コロミーナの未翻訳本
ビアトリス・コロミーナの『戦争時の家庭的なるもの』2006は軍需産業がいかに戦後の住宅を作り上げていったかを説明している。よく言われるようにケーススタディハウスは軍需産業を生活産業に変更することで生まれたものと言われている。
ビアトリス・コロミーナの『戦争時の家庭的なるもの』2006は軍需産業がいかに戦後の住宅を作り上げていったかを説明している。よく言われるようにケーススタディハウスは軍需産業を生活産業に変更することで生まれたものと言われている。
去年末にカーサブルータスの特別編集号で皆川明が特集された。その中の西谷真理子の文章を読んでいると皆川明の人となりが浮き上がる。
もちろんファッション界ではとても有名なデザイナーではあるけれど、ちょっと変わったデザイナーである。肩肘張らない、ファッションだけではなくて生活、生き方全てにある哲学を感じさせる人である。そして何よりもその精神がとても豊かである。
こういう人物像に人は憧れる。建築もそうなのだろうと思う。よく建築家や建築の社会的地位は低くて、日本の民度は如何なものかと疑問視される。オリンピック問題でも建築業界はまったく力不足のように言ったり、書いたりする人がいる。しかしそういう人がいくら騒いでも結局民度なんて上がらないだろうと思う。そういう風に騒ぎ立てる人たちは、政治家と同じようなものにしか映らない。人々はそんな評論家のプロパガンダを見たいのではない。建築や都市を作る人が実際豊かな精神を持って豊かに生きている生き様を見たいのである。
いや社会的使命を負った建築はそれではいかんという人もいる。半分賛成である。しかし騒ぐ裏には政治的胡散臭さが漂うのである。その胡散臭さを人々は敏感にかぎ分けひいてしまうのである。建築はあっという間に政治商品になり、イデオロギーになるのである。先ほどやっと全校生が終わったコンクリートカルチャーの一章はそんな内容に割かれていた。
皆川明のような建築家が豊かな精神と、豊かな生活を実践している姿こそが社会を変える最も大きな力なのだと西谷の文章を読みなが思うのである。
坂牛研の理科大での初代の院生が結婚した。新婦は(新婦です)設計事務所に勤め将来の建築家の卵であり新郎は大学で博士課程で学ぶ学徒である。祝辞を頼まれ祝辞だか説教だかわからぬことを話したら、坂牛研OBたちにその話は僕らの卒業式でも聞きましたと言われた。2年おきくらいに聞くのも悪くあるまい。つまり建築も伴侶も好きでい続けるには努力がいるという話である。
披露宴の後に皆で近くでお茶。松浦、山田、中川、金沢、門井、小林、堀江、久しぶりに奥田。いやー皆バリバリ建築やっていて嬉しいな。
一週間ぶりに娑婆の空気を吸った。山積になったto do listを少しずつ切り崩す。そして夜10時頃帰ったら風がぶり返すと配偶者に叱られた。少し良くなると調子に乗って治った気になるのがよくないのは十分承知。しかしコンペのいい案が出ないもので、、、、明日午前中にコンクリートカルチャーの校正を終えたい。これを出してしまえば「建築の条件」6章以降のリライトに手をつけられる。こちらの目処も昨日なんとなくたってホッとしている。明日午後は来年度の製図の打ち合わせ。夜は全学年合評会。明後日は教え子の結婚式。夜はコンペの打ち合わせ、日曜日は学会の原稿を書いて、オーストリアでの講演の内容を詰めたい。来月のオーストリアから戻ると茨城町最後のプレゼンをしなければならず、それを終えるとバルセロナに飛ぶ。
体が完治していない我慢の日々。都築響一の『tokyo style』ちくま文庫版2003(1993)をベッドから出られず眺めていた。氏の東京紀行としてはこれに続く(その間にも何かあるのかもしれないが)『東京右半分』ちくま書房2012を読んでみた。これは500ページを超え、カラー写真満載。ちくまで6000円という豪華本である。内容は超ニッチな情報に溢れている。この本のタイトルの意味は、東京の今面白いところはその右半分に偏っているという意味。曰く、エネルギッシュな街が生まれる要素はなるべく都心から近いこと、なるべく家賃や物価が安いこと。これを満たす場所は東京の右半分だと著者は言う。最初に地図が出ているが、「東京右半分」に認定されているのは一番左側で新宿区、そして文京、台東、荒川、北、足立、葛飾、江戸川、江東、墨田である。現在進行形の東京はこういうところにあるという。SOHOもイーストエンドもバスティーユもその昔はこんな場所だったと著者は言う。そうなのかもね。しかしニューヨークはすでにそんな若者が住み着く場所はマンハッタンの外になってしまった。東京ももはや右半分を飛び越えて、富士吉田あたりまで飛んでいくのかも。右半分でも十分高い。でも富士吉田まで行くともはやエネルギッシュ東京の香りは失せるのであり、、、
⚫RCRの橋は向こう岸の街の裏側を露出する。
⚫トヨタ東京本社ビルは背後の後楽園の緑を外堀に捧げる。
⚫みなとみらいの吹き抜けは地下鉄の電車が動いているのをショーのように見せてくれる。
⚫バックミンスターフラーラジオ時代の建築
⚫ガラスの向こう側で何が起こっているのか
Mark Wigley『バックミンスター・フラー、ラジオ時代の建築』Lars muller publisher Zurich 2015 という本がある。きちんと読んでないけれど先日、本人に中国で会った時に聞いたところによれば、電波(ラジオ)が建築あるいは我々を包囲することで、我々の周りにある様々な境界が本来もっていた意味を希薄にしていった。ということのようである。内部と外部、パブリックとプライベート、仕事と生活、つまり本来そこにあるであろう、あったであろう意味や行為や視覚の切断線がラジオによって取り払われたという主張である。
ニューヨークビジネスマンんの半分はベッドの上で仕事をし、携帯テレビ電話は私的空間を破壊する。もはやそんな秘密は秘密でもなんでもない時代である。本当の秘密はラジオにも乗らない、視覚に乗るようなものは秘密でもなんでもない。都市はますます裸になっていくのだろう。そうされることを人々が望み、そしてそうされることで金が儲かる、住人の意識もよりオープンになり、皆で何かを共有することに価値を抱くことが必然的に境界を破壊する。都市はますますヌード化する。古都ウィーンでもそれを考えたい。果たして通用するか?
本日は修士論文、設計の発表会。毎年なんとなく思ってきたことだが、やはりその気持ちははっきりとしてきた。つまり、、、釈然としない。これは信州大学時代からか10年そう感じ続けている。
これはいい論文だと思えるものは設計がつまらないし、設計がいいと思うものは論文が意味不明となる。両方がそれなりの美しさを共鳴するようなものは残念ながら未だかつてない。一つ確実に言えるのはスタートが遅いということ。みなゼミで増やした知識を発揮させるべくテーマをなるべく遅く決めようとする。そうしたい気持ちは分からなくはないけれどそれも限度がある。だから設計にかける時間が1ヶ月ないわけである。そうするとみななにをするかというと建築の設計を諦めて、プレゼンテーションの設計をするのである。それももちろん修士ともなれば重要だけれどやはり本質ではない。今年の案の中では都市の迷路のようなコンプレックスの見通しについて4つのタイポロージーを設定して設計を行った渋谷のキューブが僕の興味を惹いた。都市は常に何かを開示してくれるそんな可能性を感じる案だった。
先週の木曜日の午後、ちょうど新幹線で静岡についたくらいから調子が悪いなと感じ、レンタカーを借りてコンペの敷地についてロープーウエィーで東照宮に降りて寒くなってきた頃ああこれは確実にどっかおかしいと思った。静岡駅で薬を買って飲んで帰宅後ベッドへ直行。次の日の朝医者に行き薬をもらい、1日死んだように寝て、そして次の日の朝も熱が下がらずまた医者に行き新たな薬をもらいそしてベッドへ直行。家族にうつしてはいけないというので寝室は僕が独占。この寝室のドアは100平米区画なので常閉鉄扉。病人隔離室にはぴったりである。この家の人は暑いのがきらいだが私は寒いのがきらいなので隔離室であることをいいことに隔離室の温度は27度くらいに上げ快適である。食事、トイレで部屋から出てベッドに戻るとまた死んだように眠る。通算すれば3日と半分のうち食事時間以外は眠っていた。80時間のうち70時間、ベッドにいたのではなく眠っていた。人間はこんなに眠れるのだと驚くほどである。寝るのに飽きたら読もうとベッドサイドに置いておいた本はほとんど不要であった。都築響一のtokyo styleの写真をぺらぺら眺めるくらいだった。この3日間で出席すべき、会議、講評会、理事会を全部欠席した。ものによっては年に一回のイベントでもあり欠席したのは心苦しい。
一方この3日間を当てにしてやろうと思っていたことは消えて無くなったわけではなく綺麗に平行移動している。それを思うとちょっと憂鬱であるがまあ大した話ではない。今日も年に一度の修士のイベントである。学生も2年の総力を見せてくれる。それをきちんと見定める日でもある。頑張って行かねば、、
ここまでダウンしたのは本当に数十年ぶり。ベッドサイドに体温計、メガネ、本、携帯などおいてあるがほとんど使わずひたすら寝ている。もう3日寝ているのだが、、、、、寝すぎて体が痛い。