事であった。
アジアでこれから発展する国は日本、韓国、中国が進んできたことと同じ道を歩み公害を垂れ流し、経済効率だけで前進することを回避してほしい。そのためであれば私は協力を惜しまない。

物々しいダッカ

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by 卓 坂牛

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僕が初めて行った外国の都市はローマだった。とずっと思っていたが、実はダッカだった。当時一番安かったチケットはパキスタン航空で首都ダッカでトランジットだったのである。さてダッカに着くと物々しい警戒でパリのテロの影響だろう入国審査は一向に動かない。我々は海軍の方が迎えに来てくれて少しは楽だったが、それでも30分は待っただろうか。市内も主要なホテルの前には長い銃を持った軍隊らしき人間が1メートルおきに並んでいる。これはもう尋常じゃない。聞くとイスラム原理主義のグループがかなりいて、これを機に何かが起こるのかと心配しているのだそうだ。
早朝もジョギングしようとすると危険なのでホテル前の道路を往復してくれと頼まれた。こんなことは尖閣諸島でもめていたときの南京以来である。ダッカ市内は建設ラッシュでいたるところに工事中のビル。驚くのは全てコンクリート打ち放し。アジア諸国、いやラテンアメリカも骨をRCで作り壁はレンガというのが普通だと思っていたがここは違う。15階建てのこの建物の打ち放し。ポンプ車などないだろうからコンクリートは最上階で練るのだろうか??さすがカーンが国会作った国である。

外部不経済

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by 卓 坂牛

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宇沢弘文『自動車の社会的費用』岩波新書1974をトランジットのバンコクで読んだ。いまだにおそらく車が増え続けてどうにもならない状態にあるであろうダッカに行く前に読もうと思って持ってきた。74年私が15歳中学3年生のころの著作である。
その時宇沢はすでに消えゆく(消えてしまった)路面電車の復活を予言するような発言をしているのに驚く。なぜこれほどまでに自動車が増え続けているのdかといえば、ある経済活動が起こす社会的被害である「外部不経済external dis-economies」という概念が新古典派経済理論では一顧だにされないからだという。つまり車は車が引き起こす外部経済を織り込んだ価格設定が必要だというわけである。それは当然価格の上昇を起こしこれほどまでには増加し得ないことになる。
さてこの外部不経済の概念は車以外にも全ての経済活動に織り込まれなければならないものである。現代的問題でいえば原発が典型的である。原発が安い電力を作れるというのはこの外部不経済を盛り込まないから言えることである。
現在トラムが世界中で復活している。アメリカも20世紀初頭は路面電車が多くの都市を走っていたのである。そして東京もくまなく走っていた路面電車が失われたが復活の兆しがある。宇沢の予想が現実化しそうである。こうした反省を国も少しは考慮したらいかがであろうか。全ての経済活動をGNPで測るという愚行を改め外部不経済を考慮した社会を考えて欲しいものである。

入稿前

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by 卓 坂牛

IMG_7007%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AE.jpg夕方中野デザイン事務所に行って入稿前の原稿の最終チェック。いつも最後のつもりでも赤がなくなることがない。最近ますます自分の書いたものにいくらでも赤が入るようになっている。これってどういうこと?最初の原稿がいい加減なのか原稿を見る目が厳しくなっているのか??
9時に赤入れを終えて原稿をカワジリさん、中野さんに託して、羽田へ向かう。バンコク経由でバングラデシュ、ダッカへ向かう。僕が始めて行った外国はローマだと思っていたけれど実はダッカである。パキスタン空港でローマへ向かった飛行機はダッカ経由でダッカの街を同級生の藤田と数時間歩き回った記憶が蘇る。

谷川さんの家

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by 卓 坂牛

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エンリック、タルディッツ、塩崎夫妻、宮前くんと二台連なり、軽井沢へ、谷川さんの家を見るのが主眼なのだが、せっかく行くのだからと僕の最新作に寄り、みかんぐみの工事中の現場を見て、そしたらたまさかあったアトリエワンの別荘を周り、僕が昔やった別荘の横を通り、千住美術館も見た。
谷川さんの家は数十年前にどういう機会か忘れたが外からだけ見た記憶がある。今回改めて見せてもらった。紅葉が落ちたこの時期に茶色い絨毯の上に矩勾配の屋根が乗っかっている。地面につきそうなほど大きな屋根が落ち葉でだいぶ朽ちて見える。妻側の木の壁はだいぶ赤くなっている。
建築はだいぶ年老いたが、中の空間は生まれたままの姿である。いったいどういうことだろうこの巨大な土間の空間は?どうしてこの空間ができたのだろうか?人の住む場所には見えない。そもそも住むための場所ではないのだろうからこれでいいとも言えるのだろうが、、、、、まさに詩人のための詩的空間といえばそれまでなのだが、、、、

ホタルイカ13周年

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by 卓 坂牛

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武蔵美でワークショップやっているエンリックは今日が最終日。ホタルイカに行って夕食を共にする。半年ぶりに会い彼のバルセロナのコンペの話を聞く。まあいろいろなことがあるものだ。とてもブログには書けないとんでもないことばかり。とにかく彼の検討を祈る。食事を始めた瞬間にバルセロナとロンドンとスカイプ会議が始まり2時間食事をしている間の1時間半僕はマスターと話をしている始末。彼は明後日バルセロナに帰り次の日はロンドンに飛びコンペのパートナーと最終のプレゼンの打ち合わせとのこと。今日本にいるのが信じられない。
ホタルイカは13年目を迎えて健在。嬉しい限り。マスターとオーナーとエンリックとで記念撮影。http://www.ofda.jp/sakaushi/works/type/04commercial_facility/01/index.html

どれもがとてもURGENT

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by 卓 坂牛

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どういうわけか二つの本の校正が重なる。方や追い込みで目が皿のようになる。進捗状況表が毎朝津波のように届く。方や新たな校正は200ページドーーーント一辺にやってきた。まずは分担を決めてルールを作る。しかし後者の方は未だに、発行部数と定価を知らされていないのが気になる。
来月頭に行う引越しのための電話工事の詰めを電話屋さんと行う。こういうネゴって最近していないのはなんでも担当者がいるからか?そう担当者任せは老人病になるからこういうこともやらないと。
来週バングラデシュでいないからどれもがとてもURGENT。