On March 19, 2016
by 卓 坂牛
卒業式を終えて、学位授与式を終えて、四谷で研究室で集まって、4年、M2の門出を祝った。ポスドクだった天内君、輪読にいつも出席して学生を鼓舞してくれた岸君、製図の指導をしてくれた助教の常山さん、出席ありがとう。
学生に言いたいことはきちんと話すと1時間半かかるが、二言で言った(店の時間がおしていたので)。
① 人生やりたくないことをしてはいけない。それは時間の浪費である(やりたくないことをしなければならない時はやりたいことに変えてからやること)。
② 表現者になるのなら人と同じことをしてはいけない。人と同じことは表現とはならない。
この二つを肝に銘じて生きること。
On March 17, 2016
by 卓 坂牛
帰国して朝から4つ会議やったらすっかり体が元に戻った。明日は卒業式。明後日は学会。そして明明後日はオープンハウスである。天気になりますように。
On March 17, 2016
by 卓 坂牛
今回は忙しくて建築本屋を見て回る時間もなかった。最近はネットで買えるので本屋で買うことは減ったが、本物を手に取る意味がある。
いつも異国の都市に行くとその都市の成り立ちの歴史がわかる本を探す。ウィーンでもそういう本を探してエルンストに聞いたら、彼がそういう本をくれた。素敵な本で多くの歴史的な図版が掲載されている。ウィーンも城郭都市だったわけである。近代に入り都市を拡張し、道路を整備するのにこの城郭は取り払われたが、日本も同じである。江戸城の見附は新しい道路整備で取り払われた。しかしその残滓が今もある。ウィーンにもそういう遺跡がのこっているのだろうか?(この本もアマゾンで買えるのだが)。
On March 15, 2016
by 卓 坂牛
エルンストとの東京での再会を果たしたのは去年の12月その作戦を練っていたのがちょうど1年前である。そして今回エルンストに客員教授という立場で呼んでもらった。33年ぶりのウィーンは幾つかのスターアーキテクツの建築ができていたことを除けば何も変わっていないのに懐かしさと伝統を感じた。1週間のワークショプは学生に教えるとともに教えられることもたくさんあった。ありがたい。
最終日のジョギングをしながら空から冷たいものが降ってきた。雪である。街角に気づかなかったがスタンディングのショーウインドーが出ていた。4月に彼らが来て再会し、6月に最終講評会に行けるのを楽しみに、 Good Bey Vienna
On March 15, 2016
by 卓 坂牛
一週間のワークショップのレビューが朝9時から始まり終わったのは夜の7時
約10時間のロングレビューだった。何人の作品を見たのか准教授のアントンに聞いたら50だそうだ。アントン、エルンスト、ムッフ。そして数名のアシスタントと僕の5人でクリティークをした。最後にワークショップの印象をコメントした。ヨーロッパのしかも歴史が長く伝統を重んじ、クラシカルな建築と都市の考え方に満ち溢れたこの場所で果たして僕に都市空間を教えられるのか???30年ぶりにウィーンにやって来て都市の厳格なルールを感じるにつけ、いやいや僕にはこのルールが被せられた場所を教えるのは難しいと感じた。だから僕が彼らに探して来させたのはそういうルールからはみ出てしまう。Discontinuous Viennaである。彼らが見つけてきたウィーンの不連続面は面白かった。こんな古典の街にもこんな場所があるのだということに再度都市という人工のなかにある自然を再認した。
50人のうち17人が4月に日本にやってくる。彼らと東京で再会するのが楽しみである。
On March 13, 2016
by 卓 坂牛
やっと週末。ワークショップと連続レクチャーから解放され近所ののみ市を散策。ガラクタしかないかと思ったけれど、ドイツミッドセンチュリーの極薄のガラスティーカップとソーサーのセットにややアールデコっぽい鏡のお盆を発見。昼の電車でオーストリア第二の都市グラーツへ。ついたら夕方。世界遺産の旧市街を歩き丘の上にケーブルカーで上がる。
On March 12, 2016
by 卓 坂牛
昨日のロングディの続き。昼食のついでに世紀の変わり目のアンティーク屋さんに立ち寄る。やはりウィーンである。いいものが沢山ある。気になったnestingテーブルはトーネットと双璧をなしていたヤコブ・ヨゼフ・コーン社のもの。オリジナルカタログのコピーに確かにこの製品が載っている。コーン社はユダヤということで迫害され、日本ではトーネットが圧倒的に有名だが一時はコーン社の方が、ワーグナーやホフマンをデザイナーとして起用して隆盛を極めていたのだそうだ。
On March 12, 2016
by 卓 坂牛
⚫️プレゼンテーションの講義 好評でした
⚫️区役所行って住所認定書をもらう。
⚫️オフィス脇の不思議なドライエリアに構造を挿入する案
今日はロングディ。午前中最後のレクチャーであるプレゼンテーションのプレゼンテーションをした。相手は建築学科での建築のグラフィックスの授業を取っている学生に対してである。そんな授業があるだけ進んでいるかもしれない。その授業の先生が僕のレクチャーを賞賛。英訳を作ったらとなんども言う。4つの分類とグラフィックデザイナーによる修正は実に画期的との嬉しいコメント。午後は区役所行って住所認定書をもらい、銀行行って口座を作る。大学から交通費をもらうのにこんな面倒臭いことをしなければならない。まあいろいろと良い経験。その後大学に戻り、7時半までエスキースチェック。ふらふらである。
On March 11, 2016
by 卓 坂牛
33年前にウィーンに来た時にはロースを見て回った。今回は時間がないがヴィットゲンシュタインだけは見たかった。谷さんに予約を頼み入ることができた。今この建物はブルガリア文化会館になっている。
だいぶ前だがバーナード・レイトナーの書いたヴィットゲンシュタイン邸の本を読んだことがある。アドルフロースに指導されて姉の家をデザインしたのがこの建物である。ややロース的なラウムプランを感じるが、ポイントはそこにはなくあくまで数学的な比例関係で窓と壁と天井高が決定されているところにある。そのプロポーションの意図はエントランスホールで徹底されるが、他の部分は意図が希薄である。「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」という彼のマニフェストが建築となっているような風情である。「表現し得ないことについてはデザインしてはならない」。と言っているように見える。