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Mar 2016

キックオフミーティング

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by 卓 坂牛

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来年度の研究室キックオフミーティングを行った。総勢39名で部屋はパンパン。研究室の目的を自覚して皆で主体的に研究室のレベルをアップさせたいと思う。
目的
本研究室は国際的視野を持ち、広く異分野の学問の統合として、建築の設計を考え、建築の設計者になることを目的とした学びの場である。それ以外に目的はないしそれ以外のことを前提とした教育もない。そして設計とは知性と感性と体力で行う行為であり、そのどれかが欠けてもできないものと心得よ。
教え
人にものを頼まれたら断ってはいけない。あなたが何かを頼まれるのはあなたが信頼されているのであり、その信頼を裏切れば次はこないと思ったほうがいい。それは人生のチャンスを失うこととなる。
研究室
研究室とは上記目的に向かって、個と全体をそれぞれリスペクトする集合体である。目的がずれた行為は研究室外で行うこと。そしてそれを統率し、運営するのは各自であり、誰かがやってくれると思わないこと。自分が研究室の一主体であることを常に心して行動するように。
ゼミ
遅刻厳禁、途中退出厳禁、無言厳禁。ゼミは皆が知恵を出し合って議論する唯一の場である。集中して徹底して内容に参加すること。顔を出す程度の気持ちの者は出席不可。修士は今まで1年時はお遊び程度だったが今年からM1で論文の骨格を作るつもりで行う。

黒いワインキーパー

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by 卓 坂牛

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理科大坂牛研を修士で最初に修了した代の紅一点中岡が先日結婚した。そのお祝いに真っ赤な陶器の大皿をプレゼントしたらそのお返しということで真っ黒な漆器のワインキーパーをいただいた。名前まで入れて頂きありがとう。現在休酒中なので当分はトレペキーパーにしようかな?次の本が出たらまた再開するのでそのときはテーブルの主役にする予定。
彼女は我が家のすぐそばの設計事務所に勤めており道でばったり会うことも多い。がんばれ未来の建築家(既に?)。

秋葉原のdiscontinuity

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by 卓 坂牛

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秋葉原のヨドバシカメラ側の広場に夜来るとその明るさ感に驚く。もちろん商業集積の町、銀座、新宿、渋谷などもそれなりにネオンや看板で明るいのだが、秋葉原はオフィスの内部照明が煌々と街をテラス感じで明るい。この真っ白い無菌的な明るさが、秋葉原特有の小さなお店にごちゃごちゃとものが溢れかえるばい菌イメージと衝突しているのが最近の秋葉原で面白い。このスケール、照明、の落差が作り出すディスコンティニュィティはとても日本的な気がする。

廃校利用プレゼン

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by 卓 坂牛

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午後茨城町で廃校小学校再利用計画の今年度最後のプレゼン。町長、副町長、教育長をはじめ、十数人に説明。総工費概算も1.2億くらいで提出した。高いと言われるかと思いきや、もう少しかけてもいいものにしたいと言われて驚いた。

間(IN BETWEEN)のデザイン

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by 卓 坂牛

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見田宗介の『現代社会の理論』では資本主義の矛盾(無限の供給と限定された需要)を解消するために消費化と情報化を取り込んだと記されている。簡単に言えば、毎年デザイン(情報)を変えることで新たな消費を誘発するということである。こうして資本主義の矛盾は解消されたがこの消費と情報は環境問題南北問題をひき起こしてきた。しかしかといってこの消費欲求とデザイン欲求を否定していいかというとこれは人間の本能なので真っ向から否定してはいけない。これを肯定しつつ転回する方策がないかというのが見谷の理路である。そしてでてきたのが物質消費から精神消費への転回つまり脱物質化である。また(これは私の論理展開だが)対象デザインから関係デザインへの転回つまり脱対象化である。僕の中で今この二つはキーワードである。
脱物質化は建築における様々な局面での再利用につながるのだが、それだけではない。脱対象化が脱消費を促せばそれは究極的に脱物質にもつながっていくことになる。その意味で脱対象化は重要なデザイン概念である。ここであえてデザイン概念と書いたのは、脱対象化が非デザインを意味するのではないことを強調したいからである。それは対象ではなく対象と対象周辺との関係性を徹底してデザインしいくことを意味しているからである。
これは事後的な観察ではあるが、勝浦の家では当初「普通の家」が欲しいと言うクライアントの要求からスタートしている。その意味で建物の少なくとも外観においてはそれが強く対象化されない所謂家の原型のようは形を踏襲している。しかしランドスケープとの関係においてスラブの形や外壁の納まり、手すりの透明化、外構の砂利と芝生と屋根の関係性などはとてもこだわっている。内部でも陶芸をされるクライアントのものの置き場とその背景にはかなりの気を使っている。つまりは間のデザインである。もちろんその間を構築するためにその対象のデザインもしている。対象の図像性が消えることも消すこともないのだが、どちらかというと間をデザインすることで生まれるデザイン性に興味が移っているのである。もっと言うとこの対象の形を後10回違う場所で使ってもその間をデザインできればその魅力は失われないということである。もちろん建築には様々な条件(環境、クライアントの要望、予算)などがありそれは現実的に可能かどうかはわからないが原理的には可能だと思うのである。そうなるとここには所謂今まで言われてきたようなデザインの消費には直結しないし、またそれはリノベーションの可能性も高めて脱消費にもつながるのではと期待するのである。
ちなみに今ウィーン工科大学で行っているスタジオの大きなテーマはIN-BETWEENである。これは対象ではなくその対象と対象の間に注目しようという意味である。

勝浦のオープンハウス

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by 卓 坂牛

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勝浦のオープンハウスは無事終了。残念ながらアクアラインが大渋滞となり車で来ようとされた方はあまりの渋滞に来場を断念した方がかなりいたようです。電車組は無事到着されました。大野二郎さん夫妻、渋田さんありがとうございます。国外からは同済大学教授の支先生夫妻遠路はるばるありがとうございます。時代建築への掲載のオファーをいただきました楽しみです。研究室OBも多く来てくれてありがとう。プチ同窓会のようで楽しいものです。
外構、植栽も終わった姿を初めて見たがやはりいいものです。朝4時から上田さんに撮影いただき朝に夜景を撮り昼に終了しました。こちらもどんな写真があがるか楽しみです。朝の光の方が赤くなくてきっといい写真になるのではと期待しています。

You must not do what you don`t want do の暗黙の了解

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by 卓 坂牛

したくないことをするのは時間の浪費ということをいろいろなところで言ったり書いたりしているのを配偶者が発見して若い人は誤解するので訂正せよと言われた。誤解するやつにはさせとけと思ったが、そういう風に誤解されて、アホだバカだと言われている人が世の中には多くいるのでやはり言動には気をつけようと思い一応正確に記すことにする。
したくないことをしないようにしないと人生は限られているので時間はすぐになくなってしまう。しかししたくないことをしないでしたいことを行うのはほぼ不可能に近い。特に若いうちは。よってしたくないことを最も効率的に終えるよう考えよ。
なのである。
さらに僕の研究室には矛盾するようなもうひとつの不文律がある。それは「人にものを頼まれたら断ってはいけない」という教えである。この言わんとするところはものを頼まれるということはそれだけ信頼されていることであり、それを断るということは人生のチャンスをひとつ失うということである。そして一度断ると次は来ない。
頼まれごとはもちろん自分のしたいことではないかもしれない。そうなると二つの教えは真っ向から矛盾するが、頼まれたことをすることはしたいことができるためのステップでありそれなしにしたいことはできないのである。
という前段がありYou must not do what you don`t want to do があるのである。ということを一応言っておく。

このリアリズム

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by 卓 坂牛

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おおむろ君の愛する小説家川崎長太郎のブックフェアに行った時に並んでいたつげ義春を風呂で読む。彼が川崎を好む理由がよく分かる。彼らが共有するのは「超低空飛行」。明るい未来があるわけでもなく、貧しいけれども豊かな精神があるわけでもなく、熱い恋があるわけでもなく、何もない、ただただギリギリに生きているその生き様だけがあるのである。その何が楽しく、愉快なのかと言われると何も楽しくないし、愉快でもない。そして社会主義リアリズムのような主張があるわけでもない。でもそこにはそれでも生きている生という事実が転がっているのである。

都市のディスコンティニュイティ

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by 卓 坂牛

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学会の歴史・意匠小委員会に出席。久しぶりに多くの方が集まれて、しかもかなり建設的な議論となり、来年の展望も明確になりとても満足である。会議という会議がいつもメールで済むよなあと思う昨今。いい会議だった(変な言い方だが)会議後。委員会主査の京都大学西垣先生から「都市のディスコンティニュイティを調べられているようで」と声をかけられた。フェイスブックでつぶやいていたことを取り上げていただき光栄である。続けて「60年代、70年代に前田愛や奥野健男が文学と都市を議論する中、奥野は都市近代化の中でこぼれ落ちた都市の不連続面が自分を成長させたということを書いておられます」と教えてくれた。
簡単に言えばそれは原っぱなのだそうだが、不連続面の価値づけとしてとても参考になるお話である。ありがとうございます。早速読んでみたい。奥野健男は文学評論家だけど、吉本隆明同様東工大出身である。母校は不思議な人を排出する。

都市のディスコンテュニイティ

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by 卓 坂牛

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学会の歴史・意匠小委員会に出席。久しぶりに多くの方が集まれて、しかもかなり建設的な議論となり、来年の展望も明確になりとても満足である。会議という会議がいつもメールで済むよなあと思う昨今。いい会議だった(変な言い方だが)会議後。委員会主査の京都大学西垣先生から「都市のディスコンティニュイティを調べられているようで」と声をかけられた。フェイスブックでつぶやいていたことを取り上げていただき光栄である。続けて「60年代、70年代に前田愛や奥野健男が文学と都市を議論する中、奥野は都市近代化の中でこぼれ落ちた都市の不連続面が自分を成長させたということを書いておられます」と教えてくれた。
簡単に言えばそれは原っぱなのだそうだが、不連続面の価値づけとしてとても参考になるお話である。ありがとうございます。早速読んでみたい。奥野健男は文学評論家だけど、吉本隆明同様東工大出身である。母校は不思議な人を排出する。